切り取られた風景(中)


「何やの此れ。」
「金魚。知らないの?」
翌日会うなり隆臣は、水草の描かれたビニール袋に入る細長い魚を見せた。金魚と云えばどっぷりと布袋様宜しい腹部、全長程あるのでは無いかと云う長い尾を蝋燭の炎の様に揺らし、澄んだ水中を悠々と「見曝せ」と泳ぐ物では無いのか。時折開いた黄金の口から水泡が上る。
然し何だ此の魚は。色の付いた目高ではあるまいに、細長く薄っぺらで、尾等無いに等しい。悠々と「見曝せ」所か、「嗚呼御願い見ないで頂戴」と一点にじっと、震えて居る。
「あげる。」
緑色した細いビニール紐を人差し指の第一関節に引っ掛かけ、隆臣は差し出した。
「要らん。」
「又そんな。」
猫をあげると云われた訳では無いのだから、一応は貰って流しか何処かに捨てれば良い話だが、侑徒は拒否をした。
「こんなん金魚ちゃうわ。」
「金魚だよ。」
何度目かの“デート”の折、金魚を貰ったと云う話を隆臣はした。教室に金魚が居るってのは風情ある、すると面白い様に侑徒が食い付いたのだ。見たいと云うが金魚が居るのは学校で、こっそり呼んで見せる事は出来るが、教師に知れたら「部外者入れな、アホタレ」と怒られる。如何にかして侑徒に見せて遣れないか隆臣は模索するが、見たいと云った張本人はそんな事“すっからかん”に忘れて居た。
其処で美奈子に相談するのがほんまもんのすっからかんである。美奈子は呆れ乍ら「其の別嬪さんが此れ無いならそっちが動いたら良い」と、惚れた弱みに助言した。何を云ってるんだ、此の女は、侑徒の所迄水路を作れと云うのか。「愛人の笑顔見てなんぼ」、そうは云うがそんな金は無い。
「馬鹿、違うよ…」
ビニール、或いは箱に入れて見せれば良いだろうと、果て様の無い呆れを見せた。
然し金魚とは大変警戒心強く、隆臣が鉢に顔を近付けた瞬間、固まって居た金魚は四方に散った。金魚にも相手にされない隆臣に廉太郎は仰け反り、腹から豪快に笑った。
「金魚ん方が賢いわあっ」
「俺、君達に何かした…?」
「人攫い見たら逃げ為さいって、云われてるんじゃない?」
「未だ攫って無いよっ」
「阿呆やなあ、せやから、金魚ん方が、頭ええゆうてん。」
人攫い為らぬ金魚攫いの隆臣に金魚達は警戒した。
「絶対捕まえて遣る。」
金魚攫いは金魚攫い宜しく鉢に手を突っ込み、「きゃー、金魚攫いよー」と逃げる金魚を追い掛けた。澄んだ水は掻き回す隆臣の所為で濁り、生臭さを出す。其の臭いに廉太郎は口元を塞ぎ、美奈子はビニール袋の口を開いた。
「くっそ、すばしっこいな。」
一旦鉢から抜き、水気を床に飛ばす。其れが廉太郎の袂に飛び、ひぃいやあ、と気持悪さに悲鳴漏らし、アホタレが、と隆臣は蹴られた。其処に教師が現れ、鉢に手を突っ込み金魚攫いする隆臣を「アホンダラ」と殴り付けた。
「こんなに沢山居るんだから、一匹位下さいっ」
「あかんっ、一匹でも半匹でもあかんっ」
「何で、良いじゃないですかっ」
「なんぼする思てんねやっ、貰いもんやけど。」
「だったら、だったら此の小さいので良いですっ」
「小そぅてもあかんもんはあかんっ」
今度は隆臣が、ひぃいやあ、とヒステリー起こし、頼み込み乍ら濡れた手と腕を教師の服で拭いた。此れに教師がひぃいやあ、生臭さを漂わせ乍ら教室から「あほんだら吉川」「覚えときな」と逃げ出た。生徒に「覚えとけよ」と恫喝する教師も教師である。
抑隆臣、金魚を素手で攫おうと全く阿呆である。顔を見せただけでも逃げ果せる金魚相手に、無謀な他無い。
「魚屋の倅、行け。」
「嫌やしな。悪事荷担さしなや。触りなや。」
自分が掴む事は無理と悟った隆臣は、生臭さに顔顰める廉太郎の肩を湿った手で握った。廉太郎、魚屋の息子である。
魚何か家だけで充分だと拒み続ける廉太郎を、一週間昼飯を奢る、と云うので頷かせた。侑徒(愛人)の笑顔見てなんぼ、一週間の昼飯代位安い物である。
如何せ出すのは美奈子なのだから、痛い筈が無い。全く此奴は強かである。
袖を肩迄捲り上げた廉太郎は肘迄鉢に入れ、ゆらゆらと動かした。
「ほーらほら、怖ないでぇ。案配よぅしたるからなぁ。」
金魚を決して追い掛けず、水草と一体に為った廉太郎の掌に一匹近付いた。ゆっくりゆっくりと手を丸め「ええ子ええ子」、動きを止めた金魚を掴んだ。
「見曝せぇっ」
手の中で「畜生騙したな」と暴れ回る金魚を美奈子の持つ袋に入れ、ビニール紐を持って口を閉じた。在の教師、金魚の数等把握して居ないので、一匹居なく為ろうが気付きはしない。
其れが此の、侑徒に「金魚ちゃう」と云われた金魚である。
何れだけ苦労したか、云うのは厭らしい。そんなのは粋では無い、流石は見た目ばっかし気にする東京の御人だ。
「貰って下さい。」
そうテーブルに額を付け云う隆臣に、渋々侑徒は受け取った。
「明日迄生きさす保障無いからな。」
「良いよ、一晩だけでも。侑徒の傍に居られるなら。」
ビニール袋を覗いて居た侑徒は横目でちろりと一瞥し、金魚に向いた。
一晩だけで宜しねん、…なあ。後はもう如何為っても構わんのや。
一箇所に留まり小刻みに尾を揺らす金魚。
案配宜しなあ…
口だけ動かした侑徒に、金魚はビニール越しにキッスをした。




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