Chapter8


タクシーで恐山の、家の前に着く。恐山はさっさとお金を払って先に降りると、立てる? なんてくすくす笑いながら、手を差し伸べてくれた。
立てないことなんてなかったけれど、その丁寧な扱いが嬉しくて、恐山の手をそっと取った。
恐山の家、というか部屋。
昔のように一軒家ではない。
わたしのアパートより新しくて綺麗なマンションで、スーパーも駅も近くて立地も良さげだ。
そんなマンションの、二階の一番奥の部屋。
綺麗にしてあるけれど陰鬱、大きな窓があるのに暗渠、そんな印象の部屋だった。
まず色彩がない。置いてあるものや大きな家具は、大抵黒か白だし、灯りをつけると絨毯まで黒だった。
手を引かれて、寝室に入ったけれど、ベッドも布団も机も椅子もカーテンまで黒という念の入れよう。
「……流石に君、これは悪趣味だぞ」
「らしいね」
言われ慣れているらしく、恐山はくすくす笑う。
「でも、黒が一番落ち着く」
色彩上、黒は切っても切り離せない、死のイメージだと言われる。わたしは黒は嫌いではないけれど、ここまで黒で徹底していると病的なものを感じてしまう。
わたしと弟を高校のときに相次いで亡くした恐山……その心中は、察するしかない。
「それはそうと」
恐山はわたしをベッドに座らせると素直に押し倒して来た。
いきなり犯されるんじゃないかと思って身を硬くしたわたしを、恐山は上からじっと見つめた。
やがてぽた……と、その目から雫が落ちてきた。
「本当に矢内みたい……」
放心したような、何処か昔のままのように聞こえるその声に、拍子抜けしたのと、もらい泣きしてしまいそうになったのとで――わたしは恐山の背に手を回して、ぎゅっと抱き締めた。
恐山は素直に抱き締め返してくれた。
泣き方も知らないような、押し殺した恐山の泣き声を聞いていると、何だか可哀想になって来る。
しばらくそうして抱き留めていると恐山は、腕を突いて無理矢理身体をわたしから離した。
涙の残る目が、未だ暗い。
ほらと拭いてやろうとしたわたしの手を煩そうに払って、恐山は自分の腕で乱暴に涙を拭った。
「腕……」
「腕?」
「腕見せてみろよ矢内。……もし綺麗だったら、犯しまくって窓から捨ててやる」
まだわたしのことを七瀬の用意した替え玉だと疑っているのだろう。
にしても、怖いな。偽物だったら犯して窓から捨てる、か。
「……左腕か」
それは確かにわたしがわたしである証左だった――わたしは、左の袖を恐山の目の前で捲った。
昔切って付けた傷は、白く浮いても、消えてはくれない。
左腕前腕は今でも腫れが残っているかのように、右腕より僅かに太い。古いもの、新しいもの、たくさんの傷跡が混在するわたしの左の手首から肘にかけては、普段絶対人には隠して見せないものだ。真似をしようとして一朝一夕で真似出来るものではない。
恐山は静かに目を見開く。
「………………ごめ、信じた……」
ボロボロと――再び泣き出した恐山の、涙が止まりそうな気配はない。
なぁ七瀬?
お前は全然違うと言ったが、やっぱり恐山は恐山だ。
元があの恐山なんだ、心底悪い奴になんて、なれる訳がない。



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