僕は煙になりたかったのです

昇っていく泡。侵入していく海水。自由のきかない体。冷たい海。薄れる意識。

はっきりと、覚えている。

あの日、私が死んだこと。



じゃあな、冬美。ぽん、と頭に手を乗せて。潰れんなよ。...こんなとこ、二度と来ねぇよ。そう言って、お兄ちゃんは本当に出ていった。

ほんとわけわかんないよ、姉ちゃん。でもま、面倒見てくれてありがと。親父に死ねって言っといて。...やっぱいーわ。じゃあね。そう言って、弟も出ていった。

二人がいなくなって、うちは三人だけになった。お母さんは、帰ってこない。

「お父さん、今日はご飯は?外?」
「その予定だ」
「そっか、あ、焦凍。今日二人なんだけど、ご飯何がいい?」
「なんでも。じゃあ、姉ちゃん。いってきます」
「うん、いってらっしゃい」

急ぎ足でリビングを通りすぎる焦凍にお弁当を渡して、いってらっしゃい、と送り出す。玄関まで出てあげたいんだけど、リビングにめんどくさいのが残ってるからそれも出来ない。

「お父さんまだかかってるの?出勤時間は?」
「多少は融通がきく」
「またそんなこといって。早く食べてよ、私も大学行かないとなんだよ!それとも洗い物してくれるの?」
「...御馳走様」
「はいおそまつさま」

ちゃっちゃと洗って、まだもたついてる父親に声をかけた。

「私もう出るから戸締まりよろしくー」
「...」

これがいつもの朝だ。大学二年目。焦凍は今年から中学生になりました。今日も元気です。うん。いいことだ。



「冬美さー、今日もダメなの?合コン」
「あーごめんね、弟帰ってきちゃうからさー」
「またそれ!もう中学生でしょ、コンビニ飯だってあるじゃん」
「えー、バランスとか気になるし...疲れて帰ってくるからさぁ」
「もう!冬美はブラコンなんだから!弟離れする日がいつかくるんだからね?」

そんな日のことはまだ、考えたくないなぁ、なんて笑えませんでした。

憧れの大学生活。焦凍のことを考えて育児本だの教育本だの眺めていたら、そのまま教育学部に進んでいた。うん、教師ってほら、公務員だしね。安定。
いつだったか、随分と前に熱を出してばたん、といったことがあった。焦凍が心配してくれたのを覚えている。そう、もう焦凍の火傷はあって、けどお兄ちゃんがまだいたとき。看病をしてくれたのを覚えている。
それより前から、妙な夢は見ていたけれど、その熱をだしてぶっ倒れたときにハッキリと。自分の身に何が起きたのかを、思い出したのだった。遅すぎとも言う。
個性なんてなかった過去のどこか、私は海難事故で死んだはずだった。海に沈んで。
いわゆる、前世の記憶ってやつだった。
どこかの誰かの個性のせいなのか、それとも別の要因なのか。なぜかはわからないがそこで前世とやらを思い出した私は、ただただ震えることしかできず、寒い寒いと訴えて兄の熱で暖めてもらった。随分と心配をかけてしまったように思う。余談だが兄には「だからやめとけって言ったろうが!ぜってーストレス、お前もう近づけさせねぇから」などと焦凍を排除しにかかりひと悶着あった。

高校生のときに死んだ過去の私の、憧れだった大学生活だけどあっという間に過ぎ去りそうな気がしている。
せめて、焦凍が義務教育を終えるまでは。ちゃんと、私がついててあげないと。

「冬美さぁ、私らもう20だよ?」
「ん?うん」
「成人だよ?もうちょっと遊んだってバチ当たんないよ」
「いやいや、親のお金なんだから」
「...親のこと好きじゃないくせによく言う...」
「好きじゃないからこそだよ。借りとかあんまり作りたくないんだよね」
「親子とは」

そもそも、ねぇ。万年ナンバーツーヒーローと、失敗作だもの。