虚像に映る

 泣き声が聞こえた。子ども特有の、高い声が震えるような泣き声だった。ぐずぐずと鼻水を啜る音。息もままならなくて、嗚咽は途切れ途切れに響いた。

「ぃゃ、!ゃだ…!」

 全身を押さえつけられた。唯一動いた、いやいやと振った頭もついには押さえつけられ、すぐさま機械がこめかみに押しつけられた。室内に電子音と振動音が響いた。子供が悲鳴を上げて泣き叫んだ。

「おとぅさん…!いたぃ゛ぃ゛!!」
「我慢しろっ」




 ──はっと目が覚めて、頭を押さえた。頭から離した手にはなんの汚れもついていない。…とても、夢見が悪かったように思う。
 どんな夢だったかと聞かれても、思い出せないのだが。

「あ、起きた?」

 軽やかな声がして、見ればコアラが入ってきたところだった。窓のない木造の部屋。僅かな浮遊感。船だ。やけに体が重い。起き上がればコアラから咎めるような声がしたが、あまり気にならなかった。

「エルザは…!?」

 普通に立てると思ってたら思いのほかだめだったらしい。視界が白くなってバランスが取れなくなった。咄嗟にベッドの方に倒れ込んだが、コアラが「もぉ〜」と困ったように近寄ってきて起き上がるのを手伝ってくれた。頭を打ったせいか、それとも夢見のせいか、まだすこし視界がぼやけて意識がちりつく。

「ちゃんと保護したよ」
「ほ、ほんとに…!?」
「ほんとほんと。なんかおもしろい資料持ってたから、それも回収」
「…エルザの、ことは…」

 どこまで知っているのだろうか。エルザ自身が自分のことをそれなりに把握していたくらいだから、もしかしたらコアラらも血の特殊性はすでに知っているかもしれない。

「…白い少女の血の凝固性について?」

 はっと顔を上げると、コアラは苦笑いしてアルカを見つめていた。

「そこまで知ってて、逃がそうとしたんだね」

 どこか非難されているような気分になって、思わず俯いた。
 “保護されている”。でも、彼女の身は平穏なのだろうか。そう思わずにはいられなくて、しかしコアラに聞く勇気もなかった。

「ねえ」

 そっと隣にコアラが座った。視界のはしに細長い足が見えた。

「関わらなくても良かったはずなのに、なんであんな必死に助けたの?」
「…なんで?」

 だって、まだ子どもだったじゃないか。誰にも助けを求められなくて、たった1人で逃げ出して。誰も信じられないとばかりにすぐ顔を青くして。
 最初は、ただ、そういう気持ち。助けてやりたいと思ったから。あとはただの責任感。

 けれど知るうちに見え隠れした陰謀めいた暗躍は、その先は…

「……平穏に笑っていたいだけの、人が」

 ああ、我ながらゾッとするほどに冷たい声が出たと思った。自分の過去に何があったのかなんてわからない。けれど、兵器転用だとか、軍事利用だとか、そんな話が出るだけで、虫唾が走るほどに怒りのような、悲しみのような、それにしては凪いだ、よくわからない感情が湧く。過去がなくても、この感情は、この衝動は、きっと“本物”。

「争いの道具に使われることが、許せなかった」

 逃げてと手紙をよこして消息を絶った人がいる。その人が守りたかったであろう少女が、無念にも搾取されようとしている。
 どうしても、許せなかった。

「どうしても、あの子を軍事機関に渡したくなくて…」

 逃げようって、提案したが、この有様だ。
 視線を上げると、きょとりとしたまるい目と会った。

「コアラさん…」
「なぁに?」
「革命軍は…その…」

 あの子を、どうするのだろうか。
 その疑問も感じ取ったのだろう。コアラは、ああと苦笑いした。

「使わないよ」

 ハッキリとしたその回答に、心底ほっとした。この先のことは正直分からないが、それでも今はほっとした。ただし、その後に例外はあるけど、と言われてぎょっとした。

「そうだねぇ、たとえばエルザちゃんに、何としても倒したい敵があったとして」
「…?」
「その敵がわたしたちと一緒で。……この血を使ってくれって言ってきたのなら、無理はしない範囲で協力してもらうと思うよ」

 そっか。そりゃそうだ。それは確かに、双方の合意の元の判断だし、周りがどうこう言うものじゃない。むしろ、正当な流れだ。軍事組織がそれで発展することも、やむをえない。

「でも、そんな事が起きないように、わたし達がいるんだよ」

 そっと、諭すようにコアラが笑んだ。
 息を忘れた。 なにか、こころの柔い部分にふかく突き刺さったように思う。何故かは分からないが、ひどくほっとして泣きたくなるような感覚が襲った。──そうあれたらよかったのに、と。心の底で誰かが言った。



「立てるなら、エルザちゃんに会いに行く?」

 そう問われて、二つ返事で了承した。立ち上がって、そういえばここはどこだろうかと周囲を見渡したとき、どーん!という大きな音と破壊音が響き渡ってきた。木が苦しむように唸り声を上げて、床が一気に傾いた。身体は簡単にぐらりと傾き、とっさにベッドにつかまった。

「うわぁ!?」
「アルカちゃんはここにいてね!!」
「ちょ!」

 たっと軽い音を立てながらコアラさんが室外へと飛び出していった。アルカは立つこともままならないと言うのに、この運動神経の差はなんだ…。しばらくして、ゆっくりと船が元の角度に戻っていくことを確認して、さっとアルカも部屋を飛び出した。
 外から誰かの会話が聞こえる。甲板へ駆け上がると目に飛び込んできたのは、何やらロボットのような空飛ぶ機械に乗った大柄の男と、その機械から飛び出したマニピュレーターに捕まっているエルザだった。

「……は…!?」

「凝固剤はいただいたァーー!!!これで新しい兵器が完成する!!!」
「ちょっと!今すぐエルザちゃんを離してルンルン!!」

 コアラさんが怒り心頭で男に怒鳴った。──あれが、ルンルン。

「やなこって!!こいつは新兵器になるんだ!これでおれも有名人だァ〜!」

 脳裏に、誰かの笑顔がよぎった。


 『新兵器ですね!これで戦争に終止符を打てます!』
 『多くの人を助けられるでしょう!!』


 ────『素晴らしいよ。彼らの所業はまさに、殺戮だった』


 歪んだ笑みが、脳裏を支配した。


 兵器なんて


 じゃーなー!と嬉々として飛んで逃げようとしたその進行方向先に、ちょうど自分がいたもんだから、思わずその足にしがみついた。

「って!?えええ!?ふっざけんななんだお前!?定員オーバーだっ!!」

 ぶおんと機体が大きく揺れる。遠心力で飛んでいきそうな体を必死で機体に引っ付けた。

「っだったら、降ろせよ…!!」
「いやじゃボケェエエ!!」

 自分の体が重い。上に這い上がることもできないまま、ひたすらにしがみついていると、機体の方が限界だったらしく、船の近くの広場にあっけなく落ちた。
 どーんと民家に落ちて、そのまま広場の方へと崩れ落ちていく。流石にしがみつききれなくて、屋根に衝突したときに体が飛ばされた。皮肉にも一緒に崩れた家屋が衝撃を吸収してかろうじて骨折は免れた。
 広場にいる人の悲鳴と足音が響き渡ってくる。一緒に落ちた衝撃でしばらく動けずにいると、必死の声で呼びかけてくる声があった。

「アルカさんっ!アルカさぁん!!!」
「エルザ…」

 落ちて壊れた機体だが、アームに掴まれたまま動けないようだった。心配そうに声をあげてこちらを見ていた。ふんっとうめき声をあげてアームを外そうとしているようだがびくともしていない。
 ひとまず、良かった。エルザはちゃんと無事だ。
 グッと体を持ち上げる。落ちた衝撃でまだ体が痺れていてうまく立ち上がれない。

「どうして…ここまでして…!」

 なんでだろうね。
 けれどきっと、わたしは“争い”や、それを助長するものが大嫌いなんだと思う。それだけが今、確かだ。

 がこんと重い金属音がした。ルンルンらしき大男が機体の下から這い出してきて、アルカを睨みつけたところだった。

「このっクソがあああ!!」

 どどど、と重たい足音が勢いよく近づいてきた。太い腕が振り上げられ、勢いよく振り下ろされた。体が重くて回避なんてできそうにない。

「───…ほんと、兵器なんてクソ喰らえ」

 この時、わたしの脳裏には様々な景色が映っては消えていた。思い出しては、記憶の引き出しに仕舞い込まれて頑なに引き出せなくなる。けれど蓄積した恨みの感情のようなものだけは、呪いのように染み付いた。