在りし日の心

 ここは地球ではない。
 けれど、きっと地球と呼ぶにふさわしいだろう。自然と人間が生まれた、母なる惑星である。

 おそらく、パラレルワールド、と呼ぶのが最もふさわしい。甲板の荷物に腰掛け、舷に体を預けてぼうっとアレルバアルの海を眺めた。あんまり動かないからか、海鳥が周りに集まってきている。太陽に照らされた渚がぎらついているのをぼんやりと見つめているうちに無為に時間は過ぎ去っていく。
 穏やかに打ち付ける波の音と海鳥の鳴く声だけが木霊して思考はどんどん霞むようだった。

 それを見ていたコアラはくるりとアルカから目を逸らしてサボに詰め寄った。

「え、なんなのあれ?大丈夫なの?」

 その異変に気が付いたのは何もコアラだけでは無かった。ニック等のアルカをよく知る人間もチラチラとアルカを見ては心配げに眉をひそめている。

「さてな。なんか思い出したんだろーな」
「なんかって?」
「知るか」

 そう言って船内に足を向けたサボだが。不意に足を止めて、視線を巡らせた。アルカを心配して見ているニックの姿を見つけて、じろりとそれを睨めつけた。

「おいニック!調査いくんだろ!」
「うわわわ…!もう行きます〜!」

 慌ててボートへ駆けていくニックを見送ると、サボは改めて船内に足を向けた。が、頭をかいて、また踵を返した。
 アルカに近寄ると周囲の海鳥が一斉にバダバタと飛び去った。せわしなくバタつく海鳥の向こう側で、アルカは舷に腕と頭をのせたまま動かなかった。

「おい」
「………」
「おいコラ」
「……」
「……」

 反応がない。ぴくりとも動かないし、なんなら瞳孔すら死人のように動かない。ぼんやりと海のひかりだけが反射している。持ち出していたらしいエミュレイだけがサボの存在に気が付いて、!マークを中空にたくさん映し出してサボを警戒している。
 ここで引き返すのも癪だと思って、その頭に手を乗せた。びくりとボールのように肩を跳ねさせたアルカはばっとサボをふり向いた。最初は胸元にあった視線がきょろりとサボの目をとらえる。そのあいだ、サボの手はアルカの頭から離れなかったから彼女は困惑したようにサボをみている。サボはにっと笑ってみせった。

「お前たるみすぎじゃない?」
「へっ…?っい゛だだだだだだ!?!?」
《ユーザーへの攻撃を認識。反撃をオススメします》
「どうやってだよ」

 サボの指に力がこもった。まあ、こめる、というほど大した力は込めていないが、アルカには十分強かったようだ。身を捩ってサボの手から逃れようと必死に右往左往逃げ惑っているが、サボの手が離れない。

「あ゛ーーーーっ!!死ぬゥーーー!!!」
「えっサボさん何してんですかァ!?」

 近くにいた兵士がギョッとしてサボを見たがアルカを助けようとはしない。これが信用と人望の差である。「コアラさんに怒られません?」とむしろサボを心配している。
 つくづく信用がないなこいつ。サボは呆れ半分でアルカから手を離し、彼女を指さした。

「こいつ連れてちょっと出かけるわ」
「は?無理…」
「お前に拒否権ねーよ」
「いや無理すぎィ」

 ちょっといつもの調子が出てきたな。サボはそう考えてアルカの腕を引っ掴んだ。アルカが情けない悲鳴を上げたが関係ない。アルカが落ち込むとコアラもカーラもやたらと静かになって鬱陶しいし、貴重な情報源だけにせめてその心身の健全性は保ちたい。記憶を取り戻したときに、敵に回りづらいようにしたいというのもある。

「じゃ行くぞ」
「行くってど…ぅあ゛ぁあストライカー!!」

 ストライカーに乗せられたアルカの悲鳴でまた海鳥が1羽、船から飛び去った。





 ストライカーを降り、森へわけいった所にある平野でサボは足をとめた。

「で?」
「何が???」

 アルカの顔が真っ青だった。効率を重視したサボの無遠慮運転によるものだった。いつ落ちるかわからないとアルカは何度もサボに訴えたが黙殺されたし、そのまま走りきってしまったのでわんわんと揺れる船の上で完全に酔い潰れた。時間にして5分も乗っていないと言うのに。
 睨むようなアルカの視線を受けてもサボはひょうきんに肩をすくめるだけだった。

「なにを思い出した?」
「……それ。カーラにももう報告しました。聞いてないんですか?」

 どこかいらだったようだった。

「聞いてる。けど、それだけじゃないだろ」
「いや全部言いましたけど…」
「その事実に対して、どう思ったかは一切言わなかった」

 アルカの目頭が僅かに、不快げに寄った。

「カーラがそう言った。あんた、それ以外を思い出したんじゃ──いや」

 なんとなく、アルカは全て話したんじゃないかと思った。サボが見てきたアルカの人格を思えばの話ではあるが。

「思い出した事柄に関して、なにかしら確信を得たんじゃないのか」

 ざぁと攫うような風が吹いた。落ち葉が舞い上がりアルカの髪を撫ぜる。呆然と立っていたアルカは、ぎゅうと膝の上の手を握った。

「なにかしらって。…言われても」
「口外しねぇよ。コアラにもカーラにも」

 アルカが目に見えて顔をしかめた。
 あーやっぱそこかーー。
 ムカつくことに、アルカはサボをすこしも信用しちゃいないようだった。そのくせコアラとカーラ…こと、コアラに関してはまるきり信用しきっている。いっそ母親とでも思ってるんじゃないかとすらコアラを見て安心している。
 そして、後ろめたいことをコアラに知られるのを恐れている。

「まぁ、記憶が戻ったり物証が出たらコアラも知るんだけど」
「……」
「オマエの予測の範囲のうちは黙っといてやってもいいけど?」
「……」
「おれもあんたの情報がほしいんだ。確実に“プロメテウスの火”を葬り去りたいからな」

 アルカはぴくりとも表情を動かさなかった。だがその瞳孔が僅かに散大していることを確認したサボは僅かに目を細めた。──興味を示している。吉と出るか凶と出るかは分からないが、“プロメテウスの火”の抹消はアルカに興味を抱かせたようだ、と。

「その情報になりえるなら、すこしでもそれに近付きたい」
「……」

 アルカはついに諦めて目を伏せた。“プロメテウスの火”を追ううちに、きっと見えてくる過去だった。

「両親の顔だって思い出せてないんです」

 最初はただの自分探しくらいにしか思っていなかったのに、呪縛のように記憶はアルカを蝕んでいく気がした。
 アルカの脳裡に映るのは月で目が覚めたあとの、難民キャンプでのこと。断続的な幼少期の記憶。景色。

「…戦争をしているのは知ってました。でも、わたしは。わたしたちが生活していた場所では、普通に学校に行っていたし、友達とも遊んでいました」

 ちらりとポケットの情報端末に目をやった。

「…エミュレイ、火星移民粛清戦に関する資料」

 ウンと機械音がしてサボとアルカの間に画像が出た。星を間近で見た画像のようだった。海がほとんどない緑の多い地域で、四角い黒くくすんだ様な大きな地域が見える。──大きいなんてものじゃない。地方、国…大陸ひとつは入りそうな範囲が、黒くくすんでいる。
 横に、同じ角度からの画像がならぶ。そちらはどこも緑色に輝くような景色だった。成層圏に薄い経緯度線のようなものが広い感覚で引かれているのも見えた。

「……これは?」
《2891年とそれ以前の火星の資料画像です。2891年に北タルシス地方で地球軍による無差別殲滅作戦が敷かれています。宇宙コロニーの撃ち落とし及び地域成層圏の破壊。北タルシス地方を中心に死者4億8400万人、生存者3%》

 サボにとっては衝撃的な数字であった。国ひとつどころではない人数だ。また、経済的な打撃も星全体を包んだことだろう。

「4億…いや。まて、北タルシス……?」
《管理権限ユーザー、仮称アルカの出身地は北タルシス地方レーベック州エイハグラに属する遊牧地が多く存在する地域です。苛烈な地上戦の後、史上初めて重力兵器が運用され、壊滅した地域のうちのひとつです》

 また出てきた新しい単語、“重力兵器”。地上戦というからにはアルカも武器を持った兵士に追い回された可能性だってある。

「重力兵器…?重力技術は兵器運用されてないんじゃ…」
《はい。この運用は試験的なもの、あるいは事故であったとされます。地球軍にとってもこの被害は想定をはるかに超えるものであり、事実死者のうち500万は投入された地球軍の部隊です。重力兵器の巻き添えに遭い、一部の補給部隊を残し全滅しています》

 サボが顔をしかめた。

《成層圏が完全破壊されたため10年以上経った現在も生物が生きることは出来ません》
「成層圏…?」
《簡単にいえば空です。空気を閉じ込める役割があります。多くの星に存在しますが、火星は重力が薄いため地域ごとに人工成層圏を形成しています。この事件で約8ブロックが破壊されました》

 戦争はサボとて縁遠いはなしではない。民衆にまで及ぶその被害は凄惨をきわめる。その怨嗟は互いに連綿として続く。ならばこの惨劇はまさにその典型と言えるだろう。

「火星が受けるべき当然の制裁」

 アルカが僅かに口角を上げた。

「らしいですよ?」

 覚えているのは、父との最後の会話。それから月へ渡ってからしばらくのこと。億はくだらないだろう被害者が予測されるという衝撃的なニュースは日を追うごとにその犠牲者数を跳ね上げるように増加させた。5000万は8000万に、8000万は1億へ、そこから信じたくないとでもいうようにジリジリと無慈悲に伸び続けた犠牲者数はついに4億を越え、5億近い数値を叩き出した。
 あまりに現実離れした数字は月の住民にはいっそ対岸の火事にしか見えなかったようだった。地球軍への批判と、動きの遅い火星への批判、哀悼のニュースが溢れ返り、世間では和平の声が多く上がった。

 それら全てが、アルカには醜く見えた。おそるべき虐殺を繰り広げておきながら、さもそれが「火星が受けるべき当然の制裁」と宣った地球人も。怒りに燃えながらも行動を起こせなかった火星人も、我関せずの月の民も。
 その後のことを、覚えているかと聞かれれば覚えていない。ただ、腹の底から沸き立つ感情に、ひとつの確信があった。

「…復讐…」

 きっと、それを掲げて走り出すには十分な衝動があった。

「とげたと思うか?」

 サボがじぃとアルカを見た。考えの読みにくい丸い目がまっすぐにアルカを見ている。

「……さぁ」

 アルカはそうとしか答えられなかった。だって、本当にわからない。地球に復讐したのかどうか、どうやって?いつ?なにひとつ検討がつかない。
 だがまるで道筋のように繋がるヒントばかりが散らばっている。アルカは機械に強く、理系である。修めていた学問は重力工学。地球に激しい恨みを持った事実がある。そこに“プロメテウスの火”との関わりを示されると、答えは自ずと出る。

「けど、それを掲げて生きてきたのだと思います」

 そうじゃなきゃ立てないほど、地球でのうのうと暮らす人間を汚らわしく感じているのだ。その存在こそが悪だと言わんばかりに否定的な感情ばかりが蠢く。本当はそういうわけでもないのだろう。事実地球側からも批判の声がわずかばかりとはいえあがっていた。だが僅かだ、大多数は黙認もしくは支持であったこともたしかだ。
 ああ、やっぱり──
 そこまで考えて、思考は打ち切った。

「わたしの専修科目は重力工学でした」

 アルカがエミュレイの映し出すホログラムを操作した。出してきたのは1本の論文だった。

「エミュレイが言った通り、重力技術は理論上は兵器化可能です。それにまつわる論文がありました」
「そんなものあったか?」

 中身が分かるかどうかは置いておいて、サボも論文にはひとまず目だけは通した。目次を確認して、文章に目を滑らせる程度であったが特段兵器転用等の文言はなかったはずだ。
 論文を映し出したアルカは、ひとつの項目を提示した。

「“重力操作による衝撃圧縮と拡大”」

 それは、重力というエネルギーを直接炸裂させるものでは無い。重力操作による衝撃やエネルギーを効率よく的に注ぎ込むためのエネルギー操作の分野だった。アルカの専攻とする擬似質量とはすこしばかりズレるのだが、関わりがないわけはない。

「“プロメテウスの火”。サボさんは、それをどんな兵器だと思いますか」
「やばい兵器」
「いやそうじゃなくて。……こう、形式?的な」

 アルカが手を無意味に右往左往させ、なにか気が付いたようにぱたりと下ろした。

「わたしは、艇じゃないかと思いました」
「あーなるほど。おれもだ。戦艦じゃないか、ってね」

 軍事的に管理される技術である重力技術。それが航行技術として使用され、兵器として核技術を使っているのなら、想定されるのは当然、核兵器を搭載した艇であった。

「けれど、それでわたしを“プロメテウスの火”と呼ぶ理由は何故?」

 “プロメテウスの火”が戦艦だったとして、それはアルカに向かってそう口にする動機になり得るだろうか。──ならない。
 アルカの専修学問は重力技術工学であり、これは艦船の姿勢維持や航行能力に影響しても、兵器そのものへの関与能力は薄い。
 ならば何故アルカをみてルンルンは“プロメテウスの火”と口にしたのか。例えばアルカがその戦艦開発の主任であったなら話は分かるが、いち学生がそのようなこと有り得るだろうか。

「その論文に、重力兵器の理論に通じる内容が書かれていました。直接炸裂するものではないですが、兵器を中空炸裂させ、重力を持たせる。破壊エネルギーは重力操作で一方向へ降り注ぐ。発生した質量は星と炸裂源の互いの引力で勢いを増して着弾する」

 直接炸裂するようなものではない。重力自体は兵器たり得ない。だが、補助として使えば威力は絶大であった。

「…よくわかんねぇけど、それって実現してるの?」
「わたしの故郷を破壊し尽くした原理がこれです。威力がほぼ無限大に広がる。地球軍も想像以上に手に追えないと研究を凍結させたのでしょうね」

 だから“プロメテウスの火”などと呼ばれているのかもしれない。
 アルカの所属は大学だ。大学という組織は、通常の技術組織とは性質が大きく違う。軍事組織も民間組織も、持つのは『技術』と『実績』。どちらもひとつのことを幾世代にも渡って積上げ続けたものを昇華している。
 ならば、大学は何を持つのか。
 『研究力』だ。机上の論理でしかないものや、根拠の無いものを愚直に追い続けることができる。企業において、『技術』と『実績』には多額の資金が投資されるが、『研究』に支払われる金額はそれらに比べるとはるかに少ない。そのかわり、大学には研修に対する支援がある。

「きっと、重力兵器の研究員として、携わったのだろうと。思います。……ほぼ、確実に」

 関わったそれが、“プロメテウスの火”なのかは分からないが。…否、“プロメテウスの火”なのだろう。
 見上げた空は夕刻のように青い。そう、火星では昼の空は赤く、朝や夕方には青々と冷えたように澄んだ青に移り変わる。これから冷たい夜が来ると予告する深い色。
 この想定は確信だった。
 だがだからこそ。

「“プロメテウスの火”を消し去りたい。この気持ちも本物なんです」

 だが、ひとつ言えることは。この事件を機に、わたしは復讐の歯車を回し始めた。そしてきっと、走り切った。
 記憶を取り戻した時、果たして同じように思えるだろうか。正直アルカには自信がなかった。自分がどうなるかどんな感情で動き出すのか想像もつかない。
 アルカは僅かに息を吸った。心拍数が上がっていた。

「……だから。“プロメテウスの火”を消し去りたいのなら…もうひとつお願いがあります」

 だからこれは、保険だった。