泥沼の花
東の空が僅かに翳った。それに気が付いたのは船番の1人で、双眼鏡で覗いてもその正体は杳として知れない。
《ミスモウク。イエローキャットを検知しました》
時を同じくして、エミュレイが警告した。調査に進展があったからとサボとコアラが船を発った約1時間後のことだった。
本から顔をあげて、エミュレイを見やった時、外から猛烈な足音がして勢いよくアルカのいる部屋の扉が開いた。そこにいたのは留守を任されたハックであった。
「逃げるぞ」
「えっ!?」
ぎょっとして身を固めたと同時に、大きな破壊音と振動が襲った。床が勢いよく傾き、アルカの足は浮いたように床から勢いよく離れていった。気が付けば重力に従ってほぼ真下に来た壁に身を投げ出されていた。
視界には宙に浮く情報端末機。間違ってもエミュレイを壊す訳にはいかない。それに手を伸ばしているうちに体にどっと重く鈍い衝撃がきた。壁にぶつかったかと思ったが、それにしては柔らかい。見れば、ハックに受け止められている。その手にはエミュレイも握られていた。
「失礼」
ハックが器用にアルカを抱え直すと、足軽に壁と家具を土台に扉まで登った。部屋はほぼ真横に傾いたまま戻らない。ハックは扉を蹴飛ばすと、その戸があったところに立った。廊下はほぼ垂直で、落ちるにも登るにも距離があった。
どうしましょう。そう言おうとしたとき、ハックはたっと戸口を蹴った。
「え゛」
正面の壁に体当たりするのかと思った。迫る壁に、声を上げる間もなく身を固めた。
ハックはというと、がっとその壁に足をつくと、そのまま垂直の廊下を猛烈な勢いで駆け上がった。
何も言うことができないでいたアルカは黙ってハックに身を任せ、せめてとその衣服をしっかりと掴んでバランスを取るに徹底した。
いや、言いたいことはたくさんあった。その運動能力ほんとうに人間???なんか前にも似たようなことを思った気がする。
いくつか角を曲がると、普通なら廊下が続いている場所に空が見えた。頂点にハックが足を乗せた時、そこは海面から遥か高い一角であった。風が強く叩きつけるように吹き、ぐるりと周囲が海に囲まれた錯覚を受けた。
足元へ目を向けると、遥か下方では複数台のミニボートが白い線を描きながら走っている。高い。まさか、と思う前にハックはそこからふわりと身を投げ出した。
「っ!…ッッ!!!」
もはや悲鳴も出ない。ほぼ白目でハックに捕まったままアルカは重力のまま落下した。どんどん落下速度が早くなっていることだけがよく分かる。
このまま水面に叩きつけられようものなら、全身粉砕骨折。そもそも体が原型を留めないだろう。木っ端微塵に液体蚊して文字通り海の藻屑だった。まさかこんな死に方するなんて。
いっそ気絶出来たら楽なのにと思って目を瞑っているうちに、いつくかの衝撃の後に落下感は消え失せた。
「アルカ。…アルカ。起きよ」
あやす様に背を叩かれ、恐る恐る目を開けた。そこは既にミニボートの上で、どうやってかそこに降り立ったようだった。
体は硬直して抱かれた時の姿勢のまま動けないし、なんなら掴んだ衣服を放したいのに手はガッチリと固まって放せない。動かし方を忘れたように指が動かなかった。かちんこちんに固まっていたから、兵士の1人が困ったようにあやされたのには情けなかった。
「アルカさん、大丈夫っすから、ね???」
「ぅ…ぁ……」
泣きそう。そう思っていると、エミュレイの無常な声が響いた。
《イエローキャット高速接近。20秒後に接敵します》
「は、…ぇ……」
「なんだ、すごいな、この機械」
「ぁ、えむ…え、みゅ…」
《機械ではありません人工知能です》
「それはすまない」
アルカがまともに言葉を話せていない。
逆にエミュレイは淡々としている。エミュレイにちょっと不本意な声色で言われてハックは驚いた。まるで感情があり、意思を持って動いているように見えた。
「して、イエローキャットとは?」
《探索モジュールです。隠れてる生物は瞬時に探し出す探査機です》
探知。何を探知しにきたのかと思った瞬間、ぶぉぉぉと大きな羽音を立てながら高速でなにかが飛んできた。おそるべき速さで崩れた船の上空にたどり着いたそれらは、しばらくそこで旋回した。まるで観察するような動きに、バックがすかさず「撃ち落とせ!」と叫んだ。
そのうちのいくつかが、アルカの頭上で円を描くように旋回した。
「……え?」
アルカの声は激しいブレードスラップ音にかき消された。
───カメラは、明らかにアルカを注視している。
妙にぞっとするものを感じた。次の瞬間、そのモジュールが次々と撃ち抜かれ、ピロピロと情けない音を立てながら海に落ちていく。
モジュールが半数ほどになった頃、不利を悟ったのか散り散りになって飛び去っていった。
《電波傍受。暗号解析失敗。リトライしますか?》
あぜんと探査機を見つめていたアルカは、驚いたようにエミュレイを見た。珍しく目をまんまるにしている。
「それってつまり…!」
《接続可能な電気信号を検知しました》
アルカが愕然とした。
「どういうことだ?」
「っ共通のネットワークがあります!つまり、わたしがいたところと同じ技術をもった人達がいます」
これは手がかりだ。そう思いながらイエローキャットを見るハックの裾を、ぐいっと強く手を引いた。
「どうし」
「追ってください!!!いま!すぐ!!!」
大声を張り上げたアルカは睨むようにハックを見た。
「あれの先にわたしの記憶に関するものがある!」
モジュールを指さし叫ぶアルカに、ハックはしばし迷った。アルカの言いたいことは分かる。
アルカの元いた場所にあった技術は、ハックらにとっては未知のものだ。そもそも、別惑星だか、未来から来た可能性すらある。本来なら目の当たりにするはずも無い技術。
それが今、目の前に現れた。そして姿を消そうとしている。おそらくではあるが、追えばアルカの──ひいては、“プロメテウスの火”に関与する情報を仕入れることができるだろう。
「(……だが)」
ハックは遠くなりつつある探査機に目を向けた。肉眼でやっと見えるほどに小さくなっていた。
散り散りに飛び去ったのは、拠点を特定されるのを防ぐため。──逆を言うと、探査機を制御しているもの達は比較的近くに、それこそこの島内にいる可能性が高い。
比較的追いやすそうなのは、陸を行くもの。追えない訳では無いが───そう。とても、罠のにおいがある。
ハックはやんわりとアルカの手からすり抜けると近くのボートに飛び移った。足の早い者と見聞色の強い者にひとまず追わせ、次いで別の者にアルカから目を離すなと言い付けた。
「え、アルカをですか?」
「彼女ひとりでも追いかけていってしまいそうな勢いだ。それに彼女は、記憶が戻った時に味方だとは限らないぞ」
情がないと言えば嘘だ。アルカと話す機会はすくなかったが、護衛対象だとは思っている。彼女には船の濾過器を直してもらった恩もあるし、その身の平穏を守ってやりたいとも思う。
だが、それは“アルカ”の話だ。“プロメテウスの火”の関係者としての彼女の人格を、思想を、知る者はこの船にはひとりとしていない。本人を含めて。他ならぬアルカですらそう言うのだ。
「我々だけではない、彼女のためにも、監視は怠るな」
とんでもない兵器を作った本人の可能性すらある。ならばハックらに出来るのは、これ以上彼女に、人殺しの道具を作らせないことであった。
今、この船にサボとコアラはいない。すこし前に新情報が出たと聞いて出かけている。どうやら“プロメテウスの火”の開発組織に接触出来そうだと言って。
そして船では、謎の探査機がけしかけられた。
「──……」
事態は進展・変化している。ハックらの見えないところで。それだけが確かだった。
「いました。革命軍です」
モニターを監視していた兵士のひとりがそう声を上げた。
「ミスモウク落とせ。船を真っ二つにしてやれ」
いくつものモニターが広い壁一面を埋めつくしていた。高い位置から見下ろすその映像。ひゅーんと気の抜けたような音とともに、レーザーを搭載した爆弾が落ちてゆく。
革命軍を無力化せよというのが、今回の任務であった。大型兵器は嗅ぎつけられるので使用は控えるべきだ。だが、逆を言えば、この星の技術の範囲内であれば彼らはしつこく追っては来ない。その範囲の兵器を投入して、彼らの調査を妨害することこそが使命であった。
「…アリが少ないな」
「出かけているんでしょう。ですが、拠点は恐らくこの船だけのようなので」
「…ま、叩けば弱体化はするか。イエローキャットで状況を確認しろ」
真っ二つになった船からは小型の船が何隻も飛び出してきて、周囲を慌ただしく旋回している。
モニターの画面はイエローキャットのものなのだが、近寄れば近寄るほどに点々と部分ごとに消えていく。カメラが撃ち落とされているようだった。
「幹部はいるか?」
「確認できていません」
いくつかのモニターが拡大表示された。拡大はされたが、どれも人の顔はよく見えない。海上を動き回るボートは早いし、そもそも距離があった。
「もっと近寄れんか」
「近寄ると確実に撃ち落としてきます。奴ら中々の射撃の腕前があるようで」
「……画像解析」
ちらりと専門員に目を向けると、心得ているとばかりに解析担当が「30秒ください」と返した。
「幹部を叩けば終わるが…」
居なかったらまた出直さなければならない。思いながらまだぼやけたカメラ映像を見つめた。間もなく解析が終わり、鮮明な拡大画像が画面の一部に大きく出来た。こちらはひとりひとりの顔が鮮明だった。
リアルタイムの映像ではなく、多角的に撮った写真である。それらしき人物をさがしていたが、不意に目につくものがあって思わず身を乗り出した。
「おい、とめろ!…すこし左に戻れ」
そう命じると言われた通り、視点が戻る。ミニボートの上にぽつりと立つその人影。見たことがあった。同じように気が付いた兵士が何名か居たようで、指令室ではかすかなざわめきがおきた。
「……おいおい。嘘だろう」
───疑似質量技術の母。
軍人から学生まで、重力学の領域を修める者、兵器やその開発に携わっている者ならば、名前くらいなら誰でも知っている。その分野ではおそろしく有名な女で、地球じゃ悪魔のようにその名が嫌われたものだ。
イエローキャットを近寄らせ、いくつかの角度から映された女を更に拡大してその姿を間違いないとばかりに確認した男は、手で顔を覆い「ははっ」と笑いを漏らした。
「───生きていたのか」
指の隙間から見える目は、煌々と輝きを見せていた。
なるほど、スレイがジャニッパー・マイエロン博士の監視を異様なまでに強めたわけだ。博士が彼女の生存を知ると、どう出るか検討もつかない。火星自由軍は、かつてあの男に一度してやられているのだ。同じ轍は踏むまい。
「司令?どうされました?」
「とんでもないものを見つけたぞ。攻撃は中止だ」
兵士が困惑した。
「しかし、スレイ長官が」
「かまうな。あれは我欲の塊だ。国益を思えばこれは絶対に死なせてはならない」
司令は睨むように画面の女を見つめた。
戦争を変えた女。アリスタルコスの傑物。悪婚の仲人。通り名だけでも片手で足りないほどにある。彼女の実績は全宇宙が看過することの出来ないとんでもないものであったから。彼女の台頭で、戦争が血の泥沼を生み出したことは、記憶に新しい。
「この女を確保しろ。戦争と発展の女神だ…!!!」