その名前は



「こんなに勢いよくぶつかって本当にすみません!あ、俺、ニック・ジョーンズって言うんですうが、あんたは?」
「え?あ、ジョ…ジョセフ・マーティだ」
「わかった、ジョセフさんな!いつかお詫びするから!」
「おう、気をつけなよ、兄ちゃん」
「ああ、急いでいて…。ありがとう」

 ニックは思わず頬が引き攣りそうになるのを堪え、駆け足でその場を離脱した。
 本当にいた。ニックは相手から姿が見えないところに移動すると、電伝虫で連絡を入れた。それから、先の男を見やる。すでにこちらから背を向けて歩き出していた。釣れたのなら、やることはひとつだ。


 釣れたらしい。報告を受けたサボは上着を羽織ると帽子を手にとった。
 同じようにコアラも帽子を被ったところだった。

「思ったより早かったな」
「どうやって探し出したの?」
「自己紹介させた」
「自己紹介?」
「エミュレイが出した名前の一覧、覚えてるか?」
「覚えてるよ。結構変わった名前…あ」

 思い至ったコアラは「あーー」とすこし悔しそうだった。

「もしかしてとは思ってたんだけど」
「それとなくアルカに聞いたんだ。これって名前だよなって」

 アルカのいたところでは、名前・苗字の順番で名乗るようだった。だが、サボらの常識では苗字・名前の順が一般的だ。だからぶつかって心底ありがたがって名前・苗字の順で名乗り、相手の名前も咄嗟に引き出す。偽名だろうが関係ない。問題は名乗りの順番だ。

「相手の名前は?」
「ジョセフ・マーティ。咄嗟にそう名乗ったらしい。本名かどうかはわかんねえけど、名前が先に来てるから、可能性がある」



 めちゃくちゃ当たりじゃん。ニックは小さくぼやいた。男を追跡してきてみれば、森の奥深くの洞窟にたどり着いた。
 見た目はただの洞窟だが、なかをのぞけば異様な光景が広がっていた。チラチラと光が線を描いて奥へと断続的に走っている。どう見ても人工物だった。奥へ進めば、一度外に出て建物も見つけたが警備が厳重なので今は諦めて洞窟をさらに進んだ。

「なんだ…ここ」

 ぼんやりと呟いた。光の線が明らかに多い。進めば進むほどに増えていく。ふと、広い空洞にたどり着いた。本来は光のない暗闇のはずだが、粗末ながら照明が取り付けられ、その下に大掛かりな機械らしきものがいくつも置かれていた。

「おい」

 後ろから声をかけられて、大きく肩を跳ねさせた。ばっと振り返ると、白衣の男が立っていた。右手にポット、左手にマグカップを携えていた。その体型、出で立ち、気配。見るからに非戦闘員だったので、ニックは攻撃するべきかどうかとても迷った。
 我関せずな顔をした男はくるくるとした焦げ茶の髪をしていて、しばらく切っていないのか後ろで乱雑に括っている。白衣は身綺麗だが、その下のワイシャツとスラックスはよれている。グルグルメガネが似合いそうな出で立ちだが、残念なことにメガネはしていなかった。身長は高いとは言えない。特別低いわけではないので平均ではあると思われたが、何分周囲が大きい輩が多いので小さく見えた。

「悪いがここは立ち入り禁止なんだ。見張りに見つかる前に消えた方が賢明だと思うぞ」
「えっ」

 まさかそんな助言が飛んでくるとは思っておらず、思わず男を凝視した。

「ええと。ちょっと見学したら出ます…」
「あっそ」

 マグカップにコーヒーを注ぎ込んだ男は、そのまま近くの机に座ってパソコンに向き合いはじめた。コーヒーを啜りながらパソコンをいじると、近くの機械がぴろぴろと一斉に音を立てはじめた。ぎょっとして見ていると、男から「触るなよ」と冷たい声が飛んでくる。

「これなに?…ですか」
「演算機」
「演算機…?」

 なぜそんなものがここにあるのだろうか。そう思いつつ室内を見聞していると、男がじとりとニックを見ているのがわかった。

「邪魔なんだけど…」
「やー、ほら、おれも仕事でさ〜」

 そう言われると何も言えないのか、それとも興味がないのか、男は黙ってパソコンに向き合いなおした。
 ブゥウンと音がして見てみれば、男の周りにホログラムが立ち上がって、沢山の情報が次々に打ち出されていく。男は指でそれを動かしつつ、パソコンと見比べたり入力をしたりを繰り返している。それを見たニックはわかりやすく目を見開いた。

《エラー。シークエンス5。コード0316分岐1》

 機械的な女性の声がした。正直に言って、驚いた。このシステム、技術は、エミュレイと同じものではないのか。何より──

「そのっ…声!!」

 ニックは弾かれたように駆け出した。男の机に身を乗り出して迫ろうとした時、卓上の写真に気がついた。ニックは心臓が飛び出るかと思うほどに驚いた。こんなところに、彼女の痕跡があった。
 女性が1人と子供がふたり、元気よくピースしてカメラに向かって笑顔を振りまいている。その写真に写っているのは、間違いなくアルカだった。

「あんた!アルカって名前のっ…あ゛〜〜〜〜!!」

 “アルカ”とは、あくまで記憶喪失の女の仮称だ。本名しか知らぬはずのこの男に言って通じる訳もなかった。

「アルカ…何?」
「名前っ!あんたの名前を教えてくれ!」

 男が盛大に顔を顰めた。ニックを嫌そうに見て、またパソコンに向き合った。

「おい!!」
「侵入者に教えるわけないだろ…」

 コーヒーを啜る男が冷たく言い放ったその背後で、ガチャリと無機質な扉が開いた。「ジャンくーん」と能天気な女性の声がする。
 入ってきたのはひとりの女性で、どこかのジェルマを思い出すようなスーツに身を包んでいる。

「えっ誰?」
「侵入者」

 えっこんな簡単におれ売られるの?
 迷わずニックを通告した男──ジャン──に、思わず目が飛び出たニック。正直庇ってもらえるんじゃないかと思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。
 女が「ふぅん」と呟いた瞬間にかき消え、ジャンのすぐ横に蹴りを繰り出しながら現れた。美しい曲線を描く女の尻が頬のすぐ横にきたジャンはというと、またも盛大に顔をしかめていた。この男の精神、かなり太い。

「ここで暴れないでくれる」
「だって侵入者なんでしょう?ちゃんと懲らしめないと」

 女の蹴りを間一髪避けたニックは机から距離をとった。出口は女が入ってきた通用口と、自分が入ってきた洞窟の穴。
 女が仲間を呼んだ様子がない。ここはあまり人を呼び寄せられないところなのかもしれない。どうしようかと頭を捻らせているうち、女が銃を取り出して撃ってきた。一発目は顔の中央が狙われた。だからこそ避けやすく、頭をずらしたが、ずらした先にも弾が飛んできていたので慌てて身を捩って銃弾を避けた。
 早い上に正確。先ほどの蹴りといい、手だれである。ニックも戦闘員だが、正直この女とは実力は五分五分といったところだと目算をつけた。仲間を呼ばれるとまずい。

「ちょっと遊んじゃおーっと」
「おい!ここは…」
「機械破壊しなきゃいいんでしょー」

 グッと女が距離を詰めてきた。ニックも対処するが、女がはちゃめちゃに早い。
 ニックと女が戦闘する横で、ジャンは心底面倒くさそうなため息をつきながらそこを離れる準備をしていた。これが面倒だったからアレを追い返そうとしたのに。
 どすんと音がして、みやれば女がニックを壁に埋め込んでいた。女がにんまりと笑って銃口を突きつけようとした瞬間、逆に女がぶっ飛ばされた。機械に瓦礫が当たって男はキレそうになっていた。
 一方のニックはというと、この場を離脱することに決めた。だが、あのジャンと呼ばれた男をほっぽり出したくはなかった。正確には、この男とアルカの繋がりを確認しておきたかった。垂れ流した鼻血を乱雑に拭くと、黙々と片付ける男に怒鳴った。

「特徴…特徴がない!肩下までの直毛の髪の女で、記憶が無いんだ!!」

 なにを言っているのか分からないのか、ちらりとニックを見遣りはしたが直ぐに作業に戻った。銃弾が飛んできて、それを避けながら叫んだ。

「エミュレイっていう人工知能をつれてる!!!」

 そこではじめて、男の手の動きが止まった。顔を上げた男は、ぽかんとしてニックを見た。
 銃声が苛烈になった。どうやら女はニックにあまり喋らせたくないようだった。懸命にそれを避けていると、男がふと女に目を向けた。

「おい、スレイ」

 ぴたりと銃声がやむ。ニックはどうやら演算機の近くに来ていたようだった。男はおそらく、それを止めだけにすぎない。どうやら演算機が大切なのは一緒なのか、女はあまり下手に近寄ってこない。スレイ、サボから聞いたことのある名前だった。
 その時のことを思い起こしつつも、今なら逃げられるかもしれないと算段を付ける。ただし、それもつかの間、銃声を聞いたのかバタバタと扉から数名の男が入ってきたので捕まるしかなさそうだとニックは両手を上げて降参の姿勢をとった。
 拘束を受けながら、ちらりと男を見る。

「なぁ、ジャンとやら」

 しゃべるな!と兵士がニックの後頭部を殴った。しかし正直あまり痛くはない。だからニックは懲りずに男を見て続けた。

「名前は?」

 無事に船へ帰れたら、アルカに教えてあげれれば、なにか思い出すかもしれない。そう思っての事だった。
 ムッとした様に女──スレイと呼ばれていた──が間に割り込んできたが、ニックはその肩越しに男をみやった。男が小さく口を開いた。



『この一覧の名前には全て目を通しておいてくれ。その上で、必ず覚えておいて欲しい名前は3つ』

 そう言ってサボは指を立てた。

『1人目、スレイ』

 目の前にいる女が、そう呼ばれている。ルンルンと接触した可能性のある女だと聞いている。事実、おそらく、そうなのだろう。その証左に、女はテキパキと兵士に指示をとばしていた。

『2人目、レイセット・カリュウステ』

 これにはまだ当たっていない。博士と聞く。

『3人目、』

 そう言ってサボが口を開いた名は。

「──ジャニッパー・マイエロン」

 ぽつりとこぼすように呟かれた名に、ニックは唖然とした。せめて、彼女の記憶の手がかりになる名前ならいいと軽い気持ちだったのだ。それが、寄りにもよって重要参考人の名が飛び出すだなんて。