切り取られた風景(後)


四月は過ぎ、五月の半ばに美奈子から双方に手紙があった。前の様な絵葉書では無く、レースがプリントされた洒落た手紙、下には結婚の知らせがあった。
式の招待である。
『出るか?出たいか?』
廉太郎に電話をすると、開口一番聞かれた。
「行かんわな。」
『東京の、何処?行ったら確実迷子やて。』
「俺も、東京は、な…」
美奈子には悪いが二人は不参加に丸をし、書留で祝儀を送った。三週間程して、今度は絵葉書が着た。白無垢を着た美奈子の横に隆臣とは全く趣味の違う、何が面白く生きてるのか問いたい夫が、カメラのレンズを窺う様におどおど立って居た。
侑徒に雰囲気が何処か似て居た。よぅこんな鳥の巣嫁はんにしたな、と敬服する。何でも、夫の一目惚れで、毎日求婚されたと云う。
東京に戻った美奈子は家の近所の楽器店で働き、其処に楽譜を買いに来た夫は、鳥の巣頭にシンバルを鳴らした。
夫は音大出で、ピアノを弾く。「貴女の為に曲を作りましたっ」と連日、売り物のピアノで愛を熱演した。流石に困った美奈子は(店長に如何にかして呉れと云われたのもあるが)、一応売り物なので、買って頂けたら考えます、と夫に云った。此れでもう来ないだろうと、店長と二人で笑った。然し翌日、サックスの音合わせをして居た美奈子は、象の鳴き声みたく音を鳴らした。在の夫が、現金で買いますと、ピアノ代五十万(美奈子の給料は月二十円)をレジに置いた。
「さあ、買いますっ。此れでっ………ええと、…何さん?」
此の夫、美奈子に惚れたは良いが名前を知らなかった。美奈子は思わず吹き出し、其の素直さに結婚を決めたと云う。
隆臣や侑徒に惚れた女、思考回路が流石謎である。
其の美奈子の絵葉書を、隆臣に貰った写真と一緒に並べた。自分の周りに写真が増えて行く金魚は落ち着かない様子で侑徒を見た。
同時に、大学からも通告が着た。
二年に進級した侑徒だったが、一度も学校に行って居ない。そんな気に為れなかったのだ。
行っても詰まらない、放課後隆臣達と騒げる訳でも無し、抑京帝大に行く積もりは無かった。
一年の頃は、三人に会い易い為だけに行って居た。学校側から如何するのか一度話して欲しいと態々云われた。学校側も放って於けば勝手に留年するもの、矢張り“在の橘先生の息子”と云う事で知らせを送った。其処でも父親の絶対為る存在感に侑徒は手紙を握り潰し、便箋を取った。
退学届けである。
書き終わった侑徒は、郵送するのも悪いな、礼儀として直接出そうと、封筒の表に“退学届”と書いた。裏には教授の名前と、自分の名前を書いた。
「叔父さん。」
叔母の居る前で、気持を云った。
「俺、大学辞めますわ。」
叔父は驚き、叔母は「あー」と情けない声を出した。今迄掛かった学費の事を考え、頭を殴り付けて遣りたい気持を押し込めたのだ。
「辞めるて、え?如何すんのや。」
「今一度、帝國大に行く機会を、俺に与えて下さい。」
結局は此の答えに辿り付いた。叔父に頭を下げ乍らも、父親に頭を下げて居た。
「御願いします。」
足を組んで居た叔父は座り直し、叔母を見た。好きにしたら、アンタの息子やしな、と云う素振りで顔を逸らした。行くのは構わないが、前の事もあり、辞めて迄受かるとは思えない。又落ちました、ではもう侑徒に道は残らない。だったら逸そ、何処かに留学させて仕舞おうか、其の方が安全ではあった。
「一寸待ってな、俺の一存では…」
「御父さんっ」
叔父さん、では無く父と呼んだ。其れに叔父は誤燕した。
「何?何やて?」
「俺の父でしょうっ、御父さんっ」
「いや、そう何やけどさ…」
数秒前迄“叔父さん”、養子に為った今迄そんな言葉出さなかった癖に、隆臣の調子良さが移って仕舞った。
「俺にチャンス下さいっ、ほんま、御願いしますっ」
盲愛する侑徒に土下座を繰り返される叔父は如何仕様も無く為り、「君子ぉ…助けてなぁ…」と泣きべそ掻いた。
「貴女御父さんやろっ」
「せやたら御前やて御母さんや無いかっ」
「あら、嫌な…もう…」
初めて“御母さん”と称された叔母は赤面し、噎せた。
「御母さん、やんなぁ…うち…」
「侑徒、御母ちゃんに聞いてな。家は嬶天下やしな。」
「御母さんっ、御願いしますっ、御父さん説得して下さいっ」
「嗚呼、うん、まあ、な…」
憎しみしか無かった侑徒が一瞬で可愛く見え、曖昧な態度を見せた。
そうか、此の表現が悪いんだなと膝を付けた侭侑徒は寄り、叔母に頭を下げた。
「母上っ」
「おお…母上ぇ…」
自分が母親に対して呼んで居た言葉を聞くとは思っても居らず、一気に気分が良く為った。
「母上、は駄目ですか?でしたら御母様っ、御母ちゃまっ、ママちゃまっ。あかんか、おかんっ」
「嗚呼…っ、おかん…っ」
娘時代良く馳せて居た。子供が出来たら“おかん”と呼ばせ様と。自分は“母上゚の様に立派では無い、叔母も実母乍ら“母上”には一線引いて居た。だから子供には“おかん”と呼ばせ様。
念願叶った叔母は打ち震え、叔父に「チャンス与えたら?」と、侑徒の顔を明るくさせた。
「然しやな御前…」
「学校の返事にも依るやんな。」
幾ら侑徒が退学したくとも学校側が手放さ無かったら本末転倒である。
いや何、幾ら“橘先生の息子”でも学校に来ない奴はあっさりだろう。
侑徒はほくそ笑み、最後に一度、
「大きに、おかん」
云って部屋に戻った。どっと疲れた叔父は、横で笑う叔母、“おかん”の肩を叩いた。
「何笑てんのや、おかん。」
「おかん、ふふ。おかんやで。」
侑徒の物事で今の一度も笑顔見せた事無かった妻に、「調子ええわいな」と息を吐いた。




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