心の塗り薬はおいくらですか?

いつからだっただろう。焦凍は父に敵意をむき出しにするようになった。

家ではできるだけ避けるし、父と普通に接する私に何か言いたげな目を向けてくる。それに笑って誤魔化して、私は今日も仮初めの家族を作り上げるのだ。



夜。稽古場から出てきた焦凍がお風呂に消えてから父が帰宅した。片手に瓶。貰ってきたらしい。

「うちでお酒飲むのお父さんだけでしょう。どうするのよ...うわぁ流石、私でもわかる銘柄」
「お前も飲めば良いだろう、成人したんだから」
「家では飲まないわよ、歯止めきかないから」

私がそういうとなんだか父がしょっぱい顔をした。なんなのその顔。

「自宅なんだから歯止めきかせなくていいだろう別に」
「馬鹿じゃないの。酔った成人女性なんてみっともないだけよ、そんな姿焦ちゃんに見られたらどうしてくれるの」
「お前は本当に焦凍が好きだな」
「当たり前でしょう」

またしょっぱい顔。本当、なんなのかしら。我が父ながら意味がわからない。

「姉さん、...やっぱなんでもねぇ」

ひょい、とリビングに顔を出した焦凍が顔をしかめてまた引っ込めた。父がいたからだろう。無理もない。

「待って待って、どうしたの?キッチン行く?アイスあるよ」
「...姉さん俺のことアイスがあれば機嫌良くなると思ってるだろ。そんな子供じゃねぇぞ」

そんなこと言いながらきびすを返すところ、まだまだ子供だと思うわ。

「ほらさっさとお風呂入っちゃってよお父さん。ご飯は食べてきたんでしょう?」
「あぁ...冬美」
「はい?」
「お前、最近焦凍が左を使ったのを見たか」

あぁ、厄介ごとの予感。厄介と言うか、ううう。私が言うの?これ。うち焼けないかしら。個性の使用を今ばかりは認めてほしい。

私が言いよどんでいたら、キッチンが焦凍が顔を出す。会話が聞こえていた様子。

「決めた。アンタの望み通りヒーローにはなってやる。けど、俺はお母さんの個性だけでヒーローになって、アンタを否定してやる」
「なっ!?何を言っているんだ焦凍オオオオオ!それではお前を生んだ意味が、」
「産んでくれたのはお母さんであってアンタじゃねぇ」

あああやっぱりこうなったか...やめてお父さん、あんまりメラメラしないでよ...ていうか。

「声が大きい、近所迷惑でしょう!」
「お前も何か言ってやれ冬美!!」
「は?私がお父さんの味方するわけないじゃない」
「ぐっ...」

...お母さんの力だけで、お父さんを否定する、か。別におかしくない、今までのことを考えたら当然、かしら。焦凍はお母さんが、大好きだ。あんなことされて、火傷の跡まで、残されたのに。

お母さんが入院して、荷物を持っていってから。私は一度も、母の見舞いに行ったことがないなんて、焦凍にバレたら嫌われるかな。

焦凍は負い目があるからか、行ってないのを知っている。たまに病院から連絡があって、必要なものは送るようにして私も行ってない。そして、父が行くはずがない。

母に平常心で会える気がしない。罵倒してしまいそうで。そんな汚い自分を直視したくなくて。単純に、焦凍を、私を置いて逃げた母が、憎くて。でも憎みきれなくて、苦しい。

父と焦凍が争うのをぼんやりと眺めながら、いつか自分の言った言葉を思い出していた。

母親代わりは代わりでしか、ないのよ。私は、焦凍の姉にしかなれない。

あぁ、しんどい。潰れそうだよ、兄さん。



いつのまにか、リビングには焦凍も父もいなくなっていた。ぼんやりと、ソファに座っている私。

前は、私は普通の家庭の普通の女子高生で。父も母も、夜は一緒にご飯を食べて。ちょっとだけ我儘な妹と、私と、四人家族。
その暖かさを、幸せを覚えているからこんなにも辛いのかな。忘れていられたらよかったのかな。
私が忘れていても覚えていても、きっとこの家は変わらない。父はエンデヴァーで、母は入院して、兄弟は出ていって、三人だけの家は変わらないんだろう。

「なんで私、ここにいるんだっけ...」

ぽつりと口から漏れた疑問は、しつこい油汚れみたいに私の心にこびりついて。そのまんま化膿して腐敗して、なんにも感じなくなったら楽なのにね。