おそれていたもの

 衝撃はなかった。痛みもない。やけに静かで、耳に風の音だけが入り込んだ。
 衝撃に備えて閉じていた目を開ければ、自分がなにかの影にいることがわかった。

 見上げてすぐのところに背中があった。

「ほんとに、無茶ばっかりして…!!」

 桃色の背中、すらりと伸びた脚。美しい体つきだとは思っていたが、それでも女性の体。そんな女性が、大男の一撃をぎりぎりと受け止めていた。一瞬だけ足の力を抜き、つぎの瞬間には大男をひっくり返していた。どう、と音を立てて倒れた大男の鳩尾にコアラの強烈な蹴りが落ちてきて、苦しげな呻き声がこだました。
 やっとの思いで立ち上がる。全身が痛い。エルザのところへ行こうと歩き出した時、まるで笑い声のような声が響いた。

「ルーンルンルンルン!!」

 …いや、笑い声だった。
 ルンルンとは、笑い声までルンルンだったらしい。…もしかしたら、だからルンルンを名乗っているのかもしれないが。口から血が垂れ、目は血走って瞳孔が開ききっている。しかし、どこか勝ち誇った表情をしている。

「おれ様の研究室には兵士がたくさんいるんだぞ!!!」

 そう言ってよろよろとカタツムリのようなものを掲げた。あれはなんだろうか。可愛らしい見た目をしているが、何かしらの仕掛けがあるのだろうか。

「ボタンひとつで駆けつけるんだぞ!ルンルン!!」

 ポチり、とカタツムリの甲羅を押した。ボタンのように一瞬だけそこがへこんだ。

「多勢に無勢だ!これでお前らも終わりだぞルンルン!!」

 ルーンルン!!とガラガラの声で高笑いするルンルンに、どこか気の抜けた声がした。


『…あ?なんだこれ、もしもーし』

 カタツムリからサボの声がした。通信機器だったらしい。
 ぷっとコアラが噴き出すのが聞こえた。

「サボくん、そっちの制圧は完了した?」
『おー。終わったからそっち行く』
「そっか。待ってるね」

 すこしだけ声を張り上げたコアラに、サボが明るく返している。2人の会話を聞くたびにルンルンの顔が青くなる。
 今のうちに、とアルカはエルザに近づいて機体のアームを外そうと試みた。操縦席に回って、レバーを観察する。不思議となんとなく操作が分かって、レバーを操作するとあっけなくアームが緩んだ。
 ちくしょうぅぅぅと嘆いて膝をついたルンルンを一瞥してエルザに視線を戻すと、エルザが勢いよく抱きついてきた。

「アルカさんっ!!よかった!アルカさんが生きててよかったよぉ〜〜!!!」
「そんな大袈裟な…」

 ぶわっと溢れた涙にぎょとして思わずその涙を拭おうと手を挙げた。

「い゛っ!?!?」

 右肩が強烈に痛んだ。どうやら強く打撲したらしかった。思わず右肩を押さえれば、エルザが心配そうにのぞきこんできた。

「けっけが!?肩!?腕!?」

 大丈夫だから、となだめていると、やけにルンルンが静かであることに気がついた。そちらに目を向ければ、ルンルンの驚愕したような顔が真っ直ぐにアルカを見ていて、ギョロリと剥いた目とかちあった。顔は真っ青を通り越し真っ白で、体が僅かに震えていた。その目は真っ直ぐにアルカに向いていてすこしも逸れる事がない。

「ぁ…ぁあ…!?」

 うめくように、なにかを思い出したようにルンルンが声をあげた。その震える指先が、間違いなくアルカを指さした。

「お、思い出したんだぞ…!……プロメテウスの火…!!!」

 なにを言われているのかがわからない。だが、はっと驚いたようにコアラがアルカを見たので、なにか重要なものを指し示すことは確かだった。そして、アルカの記憶にもないなにかを知っている。

「お前…開発者のアリスタル──」

 ちゅいん、と小さなドリル音が響いた。ルンルンの声は途切れた。どっとルンルンのこめかみから血飛沫が上がる。誰かに狙撃されたものだった。エルザが口を抑えて息をのだ。コアラははっと狙撃手を探して視線を巡らせたが周囲に人影はいない。ルンルンに目を向ければ、意識を失って倒れたところだった。
 …助かるまい。コアラはそっと拳を握った。
 即死の一撃だった。




 ランバットには大きな病院がない。アレルバアルに戻り、案内されたのは街で最も大きな病院施設だった。病室の扉を開けた先に、車椅子に座った女性がいた。30代半ばのその女性は痩せぎすで、その髪は白い。──エルザと同じ色だった。
 それを見たアルカは彼女がエリーゼだと悟る。エリーゼを見つめたまま呆然としているエルザの背中を押すと、エルザははっとしたようにエリーゼに駆け寄った。

「…エリーゼ姉さん!!!」

 わっと泣き始めたエルザを抱きとめたエリーゼはその髪をすいて、きゅっと抱きしめた。

「実はね、彼女のことを革命軍は把握していたの」

 コアラがそっと呟いた。
 2人を見やった。積もる話はあるが、言葉になっていない様子だった。エリーゼは黙って涙ぐみながらエルザを抱きしめているし、エルザはわんわんと泣くばかりだ。

「いつから?」
「2か月位前かなあ。悪質な新兵器が出回っていて、その出どころを探していた時に、潜入員の1人がエリーゼさんと接触する機会があったの」

 悪質な新兵器。詳しくはわからないが、血の凝固性を使った兵器だと推測できた。

「その爆薬が破裂した周囲の人が、みんな凍りついたように動かなくなる。近くに居ただけで、だんだん体が動かなくなっていく。そんな生物兵器」

 血の凝固反応を周囲に及ぼすもの。白い髪の血。特にエリーゼは、その血を提供し続けていたのだろうか。…そうなのだろうな、とうっすらと思う。でなければああも痩せ細らない。

「その製造元を辿ればアレル島にたどり着いたの。…まさかこんな形でアルカちゃんと関わるなんて思わなかったけれど」

 クスクスとコアラが笑う。

「アルカさんっ!」

 エルザが手をこまねいたので近寄ったものの、エリーゼが深く頭を下げたので思わず恐縮して一歩下がった。

「この子を連れて逃げてくれたって聞いて。ありがとうございました…!!」
「わたしは…別に…」

 善意だけで助けたわけではないだけに、なんとも受け取りづらい感謝だった。どちらかというと復讐心にも似た感情で動いたのだから。それに、一連の流れを聞いていれば、きっとエルザもそう遅くないうちに革命軍に保護されていたろう。
 エリーゼは目を細めて笑う。

「どんな理由であれ、この子が利用されなかったのはあなたが助けてくれたからです。一度も人殺しの道具になることなく保護されたわ。これはわたしにとって、とても重要なこと」

 ああそうか、生物兵器に、使われるのだったか。ふとそう思った。そういう意味では、エルザは一度でも血を抜かれていたら──それが研究室の試験管に入った地点で、どこかで死んだ人のことを思って一生を過ごす羽目になっていただろう。

「…おふたりはこれからどうされるんですか?」
「革命軍の方に、新しい住処を紹介してもらう予定です。そこでひっそりとすごします」
「そう、ですか」

 それなら大丈夫だろうとそっと息をついた。

「アルカさんは?」
「わたしは、当初の予定通り、大きな街へ行きます」

 自分の記憶探しだ。
 思い出したい。…思いださなくてはならない気がしている。エルザは「アルカさんさえよかったら一緒に、って思ったのに…」と残念そうに呟いた。ありがたかったが、これには首を振っておいた。

「…わたしたち、今日にでも出発するから、もうお別れになるね…」
「まあ、いつか会えるよ」
「記憶、戻るといいね」

 アルカさんがんばれ!とエルザがグッと力拳を握った。ありがとう、とエルザと固い握手を交わし、エリーゼさんともすこし会話すると病室を出た。
 戸を閉めると、外で待っていたらしいコアラさんと目があった。

「コアラさん」
「なぁに?」
「ルンルンのことが知りたいです」


 ──……プロメテウスの火…!!!
 ルンルンはアルカを指差して確かにそう言った。あまり、いい気のしない響きであることだけは確かで。だからこそ何故そう言われたのかを確かめたかった。

「だろうと思ったよ」

 コアラが苦笑した。

「船までついてきてくれる?」

 きっと盗聴対策だろう。こくりと頷いてアルカは病室を後にした。