
藤揺れる山道(14/30)

藤襲山の入口。
山を囲うように咲く紫藤花が、風に揺れている。
淡い花の香り。
けれどその奥には、どこか嫌な空気が混ざっていた。
彩艶は人混みの端で、静かに立っていた。
周囲には受験者たちが集まっている。
仲間同士で話している者。
緊張を隠すように笑っている者。
腕を組み、自信ありげに山を見上げる者。
様々だった。
だが彩艶には、周囲を見る余裕がない。
胸の奥で、鼓動だけがやけに大きく響いていた。
どくん。
どくん。
浅く息を吸う。
冷たい夜気が肺へ入る。
それでも呼吸は落ち着かない。
頭から離れない。
初めて鬼と遭遇した日の記憶。
赤い目。
粘つくような気配。
動けなくなった身体。
そして。
――見られている。
あの感覚。
彩艶は無意識に肩へ力を入れた。
視線が刺さるだけで、喉が締まる。
その時。
「皆様」
静かな声が響く。
彩艶は顔を上げた。
白髪の子供が二人、入口へ立っている。
夜の闇に溶けるような白。
感情の薄い声が、淡々と告げた。
「これより最終選別を開始します」
周囲の空気が僅かに張る。
「この藤襲山には、鬼殺隊の剣士によって捕らえられた鬼が閉じ込められています」
「鬼は藤の花を嫌うため、外へ出ることはできません」
静かな説明。
けれど彩艶の耳には、ほとんど入ってこない。
鬼。
その言葉だけで、身体が強張る。
「七日間、この山で生き延びてください」
七日。
その時間だけが、やけに重く胸へ落ちた。
周囲がざわつく。
「七日かよ……」
「長ぇな」
そんな声が聞こえる。
だが彩艶は何も言えなかった。
七日。
鬼のいる山で。
生きる。
入口の縄が外される。
山へ続く暗闇。
風が吹いた。
藤の香りが揺れる。
その奥から。
じわりと。
嫌な気配が流れてくる。
誰かが笑いながら山へ入っていく。
別の誰かは、肩を回しながら歩き出した。
次々に受験者たちが消えていく。
だが。
彩艶の足だけが動かない。
怖い。
喉が詰まる。
本当に鬼がいる。
あの化け物が。
手が冷たい。
呼吸が浅い。
足先が震える。
逃げたい。
今すぐ帰りたい。
その瞬間。
脳裏に浮かぶ。
『待ってるねぇ!』
蜜璃の声。
朝の光。
優しく結われた髪。
そして。
『……生きて帰ります』
自分で口にした言葉。
彩艶は小さく息を吸った。
震える指で、刀の柄を握る。
帰らなきゃ。
怖い。
でも。
死にたくない。
彩艶はゆっくりと、山へ足を踏み入れた。
闇が深い。
木々が月明かりを遮り、視界が悪い。
静かだった。
静かすぎる。
彩艶は慎重に歩く。
足音を殺す。
耳を澄ませる。
壱ノ型は未完成。
連撃はできる。
だが通し切れない。
自分の剣がまだ未熟なことを、彩艶自身よく分かっていた。
風が揺れる。
葉擦れの音。
遠くで何かが動いた。
彩艶の呼吸が止まる。
気配。
いる。
何かが。
暗闇の奥で。
じっとこちらを見ていた。
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月下彩譚