Zellen
今日はもう帰る、と時一は唇を突き出し珠子を抱えると本当に帰宅した。冗談だろう、今日は二人しか居ないんだと云うハンスの言葉を無視し、なら自分も帰ろうと宗一も帰宅した。帰宅、といっても自分の部屋には帰らず、時一達の部屋に居る。
時一は珠子の体を静かにソファに下ろし、クローゼットから服を出した。
「宗一、どっか行ってよ。珠子さん着替えるんだから。」
「馬鹿やなぁ。うちが珠子はんを襲うとでも?生憎やけどなあ、うちの身体は女に反応示さへんのや。」
「其れは嫌って程知ってるよ。俺が嫌なの!」
終わったら呼んで下さいね、と時一は宗一の背中を押し、揃って寝室に入っていった。別に見ても構わないのだけれど、と珠子は思ったのだが何も云わず着替え始めた。濡れた洋服を脱ぐのは不快だった。顔に纏わり付き、邪魔臭い。
寝室に入った二人はベッドに座り、何故か宗一は寝転んだ。
「一寸、寝ないでよ。」
「あーしんど。」
枕に顔を埋めた宗一は、少し鼻を鳴らした。
「…時一の、匂いが、せぇへん…何でや?」
時一の匂いなら誰よりも判る宗一は、ベッドからしない本来ならする筈であろう時一の匂いに顔を顰めた。するのは、珠子の匂いだけ。時一は一言云った。
「そうだろうな。だって俺は、一度も其のベッドで寝た事が無い。知っているのは、座った時の柔らかさ。寝心地は知らない。」
自分で何を云っているのか判っているのかと云いたそうな宗一の顔に、時一は息を吐き、珠子の理解出来ない独逸語で云った。
「結婚して二ヶ月経つけど、俺と彼女はしてない。」
女が駄目になったのかと聞かれたが、そんな事は無い。珠子から、そんな雰囲気を一切感じない時一は、こんな夫婦関係もありだろうと云った。
「もう一つ教えてあげる。俺は珠子さんの口に、キスした事も無い。」
「此処に聖人が居るぞ…何だ、御前は修行僧か。」
「好きで修行僧みたいな事してる訳じゃないんだけどね。」
煙草を咥えたが、火は点けなかった。寝室は、珠子の領域の様な気がして、嫌いな臭いをさせる事は出来なかった。静かに直し、宗一の横に寝転んだ。
「あ、凄い…沈む…てゆうか…何か…」
「ぼわんぼわんしてるわ…此れあれか、ウォータベッド。」
「そうそう、確か、英吉利から運んで貰ったんだよ。柔らかいベッドは無いかって聞いたら、此れが来た。此処迄柔らかくなくてもねぇ…一寸困るよ。」
其処で会話は終わり、時一は目を閉じた。
「やっばい…此れ寝るわ…」
「うん…うちも眠ぅなってきた…」
「羊水の中って、こんな感じなのかな。」
目を開けると、宗一が自分を見ている事に気付き、時一はゆっくりと身体を横に向けた。
「一緒に寝るの、久し振りじゃない?」
「せやなあ、昔は一緒に寝てたもんなあ。」
「もう、一人でも眠れる?」
宗一は薄く笑い、時一の髪を撫でた。覗く義眼に唇を落とすと、身体を起こした。入り口から覗く珠子の気配を感じたのだ。
「なーんもしてへん。」
そう笑い、又明日と宗一は部屋に帰っていった。上半身だけ起こし、両肘を突く時一に珠子は近付き、ベッドを揺らした。其の揺れでバランスが崩れ、時一の身体は揺れた。
「済みません、御願いがあるんですけど。」
「何?」
「タイ、外して貰えませんか。動きたくない。」
此の気持ち良さに身を預けていたいが、如何もタイが締まっていると窮屈さを感じる。珠子は腕から杖を外すと、細い腕をタイに伸ばした。しかし、タイの結び方等知らない珠子は、一体其れが如何やって締められているのか判らず、二枚重なっている細い方の引き思い切り喉を締めた。
「死ぬ…」
「ご…御免為さい…」
こうやって外すんです、と珠子の手に時一の手が重なり、そうか此処を引くのかと、一つ知る。
そう、何でも、時一が教えてくれる。
緩んだタイを外し、シャツの釦を三つ外した。喉の開放感に時一は息を吐き、首を仰け反らせた。其の顎から首の線に、不釣合いな膨らみがあり、此れは何、と珠子は聞いた。
しかし其れよりも、珠子の指が自分の首に触れているという感覚に時一は息を吐き、言葉を聞いていなかった。
「時一さん。」
「え?何です?」
時一が声を出せば其処は動き、振動した。
「此の膨らみは何?」
「え?嗚呼、喉仏ですよ。」
「なあに、其れは。私には無いわ。」
「其れは無いですよ。女性ですもん。」
「女には無いの。」
「無いですよ。偶に女性で其処の骨が浮いている人は見ますけど、全く別物です。」
「そう、男って、何でも出ているのね。」
「はい?」
一体何の事を指しているのか理解出来ず、笑う珠子を見ていると理解出来た。今日は其の類の話が良く出るなと、時一は笑った。
「珠子さんの口から出るとは。」
「ふふ、自分でも驚いてるわ。御父様曰く、立派。」
「珠子さん…?」
珠子は薄く笑った侭時一の横に寝、宗一と同じ様に髪を撫でた。無言が続き、瞬きを繰り返す目を等々逸らした。此の状況に耐え切れなくなった時一は、珠子に背を向けると足を床に下ろした。ベッドが揺れ、時一の重みが無くなる、そうなれば毎晩感じる自分だけの重みの浮遊感を知る。其れが嫌だと感じた珠子は、時一の両足が床に付く前にシャツを引いた。
動きを止めた時一は振り向きもせず云った。
「離して…貰えませんか…?」
シャツを掴む手に力が入る。
「何故?一緒に寝る位、良いでしょう?駄目かしら。」
又、又だ。珠子の“駄目かしら”に抵抗出来ない時一は頭を掻いた。
「駄目ですよ…そりゃ…」
「何故?何故駄目なの?」
理由を聞かれても、其れをはっきりと口には出せない。出した時、珠子の考える“愛”という形を脆く残酷に、醜く壊す。自分の肉欲で、珠子のプラトニックを壊す。
珠子を、此の手で、汚す。
「あの、珠子さん。前に一度云いましたよね。意味が判った時、一緒に寝ます、と。」
其の言葉の意図が、珠子には全く理解出来ないのだ。
自分が望めば何でも教えてくれる時一。なのに、其の意味と意図だけは、絶対に教えてくれない。こんなに、望んでいる意味を、時一は教えてくれない。口に出せば教えてくれるのかと、珠子は背中に顔を付けた。
「判らないのよ。貴方がどんな意図でそう云ったか。もっと判り易く、云って貰える?」
背中に感じる珠子の吐息に、駄目ですと吐き、強く目を瞑った。
目を見て云って欲しいと、珠子は時一の肩を掴み、引いた。ベッドは大きく揺れ、其の揺れに珠子は目を見開いた。一気に二人分の重みを受けたベッドは、其処だけ豪く沈んだ。
直ぐ目の前にある時一の顔。確かに顔を寄せ、近くで見た事はあるが、こんなに間近で時一の顔は見た事が無かった。直ぐ目の前にある時一の長い睫毛。初めて自分の口で知る時一の唇の感触に、珠子は目を瞑り、涙が何故か流れた。
唇が離れ、珠子は息を吸った。
「判り、ましたでしょう…此れが、意味です…」
辛そうに笑う時一の顔。
「俺は、女の格好をしても、男なんです…貴女が好きになったのは、女の格好をした俺。だから、男の俺は、見せれないんです。」
珠子は両手を時一の頬に当て、笑って、と云った。笑える、訳は無いのに。
「私、貴方が好きよ。男でも女でも、貴方という人間が好きなの。」
純粋な其の言葉に、時一は俯き、唇を噛んだ。其の唇を開かせる様に珠子の指が触れ、珠子の身体は大きく揺れた。
背中に感じていたベッドの柔らかさは無くなり、代わりに時一の腕の強さを感じた。珠子が開かせた口は珠子の口で塞がった。時一の舌が唇を触り、薄く目と口を開けた。
「如何にかなりそうだ…」
「如何なるの?」
「其、れ、はぁ…えーっと…あたくし、判らないわあ。女の子ですものぉ。恥ずかしいわぁ。」
珠子の身体を支えた侭時一はくにゃりと身体を崩し、珠子は笑った。良く耐えたな自分、と自分で自分を褒めたくなった。
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