
白まぬ夜空(17/30)

朝が来ても。
藤襲山は静かなままだった。
彩艶は木の根元へ背を預け、浅く息を吐く。
身体が重い。
肩の傷が熱を持っている。
頬の裂傷も痛む。
刀を握っていた右手は、まだ小さく震えていた。
怖かった。
鬼の顔が、まだ頭から離れない。
笑い声。
向けられた視線。
囲まれる感覚。
思い出すだけで、喉が詰まりそうになる。
彩艶はぎゅっと膝を抱えた。
眠らなければ。
そう思うのに、目を閉じるのが怖い。
鬼が来るかもしれない。
気付けなかったら。
死ぬ。
結局そのまま、ほとんど眠れないまま時間が過ぎた。
やがて空が白み始める。
鬼の気配が遠のく。
彩艶はようやく小さく息を吐いた。
生きている。
まだ。
その事実だけで、身体から力が抜けそうだった。
だが。
七日間。
まだ一日目ですら終わっていない。
彩艶はゆっくり立ち上がる。
足が重い。
それでも進かなければならない。
止まれば死ぬ。
山を歩く。
木々の隙間から朝日が差し込む。
昼間の山は静かだった。
まるで昨夜の惨劇など、何も無かったかのように。
だが地面には血が残っている。
折れた木。
裂けた土。
戦った跡。
彩艶は視線を逸らした。
見たくなかった。
怖い。
思い出したくない。
それでも。
耳を澄ませる癖だけは、もう抜けなかった。
風。
葉擦れ。
気配。
常に周囲を探る。
少しでも遅れれば死ぬ。
その感覚が、身体へ染み付き始めていた。
二日目の夜。
再び鬼と遭遇する。
今度は二体。
彩艶の呼吸が浅くなる。
だが初日ほど身体は止まらなかった。
怖い。
それでも。
刀を握る。
鬼が飛び込んでくる。
彩艶は木を蹴った。
斜面へ流れる。
平地より身体が動く。
重心が流れる。
鬼の爪を紙一重で避ける。
そのまま踏み込み、連撃を叩き込む。
一撃。
二撃。
三撃。
浅い。
だが。
同じ場所を狙う。
鬼の首筋へ、何度も刃を通す。
鬼が顔を歪めた。
彩艶は歯を食いしばる。
止めない。
止まれば押し返される。
最後の一撃で、ようやく首が落ちた。
血が飛ぶ。
彩艶は息を呑む。
だがもう一体が迫っていた。
怖い。
息が乱れる。
けれど。
ほんの一瞬。
鬼同士の動きが噛み合わない場所が見える。
空いた。
彩艶の身体が、無意識にそこへ流れ込む。
避ける。
抜ける。
斬る。
まだ上手く言葉にできない。
でも、“通りやすい場所”がある。
彩艶は少しずつ、それを身体で覚え始めていた。
三日目。
疲労が蓄積していく。
身体が重い。
眠れない。
夜になるだけで、胃が縮む。
鬼が怖い。
視線が怖い。
それでも進むしかない。
その夜。
遠くで悲鳴が響いた。
「た、助け――!!」
彩艶の足が止まる。
息を呑む。
人の声。
受験者。
鬼に襲われている。
助けなきゃ。
頭では分かる。
だが身体が動かない。
怖い。
また囲まれるかもしれない。
死ぬかもしれない。
彩艶の指先が震える。
悲鳴がもう一度響く。
短く。
切羽詰まった声。
そして。
ぷつりと途切れた。
静寂。
風だけが木々を揺らす。
彩艶は立ち尽くしたまま、動けなかった。
助けられなかった。
行けなかった。
怖かった。
胸の奥が重く痛む。
でも。
足は自然と後ろへ下がっていた。
進まなければ。
ここで止まれば。
自分も死ぬ。
彩艶は唇を噛み、再び山の奥へ歩き出した。
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月下彩譚