
宵に揺れる芽(26/30)

夜だった。
甘露寺邸の縁側に座りながら、彩艶は静かに湯呑を両手で包んでいた。
庭先では風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが穏やかに響いている。
その静けさを裂くように、羽音が降ってきた。
「華月彩艶! 任務! 合同任務!」
鎹鴉。
彩艶が顔を上げる。
「同行柱、胡蝶しのぶ!」
その瞬間、隣の蜜璃が勢いよく振り向いた。
「えぇ〜っ!?」
思わず笑ってしまいそうなくらい分かりやすく不満げな声。
「初任務なのにぃ!? 私、一緒に行きたかった〜!」
「……すみません?」
彩艶が困ったように言うと、蜜璃はぶんぶん首を振った。
「彩艶ちゃんが謝ることじゃないの!」
けれどそのあと、蜜璃はふと表情を和らげる。
「……でも、多分しのぶちゃんの方が合うわ」
「え?」
彩艶が目を瞬かせる。
蜜璃は立ち上がると、彩艶の前へ回り込んだ。
そっと隊服の襟元へ触れる。
黒いハーネス。
身体へ沿う固定具。
数日前、まさおが改良した隊服。
蜜璃はそこを軽く整えながら、小さく笑う。
「しのぶちゃん、すっごく細かいところ見てるの」
「だからきっと、彩艶ちゃんもいっぱい気付けると思う!」
“気付ける”。
その言葉が、妙に胸へ残った。
彩艶は静かに頷く。
「……行ってきます」
「うん!」
蜜璃はぱっと笑った。
「ちゃんと帰ってくるのよぉ!」
集合場所は山道の入り口だった。
夜霧が薄く漂い、空気が冷たい。
彩艶が歩を進めると、
「初めまして」
柔らかな声が落ちる。
振り向けば、一人の女性が立っていた。
蝶の髪飾り。
穏やかな微笑み。
華奢な身体。
けれどその空気は、静かに張り詰めている。
「胡蝶しのぶです」
彩艶はすぐに姿勢を正した。
「華月彩艶です。よろしくお願いします」
「甘露寺さんから聞いていますよ」
しのぶはにこりと笑う。
「とても頑張り屋さんなんですって?」
少しだけ困ったように彩艶は目を伏せた。
「……どうでしょう」
「ふふ」
柔らかな笑い声。
けれどその視線は、想像以上に鋭かった。
立ち方。
呼吸。
刀の握り。
まるで静かに観察されているみたいな感覚。
彩艶は無意識に背筋を伸ばした。
しのぶはそれ以上何も言わず、静かに歩き出す。
「行きましょうか」
村へ近付くにつれ、空気が変わっていった。
静かすぎる。
人の気配が薄い。
閉ざされた戸。
消えた灯り。
風だけが細く通り抜ける。
「最近、夜道で人が消えているそうです」
しのぶが静かに言う。
「痕跡がほとんど残っていないので、かなり素早い鬼でしょうね」
彩艶は周囲へ視線を巡らせた。
その時だった。
ガッ!!
屋根の上から影が落ちる。
速い。
彩艶が反応するより先に、しのぶが動いていた。
ふわり、と。
舞うような踏み込み。
一瞬で鬼の懐へ入り込み、細い刃が閃く。
突き。
鬼が跳び退く。
その瞬間。
彩艶の視界が揺れた。
鬼の肩口。
そこから、紫色の小さな芽が伸びる。
淡く。
細く。
けれど確かに。
最終選別で見え始めたもの。
“隙の芽”。
だが今回は違った。
以前より鮮明だ。
鬼の流れが乱れている。
しのぶの一撃で、呼吸が崩れ、重心がずれ、次の動きが揺らいでいる。
その“崩れ始め”から、芽が生えている。
「――ッ!」
鬼が再び動く。
その瞬間、芽が分岐した。
右へ逃げる芽。
飛び退く芽。
反撃へ伸びる芽。
だがその中で一本だけ、強く伸びる芽がある。
彩艶は息を呑んだ。
……そこ
身体が自然に踏み込む。
だが鬼は急激に軌道を変えた。
すると一本の芽が途中で枯れ、別の芽が伸びる。
視界の中で、
芽が生まれ、
変わり、
消えていく。
彩艶は目を見開いた。
動いてる……。
“隙”じゃない。
流れそのもの。
しのぶが動くたび、鬼の芽が変化していく。
誘導している。
逃げ道を作り、鬼の流れを崩し、芽を育てている。
彩艶はそこで初めて理解した。
この人……崩してる。
ただ斬っているんじゃない。
鬼の流れを操っている。
しのぶが踏み込む。
鬼が反応する。
芽が伸びる。
その連鎖が、彩艶の視界にははっきり見えていた。
「彩艶さん!」
しのぶの声。
鬼が突っ込んでくる。
彩艶は日輪刀へ手を掛けた。
視界の中。
無数の芽が揺れる。
その中で、一本だけ強く伸びる芽があった。
まるで、そこへ刃が通る未来を示すみたいに。
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月下彩譚