叢雲に潜むもの
早急にブラウンのウィッグと帽子を深く被らせた。窓を開け放し、そっと2人で廊下に出ると部屋に鍵をかけた。受付からは今にも突破してきそうな怒声が響いてきている。
エルザの手を引くと、物陰に隠れながら裏口近くの掃除用具入れに身を隠した。離れたところから悲鳴と、破壊音がする。ここまで響いてきた振動に、わたしに抱きすくめられてるエルザがぎゅっと身を縮こませた。
怒鳴るような声が聞こえる。窓を開け放したから、きっと外へ逃げたのだと思ってくれるだろう。
「あの声…知ってる…」
「え?」
震える声がして、聞き返せばエルザは信じられないとでもいうように顔を青くしていた。
「村の人よ…!ルンルンさんとよく話してる人たち…!」
「…!」
「どうしよう…」
「ねえ、そう言えば、ご両親は?」
いないのだろう。ふるふると首を振り、「エリーゼ姉さんだけ…」と小さくこぼした。血の繋がった家族なのだろうか。そうか、だからこんなにエリーゼという女性に拘っていたのか、と1人納得した。身寄りがないのだ、この少女は。
きし、と木の軋む音がした。足音だ。思わずぎゅっと少女を抱き寄せて息をころす。何気ない足取りだが、周囲を検分しているのかやけにゆっくりとしている。ただ、他の倉庫の中までは見ていないらしい。ならばそのまま通り過ぎるかと思えば、その足音がよりにもよって用具入れの前で止まった。
いや今まで他の部屋の前でも止まんなかったじゃん!!なんでまるで知ってましたみたいにピンポイントでこの前で止まるんだ!!
しかもそこから動く気配がない。おかげでエルザがどんどん震える。その震えを抑え込むのと安心させる両方の意味で強く抱きしめた。
キイ、と用具入れの戸が開いた。
「(終わった…)」
かくなるうえは、出会い頭に拳を打ち込む以外にあるまい。そう思って動きづらい用具入れで拳を繰り出そうとした時、戸を開けた犯人の顔を見て、不覚にも全身の動きが硬直した。
青い服、金の髪、シルクハットにゴーグル。
「(は…?サボさん???)」
なぜこの男がいるんだ。
てっきりこの街とは無関係だと思っていた、革命軍のサボが。
サボはじっとアルカとエルザを見ると「ふぅん」と1人納得したように呟いて、さっさと戸口を閉めた。
「(え?……何???)」
混乱するわたしの腕の中で、エルザがついに涙をこぼした。焦ってその背中をさすったが、段々とアルカの心臓も早鐘を打つようになってきた。緊張と恐怖で心臓が飛び出しそう。
外からはサボの「いませんねえ」という気の抜けた声がする。やがてその足音が遠ざかったとき、脳裏でいろんな情報が駆け巡った。
サボは革命軍。
エルザは村に追われている。
エリーゼは消息不明で、何やらルンルンのせいで厄介ごとに巻き込まれているようだ。
村とルンルンは癒着している可能性が高い。
エルザの血はマグマを凝固させる特殊なもの。
革命軍であるサボが村の人間と一緒にエルザを探している。
──正直、すこしだけ思ったのだ。エルザの保護を願い出れば、引き受けてくれるかもしれない、と。
エルザの血は、きっと革命軍に対して、エルザの保護の交渉材料になるんじゃないかと。
「(だがだめだ)」
はじめてサボに会った時を思い出した。ドラゴンと名乗った顔に刺青の多い男と一緒にいた。船内でもどこか一目置かれた存在で、──人の気配を辿るかのように真っ直ぐに掃除用具入れを開け放った。圧倒的な実力差。
「(どう考えても交渉どころではなく)」
その血を搾取されるだろう。
思い至ってからのアルカの動きは早かった。エルザを連れて掃除用具入れを飛び出した。
裏口を開けて外をのぞく。外はまさにバケツをひっくり返したかのような大雨で、この中を逃走するのはすこし骨が折れる。振り返って見たエルザの細腕を見やり、躊躇する。きっと体力がもたない。だがここはすでに見つかっている。
「…こっち」
外へ出るのは諦めた。そっと宿の中を移動すると、使われてなさそうな部屋に入って、ほっと息をついた。
「ここに隠れてよう…。あかりはつけちゃだめ。ね、エリーゼさんって、どこにいるか知ってる?」
「隣の島…ランバットっていう町…家も知ってる。定期便で1日だよ」
「そっか…」
隣の島とはいえ、すこし距離がありそうだ。しかも、そこにエリーゼがいるとも限らない。アルカの考えを読み取ったように、エルザが「島の人が何度か会ってる」と頑なに呟いた。仕方ない、信じてみるしかないようだった。
「じゃあ、明日朝イチでそれに乗ろうか」
「えっ」
「作戦なら考えたから」
そう言ってにっこりと笑った。
なお、その頃もぬけの殻となった掃除用具入れと鍵の開いた裏口を見たサボが「いやマジかよ…」と頭を抱えていたことは当人のみが知る。
昨夜の雨が嘘のようにすっきりと晴れた朝、 アルカは1人宿を出てチケット売り場にきた。
「いらっしゃいま…ぜ!?」
「ランバット行き大人1枚ください」
膨張に膨張を重ねたアイライン、描き足されたまつ毛、唇に盛られた真っ赤なルージュ、塗りすぎた真っピンクの頬。どう考えても化粧大失敗の女の顔がそこにあった。ギョッとした受付女性だが、心が強いのか濃厚顔面女の「ランバット行き大人1枚ください」と再度言われて慌ててチケットを取り出した。いっそ恐怖でしかない顔面の暴力を浴びながらチケットを取り出すと、濃厚顔面女は無造作にポケットからチケット代1500ベリーを取り出すと受付の女性に突きつけた。
「ヒェ…しゅ、出航はあと15分後ですぅ…」
「ありがとう♡」
地味にショックを受けた受付は後ろ姿だけは普通の女性を見て、すこしだけ通報を考えた。…が、悪さはされていないし、そういう人もいるだろう、とこの一連の出来事を忘れることにした。
顔面暴力女ことアルカはというと、そそくさと物陰に入ると早急に顔の化粧を拭き取った。さっさと服を脱ぎ捨てると、近くの木箱の中に突っ込んだ。「きゃっ」と小さな悲鳴が聞こえたが無視した。アルカも早く自分の着る服が欲しい。
中からそっとワンピースを手渡され、それに着替える。着慣れない服だなあ、なんてひらひらと揺れるスカートを摘んだ。
木箱の中からエルザが出てきたので、手早く先の顔面暴力な化粧を彼女に施した。これだけ悪目立ちしていれば逆に誰も近寄っては来ないだろう。…胸がすこし苦しそうになっているが、これはこれで趣きだということで…。
「あと10分もないから。あと、念のためにこれも持ってきな」
ささっとウィッグの下から見え隠れする白い髪をしっかり隠すと、路銀の一部を手渡した。ギョッとしたエルザだったが、時間がないとその背中を押すとすぐに港へ走り出した。
自分は帽子を被って何くわぬ顔でさっきの受付へ行き、同じくランバットへのチケットを注文する。
1500ベリーですと言う受付女性の声を聞きつつ財布をあさっていると、そのすぐ背後から、にゅっと顔を出してきた金髪の影があった。
「ふぅん、ランバットに行くのか?」
「あ、間違えました、アレレイ島行き1枚」
革命軍ーーーーーッッッッッ!!!!
死ぬ!後ろから心臓刺されて死ぬッッ!!何食わぬ顔で予定航路は変更したが、なにかしらバレてる気がしないでもない。というか、昨夜思いっきりエルザと一緒にいるところを見られているはずである。いや、エルザの顔や髪色は見られていないはずである。察してるかもしれないけれど。
ふーんと返事したサボは、とんとアルカの肩に手を置いた。心臓がゲロと一緒に出てきそう。緊張でほぼ白目を向きかけているアルカの後ろから、サボはピッと指を2本立てて受付女性に向けて見せた。
「ランバット行き、大人2枚でお願いします」
「ええ、と…アレレイ島はいかがなさいますか?」
「ランバット行きだけでいい」
かしこまりました、と準備を進める受付女性。本当はアレレイ島がいいと言いたいが、声を出そうとするたびに肩に置かれた手にきゅっと力が入って絶妙に痛い。これは声を出した瞬間に骨が粉砕すると確信した。
チケットを入手したものの、出航まであと1分というほぼほぼタイムリミット。走れば間に合わなくもないかもしれないがこれはほぼ勝ちだと思って、最後の足掻きとしてサボの服を引っ張ったままゆっくりと歩いてやった。エルザには路銀を半分渡しているからなんとかなるだろう。
──そしたらどうなったと思う?
A.担ぎ上げられて普通に乗船間に合った。
人ひとり抱えてすでに降乗ブリッジの上がった船にひと飛びで乗り込んだからね???いや人間じゃない。この運動性能人間じゃない。重力おかしいんじゃないかと心から思う。
流石に最初は乗組員さんもギョッとしたが、チケットを見せたらすぐに退散した。いやそれでいいの???
「で、白の少女はどこだ?」
「なんの話ですかね?」
間髪入れずにしらをきると、サボはすこしだけ唖然として、それから面倒そうに頭を掻いた。
「あ!アルカさん!」
明るい声がして、思わず振り返った。顔面暴力が細腕を大きく振っている。あ、アカン…!バレる。
というか、バレたのだと思う。
サボがカツカツとエルザの方へ歩み寄っていく。服を引っ張ったのにびくともしないどころか思いっきり引きずられた。エルザも異変を感じたのか「ひっ」と肩を揺らした。
見かねてサボとエルザの間に身を滑り込ませて初めて、サボが動きを止めた。
「…いや、そりゃおれたちも説明不足かもしんないけどさ」
説明?なんの?革命軍の思想とか?
あまり興味はない。
「ちかよ…ちっ…」
一歩また一歩と近寄ってくるサボさんに、思わず叫んだ。
「ち、ちかーーーん!!!!」
え゛と顔を青くするサボの傍、「なにィ!」と駆けつけてくる複数の足音がする。違う、だの待ってと抵抗虚しく連れ去られたサボに、アルカは今日はじめて、安堵のため息をついたのだった。