切り取られた風景(中)
金魚を見た叔父は益々無様な気持を知った。侑徒を魅力するのだから一体どんな姿で優雅に泳ぐのか、其れは見事に違いないと考えて居たのが、何だ此れは。細長く貧相で挙動不審、紅なら未だしも漂白に失敗した様な朱。此れに負けた…、絶叫したい。
鉢を覗く叔父に侑徒は「変な金魚やろ」と云う。
「名前付けたりな。」
「見た目から、金。」
「見た目は赤や無いか。」
侑徒は堪らず声を出し笑った。
「せや、赤や。あはは、金ちゃうな。」
叔父が驚いたのは当然で、君子だって湯呑みから口を離す程驚いた。二人は視線を合わせ、笑う侑徒にゆったり戻した。生まれてから十八年、幼少時代こそは笑って居たが、六歳、十歳、十六歳…成長する度に、眉目が良く為るに連れ侑徒は笑わなく為った。父親からの期待と重圧が大きく為る度、感情を真っさらな表情で隠した。叔父が最初に其の異変に気付いたのは三歳の頃で「此の子、よぅ笑わんな」と不安はあった。父親に其れと無く指摘しても母親が暗いから、親でも無いのに煩いと聞かず、六歳の頃の正月、無表情で挨拶をする侑徒に愕然とした。君子も「在の子暗いな」と云う始末。
六歳の子供に表情が無い、有り得無い話だった。
笑いもしない、泣きもしない、周りに対して全くの無反応で、然し父親にだけは反応する。父親が少し腰を浮かしただけで肩を強張らせ、顔に緊張走らす、何も無いと知ると安堵する。子供を沢山見て来た叔父だからこそ、侑徒の姿は異様に映った。静かでええわ、と父親は云うが、静かにさせてるのは誰や、御前と違うんか、何度言葉を飲み込んだか判らない。
在れは一度、侑徒が十歳の頃だったか、五人で旅行に出掛けた。行き先は九州の湯布院で、此れは父親が温泉に行きたいと云ったからである。叔父と父親で代わる代わる運転し、一週間は居た。父親は一人で行動し、何方の夫婦の子供か、叔父達が侑徒の面倒を見て居た。当然君子は「何の為に来たのか判らへん」「子守違うしな」と文句垂れた。なので一週間、叔父が一人で侑徒の面倒を見た。驚いたのは帰宅中の車の中である。運転は父親で、助手席には君子が座って居た。父親が一言「侑徒も笑うんだな」そう云ったのだ。君子は驚き、其の頃は叔父と居れば大半笑って居たので、「此の人何ゆうてんねやろ」と流した。其の言葉を聞いた叔父の心境と云ったら無い。此の侭育ては侑徒は全く無反応の人間に為る、危惧した叔父は、其れからと云う物、時間があれば侑徒の様子を見に行った。
侑徒が中学に入れば、父親の重圧は一層強く為った。中高一貫の私立校で、侑徒は毎日帝國医大に入る為の機械と為った。学校が終われば直接学習塾へ、其れから帰宅すれば一時過ぎ迄机に向かって居た。当然此の六年間は常に首席で、二番に為ろう物なら容赦無く父親の鞭が飛んだ。聞いた事が試験に出るのだから満点は当たり前、取れない方がおかしい、首席であろうが九十五点以下であれば鞭が飛び、九十点以下等価値の無い物で、地面に氷が張って居様が寝巻一枚で外に放り出した。其の時は何時も、向かいの住人が叔父に連絡を入れて呉れた。コートにマフラーを着込んだ叔父でも震え上がる程の寒さ、入れて欲しいと頼んでも入れて呉れる筈は無いので家に連れて来た。そして翌日、父親が引っ張って連れて帰るのだった。
寒空の下に居る侑徒の、何と美しかった事か。雪の精霊がぽつんと、自分を待って居る様な、何とも云え無い感情があった。
高校の時、侑徒の美しさは強固な物に為った。髪も学生服も黒、其処に浮き上がる肌の白さ、端麗さ。こんな美しい物が此の世に存在して良いのかとさえ叔父は思った。母親の遺伝子云々の話では無い、侑徒の出す儚い雰囲気が顔に良く似合って居た。当然、そんな侑徒に女子が黙って居る訳は無い。女学生が電車で見る度溜息漏らし、叔父の病院に勤務する若い看護婦達からも熱い視線を貰った。
「侑徒はん、ええなあ…」
「ほんまぁ、貴公子みたいやなあ…」
等と侑徒が姿を見せる度云う。毎日毎日、行きと帰りの電車や学習塾先で恋文を貰う。其れを、父親に見付かったら唯じゃ済まないからと、帰宅前に叔父に預ける。処分に困るなら貰わなければ良いだろうと、侑徒の代わりに捨てる。侑徒だって本当なら欲しく無い。然し、口下手な侑徒は断る前に相手が押し付け、逃げる。春風の様に女学生達は早く、一度嫉妬した看護婦が其れを見たら、もう後が大変だった。子供の癖に色付くな、から始まり、渡した女学生を見た訳でも無いのに鏡見て出直せ、ふざけるなふざけるなと嫉妬に駆られ恋文を破きヒステリー起こした。
叔父は此の時、侑徒に惚れて居る事を知った。俺は叔父やぞ、其の前に男やぞ、と葛藤したが、侑徒の美しさの前では陳腐な物にしか為らなかった。
自分も同じ様に看護婦みたく「ふざけるなふざけるな」と激昂出来れば何れ程楽か、叔父が能楽に興味持ち始めたのは此の頃からだった。同僚と見に行った其の雰囲気は、侑徒が目の前に居る様な感動を叔父に教えた。美しく、官能的で、力強い舞台。父親は「能面付けて気味悪い」「役者は表情出してこそや」と云うが、能面の織り成す在の影の微妙な表情、其れこそ侑徒の表情だったのだ。
――侑徒はちゃう、笑ろてんねや…
俯いた時の影、斜め下から出来た影、侑徒が良く首を動かすのは此れ等影の微妙な配置を考え、感情を教えて居るのだなと叔父は悟った。
――目に生気が無い?阿呆抜かせ、光があるや無いか。
能楽の世界だった。光を操り影を作る、笑って泣いて、叔父に感情を教えた。
其れが常であった為、侑徒が声を出し笑ったのには魂消た。
「抑、赤ぃのに金魚て、変やな。」
「いや侑徒、金色やから金魚ちゃうで。金程の価値ある魚やから、金の魚、金魚やねんで?後、金魚屋儲かるから。」
「そうなん?」
「せや。」
「叔父さん、博識やなぁ。」
目尻に涙を溜め、侑徒は云う。
「後金魚は鮒科、鯉科ちゃう。」
「鯉ちゃうんやぁ。叔母さん、鮒科やて。」
「へぇ、そうなん?鯉によぅ似てるけどなぁ。食われへんねなぁ。」
「大きゅう為ったら食べたろ思たのになぁ。」
「なぁ。」
「鮒も食えるわ。」
「泥臭いやないの。」
ふと叔父は、嗚呼何か親子らしい会話だな、と思った。父親と侑徒が会話らしい会話をして居る所、叔父は見た事が無い。
見曝せ。
少し父親に勝てた気がしたが、此の雰囲気を提供したのが在の東京人と云う事で、余り良い気分では無かった。
金魚を見ると相変わらず、ぱく、ぱく。侑徒に何か云いたそうに口を開いて居た。
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