切り取られた風景(後)


年明け、廉太郎は態々美奈子のアパートに尋ねた。店だと美奈子の性格上、逆上し兼ねず、考慮した。
「あれ、珍しいね。」
「一寸な。」
何が良い?と聞いたが廉太郎は思い詰めた声で「直ぐ帰るしな」「ええから座って」と云い、炬燵に座った。飲み掛けの珈琲を飲み乍ら、廉太郎をじっと見た。椅子に置かれるサックスフォーンを見詰めて居た廉太郎は、一度息を吐いた。
「侑徒に惚れてるやろ。」
美奈子は詰まり、「いやあ?」と答えたが目は泳いで居た。
「嘘云うても判るで。」
「嘘じゃ…」
真っ直ぐ自分を見る廉太郎の目に視線を落とし、空のカップを眺めた。口元を隠し、飲む動作をした。虚しく為るだけで、何も変わりはしなかった。
「如何すんの。」
「如何って…?」
「隆臣より、侑徒に気ぃ向いてるやろって事。如何すんの。」
此れが少し気持が揺らいで居ると云うのなら、此の侭東京に帰らせる。然し、廉太郎の考え通り、美奈子は完全に侑徒に惚れて居た。隆臣の事を、考えて居ない。
「はっきりゆうわ。止めとき。」
「うん…」
此の侭予定通り東京に戻り、結婚するのが良策だとは知って居る。けれど本当に其れで良いのか、美奈子は考える。
「何で…」
空のカップに涙が落ち、残った珈琲と混ざり合った。
在の時侑徒が“美奈子はん”と云った様に、何の疑問も持たず混合した。
「何で好に為っちゃったんだろ…」
涙は溢れ、カップに雨水の如く落ちた。震えでカップは手から落ち、台に当たると薄い色をした珈琲を、白さに浮き上がらせた。
「隆臣の事、好きじゃないよ、如何し様…」
――侑徒、男だよ、如何し様…
二人の“如何し様”は全く同じ調子だった。未来への悲観が、溢れて居た。
突っ伏した美奈子のセットされて居ない頭を撫で、廉太郎は困り果てた。
「もう、侑徒に会うの、止めな。引き返されへんで。」
「無理だよ…、隆臣にもう戻らないよ…」
隆臣に戻らない気持も問題だが、其れ以上に問題がある。
侑徒の性癖の問題である。
一度見合いしたとは聞いた。其の時の隆臣と美奈子の狼狽と云ったら無い。廉太郎は全く感心を持たず、惚れて居る二人が、心中隠した侭狼狽の色を顔に現した。其の時二人は「何で動揺してるの?」「いやだって、侑徒が見合いって…」隆臣の此れは、性癖を知って居るからの狼狽で、「美奈子だって」「だって…」美奈子の此れは、惚れた男が見合いした事に依る狼狽である。結局破談と知った二人の安堵は、然し同じ理由であった。廉太郎は全くと云って良い程惚れて等居ないので、うわ難儀、と感じただけである。
隆臣だけでも面倒なのに、此れに美奈子が加わる。叔父とも面倒に為る。其の渦中は、相変わらず隆臣に惚れて居る。
嗚呼もう面倒臭い、己等別れて、隆臣と侑徒をくっ付けさせや、と云いたい。
矢張り、茶でも貰えば良かったと今更後悔した。
「他の男ならなんぼでもええ。せやけど、侑徒は、…あかん。」
「何で…?」
自分が東京に戻るからだと云うなら、此の侭京都に居る。鳥の巣頭が駄目なら、元に戻す。侑徒が手に入るなら何でもすると、廉太郎に縋り付いた。ちゃう、ちゃう、と何度も繰り返し、美奈子の態度に胸が張り裂けそうであった。
「違う…違う…、あかんのや…」
「何が?何が駄目?廉太郎、侑徒と仲良いじゃんっ、教えてよっ」
美奈子は何時も、隆臣の御負けな形で侑徒と会って居た。電話番号を知って呉れて居る訳でも、家に来て呉れる訳でも無い。二人で会うには、好き過ぎた。
隆臣が、侑徒との唯一の繋ぎだった。だから、一緒に居た。
「美奈が侑徒を好きなんは判る。痛い程判るっ。せやけど、せやけど…っ」
あかんのや―――。
廉太郎は自分の事の様に落胆し、項垂れた。
「何で…?」
美奈子の呟きに、涙が滲んだ。頭が噴火寸前の火山の様に茹だり、頭を抱えた。
――ゆうたらあかん、ゆうたらあかん…っ
マグマの様に噴き出す寸前の言葉を必死に押さえ込んだ。
「廉太郎、ねえ廉太郎っ、ねえ…」
激しく揺さ振られ、終には、噴火した。
「侑徒、男が好きなんや…」
何の言葉も無く美奈子の手は離れ、零れんばかりの目で廉太郎を凝縮した。挙動不審に目を揺らし、何度も強く瞬きを繰り返した。然し聞かされた言葉は強く根を張るばかりで、すんなりと消えはしなかった。
「何…?」
漸く出た言葉は此れであった。
廉太郎の頭もおかしく為り、整理したい、と煙草を吸って良いか聞いた。炬燵テーブルに倒れた侭のカップを向けた。
「あんな、ほんま此れ、ややこしんや…」
珈琲を注いで来たいのなら注いで来いと云った。美奈子は動揺を和らげる様に珈琲を入れ、廉太郎にも渡した。
「大きにな…」
「ややこしいって…?」
「ほんま、ややこしのや…」
廉太郎は決して、美奈子を見様とはせず、凝縮される目は痛かった。
「夏にさあ。」
「うん。」
「俺のデートの妨害し様としたん、覚えてる?」
「うん…」
「在れな…」
言葉を詰まらせた態度で、其の相手が侑徒だと知った。一瞬にして廉太郎が汚い物に見え、最低、そう貶した。
「そう、最低なんや、俺…」
否定等、端からする積もりは無い。
「何でっ?廉太郎、男好きじゃ無いでしょうっ?」
「うん…」
「じゃあ、じゃあ何でよっ」
「隆臣にも、同じ事、云われたわ…」
隆臣迄も知って居た事に怒りが湧いた。
「手ぇ引け、ゆわれた。」
「当たり前だよっ」
「美奈は、何でそう思うの…?」
視線だけを流す目元は、痛々しい程痙攣して居た。前に一度、ストレスが溜まり過ぎると目が痙攣すると云って居た。
「だって、廉太郎は、女が好き何でしょう…?」
「根から、のな…」
「侑徒が、誘ったの…?」
「そう、見えるか?」
「いや。」
「せや、せや…。俺が誘った…」
たった小さな興味で。
十年、二十年後、笑い話に出来ると、安易な思いで。
侑徒の気持等、今の一度も考えた事無い。
「詰まり、侑徒を利用したんでしょうっ。アンタの下らない興味でっ」
「せやな…、うん…」
美奈子の声が甲高く為る程、廉太郎の調子と頭は下がって行った。
「侑徒が可哀相だよっ、引いてよ。侑徒から手を引いてよ…っ」
美奈子は“可哀相”だからと、侑徒の事を考え、手を引けと云う。一方で隆臣は…。
男は結局、隆臣も廉太郎も、叔父も父親も、侑徒でさえも、自分の事しか考えない生き物であった。
「未だ、ややこしのや…。未だ未だ、うん…」
「此れ以上ややこしい事ってあるのっ」
友人の性癖を利用した下劣な行為、其れ以外に未だややこしい事があるのか。
叔父との関係迄も知った美奈子は、顔を覆い号泣した。結局何だ、皆して侑徒を物としか思って居ないのでは無いか。
憤慨は涙と為り、侑徒を思って泣いた。
侑徒と父親の関係が最悪なのは隆臣から聞いた。酷い折檻癖があり、帝國大に落ちた侑徒をゴミと罵り捨てたと。叔父の事も、“一寸危ない人”として聞いて居たが、一寸所の騒ぎでは無かった。
「何で、誰一人として、純粋に侑徒を助け様と思わないのっ。アンタも、叔父さんもよっ」
美奈子の更為る憤怒の矛先は叔父。
「最低…、アンタ達最低よっ。侑徒を何だと思ってんの…っ」
そんな扱いしか受けて居ないのなら、そら「へぇ」「はぁ」「判らへん」としか答えられないでは無いか。
父親と叔父に挟まれ、逃げ道の無い侑徒。其処にひょっこり隆臣が現れた。縋る思いで寄ったに違いない。
診療所で会った侑徒の表情の無かった事、思い出した美奈子は、涙を溢れさす事しか出来ずに居た。
「詰まりややこしい事は、もう一つあるって事か…」
「二つ、かな…」
「侑徒は隆臣が好き…。嗚呼ややこしい…」
ややこしなあ―――。
侑徒の口調を真似、云って見た。
「隆臣が手ぇ引けゆうたんは…」
「良い…、云わないで………」
天井を向いて居る所為か、耳元は湿った。
廉太郎が云った“隆臣の浮気相手”。始めから、そうだった事を知った。
「畜生…。畜生ぉ…」
声を上げ泣いたの等何時振りだろうか。ありとあらゆる感情が渦巻き、声を出さずには居られ無かった。
美奈子は思う。
相思相愛であり乍ら全く気付か無い二人、或る種の幸福なのだろうと。




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