ふたつの名前

 エンジンカバーに乗せた足のすぐ横にロープの端がとびだしている。ロープを掴んだサボがめいいっぱいそれを引くと、セルがいなないてエンジンが勢いよくスタートした。小型の船で、人は2、3人乗るのがやっとのサイズだ。単独行動の際によく利用されるミニボートで、一般にストライカーと呼ばれる。悪魔の実の能力を動力にして動くタイプもあるが、今回は能力なし、戦闘経験なし、水泳経験なしの無い無い尽くしの人間を運ぶのでただの燃料エンジンを搭載したストライカーを用意した。
 ドッドッドッドッと間もなくエンジンの回転数が安定したのを確認したサボは頭上に目を向けた。

「もういいぞー」

 2メートルほど頭上にある母船の舷門から、アルカが怖々と目元だけ出して覗き込んでいた。降りていいと言ったのに、すこしも動く気配のないアルカにサボはすっと手を差し伸べた。

「こっち」
「いや、高い…これ高いって…、飛び降りるとか無理」

 アルカがくしゃりと顔をしかめた。はっきりと拒絶を示すと、舷門から頭を引っ込めてしまった。

「はァー?」

 高いの意味がわからない。サボにとってはこの程度の高さは高いの範囲に入りもしない。消えたアルカを追って甲板にあがれば、アルカはコアラの横でじっとりと海を睨んでいた。

「もっとこうさ…あるでしょ…?ハシゴとか」
「んなもんねぇよ甘えんな」
「だからって飛び降りろって!?あんな狭いところに!?」

 落ちるわ!と声を荒らげるアルカに、サボは益々理解が及ばなくなる。ストライカーに飛び移るくらいならできるだろう?できない?そんな馬鹿な。
 多少バランスを崩されてもフォローする自信もあったし、まさか飛び降りるだけをこうも嫌がられるとは思わなかった。
 理由はどうあれさっさとストライカーに乗って貰わないといけない。サボは無遠慮にアルカの腕を掴むとカツカツと舷門へ戻った。へっぴり腰のアルカが必死の抵抗を見せ足を踏ん張ったがすこしの効果もない。清掃の行き届いた甲板はつるつる滑って踏ん張りの意味は無いし、やがてバランスを崩したアルカは文字通り宇宙人のように引き摺られるにいたった。

「待っっってうそでしょ力強すぎない!?は!?」

 ひょいとふなべりから飛び降りたサボに引かれて、アルカも甲板から姿を消した。「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!」と断末魔のような悲鳴を上げて消えたアルカに、さすがのコアラも可哀想になったがストライカーに搭乗れるようにはなってもらうべきだから何も言えない。ただ、ぽつりと頑張って…と聞こえないエールを贈るだけに留めた。

 一方、荷物のように持たれながらストライカーに搭乗したアルカは、顔を真っ青にしながら震えていた。

「こ、怖………無理……もう二度と船に乗らない……」
「出すぞー」

 聞いちゃいない。
 声をかけただけ親切だとサボは思っている。アルカを下ろすとスロットルレバーを躊躇なく引いた。女性が乗ってるなどといった気遣いはない。エンジンが僅かに唸りを上げて高い音を出す。ぐんとストライカーが発進する力に負けたアルカが、ぎゃあと悲鳴を上げて狭い船内を転がった。落ちかけたので首根っこを掴んで助けてやった。落ちてもサボは助けてやれないので落ちないよう気を使ってやったまでである。
 上半身を海に乗り出したままサボに支えられたアルカは相変わらず真っ青な顔で底の見えない海底を凝視している。

「底が見えない」
「沖に出たらもっと見えねえぞ」
「おき」
「陸から離れた場所。深い」
「へぇ」

 アルカを中に引き戻すと、スロットルをさらに引いた。小舟が加速して突風と共に水しぶきがかかるようになる。その風を気持ちいいとたしかに思うのだが、以前のようには楽しみきれない。偏に水しぶきが海水であるということに問題があった。覚悟のうえで口にした悪魔の実だが、海を楽しめないのは口惜しいものがある。
 ストライカーはアレル島の港から離れ、人気のない山側に回っていく。

「あれ」

 エンジン音と波風に煽られながら口にした言葉に、アルカがサボに目を向ける。サボの視線を追えば、島の陰にコンクリートを打ちっぱなしにした施設が見えていた。
 ところどころが瓦解してまるで廃墟だが、廃れては見えない。まるで最近倒壊したようにも見えた。

「あれが…?」
「ああ。ルンルンの研究所」

 ちょっと壊しすぎたけど。と降ってきた声に、何をどうしてああも損壊するにいたったのか。すこしばかり呆れる。幸いだったのは火事の発生がなさそうなことだ。燃えた跡は見られない。万が一火事やその延焼があれば目も当てられない。
 速度を落としたストライカーがやがて近くの岩場に着岸した。

「海軍に目をつけられてる。今は引き上げてるけど、あんまり痕跡を残さないようにな」
「…わかってる」

 ルンルンと“新兵器”。それから“プロメテウスの火”。
 エルザらを利用した“新兵器”に関する資料や施設は発見できたが、“プロメテウスの火”に関する痕跡はなにひとつなかった。特殊な血を持つ女性2人の保護と、それを利用した新兵器開発の頓挫。それが今回の成果であったが、本命の“プロメテウスの火”に関する情報はなにひとつなかったという結果でもある。
 そこに違を唱えたのがアルカで、やれ隠しフォルダはなかったのか、やれ削除文書の復元はしたのかだの、隠し倉庫等はなかったのか等を言い始めた。記憶の手がかりになる可能性があったっからアルカも必死だったことは否めない。すでに革命軍とて調べ尽くしたルンルンの研究施設に、サボ同伴で記憶喪失の女も足を踏み入れた。

「エミュレイ、マッピングお願い」
《かしこまりました》
「何か受信できそうなものある?」
《僅かな電機信号があります。北側約100m》
「ああ、ちょうどラボがあったところだな」
「じゃあそこ行ってみますか」

 スタスタとエミュレイと会話しながらラボの方へ向かうアルカの背中を、サボはじっと見つめた。上陸してすぐにラボの位置を当てられたのは正直意外だった。それもエミュレイを使って。
 アルカは普段、エミュレイと簡単な会話しかしなくて、情報の引き出し方も正直下手くそだ。だが、集中状態にあるときだけは違う。おそらく、記憶がある時の癖や習慣が表に出てきている。特にエミュレイの『使い方』は明らかに手慣れた感覚が見え隠れしている。それに気がついてからは、サボもコアラも、集中している時のアルカにはあまり声をかけないようにしている。そこから弾き出される記憶の断片が、“プロメテウスの火”へ通ずる道になるだろうと考えて。

「ネットは繋がらないんだよね」
《通信は試みていますが、ずっとオフラインです。それらしき回線も見当たりません》
「まあウイルスは気にしなくていいから、ある意味安全なんだけど…」
《時刻も取れませんので、時間感覚にはお気を付けくださいね》
「はいはい」

 “争い”に関わる事柄をひどく嫌う。アルカのその傾向は以前からコアラやカーラから報告されていた。被害者故に怖がるともすこし違う。どちらかと言えば被害者故に争いごとをひどく憎んでいる。
 戦争孤児だという、その過去に起因するのだろうと推測された。なにを見たのか、なにを経験したのか。──何故、軍事技術に関わったのか。

 例えば親を殺された子供が何を思うだろうかと考えたとき、考えられる可能性にサボは複雑な心境を覚えた。

「ついでに周囲のスキャニングしといてよ。何か反応あれば教えて」
《かしこまりました》
「ねぇ、わたしの名前くらい教えてくれない?」
《開示できません》

 誰かに復讐を望んだのだろうか。破壊と殺戮を望んだのだろうか。
 サボとて記憶喪失を言い張るこの女を完全に信用しきったわけではない。だが、見知らぬ1人の少女のために、自分の路銀を割き身を挺して助けに入った女だと知っている。それだけに、彼女の過去に見える暗い影が残念でならなかった。

「けっち」
《電機信号の反応が近いです。右へ30度》

 きゅっとアルカが体の向きを変えた。間違いなくルンルンのラボへと向かっている。サボの案内は不要のようだった。楽と思えばいいか、探索機能の高いエミュレイを警戒すればいいか。思わず苦笑いする。どんな機能があるのか未だに未知数であるから、エミュレイは正真正銘の監視対象であった。人工知能と呼ばれる技術らしく、データの塊であるにもかかわらず、独立思考することが可能らしい。
 アルカに言わせれば、良くも悪くも命令系統なしでは動けないから考えすぎ。らしいが、逆を言えばそれを使いこなす人間が現れたとき、間違いなくエミュレイは不穏分子でしかなかった。
 入り口が半壊した建物に入り、するすると奥へ突き進んだアルカとエミュレイはラボに入り込んでコンピュータをいくつかの画面をひとつひとつ起動し始めた。アルカがポケットから情報端末を取り出してコントロールボードの端に置く。

「エミュレイ、どこかからコンピュータに入れない?」
《トライしてみます》
「よろしく」

 エミュレイが情報空間を作り出した。その中で、アルカは黙々とパソコンを操作している。ぼそりと「勝手がわからない」と呟いているから、なかなか思うようにはいっていなさそうだ。

「ああほら、やっぱり」

 10分ほど経ったとき、にっと笑ったアルカが忙しなく指を動かし始めた。それから、情報端末をいじる。

《トライします。............接続できました》
「よしよし。さすがエミュレイ。不自然に情報が消されてるところない?」
《検索します。................数カ所あります。フォルダ3。復元を開始します。判定、メッセージ履歴。約30件の履歴。削除日時が散漫としています。読めばすぐ削除していたのでしょう。全てここ半年以内のメッセージです。…開示します》

 画面いっぱいにいくつものメッセージが浮かび上がった。ただし、どれもこれもあまり決定的な文言がない。メッセージは残るから、あまり載せないようにしているのかもしれない。

《1件の通話ログがあります。聞きますか?》
「通話ログ?」

 サボが小首を傾げた。耳慣れない単語だった。

「通話の記録ですよ。…エミュレイ、再生して」
《再生します》

 ブツリと何かが途切れるような音がした。ジィーと耳障りな音の後、誰かの話し声が聞こえた。

──『……で、──ザァッ──ぁんだか変な回線でかかっていて』
──『いい。出る』
──ザァーーッ──

 ルンルンの声だった。思わず顔をしかめたものの、アルカも大人しく音声に聞き入っていた。

──『プロメテウスの火の開発チームと話たければ来い。ただし、そちらは生体凝固剤のサンプルも持ってくること』

 高圧的な気の強い女の声だった。

──『安いな。そんな簡単に我々のサンプルを渡すとでも?』
──『プロメテウスの火がほしくないのか?』
──『だがサンプルとは釣り合わないんだぞ!ルンルン』
──『…。レイセット・カリュウステ博士の論文を用意する』
──『よろしい。ならば持って行こう』

 ちらりとエミュレイのデータを確認する。相手の名は『SRAY』となっている。サボにとっては見たことのない名前だ。アルカも思えはないらしい。レイセット・カリュウステ博士、というのも気になる。
 過去の日時と場所を指定する会話が続き、おそらくそこで「SRAY」と落ち合ったとみられる。過去の日付だ。今からちょうど、3ヶ月ほど前の日付だった。場所はアレルバアル。つまりこの島だ。

「なあ、これ…」
「ですね。プロメテウスの火の開発組織と、生体凝固兵器の開発組織は別々だった…ってことですね。でも、すでに落ち合っている」
「あとのメール…これは進捗のやりとりか。…内容が書いてないな」
「機密内容はさすがに書面でやりとりしてたのかもしれませんね…」

 サボがエミュレイにもう一度再生を頼み、カタツムリを構えてその音声を…これ録ってるの…?正直びっくりした。それレコーダーなのか。そのカタツムリレコーダーなのか。
 アルカが信じられないとばかりに見つめる横で、サボは黙々とその他のメールもパシャパシャとカタツムリで写真を撮り続けた。一通り撮り終える頃にはアルカもコンピューターのチェックを終えていて、これ以上の情報はないとのことだった。

「上々の取れ高だな。正直この島からは引き上げようかと思ってたけど。もうすこしこの島で情報収集するか…」

 まずはこの島に出入りした人間を片っぱしからリストアップする必要がありそうだ。そのなかに「SRAY」もしくはそれに近い名前を見つけたら調べなくてはならない。それから、その名前がどこから来たのか。
 流石に相手にもルンルンが革命軍と接触したことは察しているだろう。最悪、ルンルンを口封じしたのは「SRAY」の一派の可能性すらある。

「レイセット・カリュウステ…こいつの論文がそんなに求められるのはなんでだ…?」
「兵器開発の要…とかかも知れませんね」

 調べることが増えたな。「SRAY」「レイセット・カリュウステ」どちらも調べるに値する貴重な情報だった。意外とアルカを連れてきて良かったかもしれないと思った。