切り取られた風景(後)
一月の半ばに、隆臣と美奈子は別れ、婚約は解消された。互いに納得した上での円満破談であったが、知った美奈子の父親が「又御前の所為か」「娘を馬鹿にするのも大概にしろ」と京都迄殴り込みに来た。東京に居る隆臣の両親は憤慨した美奈子の父親から、「死んで詫びろ」「関わって呉れと云われても二度と関わりたく無い」と散々貶され、母親に至っては心労が祟り、倒れた。一秒でも御前の傍に何か置きたく無い、卒業は東京でも出来ると、美奈子は危うく東京に連れ戻されそうに為った。然し、最後の、卒業公演だけは絶対にしたいと美奈子は反発し、此方側からも御願い致しますと教師から頭を下げられたので、仕方無し父親は帰った。
互いに嫌い、憎しみ合って別れた訳では無いので、其の後も二人は何も無かったかの様に会って居る。横には勿論、侑徒と廉太郎が居た。
侑徒と廉太郎の関係は、自然に消えた。何方が誘う事も、もう無くなった。然し、叔父との関係は、一生続くであろうと思われた。侑徒にだって、叔父への感情は少しある。叔父が侑徒を飽きる事は決して無い。だったら一生、叔父が死ぬ迄付き合って遣ろうと思う。
一月の下旬、明日から二月と云う日、美奈子の父親に散々殴られた隆臣の顔を見た侑徒は笑った。
「な、な。面白いやろ?」
廉太郎から、美奈子の父親が殴り込みに来、隆臣の顔が目茶苦茶に為ったと聞いた。電話で聞くと本人もそう、でも少しマシに為ったと云ったので、此れは見て遣ろうと、何時もの店に来たのだ。
「俺より凄まじいわっ、あっはっはっ」
在の父親ですら此処迄殴りはしなかったと、ふて腐れて居るのか単に腫れて居るだけか、隆臣膨らむ頬に笑った。
「侑徒の親父さんより怖かったよ、絶対…」
「在の人より怖いっ。あっはっはっ、居てるんか、そんな人っ」
気が触れた様に笑う侑徒の姿に、廉太郎は「等々螺子が飛んだ」と悲観した。美奈子は、違った一面を笑って眺めた。
「嗚呼おかし。笑った笑った…」
「一寸俺の不幸を笑わないでよ。」
「隆臣が悪いんや、しゃーない。」
「何で?何時も俺が悪いんだね、廉太郎は。」
「美奈悪無いもん。」
「廉太郎ってさ、何時も美奈子の肩持つよね。実は好き何じゃ無いのっ」
さあさあ如何だ、反撃して来い麿眼鏡。
隆臣は待ったが、全くの無表情で煙を吐いた。そして、扇子で数回首筋を叩くと、額に手を付いた。
「堪忍…」
廉太郎の周りにだけどす黒い雰囲気が溢れ、本気で嫌がり、絶望して居るのが判った。
「其処迄、あたしって、酷いかな…」
反撃も忘れ嫌がる廉太郎に、そんなに酷いのかと、美奈子は一寸傷を知った。
「鳥の巣とか…。中華料理か…」
「酷い?あたし、酷い…?」
「酷いわ…最悪や…自覚してな…」
「酷いかなあ…」
鏡を見つつ美奈子は周りに聞いた。隆臣は首を傾げ、侑徒も首を傾げた。其処迄酷いとは思わない。慣れとは、恐ろしい。
「酷く無いじゃん。廉太郎の目がおかしいんだ。」
「己は頭ん“中”がおかしいわ…。病院行きなはれ…。間に合わんかな…」
落胆しても毒を吐くのが、廉太郎である。沈む廉太郎の肩を侑徒は揉み、機嫌を取った。
「美奈子はんも、化粧薄ぅしたら、大丈夫やて。行ける行ける。」
美奈子、更為るショックである。惚れた男にはっきりとけばけばしいと云われた。薄くすれば行ける、詰まり今は行けない。
今度は美奈子が落ち、二人揃って頭を抱えた。
「侑徒御前っ、俺と美奈をくっ付けさす気ぃかっ、アホンダラっ。こんなケバい女、趣味ちゃうんやっ」
「睫毛無かったら行けるわ。」
「嗚呼止めて頂戴侑徒…。あたし、付け睫毛取ったら目が半分に為るのよ…。コハク・ヴォイドとは作りが違うのよ…っ」
「本当だよ。化粧落としたら、すっごい地味。初めて見た時、美奈子が消えたかと思った。」
「煩いわよっ、顔面ボコボコにして偉そうに云うんじゃ無いわよっ」
「誰の父親がボコボコにしたんだよっ」
「嗚呼もう嫌や…。美奈子とか…」
此の店は、学生の溜まり場である。席で喚こうが、あっちで騒ぎ、こっちで騒ぎ、喧嘩が起きない限り気にする奴等居ない。煩い程で、高校生が居る時等、普通の調子で話すと聞こえない事もある。然も今は、此の四人以外客が居ない。店の主人は、競馬新聞片手にラジオを聞き、「アホンダラ此のボケカスゥ」「又摩ったやないかあ」一人で喚き、給仕の女二人はぺちゃくちゃ話して居る。
心行く迄、大声で話せる。学生達は此処でそう遣って、ストレスを発散するのである。
廉太郎は落胆し、美奈子と隆臣は未だ言い合って居る。言い合う声が余程大きいのか、競馬中継を聞く主人は「聞こえんわ、アホンダラ」「出て行き晒せ」と、新聞を捩上げる。
其処で二人の不毛な争いは終わった。
後何日、何回、此の店でこう過ごせるか。侑徒は数える。廉太郎とは二人で会う事あろうが、其れは虚しい物を侑徒に教えるに違いない。
廉太郎が居て、美奈子が居て、隆臣が居て、だから楽しいのであって、廉太郎と此の店で二人切りは、褪せた写真。意味の無い物で、一層隆臣を考える。
「ほんなら俺、最後の授業あるから。」
「一週間後からは春休みぃ?」
「そぉお。」
教材を詰め込んだ鞄を持ち、重たさに疲れた。思い出はこうして詰め込むのが良い。決して引っ張り出しては為らないのだ。
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