切り取られた風景(後)
年末の公演会に侑徒は勿論呼ばれた。今回は目玉の軽音科の迄聞いた。と云うのも、伝統科が一番最後だった。叔父は詰まらなさそうに他科の演奏を眺め、侑徒に至っては寝て居た。ピアノとヴァイオリンの二重奏から始まり、弦楽重奏、終わると組曲と為り、信じられるか、在のティンパニやチューバ、シンバルの音でも侑徒は起きなかったのだ。叔父が驚きで肩を揺らしたと云うのにだ。軽音科の演奏は、半分寝乍ら聞いた。美奈子を眺めて居るが、夢と感じて居た。二時間充分に寝た侑徒は、舞台入れ替えの為の休憩中に背伸びし起きた。
段幕の後ろでは大きな音がする。伝統音楽科、今年はかなり力を入れて居る。
其処にだ。
侑徒の横に、一人女が座った。黒の留め袖で、首筋からは香の匂いがした。肘置きに肘を置いて居た侑徒は離し、見た顔に、びたっと横に座る叔父に背を付けた。
女は気付き、叔父も「何や」そう云った。
「何か。」
しっとりとした、艶のある声であった。侑徒は何も云わず、叔父に向いた。
「どないしてん。」
「うわあ…っ」
侑徒は又ちらりと、本当にそうか、女を盗み見た。流石に気味悪く、何ですか、と訛り一つ無い声を向けた。
「御免為さい…」
「気持の悪い。」
「あの、違ったら済みません。吉川隆臣の、師匠様ではありませんか…?」
侑徒も負けず、訛りの無い言葉で返した。
女は視線を向けると、ゆるりと笑みを呉れた。
「そうですけど、何故。」
「御写真、拝見した事があって。」
「隆臣の友達?」
「はい、まあ、一応。」
「一応って。」
女はくすんと笑うと、項を撫でた。写真で見るより、かなり存在感がある。存在感の桁が違った。侑徒迄緊張した。
「だからか。」
女は呟いた。
「だから?」
「隆臣、東京に戻りたくないって、吉川さんに云ったの。最初はね、原口さんを恐れてるからと思んだけど、何か違うと感じてね。」
貴方が居るからか、と女は笑い、会場の明かりは消えた。幕開けの音はビーっと云った機械音では無く、鈴の音であった。しゃん、しゃん、と鳴る中、幕はゆっくりと開いた。中央に隆臣と廉太郎が座り、一同頭を下げて居た。
演目はドビュッシーのアラベスクで、西洋の古典音楽を日本の古典音楽で表すとは、中々に難い演出であった。目覚めには、良い音であり、侑徒はうっとりと聴き入った。時折横目で女を見た。女は、隆臣を優しく見守り、成長した弟子の姿に涙迄浮かべた。此れなら何処に出しても文句は云われまい、如何せ貴女の力だろうと、誰にも云わさせはしない。隆臣の実力を、確かに感じた。
満足した女は、演奏が終わる前に席を立ち、隆臣が自分を見付ける前に潔く立ち去った。侑徒は其れを横目で見た侭、師弟の関係を超えた、男女の潔さを見た。きっぱりすっぱり、荒波を立てない様配慮した女の態度、見事であった。女が来たと美奈子に知れたら、やっぱり帰らないと京都に居座り兼ねない。
女の態度に気を取られて居た侑徒は、拍手で演奏が終った事を知った。
頭を上げた一同は互いに拍手を送り合い、隆臣と廉太郎は笑い合うと拳を付け合わせ、抱擁を交わした。主役達の抱擁に又拍手が送られ、明かりの付いた会場を見渡した隆臣は目敏く侑徒を見付けると親指を立てた。
「はいはい、凄い凄い。」
呆れ乍ら、拍手を送った。
ズレた視線。ぽっかりと開いた席に隆臣の顔から笑顔が消えた。どんなに仲間から抱擁され様が揉みくちゃにされ様が、其の目は怯え、挙動不審に会場を見渡して居た。
「隆臣…?どないしてん。」
「師匠は…?」
来ると手軽では云って居たが、矢張り社交辞令だったのかと、落胆した声を廉太郎に聞かせた。
女を探して居ると気付いた侑徒は、椅子を叩くと手を振った。其れで女が其処に座り、聞いて居た事を理解すると、両腕を突き上げ、胸の前に下ろした。
「師匠、有難うっ」
又笑顔が戻り、会場に最敬礼すると隆臣は引いた。幕は閉じ、ステージ横に居る美奈子に、引くやいなや抱き着き、飛び跳ね回った。
「はいはい邪魔やでぇ、御二人はん。」
箏を抱えた廉太郎は邪魔な二人を足蹴り、手ぶらな囃子組は腕で押した。廉太郎も、道具係に持って来て貰えば良いのだが、商売道具は触らせない。箏で生計立てる予定は無いが、此処に居る以上、商売道具なのだ。
忘れて居るのは隆臣である。命より大事と云う三味線を、完全に置き忘れ、講師から「要らんのなら売るで」「高いでぇ」と脅された。
三味線が女其の物であるかの様に、渡された隆臣は、優しく抱擁した。
叔父は、車の鍵を侑徒に渡すと、其の侭帰宅した。侑徒の事は盲愛して居るが、束縛をする積もりは無い。東京人と眼鏡と鳥の巣に会う事が判る叔父は、女同様、潔かった。教室で休憩して居ると聞いた侑徒は、教えられた教室に向かい、美奈子は軽音科の仲間と居るのか、二人しか居なかった。
「御疲れはん。」
買った飲み物を二人に渡した。
「御疲れ、侑徒。」
「疲れて無いけど。」
「どない遣った。」
「良かったで。」
「あれ、保護者は。」
過保護な叔父を皮肉った。返答する変わりに侑徒は鍵を見せ、引っ付かんだ隆臣は矢張り「京都の街をシトロエンでうーうー」と、赤く無いのに云った。
「嗚呼、在れ、そんな名前何や。」
「仏蘭西の車とかぁ。代々の医者はちゃうなあ。」
「生まれ変わったら医者に為る、俺。」
「いやぁ、無理やろ。」
何故なら、馬鹿は死んでも、治らないのだ。理由が、外車に乗りたいから、では、何度輪廻し様が、隆臣には無理であろう。
軽音科の教室は下にあるらしく、何故あるのか、メガフォン持つと窓から下に向かい美奈子を呼んだ。
「御呼び立て申し上げますぅ、えー、原口、原口美奈子さん。いらっしゃいましたら、窓から顔出して下さあい。」
隆臣を真ん中に、廉太郎と侑徒は下を覗いた。暫く待ったが現れず、いらっしゃらないのだろうと隆臣に諦める様云った。然し、しつこいのが隆臣である。音量を最大にすると、声は割れ、御負けに警報機迄鳴らした。
其れでも出ない。
「鳥の巣、飛んだんちゃう。」
「おいっ、鳥の巣頭っ、おいっ。おいおい、ええい。見た目も中身もちんちくりんっ、派手女っ、コハク・ヴォイドのばったもんっ、侑徒が凍死するっ、おおいっ」
侑徒は限界だった。最後の「おおい」に堪えて居た笑いが吹き出し、外に向かい盛大に声を響かせた。
「あれ、侑徒だ。」
「何でだっ」
恋人の呼び掛けには全く姿現さ無かった美奈子だが、侑徒の笑い声には姿を現した。メガフォン等使わずとも、声は聞こえて居た。隆臣の馬鹿さを拡散させただけであった。
「うっさい馬鹿。」
負けず美奈子もメガフォンで応戦した。だから何故メガフォンが各教室に一つあるのか、侑徒は知りたい。廉太郎に聞くと「え?無いの?」と云われた。侑徒の通う大学みたく教室が広いのならマイクはあるが、メガフォンは無い。其れに此の教室は、普通教室の広さである。勿論段にも為って居ない。唯の真四角の教室なのだ。
「デートするよ、鳥の巣。」
「侑徒付きなら良いよ。」
「だって侑徒の車だもん。」
「おおっ、三秒で行くっ」
まさか蜥蜴みたく壁を攀じ登って来るのでは無いか、心配したが普通に廊下から来た。がっがっがっと、ヒールの音は響き、見た目も派手であれば登場の仕方も派手である。
「おいっす。皆の美奈子ちゃん参上。」
「は?いやいや、遠慮するわ。」
「あ、皆に、は廉太郎は含まれて無いから。」
真冬の扇子攻撃を受けた美奈子は、冷風に身体を震え上がらせ、侑徒の後ろに隠れた。隆臣の後ろに隠れても攻撃が止まない事を美奈子は知って居る。侑徒と云う壁を作られた廉太郎は攻撃出来ず、舌を出した美奈子に舌を出し返した。
響く警報音。うぅっうぅっ、と二回鳴り、三人は引っ付いた。
「吃驚した…」
「うっさい、鳴らすなや。」
又警報音を鳴らした。
「侑徒から離れろ、害虫。」
一応メガフォンで云わずとも聞こえる。侑徒は耳鳴りを覚え、隆臣から取り上げると耳元で思い切り、煩い、と仕返した。
「鼓膜、鼓膜…。医者に為ろう人間が…」
ふん、と侑徒は教壇にメガフォンを置き、丁度其処に隆臣のノートがあったので“吉川隆臣使用禁止”と書き、貼付けた。
「何処行くの?」
美奈子は寒さに足を擦り合わせ、そんなに寒いなら短いの等履かなければ良い、寧ろ視界の傷害だと、廉太郎は風を送った。
「車だよね?」
「シトロエン。」
「わぁお。」
矢張り美奈子は隆臣の恋人である。うーうーと云った。
「自分等ほんま、阿呆やな。」
運転するのは如何せ隆臣だろうと、行き先を決めて貰おうと揃って隆臣を見た。然し、美奈子はふっと思い出した。
「隆臣、何時免許取ったの…?」
隆臣が教習所に行った事等、美奈子の記憶には無い。空いた時間は全て三味線を弾いて居る。廉太郎も侑徒も、車を欲しがるのだから免許を持って居るものと考えて居たが、隆臣は無免許であった。やっぱりね、と美奈子は笑い、廉太郎は扇子で左右の頬を叩いた。
「阿呆が、期待さすな。うーうーっ」
「うー…うー…」
侑徒は額を掻き、鍵を奪い返すと廉太郎を見た。
「無理無理。あるけど、人の車は無理。」
然も外車。緊張で運転所では無い。
「あたしも無いよ。」
侑徒は一度唸ると、「隆臣はトランク」と廊下に出た。
叔父は何も、誰かを期待して鍵を渡した訳では無い。侑徒が免許を持って居る事を理解した上で渡した。で無ければ渡したり等しない。
「侑徒、格好良い。」
初めて“格好良い”等と云われた侑徒は照れ、頬を染めた。
「其れは可愛い。」
真冬に向日葵を見た気分だった。
廊下一杯四人は広がり、廉太郎、美奈子、侑徒、隆臣の順で並んだ。美奈子と隆臣は迷惑そうな侑徒を尻目に、挟んで会話して居る。だったら隆臣の横に行けば良いだろうと廉太郎は思う。然も美奈子は、隆臣の方に余り寄らない様に腕迄掴んで居る。
――隆臣が心配やから…?いや、ちゃうな…
嗚呼、そう云う事か、と廉太郎は気付いた。幾ら笑い声と云っても、閉めた窓から笑い声が聞こえる訳は無い。
――難儀やな。
行き着いた答えに廉太郎は足を止め、「置いてくよー」と揺れる美奈子の目を見据えた。
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