03


ひえええ、と声をあげたのは五虎退だった。目に涙を貯めて縁側を駆け抜け、時折──否、頻りに背後を気にしている。その背後には強気に笑う乱藤四郎が大きなお皿を掲げて五虎退を追い掛けてきていた。どたどたと騒がしく走り去る2人を遠目に見付けた歌仙が、息を吐いてそちらに足を向けた。今度は何に追い立てられているんだ五虎退。そう呟かずにはいられなかった。
本丸の造りは単純だが、何分広いので相手を見失えば探すのに苦労する。普通なら放置するのだが、乱が皿を持っていたことは気になる。歌仙は早足で乱と五虎退が消えた方へ向かう。角の先から何やら言い合う声がするので、そこで五虎退が捕まっているようだ。ため息をつきながら歌仙は角を曲がり──

「…な、なっ…!」
「げ、ミヤビ…」

一度言葉を失ったが、それも一瞬。次の瞬間には般若が出来上がっていた。

「乱っ!!」
「あー!もー!!うるさーい!」

怒った歌仙と、面倒がる乱。それまで乱と対峙していた五虎退が素早い動きで歌仙の後ろに避難した。逃げたな、と言いたい気持ちは抑えた。でないとまた歌仙から叱責が飛ぶ。

「なんだそれは!!!」

どっちにしろ飛んできた叱責が乱の気分を下げる。
乱が抱えていたのは大きな木製の皿だ。そのうえにでん、と乗る土黄色のブヨブヨしたコラーゲンの塊のような何か。雰囲気的には魚だが、どう見ても食べられるものではない。一体どこでこれを拾ってきたのか。そしてそれを皿の上に乗せる乱の精神や如何に。

「さっさと捨ててこい!」
「えー!?でもこれ食材でしょー」

不満げにする乱に、どこがだ!と叫びたい気持ちを抑え、歌仙はどういうことだと声を低くして問いかけた。すると乱がコテリと首をかしげて一言。

「冷蔵庫にあったんだよ、これ」
「誰だこんなものを入れたのは!!!!鶴丸国永か!!!!」
「えー。そんな雰囲気なかったけどなあ」

乱の言葉にたちまち怒りをあらわにした歌仙に、乱は不思議に思いながら冷蔵庫の様子を思い浮かべる。今乱が持っているものには乗っていないが、これにはもともと、丁寧な梱包と添えられた松葉があった。見た目のグロテスクさが一層際立つようでもあったが、どう見ても贈呈品だと思った。
…まあ、たくさんあったし、見た目が見た目だったのと、食べたくないと思ったので一匹くらい、と持ち出したのだが。

さっさとそれを捨ててこい、と歌仙に言われた乱だが、やはり贈呈品のようなこの魚を捨てるのは気が引ける。はーい、と返事をしつつも、乱は解せぬ気持ちで皿の魚を見つめた。さて、どうしよう、この魚。冷蔵庫に戻すのが一番良いのは分かるのだが、歌仙が嫌がる。うーん、と唸っていれば、いつの間にやら目の前に、顔を真っ青にした今剣が立っていた。



空のグラスコップを片手に、蛍丸はぽかんとした。

「え、なにこれ」

台所に麦茶を取りに来た蛍丸が見たのは、冷蔵庫にぎゅうぎゅうに詰め込まれた、幾つもの発泡スチロールの箱だった。今しがた畑仕事を終わらせたところだった。日に当てられて火照った体を冷やす麦茶のなんとおいしいことか。そんなひと時の安らぎを求めて、空のコップを片手に冷蔵庫を開けた蛍丸だったが、開けた冷蔵庫に麦茶の入れ物がなかった。代わりのように発泡スチロール群が冷蔵庫を占拠していた。
よくよく探せば麦茶の入れ物が奥の方に見えたが、まず箱をどかさないといけない場所にある。面倒だなあ、と思いながらも、乾いたのどを潤すにはこの箱たちをどうにかせねばなるまい。しぶしぶコップを水屋に戻すと、蛍丸はその箱をどけようと手を伸ばす。

「ったくもー。なんなのこれー」

こうも冷蔵庫を占拠されたんじゃたまったもんじゃない。蛍丸は箱を一つとり、机の上にやや乱暴に置いた。やっとこさとれた麦茶にふうと息を吐き、コップにお茶を注いだ。椅子に座ってのんびりと体を覚ましていたが、不意にはこの中身が気になった。
揺らして見ればざらざらと音がなり、どうやら中身は氷のようである。

「んー?…っひ!?」

なま物かな?とパカリと蓋を開けてみて、蛍丸は身を硬直させた。

「ちょ、え、なにっ」

松葉が添えられたその魚は小さな鰭と尾に反してやたらと頭が大きく、その口の大きさときたら可愛げのかけらもない。鋭い牙がむき出しで、そのどう猛さが窺い知れるようだった。

「なにこれぇえっ!!!!」

ヒィイイッと後ずさった蛍丸はハッとして冷蔵庫を見やる。ちょっと待て、まさか冷蔵庫のあのはこの中身、全てこの怪物じみた魚じゃなかろうな!?
勢いに任せて冷蔵庫を開け放ち、中の発泡スチロールを次々と机やシンク、椅子の上に置いては開けるを繰り返す。開けてみれば、そこに現れるのは当然のように可愛くない魚、魚、魚。

「……これ、まさか晩御飯…」

愕然と魚を見る蛍丸の背後。その入口からドタドタと猛スピードで駆けてくる足音があった。だん、と勝手口が開かれて、そこには血相を変えた今剣が立っていた。

「え、今剣…?」

今剣は一瞬は蛍丸を見てきょとんとした表情を作ったものの、蛍丸の周囲に目を配って、そしてやはり顔を蒼くさせた。あれ、何か知ってる顔だこれ。そう思って今剣を呼んでみたが、反応はなかった。完全に彼一人の世界にいる。

「な…な、なまっ」
「生?これ何か知ってるの?」
「なまずおぉおおおお!!!」

鯰尾の名前を叫んで走り去った。

「えっちょっと今剣!?」

思わず勝手口まで駆け寄って外を覗いたが、そこには既に今剣は見えなかった。どこからか微かに声と足音はしたが、流石に追う気にもなれなかった。出した魚も片付けねばならない。

「えー、なんなの…」

完全に無視された蛍丸は少々ムッとしつつも、とりあえず魚に蓋をしていく。この調子だと今日の晩御飯は魚料理だろう。それも、この魚を使った。このままの姿で出てくるとは考えにくいが、原形を見てしまったので、どうにも今日の晩御飯には参加したくなくなった。どうしたものか、と発泡スチロールを冷蔵庫に戻していけば、晩御飯当番の燭台切が顔を出した。その後ろには、今日は当番ではないはずの薬研もいる。

「お、畑仕事ご苦労さん」
「暑かったー。燭台切ともかく、薬研も晩御飯つくるのー?」

不思議に思って首を傾げてみれば、察したらしい燭台切が笑って冷蔵庫を指さす。

「ああ、今日は高級魚がきたからね、気合を入れて作ろうかと」
「てなわねで、今日は俺っちも腕を振るうぜ」
「へー。……え?」

高級“魚”?
まさか、と背中を冷や汗が垂れる。あのグロテスクな凶暴そうなアレがまさか高級品だなんて、そんなことを言うんじゃなかろうな。
思いながら蛍丸はハラハラと2人の行動を観察することとする。睨みつける勢いの蛍丸に疑問符を浮かべつつ、蛍丸の前を通り過ぎる2人。燭台切が冷蔵庫を開け、中からあの発泡スチロールの箱を一つ取り出した。その顔は楽しそうだ。やっぱりィイイ!?と内心で頭を抱える蛍丸。それを余所に、燭台切はパカリと蓋を開けて中をのぞき見た。同じように、薬研ものぞき込んだ。

「これが鮟鱇?」
「うん。味は淡白だから、あまり好き嫌いしないと思うし」
「問題は和泉守の旦那だな」
「言わなきゃ食べるでしょ」
「そらそうか」

あんこう、と蛍丸は口中で呟く。アンコウと聞いて出てくるのは、あの提灯を頭からぶら下げた獰猛な……あれか!!あれがこの魚なのか!!そう言えば食べられるって聞いたことあるけども!!!まさか本当に食べる日が来るとは思わなかった。あと、それ俺も知らなきゃ食べてたんだろうな、とひとりごちる。二人の言を信用するなら、本当に美味しいのだろう。姿を見ていなければ食べていたんだろうな、と遠い目をする蛍丸。しかし、残念ながら蛍丸はこの鮟鱇の姿をその目でしかと見てしまった。今日の夕飯はちょっと食べ方を考えよう。副菜メインで食べよう。

「強そうでいいね」
「その感想はどうなの」

しみじみと鮟鱇を見て呟いた薬研に、思わずそう言えば薬研は楽しげに蛍丸を振り返った。

「なんだ、中身見たのか。でも、旨いんだろ。な、燭台切の旦那」
「癖がないからね。一般的にはおいしいって言う人が多いよ」

今日は鍋と唐揚げにしようか。じゃあ油の準備をしておく。そう淡々と料理の準備をする2人に、蛍丸はもう何も言えなかった。台所から広間の方に上がって、静かに襖を閉めた。
…今日の晩御飯、本当にどうしよう。

 
モドル
手を