ふたつき前のはなし
本丸にも暦はある。1年を365日と1日で数え、現代日本に合わせた構成と行事があるらしい。とは言っても、この本丸の主がとても刀剣と会える状態ではなかったのでそういったイベントごとには無縁だったのだが。
本丸の暦は5月5日を数えていた。現代ではゴールデンウィークという大型連休の日に当たる。
袖をまくり、素足を晒していてもじっとりと汗がにじむ。ならばと冷水を用意し足先を浸してみたらすっと体が冷えて気持ち良い。そうは言っても暑いことに変わりはく、汗ばんできては顔にはりつく髪を払うと天井を見上げて息を吐いた。5月の陽気に晒される本丸は夏の予兆をすでに見せ始めていた。
時刻は午の直前で、気温はまだ上昇する。天井から視線を空へと滑らせれば、そこには頂点までもう少しのところにいる太陽が見えて前田は目を細めた。
その太陽がわずかに霞んで見えた。その光景に前田はあ、と声を漏らす。
「──…ああ、そう言えば…」
今朝、歌仙が言っていたような気がする。
廊下の掲示板や各部屋の電子パネルにも出ていた連絡事項。
「本丸の移動、今からっぽいな」
ふっと前田の近くに影が差して声が降りてきた。見れば兄弟ともいえる厚藤四郎が無感情に空を見上げていた。
「そのようですね…」
しかし暑さは変わりない。本丸を構える時代が変わろうと、時空間から切り離された本丸は全くの独立した世界だ。その季節が変わることはまずない。
「いつなんだろーな」
「現代だと思いますよ。主君は数ヶ月に一度、現代に参られている様子ですし」
「え、マジで」
俺もうどこをどう行き来してるのか全く分からなかった…。そうぼやく厚の気持ちもわからないでもない。前田もふた月前に主と会わなければ意味もなく本丸が移動させられているように感じていたことだろう。
数ヶ月に1度、この本丸はどこかの時代を行き来する。ただ出陣するだけならば本丸の移動は必要ないのだが、ある特定の時代を審神者が行き来しようと思うと、このような現象が起きるらしい。
これが頻度として多いのか少ないのかは、他の本丸のことを前田は知らないのでわからない。どこをどう行き来しているのか。それが現代だと理解したのはふた月前、審神者と出かける機会があったときだ。
「なんで知って…あ、ふた月前に大将と出掛けたんだっけか?」
「ええ。偶然ではありましたが」
「薬研が超驚いてたらしーな。見たかったー」
「ふふ、両肩をがっしりと掴まれてしまいました」
少し前の薬研の様子を思い出し、前田はふくふくと笑うと
「めっずらしー。つか、なんで…ってか、どういう経緯で大将と出掛けることになったんだ?俺としてはそこが気になるんだが」
「…ああ」
それもそうか、そう思って前田はふた月前の記憶をたどる。
「そうですね…どこから話したものか…。そうだ、出陣の時に、パネルを操作するじゃないですか」
「あの、門の内側にある奴?」
「そうですそうです」
本丸の入口には門がある。名を移天門といい、本丸の出入口であり、時空間を移転するための門でもある。それなりに大きな門であるので多少の集団は難なく通す。門柱のほかに控柱を二本持つ四脚門で、外門と内門の二戸の門を持つ。外門は基本的に閉じられていて開けられることはない。内門も普段から閉じられているが、出陣の際にはこれが開かれる。
門内は六畳ほどの広さの空間が広がり、壁に電子パネルが設置されている。そこに行きたい時代を打ち込み内門を閉じれば時空間転送が開始される。要は門が時間を遡るための制御装置だ。
前田がそのパネルをいじっていたことがことの発端だ。
「ちょっと手間はかかるんですけどね、行き来した時代の履歴が見れるんですよ」
「え、そうなの?」
「まあ主君が管理するためのところなので、僕たちが普段は見ることはないんですけれど」
肩をすくめた前田に、ふぅん、と厚が呟く。
「まあ、その履歴によれば、定期的に現代へ帰っているような感じだったんですね」
それを知ったのはふた月前、まだ肌寒さを残した頃のことだった。
「──…」
ぽかんと前田は移天門の操作パネルを見つめた。まさかこんなに簡単に管理画面に入れるとは思わなかったのだ。ちょっとした出来心で管理画面のパスワードを適当に入力したのだが、それでさらっと管理画面に入れてしまった。
しばしぼう然とした前田は、管理画面のデータ出力完了音にハッとする。それまでは目まぐるしく通り過ぎていた数字の羅列は、規則正しく並ぶ一覧表に姿を変えていた。
なんだか罪悪感は残るが、せっかくだし、と前田は大きく息を吸うとその画面に食いついた。何かが発見できそうで。
しかし結果はただの移天履歴だった。少々意気消沈しながらその文字の羅列を追う。残念に思いながらそれらを見つめて、ふと見慣れない年月を見つけた。前田の記憶にはない時代へのアクセスに、前田はあれ?と首を傾げる。それはちょうど三か月ほど前のことで、見慣れぬその時代は──
「…現代?」
それも、主である審神者の帰るべき時間軸だ。そういえば三か月ほど前に時代を行き来したようだが、それか。なるほど現代に行き来していたようだ。
政府の本部や支部はすべて現代とも過去とも違う時間軸にあるので、時代を行き来せずとも本部や支部にむかうことはできる。では何故わざわざ現代に?帰るため?それとも審神者の業務のためか?
くるくると思考を巡らせる前田の後方から、ザリ、と砂利を踏む音が響いた。はっと振り返った先には、大きな手提げ鞄の中をのぞき見ながら歩いてくる審神者の姿があった。
「…主、君」
反応が遅れたのは、審神者が見慣れぬ現代の服を着ていたからだ。髪は相変わらず白く、顔も真っ白な面布で隠されているが、そんな服を着ているところは見た事がなかった。
前田に気付くことなくこちらへ歩いて来る審神者にぽつりとこぼせば、審神者はその声をひろったらしく顔を上げた。ややぽかんとした審神者は、前田のすぐ横の操作パネルを見て「あ」と声を漏らした。
「…あ!」
そこで前田ははっとして顔を青ざめさせた。刀剣は彼女と会うことを固く禁じられている。それは彼女が神気に脆弱だからだ。前田が彼女に会うのは、彼女を害しているに等しい。
しかも、出来心とはいえ管理画面をのぞいてしまった。刀解されるかもしれない。…いや、いっそ折られたい。
後悔の渦の中にいる前田に、不意に審神者が手を伸ばした。
「開いてしまったものは仕方ありません。他には言わないでくださいね」
「え?」
ぽん、と前田の頭に手が乗った。審神者は気にすることなくパネルに歩み寄って管理画面を消すと、移天画面を開く。審神者がボタンを一つ押すごとに門内の景色がぶれ始め、ピコピコと電子音が響き始める。
「前田藤四郎、そろそろ門外へ出られた方がよろしいかと」
ひととおりの打ち込みは終了したのか、審神者は前田に向き直りそう静かに言う。表情の薄いその顔が少しもの寂しい。
「ぼ、僕もつれてって下さい!!」
「へ…」
「あ」
審神者がぽかんとした。
釣られるように前田もぽかんとした。言うつもりなど少しもなかったのに、するりと欲が口から出た。
「が、害になりますよね…すみません」
そうだ、彼女は神気に脆弱だ。一緒にいるだけで害となる。言ってから、また前田は落ち込むようにうつむいた。審神者が言葉を詰まらせたのを感じる。完全に迷惑になっている。
失礼しました。そう言ってここを立ち去ろうとしたとき、ぐっと審神者が前田の手を掴んだので少し焦った。
「い、いけません!神気が…!」
「だ、大丈夫ですので!」
「そうは言われても!」
「ほ、ほら!!!」
審神者がカバンに着けていた御守りの束を前田に突き出した。
「わ、私が受ける神気を肩代わりするものです!」
そんなものがあるのか、と前田は目を瞬かせる。ぐい、と審神者が前田に身を乗り出した。
「私が神気にさらされれば、代わりにその身を焼いてくれます…!何もないからこそ、この御守りは何の変哲もないのです!」
その束の御守りは10個ほどもあって、厳重に審神者を守っている様子だった。彼女の言う通りなら、今のところは前田の神気に焼かれていないのだろう。
「だから、大丈夫なんです…」
弱々しく言う審神者に、前田はどう答えたものか、と戸惑い黙り込んだ。可能なら付いていきたいのは山々だが、本当に主に害はないのか。それだけが気掛かりで仕方なかった。
不安げに互いを見つめること数秒、審神者が不意に手を離して門を閉じた。
「あっ!!」
「い、行きましょう」
審神者のどこか頑なな声と同時に、頼りなかった門内の照明も落ちた。
あ、移天。そう思った。いつもは時間軸や座標、数字などの指定のための数値が周囲を埋めつくすほどに現れては消えるのだが、それが少しもない。ただ真っ暗な室内で、前田は手探りで審神者の存在を確かめることしかできなかった。
視界は変わらず暗いだけだが、既に本丸と切り放された空間であることは前田も察していた。ならばどこか。それが検討も付かず、前田は審神者の気配のする方へ手を伸ばした。
その瞬間、キィ、と木の軋む音が室内に響いた。眩しい光が、普段は開くことのないはずの外門から零れだしていた。
「えっ?」
「政府の管理する施設へ入る場合のみ、外門が開かれます。今回行く平城は最大規模の政府施設です」
開ききった外門の向こう側には、たくさんの人が行き交う風景が広がっていた。どこかの建物の中らしく、すぐ近くに大規模な事務所や小部屋がある。
書類を持ったひと、携帯で電話しながら歩くひと、飲み物を持って歩くひと、談笑するひと。たくさんの人に溢れていて、前田はしばし立ち尽くした。
この人の身でたくさんの人を前にするのは初めてだった。
わずかに怯む前田を置いて、審神者はさっさと外へ足を踏み出してしまう。あわてて追えば、周囲から物珍しげな視線を受けた。
居心地が悪く、ピタリと審神者に引っ付く前田。審神者は特に反応はしなかったが、嫌がるそぶりもなかったのでそのままの姿勢を貫くことにする。
「皆刀剣男士が珍しいのです。無体を働く者はおりませんので、ご容赦下さい」
「あ、ああ、はい」
不意に審神者から降りてきた声に、小さくうなづく前田。頷いたが、その意識はほぼ周囲へと向けられていて、少し生返事だ。
……。いや、主にくっついていたのはそこではないのだけれど。ワンテンポおくれてそう思うも、今更言うものでもない。前田は密かに息を吐きながら主の背に集中することにした。
慣れているのか、広い施設の中を迷うこと無く進む審神者の後を追いかけた。
「あの、政府に参るために本丸を現代に移したのですか?」
「いいえ、政府施設へはどの時代からでも行けます。維新、江戸、…もちろん武家の時代からも」
「では何故本丸を現だ…」
何故本丸をわざわざ現代に移動させたのか?そう口に仕掛けたところで、審神者がしい、と人差し指を口に当てたので口をつぐんだ。
それを確認した審神者はわずかに笑むと、また姿勢を正して歩きだしてしまった。それを立ち止まって見つめていた前田だったが、すぐにハッとして審神者を追いかけた。こんなところではぐれるわけにはいかない。
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モドル