きっと彼女は誰かを守りたかった
化粧を落として、無事美少女の顔を取り戻したエルザは、ひとときの休息をとっていた。とにかく休めと膝を差し出したのはアルカだが、長時間だととにかく膝が痛くてしょうがない。
ただ、出会ってからというもの、はじめて健やかな顔をしているのでどうにも抜け出せない。ぎいぎいと船が不安定な音を立てる。周囲から人の声はしない。日は落ちたのか、もとよりは暗い室内は真っ暗な闇に包まれていた。革命軍にいた時も思ったが、船内はほとんど窓がない。星空を見られないのは、すこし残念に思った。
翌朝到着したランバットはのどかな街並みをした小さな村だった。のどかな土の道と煉瓦造りの簡素な家がポツポツと立っている。
下船したアルカはエルザに連れられてある一軒家へたどり着いた。
「エリーゼ姉さん!」
ノックもそこそこにそう言って飛び込んだエルザだが、玄関で戸惑うように立ち止まった。どうかしたのだろうか、と中を覗き込んで、アルカはわずかに目を細めた。人の気配がない。──それも長らく使われた形跡がない。
廊下も手すりも、全てにうっすらと砂埃が堆積していて、歩けば足跡がくっきりと残る。
「…調べよう」
すこしだけ悩んだものの、そう言って無遠慮に立ち入った。
足跡が残るということは、ここへ来たことが知られかねないということ。だが、そうも言っていられない。どうせルンルンとやらにはエルザの逃亡は知られたろうし、サボにはランバットへ来たことがバレている。ならば何か手がかりを掴んで次の行動に移るほうが良い。
「ルンルンはどこにいるかは知ってるの?」
「この島のどこかに、研究室があるって聞いたことはあるんだけど…」
ならばエリーゼがいるのはそっちの可能性が高い。
──下手をすれば、モルモットに。…最悪は…と思ったがそこは言わないようにした。あまり不安がらせるものでもない。
「…さっさとこの島からも逃げるって選択は?」
「っそんなのない!」
「…そっか。ごめんね。じゃあ、一緒に探そう」
「……関係ないのに、巻き込んでごめんなさい…」
「ううん。ひとまず、エリーゼさんの居場所や、なにがあったかのヒント探そうか」
そう思って引き出しや本棚を調べてみたが、めぼしいものはない。
「これじゃない!?」
エルザが机の横に仕事用カバンらしき鞄を見つけて、中からいくつかの資料を引っ張り出した。資料の端に研究所名らしき名前と住所らしき文字の羅列をみつけた。
「ええと、ルンルン研究所…いや絶対これ…」
ならばそこに行くだけだ、と思って資料の中身にさっと目を通した。
ぱっと見はただの兵器開発に関する資料に見える。
「(え……)」
簡単に目を通しただけだ。しかし、気になる文言がいくつか見える。
「(凝固反応生体物質…これって、エルザやエリーゼさんの血の話じゃ…?)」
滅亡したはずの人種、高温に反応して強固な凝固反応を周囲に…その遺伝子情報…情報組み替えによる物質強化…────兵器転用。
ぞっと嫌なものが背につたった。
見れば見るほどにたちが悪い。ご丁寧に運用効果まで検証事例とともに書き連ねてある。その効果範囲も、攻撃性も、殺戮兵器と言っても過分ないものだった。
自然と資料を持つ手に力が篭もる。
これは、わたしの手に負えるものではない。
そう判断したアルカは力強くエルザの手を引いた。軍事機関が関わることに、ろくなことはない。
「えっアルカさん?」
「エルザ、だめだ。逃げよう」
「えっなんで!?」
だめだ、エリーゼすらどうなっているか全く読めない。2年前に手紙が届いたのが最後なら、おそらくその後の彼女の生命は…殺されてはいないだろうが、きっと軍事施設に拘禁されていると考えるのが妥当だ。
軍事機関ともなると相手は大きい。巨額の資金とそれにまつわる組織が絡んでいるのは間違いない。しかも兵器運用が可能な資源として血を求められるのなら、人道的側面からして、徹底して隠匿されるだろう。…されてきたはずだ。だがその発端であるルンルンが、エルザを求めた。エリーゼが7年前にルンルンについて行ってからというもの、ルンルンはエルザに手を出すことはなかったというのに。
──それはつまり、エリーゼという、盾が壊れたということを意味するのではなかろうか。
「お願い、エリーゼさんが好きなら、今すぐここを離れなきゃいけない!」
「なんで!?いやよ!だってエリーゼ姉さんも何か事件に巻き込まれてるかもしれないんでしょう!?」
「エルザ」
ガタンッと玄関から音がした。
「エルザ、裏口から逃げな」
「えっアルカさんは?」
「エリーゼさんに会いたければ、この資料を逃げな。軍事施設なら海軍はやめた方がいい。新聞社に持ち込むのがいい」
「アルカさんは?」
迷わず暖炉の火かき棒を手に取った。すこし重いけれど、仕方ない。
「こう見えて結構強いの、わたし」
そう得意げに笑うと、エルザはすこしだけ考えて、そっと裏口へ消えた。
──強い云々は完全に嘘である。
ごめんねと呟きつつ、寝室を出てまっすぐに玄関へ向かった。
髪を全て帽子の中に入れて、帽子を深く被る。そこには2人ほどの男性が足跡を検分している様子だった。気配を殺してそのうちの1人の頭をぶん殴ると玄関から飛び出した。
外にもう1人いたのでどかすつもりで火かき棒を振り回した。
「このガキィ!!ちょこまかと逃げやがって!」
髪を隠していることと、服を入れ替えたからかエルザと勘違いされているようだ。──それでいい。
バレるといけないから、声は出せない。帽子の下で、アルカは好戦的な笑みを浮かべた。そのまま、ここで足を止めていればいい。
もう1発くらいは入れてやりたい。
そう思ってもう一度火かき棒を振り回したときだ。──大変なことに火かき棒が手からすっぽ抜けた。
いやそんなことある!?
顔を真っ青にしたのもあったのだと思う。その場にいる全員がギャハハハハ!!と大爆笑しだした。
「ざまーねえなあ!!」
「よくもまあ逃げおおせてくれたなァ!」
「おれたちゃ別に、腕の一本や二本は気にすんなって言われてんだ!痛かろうがなんだろうが、我慢してもらわなくっちゃなァ〜!」
目の前の2人の暴言に、さっきのしたと思っていた3人目に気がつかなかった。背後から大きな衝撃が来て、視界がぶれて勢いよく地面にぶつかった。頭を強く打ったのか視界がずっとくらついて安定しない。
背中に重みと、頭を強く取り押さえられていることだけがわかった。
不意に、その圧迫感がなくなった。
どごっと重たい音が断続して聞こえる。それから、誰かの叫び声やうめき声。
一瞬だけ聞こえたそれらはすぐに静かになった。
誰かがアルカの前に背を向けて立っている。定まらない視界の中で、なんとなくそのシルエットを見て、呟いた。
「……コア、ラさん…」
「────!──!」
革命軍は争いを起こす組織。
ここにいるならきっと、彼女もエルザを追ってきた。でも、今は
「エルザを…逃がして…」
── 『知らないことはね、これから知っていけばいいんだよ!』
そう言って笑った女性の良心を、信じたいと思った。