更け待ち月


──アンタ死にたいのか!!!

薬研の怒鳴り声が聞こえた気がして、丹色は苦笑する。
両手に持った刀は、重い。白い鞘は名前の通り、美しい。刀身も気にはなったが、抜く気にはなれなかった。
代わりにというか、今しがた鍛刀部屋を出ようとしていた歌仙に、手元の刀を見ながら軽い声をかけた。

「ミヤビミヤビ」
「なんだい?」
「倒れたらごめんね」
「は?──ちょっと待て、まさ…」

歌仙が駆け寄って来るよりも早く、丹色は意識を集中して目を閉じた。混ざりあう神気と霊気には良くも悪くも全身が粟立つような感覚になる。
パアンと澄んだ音を立てて、鍛刀部屋に一瞬だけ光が満ちた。その光の中で、誰かがすっと丹色の手から刀を引き取った感覚がする。
『顕現の儀』といい、式神に鍛刀させた刀を依代として付喪神を喚び起こす儀式である。
鍛刀した刀の使い道は三通りある。刀解して資材に戻すか、すでにいる刀剣たちの強化のために錬結するか、顕現させるか、だ。丹色は健康上の問題であまり顕現を行わないが、今回顕現を行ってみたのは試験的な要素もあった。これで問題がなければ、丹色の今後には何の問題もない。

「──…」

目を開けば、白い男と目が合った。実際には、丹色は面布を付けているのではっきり合ったわけではないが、鶴丸国永は丹色を見ているし、丹色は鶴丸国永を見ている。
目が合うなり、彼はにっと笑う。

「よっ」

歴史の中で指折りの名刀なのに、性格は気さく。茶目っ気の多い爺とも揶揄される。噂には聞いていたが、想像以上に軽い挨拶に、思わず笑いそうになるのを耐えた。どんなに気さくでも、彼は付喪神と言われる神で、しかもその中でも、特に神格の高い刀の一口である。自分が主とはいえ、礼節を欠くことは許されない。

「鶴丸国永だ。俺みたいなのが突然来て驚いたか?」

驚いた驚いた。まさかオール350であなたが来るとは露にも思いませんでしたよ。内心のその言葉は口には出さずに頷いておいた。

「よろしくお願いいたします、鶴丸国永。本丸一同、心より歓迎いたします」

言えば鶴丸国永はキョンとした。その表情が気にならなかったわけではないが、歌仙の非難の視線が痛いのでさっさと鶴丸国永は彼に任せることにした。少し体は辛かったが、問題はない。丹色は立ち上がると、歌仙に向く。

「彼のことを、よろしくお願いします」
「…ああ。わかった」

その顔は、明らかに不満だらけであった。安心させようと、口元に笑みを受けべておく。

「体に問題はありません。大丈夫ですよ」
「……そうかい」

たっぷりと間をあけた後、歌仙は頷いて丹色の横を通り過ぎて鶴丸国永へと歩み寄った。対して丹色は逃げるように鍛刀部屋を出た。
これが、1週間と少し前の話。





月の出が少し遅かった。満月には程遠い、まだ欠けた形の月だが暗い本丸の庭を照らすには十分な光度を保っていた。
しんと静まり返った本丸は、一部の刀剣男士以外はすでに寝付いた様子で、物音ひとつしない。人が動けば大きな音となって響く。そんな時間帯であった。
ざわりと布団が動く音がして、薬研はうっすらと目を開ける。音の正体は乱のようで、ひっそりと布団を抜け出したようだった。
普段なら気にもとめないのだが、日にちが日にちだった。薬研は眠気を振り払って、まだぎこちない身体を持ち上げた。

「やげん…」
「いい、ねててくれ…」
「おー…」

同じく目を覚ましたらしい厚が眠気だらけの声をかけてきた。自分も行くべきかと。断りを入れると薬研はのそのそと部屋を歩み出た。薬研が寝室を出る頃には、室内にはまた寝息が響いていた。音もなく襖を閉じると、薬研は辺りを見渡す。
完全消灯された本丸は真っ暗で、楕円形の月が本丸を薄らと照らし出し出していた。そこには人の気配が一つもない。雨が降る予定がなかったので、縁側の雨戸は閉められておらず、月明かりが真っ直ぐに入り込んでいた。夜目の利く薬研にはとても明るい。
少し離れた居間から灯りが漏れていたが、それは不寝番の者がいるからだろう。薬研は視線をそらして、明かりの灯る部屋からは逸れた廊下を進む。
短刀の軽い体重では、気をつけておけば床はキシリとも音はしない。闇の中を慣れた様子で突き進み、やがて出たのは本丸で最も大きな庭だ。木々に阻まれて見えないが、審神者の離家にも繋がる庭である。やはり人の気配は、ない。

「ったく、どこ行ったんだ…」

すっかり目は冴えて、薬研は腰に手を当てて息を吐いた。また部屋に戻る気にもなれず、その場で立ち竦んだ。
ふと目を向けて見つめるのは審神者の離家がある方角だった。

「明日でタイムリミットだぞー、たーいしょー」

夜も更けた頃なので大声は上げられないので、ひっそりと離家に向かって声をかけてみる。返答などある訳もなく、声は虫の音一つしない庭に消えただけであった。またため息を吐きそうになるのを耐えて、薬研は庭から目をそらすように空へ向ける。

「やーげーんー」

ふと近くから乱の声がして、そちらに顔を向けてみれば、鼻先にずいっとカップが突きつけられた。梅と清酒の香りがつんと鼻をついた。

「うーめーしゅー。月見酒しない?」
「…お前な」

梅酒を突き付けているのは乱で、もう片方の手には彼の愛用のマグカップが握られていた。聞いてくるわりには、半ば強制的な空気がある。
薬研も目が覚めてしまっていたので、ちょうどいいとカップを受け取った。お湯割りらしく、カップは少し熱かった。そういえばここは台所に近い。
薬研が受け取ったのを確認すると、乱は軽い足取りで裸足のまま縁側から出ると庭の岩場に腰掛けた。ペシペシとすぐ横を叩くものだから、そこに座れということだろう。苦笑して、薬研も裸足のまま庭へ出た。

「明日、丹色ちゃんに会えるかなー」
「さぁなぁ。…出てこなかったら、明後日あたりにミヤビの旦那が引っ張り出すだろうよ」
「わー、そのゴリラっぷりかミヤビらしい。よく言い合いしてたよねーあの二人」
「あのお二人のことだ。出てこなかったら、引っ張り出す約束でもしてるんだろうさ」
「確かにしてそー」

ケラケラと乱が笑う。薬研は酒が冷めないうちに、とさっさとカップを傾けた。
半年。丹色が己に課した猶予期間だった。そろそろこの本丸ができてから1年になるが、半年前まではこの本丸にいた刀剣はわずか8振だった。それが半年で3倍以上にまで増えた。特にここふた月の増え方は目を見張るものがあった。極めつけは、鶴丸国永があっさりと鍛刀、顕現されたことだ。

「鶴丸さん、普通に顕現されちゃったねえ」

鶴丸の名前がでて、薬研はぴくりと肩を揺らす。それを見て乱が楽しげに口角をあげた。

「薬研も思ってたでしょー」
「……。否定はせんがなぁ」

ぐっと乱が梅酒を飲み干した。薬研はちまちまと飲みながらわずかに言葉を濁す。ちょうど、そんな話を少し前に歌仙としたところだった。
主の丹色は鶴丸国永を通常通りの手順で顕現してみせた。しかもあっという間にランクアップさせてしまった。かつては一人ランクアップするごとに主の体調の心配をしたものだが、その心配はもはや無用の様子である。
それは実に喜ばしいことで、ひと息つくべきことであることに違いはないのだが、素直には喜びづらい。その理由というのが、謂わばワガママと呼ばれる部類の感情が由来であることから、素直にそれを出せない。

「大丈夫なら大丈夫って言って欲しい。ダメならダメって教えて欲しい」

こつりとマグカップを脇において、乱がそう呟いた。ぷらぷらと揺らしていた足を片方立てて抱きすくめた。寒くもないのに小さくうずくまって体をしきりに揺らしていた。困ったように笑うが、その目は体以上に小刻みに揺れている。薬研が声をかけようか迷っている間にも、乱の顔は片膝に埋もれた。

「…そう書こうかって、迷った」
「それでほかの奴らも巻き込んだんだな」
「一人なら確実にそう書いてたね!」

放り出された片足が気丈に揺れた。

「…もし、明日、主さんが出てこなかったら、どうしようって思うんだ」

かつて、この本丸にいた刀剣はほんの十数振であった。その中に、乱と薬研も数えられる。いいことばかりではない。悪い出来事だってあるにはあった。それでも、確かに楽しい日々であったし、これからもそうであると思える。
しかしそれでも、刀剣が増えれば増えるだけ本丸の在り方は変化した。資源の使い方や手入れのタイミング、出陣メンバーの組み方も当然ながら。綿密で、考え抜かれた作戦内容とそのための出陣メンバーには恐れ入ったが、本当にあの主が考えたのかと聞きたいくらいの劇的な変化がおきている。
審神者からの指令の内容も、離れていても感じるその霊力の感覚もどんどん変わる。それこそ、別人かと紛うことがあるほどに。

「主さんは…変わりないか、とか…また変なことして怪我してないかとか…。…気に、なるんだけど…おっかしいなー」

会うのちょっと怖いや。
変化は知っている。けれど、会ったわけでもない。何より肝心の彼女自身の変化を、何も知らない。
だからこそ、会うのが怖いのだ。主を慕う心が一方通行ではないか、主の心は自分たちから離れてはいないか。
なるほどなあ、と薬研は少し冷めた梅酒をまた口にした。

 
モドル
手を