
芽はなお伸びる(30/30)

薬の匂いがする。
ぼんやりした意識の中で、彩艶はゆっくり目を開けた。
白い天井。
聞こえる足音。
蝶屋敷だった。
「……起きました?」
柔らかな声。
視線を向けると、しのぶが立っていた。
蝶の髪飾りが静かに揺れる。
彩艶は起き上がろうとして、脇腹の痛みに顔を歪めた。
「無理しないでください。」
しのぶが静かに制する。
「かなり深くやられてましたよ。」
彩艶は小さく息を吐いた。
傷口には既に包帯が巻かれている。
生きている。
それを理解した瞬間、全身から力が抜けた。
しのぶはそんな彩艶を見ながら、小さく肩を竦める。
「本当に無茶しますね。」
呆れたような声。
けれど怒ってはいない。
むしろどこか、確認するみたいな目だった。
「……鬼は、綺麗なものなんて見てませんでした。」
彩艶がぽつりと零す。
しのぶは少しだけ目を細めた。
「ええ、鬼ですから」
あっさりした返答。
けれどその後、しのぶは静かに続けた。
「でも、動かせたんでしょう?」
彩艶は小さく瞬きをする。
動かせた。
あの瞬間。
鬼の意識。
視線。
本能。
確かに、自分で“偏らせた”。
彩艶はゆっくり視線を落とす。
「……最初、間違えてました。」
しのぶは黙って聞いている。
「しのぶさんみたいに動けばいいと思ってたんです。」
「でも違った。」
鬼は人じゃない。
美しさに見惚れない。
空気に呑まれない。
見ているものが違う。
彩艶は静かに続ける。
「鬼は……“殺せる”と思った時に反応してた。」
「そこに芽が伸びたんです。」
しのぶの目がわずかに細くなる。
“芽”。
以前聞いた、彩艶だけの感覚。
しのぶは少し考えるように沈黙したあと、ふっと笑った。
「なるほど」
「だから流れが変わったんですね。」
彩艶は顔を上げる。
しのぶは窓の外へ視線を向けた。
朝の光が庭を照らしている。
「前は、“見えた場所へ通している”感じでした。」
「でも今回は違う。」
「自分で相手を動かしていましたね。」
静かな言葉。
だが、それはちゃんと見ていた証だった。
彩艶は小さく息を吐く。
「……怖かったです。」
本音が零れる。
「見えてるのに、届かなくて」
あの鬼は、芽を読んでいた。
壱ノ型を学習していた。
だからこそ、初めて怖かった。
しのぶは否定しなかった。
「そうでしょうね。」
静かな肯定。
「貴方の型は、“見える”ことへの依存が強いですから。」
図星だった。
芽が見える。
だから通す。
それが壱ノ型。
だが、見えるだけでは崩される。
しのぶは続ける。
「でも今回、ちゃんと一歩進みました。」
「待つだけじゃなく、“作る”側へ。」
その言葉に、彩艶は静かに目を閉じた。
弐ノ型 揺映。
揺らし、映し、反応を誘導する型。
まだ未完成な部分も多い。
けれど、確かに前へ進んだ感覚があった。
しのぶが立ち上がる。
「しばらく安静ですよ。」
「次動いたら縫い直しますからね。」
少しだけ笑み混じりの声。
彩艶は思わず小さく笑った。
「……はい」
しのぶは障子へ向かいながら、ふと足を止める。
「彩艶さん」
「はい?」
しのぶは振り返らないまま言った。
「貴方、多分まだ増えますよ」
「……え?」
「その“芽”の見え方」
静かな声。
「今は鬼だけでしょう?」
彩艶の目がわずかに見開かれる。
しのぶはそのまま続けた。
「でも、流れを見る感覚なら…きっともっと広がる」
彩艶は小さく息を呑んだ。
まだ知らない。
味方の流れも、戦場全体の繋がりも。
今の彩艶にはまだ見えていない。
けれど。
その可能性だけが、静かに胸へ残った。
障子が開く。
朝の光が差し込む。
蝶の羽みたいに揺れるその光を見ながら、彩艶は静かに目を細めた。
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月下彩譚