
眠れぬ夜(12/30)

最終選別前日。
蜜璃邸はいつもより静かだった。
廊下を渡る風の音も、
庭の鳥の声も、
どこか遠く感じる。
彩艶は自室で静かに荷物をまとめていた。
替えの着物。
包帯。
水筒。
どれも多くはない。
木刀の代わりに置かれた日輪刀用の鞘へ、視線が止まる。
まだ刃はない。
最終選別を生き残った者だけが、自分の日輪刀を持つことを許される。
つまり。
あれはまだ、“帰って来られたら”の話だった。
彩艶は小さく息を吐く。
その時。
「彩艶ちゃ〜ん?」
廊下の向こうから、蜜璃の声が聞こえた。
襖が開く。
蜜璃は両腕へ何かを抱えたまま、部屋へ入ってきた。
「あっ、やっぱりまだ起きてたぁ」
そう言って笑う。
でもその笑顔は、少しだけぎこちなかった。
彩艶は小さく頭を下げる。
「……すみません」
「なんで謝るのぉ!」
蜜璃は慌てたように言いながら、部屋へ座り込んだ。
抱えていた風呂敷を広げる。
中には包帯や保存食、小さな薬包まで入っていた。
「いっぱい持つと動きにくいから、軽いものだけねぇ」
一つずつ確認するように並べていく。
彩艶はその様子を静かに見ていた。
蜜璃の指先は忙しなく動く。
けれど時々、止まりそうになる。
「……本当はねぇ」
ぽつりと蜜璃が零す。
「もっとちゃんとしてから、送り出したかったの」
彩艶は視線を落とす。
「もっと体力つけてぇ、もっと筋力つけてぇ、もっと安定してぇ……」
蜜璃は笑おうとする。
でも少しだけ、声が揺れた。
「だって最終選別って、本当に死んじゃうことあるんだもん……」
部屋へ静寂が落ちる。
彩艶は膝の上で、そっと指を握った。
知っている。
鬼がいる。
死ぬ人もいる。
きっと怖い。
想像するだけで、胸の奥が冷たくなる。
でも。
彩艶はゆっくり顔を上げた。
「……それでも行きたいです」
小さな声だった。
けれど、はっきりしていた。
蜜璃が目を瞬く。
彩艶は続ける。
「怖いです」
「それでも」
少しだけ言葉を探す。
「…行きます。」
夜風が障子を揺らした。
蜜璃はしばらく何も言わなかった。
ただ、目の前の少女を見る。
最初は、守ってあげなきゃと思った。
泣きそうな顔で、視線ばかり気にしていた子。
鬼の話を聞くだけで、顔色を変えていた子。
でも今は違う。
怖がりながら。
震えながら。
それでも前を向こうとしている。
蜜璃はふっと小さく笑った。
泣きそうなまま。
「……強くなったねぇ」
彩艶は少しだけ目を見開く。
蜜璃は慌てたように続けた。
「あっ、でもまだ無理しちゃだめだからねぇ!?」
「ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、危なかったら逃げてねぇ!?」
次々と言葉が出てくる。
まるで不安を隠すみたいに。
彩艶はその様子を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……はい」
短い返事。
でもその声は、前より少し柔らかかった。
夜は静かに更けていく。
明日になれば、藤襲山へ向かう。
彩艶はまだ知らない。
その山で。
どれほど“死”を近くに感じることになるのかを。
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月下彩譚