これがスタートだ
8畳間の審神者の寝室には、着物を入れるための大きな箪笥や、私服用の小さなチェストが置かれている。これだけでもそれなりにスペースを取るのだが、ひときわ大きいのは大量の本が収納された大きな本棚が3つも並んでいるところである。
そうした収納家具で、決して狭くはないはずの8畳間は机と布団を置けばほぼあしの踏み場はなかった。
机の上に置かれたパソコンに向かって、丹色は頭を抱えていた。面布と鬘は外していて、彼女自身の黒髪と黒い瞳は困ったようにパソコンに──パソコンの向こう側へ向かっていた。
『…お前さ』
「わかってるから何も言わないで…」
呆れ切った声が響いてきた。テレビ電話とは便利なもので、相手の声、表情、行動まで見事に伝えてくれる。つまり言葉にしなくても言いたいことが大体伝わるのがこのテレビ電話というやつである。
そんなテレビ電話に映るのは、丹色の同期である青年であった。号を安芸、字を鶫という。彼も面布と鬘を外していて、黒目黒髪が映像として画面に映し出されていた。
「引っ張りだされる…歌仙に手荒く引っ張りだされる…乱は絶対助けてくれない…」
『そりゃあお前のことを心待ちにしてるだろうよ』
「…全く関わらない刀剣も本丸にはいるんだよぉおおおお!」
『人見知りかよ』
「人見知りだよ!!!」
鶴丸国永は先週鍛刀されたばかりの刀だ。ここの刀剣たちともまだ馴染み切れていないであろうことは想像に易い。そんな刀に、昨日尻を叩かれた。もちろん実際に叩かれたのではない。背を押されたと言えば分かり易いか。本人はそんなことは意識はしているはずもないが、丹色は確かに背を押された。むしろ突き飛ばされたといってもいいほどに。
『で?そんな丹色チャンは俺にどうしろと?』
「……ジロちゃんいますか鶫チャン」
『ちゃんづけすんなキモイ。あと次郎太刀は遠征です。ぷぎゃー』
「オマエいい加減ロイヤルに掘られろ」
『スマンカッタ』
丹色が売られた喧嘩を買ってみれば鶫も血の気の引いた頭を抱えて机に突っ伏した。ざまあみろ。
「ねえ、なんでもいいから背中押してくれない」
『なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ』
「勇気は鶴丸国永からもらった。あとは行動力を鶫から貰えればなんとかなる!」
『だーかーらー!!!さっさと歌仙んとこいけよばか!いい加減立花に報告すっぞ!!』
「げ!?」
画面の向こう側で、鶫が腕をこちらの方へ伸ばしてきたところで画面が黒く塗り潰された。反論する間もなく切られた通信画面には通話終了の四文字が浮かび上がっていた。
丹色は左耳にかけていたヘッドセットを取り外すと、パソコンの前に座り込んだまま画面を見つめた。
──こんなわがまま、言ってられないよねぇ。
重い足取りで書院を出ると、縁側でこんのすけが日向ぼっこしていた。出てきた丹色に気づいて、顔をあげてくつくつと笑い出す。
「聞こえておりましたよ」
「はあ…」
「そろそろ腹をくくるべきですよ。あれからちょうど半年でしょう」
「…そう、だね」
白髪の鬘と面布の装着は政府より義務付けられた審神者の必須事項であった。政府からの義務ではあるが、実際には審神者の儀礼的な取り決め上のことであった。それゆえか、これを実際には順守する審神者は少ないという。丹色は身の上が特殊な立場なので、とりあえず丹色はこの規律をきっちりとまもっている。儀礼の取り決めに無意味なものは基本的にはない。
身なりを整えて、離れ家からまっすぐ南に下れば、ちょうど鍛刀や刀剣の手入れ等をするための工房になる。普段丹色が足を運ぶことがあるとすれば、離れ家以外ではこの工房くらいなものだ。
しかし、工房とは逸れた方向へ歩いた丹色が辿りついたのは台所の裏手口だった。その付近で、野菜を洗う燭台切を見つけた。近付けば、気配に気付いたのか不思議そうに振り返り、そして丹色の姿を確認するや否やおもしろいほどに固まった。
「……あー…」
なんと声をかけたものか。丹色はしばし迷う。燭台切からすれば、今まで関わることのなかった主が突然現れて、今頃何用かというところだろうか。
「……」
「燭台切光忠。お久しぶりでございます」
とりあえず声はかけてみたが、どうだろうと丹色はじっと燭台切を観察するが、一向に燭台切が動く気配はなかった。
「……」
「……」
「……」
「……どこか具合でも悪いのですか?」
あまりにも反応がなかった。やばい。嫌われすぎだろ自分、と己を笑うしかなかった。
かれこれ1年審神者をやっていて、今初めてこの刀剣と向き合っている。せめて歌仙か、もしくは乱が居ればもっと変わったろうに。何をどう話せばいいのやら。思いながらとりあえずその安否を確認しようと問いかければ、そこでやっと彼はハッとした様子を見せた。……のもつかの間。
「うわぁああああああ!!あるっある!あっ!ある!!うわぁああああああああ!!!」
驚き戦いて思いっきり距離を取られた。なにこのお化け見たような反応。と思ってから悟る。
ああ、なるほど、嫌われ度が天元突破してる感じですね、わかります。私を誰だと思ってやがる、刀剣とコミュニケーション取るのを怠ったミソッカス審神者ですねわかります。
と。
もはや思考が現実逃避し始めた丹色の遥か後方から、騒ぎを聞きつけたのかバタバタと駆けてくる音がする。あっという間に近付いてきて、ひょっこりと角からその顔を出した。
「ちょっと!なんなの今の大声!おかげで爪…うわぁああああああああ!!!!!!」
「ちょっとお前何…うわぁああああああああ!!!!」
ひょっこりと顔を出した加州清光、それを追ってきた大和守安定の2人も似たような反応をして後ずさった。
まさか仲の良かったお前たちにまでこんな反応されるとは…。泣きそうになるのを耐え、丹色は蚊の鳴くような声で本題を告げる。が、聞こえなかったようだ。2人とも信じられない物を見る目でなんで!?とか、うそ!などと疑問を口にするばかりだった。
「あの…」
「何これ幻覚!?俺幻覚見てるの!?」
「僕にも主の幻覚が見えるんだよね…」
「は!?それどういうこと?俺もお前もそろそろキてるってこと?」
「じゃなくて!本物なんでしょ!!馬鹿なの、馬鹿だったねごめん!!」
「あ゛あ゛!?」
「ていうか主大丈夫なの!?大丈夫だからそんな大っぴらにここにいるんだよねそうだよね!?」
刀剣が話を聞いてくれない。そう嘆いて打ちひしがれていれば、話に一段落ついたのか、とんと静かになった。今だ!とくちを開く丹色。この好機、逃してはならない。
「あの、私いま」
「ねえ!」
それまで距離をとっていたはずの清光が一瞬にして丹色の目の前まで距離を詰めた。わあ、すごい機動力。がっしりと肩を掴んで、ずいっと顔を寄せる。その目は驚きすぎたからか、すこし血走っていた。
そしてやはり丹色の声は届いていない。
「俺、可愛い!?」
「加州あなたね…」
「いや、ちょっと何やってんのブス!」
「あ゛あ゛!?お前さっきから馬鹿だのブスだの!!!」
加州清光とは色違いの内番姿のこの二人、仲がいいのか悪いのか分からないとよく囁かれているが、概ね仲は良い。
ブス、と言われた加州清光がヤンキーさながらの表情で大和守安定を睨みつけた。大丈夫、あなたいつでも世界一可愛いから。だからそんな顔しないの。
「は、なんなのブス」
「ブスにブスって言って何が悪いの」
「それ、そっくりそのままお返ししてやんよ」
「何?やるの?」
「かかって来いよオラ」
ちょ、喧嘩始まったんだけど。私消えていいかな。遠い目で抜刀したふたりを見ていれば、慌てた様子で燭台切光忠丹色の隣に立った。
「あ、呆れないでやってくれないか…!」
食って掛かる勢いで詰め寄るものだから、丹色もぽかんとせざるを得ない。
たしかに呆れていたが、燭台切が捉えるほど深刻なものではない。しかしそこは燭台切、真剣だった。真剣すぎる眼差しに、丹色はたじろぎながら硬い笑みを浮かべた。
「へ?ああ、いえ、別に呆れているわけではないですよ…。ああやって思うことを素直に言い合える仲というのは、いいものですね」
「えっと……そ、そうだね…?」
言ってキンキンと音を立てて乱闘する二人に目を遣る燭台切。互いに突っ掛かってはこうして喧嘩に発展するのは珍しいことではない。日常茶飯事と言っていい。しかし、いつにも増して大和守の機嫌が悪いことも、燭台切は察していた。原因は、言わずもがな、というやつだ。燭台切は視線をまた主たる審神者に戻す。その顔は白い布に覆われていて、口元からしかその表情は読み取れない。その口元はあまり動きを見せることがないから、その表情を読み取ることは難しい。そうでなくても、燭台切は丹色のことをよく知らなかった。優しい人物であるという確信はあったが、だからといって良く知る人物とも言い難い。
しかし、その口元が唐突に緩むのを見た。
「ふふ、変わらないようで、なによりです」
「変わ、え。主は彼らと昔は会っていたのかい?」
「ええ、まあ。…あ、そうだ。彼らが怪我をしたら言ってください。すぐに直します。あと、歌仙兼定を知らないでしょうか?」
「えと、さっき畑の方へ行ったみたいだけど…」
「そうですか、ありがとうございます」
どこかぎこちない燭台切に対し、丹色は非常にマイペースだった。言葉がしどろもどろになりつつある燭台切に丹色は丁寧に頭を下げて踵を返した。
燭台切が思い掛けずその手を引いて引き止めた。驚いた様子で振り返った丹色に、しまったと燭台切はハッとするが、その手は丹色の手から離れない。困ったように自分の手と丹色を見比べる燭台切。その様子を見た丹色は、半ば背を向けていた燭台切に向き直った。
「どうかいたしましたか?」
「…や、えっと…」
か、かっこ悪い。いっそ泣きたいような気持ちをぐっと抑え、燭台切は歯切れ悪く返すしかなかった。引き止めた理由は簡単だ。話したいと思ったから。しかし彼女は歌仙に用があると言った。さっさと歌仙のもとへ向かわせたほうが良いのは重々承知だが、これを逃せば次に審神者と話せるのはいつになるのかしれたものではない。勇気を振り絞るんだ、と己を奮起させようとしたとき、不意に丹色が口を開いた。
「ごめんなさい。順を追って話して行こうかと思っていたのですが…」
「へ?…えと、順?」
「はい」
まっすぐな瞳が射抜いてきた。その目は面布の向こう側で見えないはずなのに、不思議とそう思えた。
「燭台切光忠」
凛とした声は澄んでいて、声でその場を浄化してしまうのではないかと思えたほどだった。思わず姿勢を正した燭台切に、尚も丹色は続ける。視界の端には喧嘩をやめてこちらの様子を伺う加州と大和守が見えた。その中で、突然丹色が丁寧に頭を下げたのだから、驚きと困惑に固まるしかなかった。
「今まであなたがたとの交流を放棄していたことを、深くお詫び申し上げます」
「あ、主…?」
「今更なのはわかってはいます。けれど、私はきちんとあなたがたと向き合っていきたい。今までの距離感が良いというのならそうします。そうでないのならば、腹を割って話し合える関係を築きたい」
他者との交流を疎んでいると思っていた。そんな審神者が突然やって来てそう言う。なにか裏があるのではと勘ぐりそうになる。けれど、
「そのために、ここへ来ました。そのための、半年間でした」
真っ直ぐで力強いその声に、燭台切は疑念の一片も感じることはできなかった。
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モドル