お母さんが、焦ちゃんに熱湯をかけた。
焦ちゃんの顔には火傷の跡が残るんだって。
お母さんは入院して、いつ帰ってこられるかわからないんだって。
お父さんからそれを聞かされて、少しだけ青ざめながら。それでもなにも言わずに、兄と弟は部屋に消えていった。
「帰ってこられるか、わからないって...帰ってくる気、無いんでしょう」
お父さんと私だけになったリビングに私の低い声が響くのを、なんだか遠くから聞いている気分。
「帰ってこさせる気も、ないんでしょう?」
ふん、とお父さんは私を見て鼻を鳴らす。
「当たり前だろう。焦凍に害を加えたんだぞ?家の中に入れられんだろう」
「...どうしてこうなったのか、理解してるくせに。改善する気がない、お父さん。否定なんてしないわ、けれど。肯定も出来ない。私の意見なんて、興味がないことわかってる。でも、焦ちゃんはどうなるのよ。自分に熱湯をかけて、お母さんがいなくなって。あの子は、どうなるのよ...」
「お前は兄達と違って随分と焦凍を気に入ったようだな。お前が母親代わりになるしかないだろう」
「...母親代わりは、代わりでしかないのよ。そんなこともわからないの?私は、あの子の姉にしかなれない」
そこまで口に出してから、私は席を立った。荷物を、用意してあげないと。この人はそんなことしないんだろうから。お母さんの分は、時間がかかるだろう。たくさん、詰めないと。
「...焦ちゃんは、どれくらい入院なの」
「そうだな、早くて4日くらいか。」
「そう」
お母さんの分はもう段ボールでいいかな。...家族の写真とかは、入れない方がいいのかな。焦ちゃんのは、バッグに詰めて、
焦ちゃんの部屋の前に、兄が立っていた。
「...なにしてるの」
私がそう聞けば、呆れたようにため息をつく。
「冬美が、そこまですることねぇだろ」
「...聞いてたの」
「聞こえたんだよ。ずっと無視されてきただろ。焦凍のせいでだってあるだろ。次はお前が母親代わりって、お前がそこまですることないだろ、冬美」
兄の目が私を覗き込む。兄さんが私を心配してくれてるのはわかってる。でも。
「あの子のせいじゃない。私たちの弟は、悪くなんてない。それに、私まで手を離してしまったら、今度こそ焦凍は一人になるから。」
冷たい水の感触が甦る。ぶくぶくと昇っていく泡の幻想。
「ひとりぼっちは、寂しいわ。」
そう言った私に、ため息をついて。
「...俺は、高校卒業したらここ出てく。出来るだけ早く。俺は、止めたからな冬美」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
「...なんだってお前はそんなめんどくさい方選ぶんだよ...」
頭を掻きながら部屋に入ったお兄ちゃん。本当にさっさと出ていくんだろう。そうやってどんどん減っていくんだろう。最初が、お母さんだった、だけの話か。はは。
なんだか笑えてきた。涙まで出てきた。一旦自分の部屋に行こう。
私が病室に入ったとき、焦ちゃんは眠っていた。顔の半分を覆う包帯、予想以上の範囲にまた寒気がした。
撫でてあげたいけど、頭は触れない。ほっぺたの涙の跡をなぞると、ふる、と睫毛が震えた。
「...おねぇ、ちゃ?」
「起こしたかな。おはよう、焦ちゃん。」
「おねぇちゃん...」
...昨日まではあんなに、キラキラだったのに。焦ちゃんの目に、光が、見えないよ。
「お母さんね、僕のこと、きらいなんだって。僕がいると、つらいんだって。ねぇ、おにいちゃんたちが遊んでくれないのも、そうなの?僕のせいでつらいの?僕がサイコウケッサク、だから?」
死んだ目のまま、焦ちゃんはそう吐き出した。こんなに、小さい、まだまだ甘えたい盛りだろう焦ちゃん。こんな、血反吐を吐くような。でも、もうごまかせない。
「...ちょっと、難しいお話をするね。あのね、お父さんはね、焦ちゃんをずっと、待ってたのよ。強いお父さんの個性と、強いお母さんの個性を、どっちも使える子を、待ってたの」
焦ちゃんは黙って聞いている。焦ちゃんを手を握りたいけど、痛くしてしまいそうで、私は自分の手を握りしめる。痛みが走る。あぁ、爪、切ってないや。
「お兄ちゃんたちも。わたしも、両方は使えなかった。お父さんの待ってた子じゃなかったの。だから、お父さんは私たちのことが好きじゃないの。でも、あなたは使えた。両方、受け継いだ子だった。だから、お父さんはあなたとお稽古をすることにしたの。」
あなたを、ナンバーワンヒーローに、するために。
それだけは、言えなかった。私まで、この子の行く先を決めてしまいたくはなかった。
「でも、お母さんは。...貴方を、待ってたわけじゃ、なかった、から。お母さんは、お父さんが、怖いの。だから、どんどん強くなって、お父さんに似てくあなたのこと、怖くなっちゃったんだと、思う。お兄ちゃんたちは、焦ちゃんだけが、お父さんに見てもらえた、から。お父さんは、焦ちゃんしか、好きじゃないから。だから、あなたのこと、遠ざけたの。」
ごめん。ごめんね、焦ちゃん。もう、あなたの側にはお父さんと私しかいない。
「...おねぇちゃん、は?」
ぽつり、と焦ちゃんが呟く。俯いていた顔をあげたら、焦ちゃんが私を見ていた。
「え、」
「おねぇちゃんも、ぼくがきらい?」
その、なんの感情も浮かべない瞳に。あぁ、諦めてしまっていると悟って。そんな質問をさせてしまったことを悔やんで。焦ちゃんの胸におでこをくっつけた。
「そんなわけ、ないよ。お姉ちゃんは、焦ちゃん大好きだよ。ごめん、ごめんね、焦ちゃん。守ってあげられなくて、ごめんね。」
「...お姉ちゃん、でも、ぎゅってしてくれないよ。きらいだからじゃないの?ぼくが火もこおりもだせるから?ぼくおねぇちゃんを燃やしたりしないよ?」
「...焦ちゃんは今、頭も怪我してるからね。触っちゃ駄目なの。ごめんね。」
「じゃあ、治ったらいつもみたいにしてくれる?」
「いっぱいしてあげる。焦ちゃんもお姉ちゃんにぎゅーってしてくれる?」
「いいよ。おねぇちゃん、、ねむい」
「うん。また寝てていいよ、おやすみ、焦ちゃん。」
「ん、おやすみ、」
すぅ、とまた眠りにつく焦ちゃんを見て、とんとんを欲しがらなかったな、と思う。寂しいときは欲しがるのに。わがままを言わないことが悲しい。
血のついた手を拭いて、血が止まっているのを確認して。一応ティッシュを引いてから、胸をとんとんしてあげる。おやすみ、焦ちゃん。せめて、いい夢を。