記憶のない女

 よく眠れなかった。それが原因だ。何度も寝返りをうっては頑なに目を瞑ったが、意識がすこしも遠のかない。船内は暗く窓もない。闇になれた目でも室内の様子はほとんど分からないのが現状であった。外の様子も見えないので今何時かも分からない。何時間経ったかも分からない。朝が近いくらいには布団に潜り込んでいた気もするが、実際はどうなのか分からない。
 どうしようもなくなって、アルカは布団を押しのけて起き上がった。

 カーラを起こさないようにベッドを抜けるとそっと部屋を出た。明かりの少ない廊下を進むと、甲板へ出る階段が見えた。外からうっすらと青白い光が四角く切り取られたように差し込んでいる。
 なんだ、朝が近いのかとそちらに足を向けた。暗い船内。唯一上へあがるための階段だけが照らされている。自分ひとりしかいない空間は、僅かな波音と自分の足音だけしか聞こえない。よく見えない足元で躓かないよう注意して進んでいると、不意に肩に生ぬるい物が乗っかった。

「〜〜〜〜〜ッッ!?!?!?」

 声にならない悲鳴であった。驚きすぎて喉が締まり、引きつった悲鳴じみた吐息が僅かに漏れただけであった。盛大に身体がビクリと反応したが、肩の重みを刺激したくないからそのまま動けなくなった。

「……ぅゎ、ごめん…」

 不意に声が聞こえた。なんの声かよく分からないので、そのまま硬直していたが、コツリコツリと足音を立てて目の前に移動してきたのは身長の高い男だった。金色の髪が光に反射している。

「……サボさん?」
「そうだけど」

 サボであった。腕がアルカの肩に伸びている。
 重さの正体はサボだったらしい。はぁぁぁと長い息を吐いて緊張を解す。なにかと思った。

「何してんの」
「…寝れなくて。そと行ってみよって思いまして…」
「ふぅん」

 あんまり良くなかったかな。不安になってサボの表情を伺ったが、ただでさえ暗い船内。外の明かりの逆光で表情はおろか顔も見えなかった。

「ええと。行ってもいいですか…?」
「…まぁ。いいけど」
「そ、か…」

 許可は出たのだがサボがそこからどかない。行っていいのか、あまりよくないのか。迷っているとサボが不意に道を開けた。そのまま動く様子がないから、いいのだろう。様子を伺いつつ階段まで来た。見上げれば曇った空が僅かに見える。
 どうせなら朝日を見るのもいいかもしれないと思っていたが、あまりいい景色も見れなさそうだ。

 甲板にあがった瞬間、波の音と同時に押し寄せるように潮の匂いを含んだ風が包み込んだ。朝日は遠いのか、外は思いのほか暗かった。マストと積荷が影を作っていて、辛うじて舷で甲板の形がわかる。船内程でないにしろ、こうも暗くては甲板では海と舷の境目がよく分からない。近くにあるはずのアレル島は暗闇に紛れて良く見えない。黒と暗灰色で斑になった空と、昼間以上に暗く大きく見える大海原は、はるか遠くで辛うじて空と海の分かれ目が確認できるだけだった。あまり舷へ寄ると海へ落ちそうだと思って、ひとまず近くのマストの根元に置かれた荷物に腰掛けた。
 波音とたまに軋む船の音だけが聞こえる。それ以外は排除されたように音がない。船員が駆け回る昼間とは大違いだ。見上げた空には雲が浮かび上がっている。時折、僅かな切れ間から星が見えていた。しばらくぼんやりと雲の動きを眺めてみたが眠気がすこしも来ないのには困った。

 足音がした。サボが歩いてきて、無遠慮に隣に腰掛けた。あまりの暗さにほんのすこしだけ不安があったから、サボが来てすこしだけ安心した。チラリとサボをみやれば、先程よりは顔が見えていたが表情までは読み取れなかった。帽子は被ってなかったけれど、横からでは長い前髪が邪魔をして目元がすこしも見えない。

「あんたさ」
「はい」
「……“プロメテウス”の火を見つけたら、どうしたい?」

 アルカはぱちぱちと目を瞬かせた。まさかそんなことを訊かれるとは思わなかった。あまり考えていなかった。
 ただ、アルカを保護したいというサボらの意向に従っただけに過ぎない。その先に、自分の記憶があるというのなら思い出すべきだと、漠然とそう思ったから協力している。

 だが、そうか。どうしたいか、か。

「あまり考えてませんでした…」
「まぁ、そりゃそうか」

 サボは顎に手を当ててすこし考えている様だった。その様を見て、アルカもすこしだけ真面目に考えてみる。どうしたいか。
 明確な意志が持てない。どうするべきかは考えついても、自分自身がどうしたいかは訊かれても出てこなかった。

「でも、そんな兵器。本来なら無い方がいいんですよね」
「そりゃあな」
「なら、封印。できれば完全な破棄。どちらもダメなら技術を世界中にばら撒く…ですかね」
「ばら撒く?」

 アルカは力強くうなずいた。なかったことにできないなら、それしかない。要は、武力の天秤を釣り合わせるということだ。

「強い力は、一方的に持つからだめなんですよ。自分が強い武器を持っていても、相手も同じものを持っていたら警戒してすぐには攻撃をしかけないでしょう?下手に手を出せばお互いにただでは済まないことがわかるから」

 だから、その技術をばら撒く。不用意に犯罪組織の手に渡っても困るから相手は選ぶべきだが、それで争いを止めることは可能だろう。

「武力の天秤を釣り合わせるんです。互いが強い力を持てば互いを牽制できるんです。力が一方的に使われることはなくなる」
「……そんな考え方したことなかったな」

 だが理にかなっている。サボは胸中で呟いた。
 反面、どこか危うい。そのくせ現実的だ。本当にそんなことをされたらたまったものではないが、言いたいことは分かる。力を使わないようにするのではなく、使えない状況を作り出せということだ。
 “プロメテウスの火”のような兵器は、今後も出てくるだろう。もっと厄介で、人道に悖る兵器だって。それらを使わせないための、武力。

「武力の天秤、か。…言われてみれば、昔からある話だ」

 力には力を。サボは自分がそれなりに強い自覚はあるが、それは世界と戦うために必要としたからだ。
 例えば国を守るために兵力を蓄えた国。こうした国は侵略の対象になりにくい。これはきっと、武力の天秤と同じ話だ。
 アルカはプロメテウスの火の関係者だ。これはおそらく確定の事実だ。だが、だからといってここまで巻き込む気はなかったとも思う。

 そのとき、カッとサボの足元が青白く照らし出された。月が出たらしい。見上げると立派な満月が顔を出していた。いい月夜だ。思わず頬を緩めて眺めていると、同じく月夜を眺めていたアルカがすくりと立ちあがった。

「……あれ、なに?」

 弱々しい声だった。アルカに目を向けたサボは、アルカの視線を追うも、何も発見することが出来なかった。波の音。ゆっくりと流れる暗い雲と照らす月。それから月に光を奪われた星々が僅かに瞬くだけだ。

「あれ?」

 アルカが何を『あれ』と呼んでいるのかわからない。瞬きひとつせず食い入るように見つめているのは──


 ──『たぶん月か、火星か…どっちなのかはわからないけど、地球には行ったことはなかった…と思う』

 月にいたなら、アルカは月を外から見たことがない。空すらまともに見たことがない発言も報告されている。……ならば今、彼女が驚いて見ているのは──

「しってる、わたし、あの星のこと……しってる」
「月を?」
「知ってる……」

 アルカの声が大きく揺れた。上手く声が出せないとばかりに。まるで泣いているようだった。

「知ってる…!」
「あ。おい!」

 さっと月に手を伸ばした。丸く見開かれた瞳が急激に色を無くす。かくりと膝から力が抜けたのを見て、サボはあわててその身を抱き抱えた。

「─────」

 呟かれた名前を聞いて、サボは目を見開いた。聞いたことのある名前だった。





「だからって医務室に転がしとくゥ!?普通!!」
「あー!うるせーうるせー!お前もコアラも寝てる時間じゃねーか!気ィつかったんだよ!!」
「起こせばよかったんじゃない!あたし医者よ!?」
「こないだ重傷患者に起こされてブチ切れてたの誰だよ!!!」

 目の前でアルカが倒れ、どうしたものかと焦った。だが、耳をすませば健やかな寝息が聞こえ、サボはアルカを医務室に放り込むことに決めた。
 いくら気心が知れているとはいえ、カーラにしろコアラにしろ部屋に入り込むのは気が引けた。だからといってアルカを下手なところに放置も出来なかったので、ひとまず医務室のソファに転がしたサボは毛布を掛けてやるとこれまた違うソファでガーガーと寝こけた。
 翌朝、夢見が悪いのかなにやら魘されているアルカと、その近くのソファでいびきをかくサボを見つけたカーラ怒りのボルテージはヒュンとMAX値を振り切った。

「………カーラ…?」

 か細い声が聞こえて、説教モードだったカーラはつり上がった目をアルカに向けた。こっちはこっちでなに夜中に抜け出してんだと説教してやるつもりだった。

「……どうしたのアルカ」


 むくりと起き上がったアルカは不思議そうにカーラを見ている。
 だが、その表情はやたらと冷たい。昨日までのやる気の死んだ無気力女のような適当さではなく、ただただ、冷たい刺すような表情だった。

「、なにが?」

 次の瞬間、いつも通りの顔色が現れた。
 だが、さっきまでの表情が脳裏から離れない。戸惑うカーラを放って、サボがのそのそと医務室を出て行こうとする。

「ちょっとサボ!?」
「そいつ頼む。おれちょっと調べ物」
「はァ〜〜〜???」

 この状況で置いていくか普通!
 釈然としないままサボを見送ると、アルカに心配された。

「カーラ大丈夫?なんか変だけど」
「あんたに言われたくない」
「ええ?」

 既にアルカはいつも通りだ。
 だがだからこそ少々危うい。カーラはとっさに、医者として心配すべきか革命軍として警戒すべきかを迷った。そのせいで言葉が上手く出てこない。
 彼女には記憶がない。記憶が戻った彼女は、今とはかけ離れた顔をするのだろうか。それとも、今と変わらぬくだらないやり取りをできる彼女のままなのだろうか。



 廊下を突き進んだサボは会議室に入り、鍵を閉めた。部屋の隅に置かれたアルカの所有物でもある情報端末の前に立った。

「エミュレイ」

 呼びかけるとすぐさまホログラムが立ち上がる。《おはようございます》と女性の声がする。感情の薄い声だが、まるで人間のようにしっかりと受け答えする。人工知能と呼ばれる技術らしい。
 知能を人工で作れるあたり、アルカのいた場所の技術は他より飛び抜けている。

「アルカの友人知人の一覧をもう一度見せてくれ」
《かしこまりました》
「あと、読み上げてくれないか。どれも馴染みのない発音で、読みにくい」
《読み上げます。
Aria Sentinelアリア・センチネル
Brian Foresブライアン・フォレス
Diena Wiselowディエナ・ワイズロウ
Iensha Nal Hineイエンシャ・ネル・ハイネ
Gorea Wiespゴレア・ウィスプ
Janipper Mieronジャニッパー・マイエロン
Jason Martyジェイソン・マーティ
Katyth Fammienケイティス・ファムエン
Maycerios Lauwanメイセリオス・ロワン
Marc Elliottマーク・エリオット
Nicola Mandarayニコラ・マンダレイ
Norman Voezノウマン・ヴォイズ
Paula Elsentポーラ・エルセント
Ref Obeliskレフ・オベリスク
Roner Rogersロニーア・ロジャーズ
Rumaya Embirzルメイア・エンバーズ
Sho Corin Sarvashiroショー・コリン・サルバジロ
Suhyon Chowスヒョン・チョウ
Timothy Peganティモシー・ペガン
Yawen Kouヤーウェン・コウ
Xavier Fourenクザヴィエ・フォーレン

以上、21名です》

 腕を組みながら、次々に読み上げられる名前を聞いてサボは内心で確信を得る。なるほど、
 最後の方には研究室の教授であるというロニーア・ロジャーズの名前もあった。残念ながらSRAYとレイセット・カリュウステの名はなかったが。

「……。この21名は、アルカと特に関係が深かった人物、と思っていいか?」
《一概には…。ただ、等しく連絡先を交換する必要のあった間柄ではあった人々です》
「そうか」

 以前、アルカはこの一覧を見てもなんの反応もなかった。記憶がなかったからだろう。
 今も記憶は戻りきった様子はない。だが、アルカが深入りすればするほどに“プロメテウスの火”に近付くこの現状。ならばアルカと関係あったこの人間たちも、調べるべき人名のひとつと捉えるべきであった。少なくとも、この中に“プロメテウスの火”に関係のある人物がいるはずだ。

 トントンと扉をノックする音がする。外から呼びかける声に、サボはエミュレイが出す一覧を下げさせ、扉を開けた。
 ニックだった。

「情報収集の件で指示があると聞いてきましたが…」
「ああ」

 ちらりとエミュレイを見た。あれは──彼女、と言うべきかもしれない──まさに情報の塊。零す名前ひとつが大きな情報ばかりだ。

「怪しいヤツのリストアップは?」
「正直全く進みません…。すこしでも該当しそうな人間も含めると100人以上います」
「…。手荒だけど。案がある」

 困った様子だったニックがきょとんと目を瞬かせた。

「まず顔を変える。アレル島に居るリストには片っ端から該当者に体当たりでもなんでもして恩を買って自己紹介させろ」
「えっ…、それでやっこさん名乗りますかね…?」
「名前は問題じゃないから構わない。その代わり、徹底するべきルールがある」

 なに言ってんだと言わんばかりにサボを見やるニックに、サボはにっと口角を上げた。

「いいから。やってみろって。な?」

 上手く行けば釣り上がる。それから、もう1人徹底して調べるべき名前も上がった。
 アルカと関係が深いはずだ。少なくとも、アルカの記憶を呼び覚ます鍵になるだろう。
 昨夜、気絶する寸前、アルカは確かにこの名を口にしたのだから。



──「ジャニッパー…」