同じいまを生きるなら
宿屋の狭い個室で、ベッドに腰掛けたアルカはエミュレイと向き合っていた。
「軍で使用されてるって言ってたよね?」
《はい。より正確には、火星自由軍で使用されるモジュールでした》
またたいそうなものが出てきたな。
アルカは困ったような気持ちになりながらエミュレイで情報を展開していく。サボが迎えに来る手筈になっていることは聞いたが、それまでにわかる範囲の情報を集めておきたいと思った。
ネットはあいかわらずオフラインで、エミュレイの中にはあくまで簡単な辞書レベルのことしか情報がない。取れる情報は大枠でしかなく、概要すらない。
この時代のことを調べるにも、宇宙進出以前のデータなぞエミュレイのなかになないにひとしい。
《接続にリトライしますか?》
「……。いや、しない」
一瞬だけ考えたが、何度やってもやぶれないだろう。相手が軍事組織ならなおさらだ。セキュリティにかけているシステムの規模がちがう。やぶるならこちらにも相応の装備がいる。
アルカは”プロメテウスの火”の開発者に関与していて、火星の出身だ。そしてこの島には、火星自由軍の装備の出現。
自分が無関係だとは、到底思えない。
両手を重ねてぎゅっと握る。気持ちが妙に落ち着かない。
“プロメテウスの火”を消し去りたい。兵器と聞くだけで嫌気がする。この気持ちは本当なのに、記憶にない過去の自分はそれとは正反対の行動ばかりをとる。
《怖いのですか?》
エミュレイがそうきいてきたので、ふとアルカは顔をあげた。
──怖い、か。
そうかもしれない。アルカは苦い気持ちで脱力した。
「自分の過去が、近づいてきている気がして」
戦争の影も、兵器やその開発も、自分の過去に見え隠れする復讐の心も。
自分の黒いものが、一歩一歩確実に近づいてきている。忘れるなと言わんばかりだ。
「……記憶、とりもどしたいはずだったんだけどな」
重い息を吐いて、天井を見上げる。視界の端には、心配しているのか、エミュレイが淡い光を発しながらゆらゆらと揺れている。
「思い出すもの全部が、いやなものばかりで…」
記憶をひとつ取り戻すたびにうまく笑えなくなってきている気がする。
せっかくなら、楽しい記憶を思い出したいのに。ちっともそんな記憶は出てきてくれない。
「正直、もう思い出したくないよ。…でも、だからこそ思い出さねばならいとも思う」
本当に、自分が開発に関わっているのなら、
「忘れちゃいけない。その記憶を、抱える責任があると思う」
エミュレイはしばらく沈黙していたが、不意に情報中枢をうねらせた。なにか、考えるような仕草に見えた。
《“無知は罪なり、知は空虚なり”》
「え?」
聞こえた言葉に、アルカはきょとりと目を瞬かせた。
《あなたが以前よく言っていました。あなたは無知の恐ろしさも、知恵による残酷さもよく知っています。 けれど決して、それを悲観していませんでした》
言葉を失ったように沈黙したアルカは、ただぼうぜんとエミュレイを見ていた。
頑なに個人情報を出さなかったエミュレイが、断片的とはいえ情報を開示した。ある程度、アルカの感情に合わせた情報規制コントロールがあるのかもしれないと場違いなことを考えた。
「無知は罪、知は空虚……」
《古い格言です。無知も知恵もただ在るだけが罪ならば、勇気と行動こそが正しいのだと。あなたはこれを己に刻んで、日々を過ごしていました》
「……わたしが?」
《ええ。ですから、どうか、その記憶を拒絶しないでください。どれもあなたにとって、大切なもののはずです》
アルカの状態に応じて出す情報を変える。高度な制御が行われている。──そしてだからこそ、きっと悪い記憶ばかりではないのではないかと、ほんのすこしだけ思えた。このAIは、どこまでもアルカに対して誠実で、献身的だ。そんな彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
口元がわずかに緩んだ。
「ねえエミュレイ」
《はい》
「わたしって家族はいたの?」
《前回お答えした以上のことは開示できません。あなたは亡命してきた戦争孤児でしたから》
戦争孤児だった、ね。
ほんのすこし気分が明るくなった。今なら、軍事組織の兵器を運用する組織──SRAYの一派にも、ちゃんと向き合えそうな気がする。
コンコンとノックの音がした。ハックだろうか。アルカは顔を上げた。
返事をしようと口を開いたが、その前に勝手にドアが開く。その瞬間に、アルカはドアの向こうにいるのはハックではないなと悟った。ハックなら、緊急時以外は必ず返事を待ってくれていただろう。
わずかに警戒して肩を怒らせたアルカだが、ドアの向こうから顔を出した青いコートの男に、肩の力をわずかに抜いた。
「サボ。女性の部屋だぞ。返事は待て」
「いーだろ、別に着替えてる気配もなかったし」
「そういう問題ではないぞ」
「小姑か」
ハックのありがたいお小言を受けたサボはすこし嫌そうに顔をしかめていた。しかし彼はアルカの顔を見ると、きょとんと顔から力を抜いてみせた。
その直前まで、怖い顔をしていただけにその差異がすこしおもしろい。黙って見ていると、サボは「…なんかあった?」といぶかしげに聞いてきた。
「襲撃されましたけど」
「いやそうじゃなくて。…なんか、スッキリした顔してる」
思わず頬を触った。スッキリした顔。
きっとエミュレイのおかげだ。そう思ってエミュレイに視線を向け、エヘヘとだらしなく笑った。
「エミュレイセラピーを受けてたので、それでですかね」
「なにそれ?そんな機能まであんの?」
「そう作られてるんですよ、きっと」
「そうなの?」
「彼のことだから、きっとそ……う、で……」
はたと額をおさえた。
この、今思い浮かべたものを、決して逃がしたくはなかった。
いま、何を言おうとしたのか。アルカはいま、確かに誰かを明確に思い浮かべていた。
一瞬、沈黙がおりた。
「……彼…」
──『彼』って、誰?
強烈なデジャヴを感じた。
同じことを、以前にも思った。同じものをきっと思い浮かべた。
兵器でも、争いの記憶でもない、誰かの記憶。そしてきっと、大切な記憶。
それを黙って見ていたサボが、小さく口を開いた。
「──ジャニッパー・マイエロン」
その名を聞いてはっと顔を上げる。心臓がどく、どくと大きく鳴りはじめる。まるで軋むようだった。
「……、ジャニ、ッパー…?」
サボはじっとアルカを見つめている。何を考えているか分かりづらい三白眼が、観察するようにアルカを射抜いていた。
「その、名前は…」
「重要参考人の名前だよ。 アルカが呼んだんだ、前に倒れた時に、月を見ながら」
「月……」
ならば、月で知り合った誰かだろうか。しかし顔もその存在も思い出すにはいたらない。どうにもその輪郭がつかめない。
視線を床に向ける。いつの間にか荒くなっていた呼吸は元に戻りはじめていて、脳の熱さも焦燥感も落ち着きを取り戻しはじめていた。
サボが諦めたように腕を組んで壁に背を預けた。は、と小さく息を吐いたのが聞こえた。
「……エミュレイと何を話してた?」
思い出そうとするのはあきらめて、ちらりとエミュレイに目を向けた。記憶の引き出しはストンとしまって開く気配がなくなった。
「……わたしの体調や状況によって、出す情報が変化するようで…そのことですこし話を」
「……状況?」
サボがよく分からないと言いたげに首を傾げた。
「たとえば、平時ではエミュレイのセキュリティはかたくロックされています。ところが、わたしの体調が悪くなっていたりすると、必要に応じて、本来は開示されるはずの無い情報を開示することがあるということです。ほら、たとえば、わたしが倒れていたら、助けに来たひとに家族の連絡先を教える…とか。普通はそんな情報開示、行わないんですけど、緊急なら教えるでしょう?」
「なるほどな…?え、じゃあなにか聞けたのか?」
「いえ、特別な情報はなにも…」
エミュレイは相変わらずそこに佇んでいるだけだった。
「すこし前の、わたしの様子を教えてくれただけです」
「すこし前?」
アルカは苦笑いしながら頭をかいた。
「“無知は罪なり、知は空虚なり”。わたしがよく言っていたそうです」
サボがエミュレイに目を向けた。
「どういう意味?」
《ものを知らないということは、知らず知らずのうちに人を傷付け、罪を犯すことになります。しかしだからといって、知恵があるだけでも何の役にもたちはしない。……という意味です。だからこそ人は勇気と行動を問われるのだと古代の偉人が語った言葉の一節です》
ふうんとサボが興味ありげにあごをさすった。
「知らないは罪、知恵を持つだけでも無意味、ならば行動あるのみ、と」
サボがアルカに目を向ける。
「で、その言葉をきいてスッキリしたらしいアルカは、どうしたいんだ?」
どうしたい、か。記憶を失ってからというもの、幾度と問いかけられた言葉だ。
記憶がないから、自分の動向を決めうるあらゆるものがアルカにはない。
あるのは感情と、垣間見える事実だけ。嫌な事実ばかりだが、自分が行動を起こそうが起こすまいが見えるものは変わらない。
「……サボさんは、わたしを隠せと言いましたね」
「言ったな。これからお前を護送するつもりだけど」
「……」
そして、サボらはこれから独自にあの機械たちを追うのだろう。
「……わたしを使えば、SRAYの一派をおびき出せるかもしれません」
サボが片眉を動かした。続きを聞こうとしてるのか口を開くことはない。
「わたしを発見したら、きっと向こうはわたしを確保するか、殺すかをする」
「まぁ、想像はつく」
「つまり、実働部隊が出てきます。ルンルンを殺害したのだって、スナイパーライフルでした。ならば狙撃手がどこかにいたはずで、同じような部隊がきっと姿を現す」
───わたしという存在の始末を付けに、誰かがやってくるはずだ。
火星自由軍のモジュール…イエローキャットは、あのとき、間違いなくアルカを注視した。それは、イエローキャットの向こう側の人間がアルカに注目したからにほかならない。
ならば、だ。
アルカは胸に手を当てた。
「いま、わたしを使う以上に有効な餌はないと思いませんか?」