序文

公道から1段上がり、そこに鳥居が1つ聳える。鎮守の杜は鬱蒼としてはいるが、嫌な気配はない。さすがは神社というべきか、むしろ神々しさすら感じるものであった。どこからか聞こえる鳥の鳴き声は途切れることがない。人の手の入らない森の中は世界が違うのだと父は言っていた。
森を切り開いたような参道は道端が少々歪だが丁寧に管理されている。数え切れないほどの燈籠が並ぶ参道を50メートルほど歩けば、悪しきものを威嚇せんとする狛犬が一対現れる。その先に、長く急な階段が待ち構えている。
そのてっぺんに見えるのは拝殿で、両脇から本殿を囲うように回廊が伸びている。すぐ横はまた鎮守の杜におおわれている。拝殿の向こう側に本殿らしき社郡は見えるが、それらは本殿の一部に過ぎないらしい。
神社としての歴史は浅いらしいが、祀る神は古いものから新しいものまで様々だという。…うん、良く分からない。
あまり神社という宗教事情に明るくない私は良く知らないのだが、この神社は日本国内ではかなり特殊な神社なのだという。確かに祀る神の数は異様に多いと思う。
規模は大きいとは言えない。ちゃんとした回廊や鎮守の杜を備えたれっきとした大社ではあるが、鳥居は一つだし、参道も大した長さではない。階段が少々辛いくらいか。
しかし日本全国から参拝者が来るのだから、それなりには高名な神社なのだとは思う。そんな奇妙な神社が、私の生家である。

「また立ち止まってる」

参道の途中にあるその階段の名を『愁段(しゅうだん)』といい、一度も立ち止まる事無く登りきると、立ちはだかる壁や悪いことを乗り越えられるという。何かに苦労する人、悩みがある人、成し遂げたい何かがある人がやってきては、この階段を駆け上がるのを何度も見てきた。
そんなことをせずとも、立ち止まりさえしなければいいのにと祖父や父は呆れてそれを見ている。案の定、体力のない人は途中で立ち止まって息を整えるに終わる。
その段数は百段くらいあるんじゃないかと父にいえば、流石にそこまではないとのこと。しかし五十は超えるので体の弱い人には少々酷な造りであるが、健常者がゆっくり歩く分には無理ではない。もちろん足は痛いのだが。
父はいつもゆっくりと登りきるが、祖父はそうではない。場所はまちまちだが、いつも必ずどこかで立ち止まる。たった1段登っただけで立ち止まってしまった時には流石に心配したものだが、そういうわけではないようだ。
曰く、立ち止まらずにはいられない、と。

「おや、帰ってきたのか」
「ただいまー」
「おかえり」

私の声に反応して、祖父が振り返って私に手を振った。この神社の宮司は常に白を身に付ける。神事の際にはいかなる行事でも少しの染みもない真白な祭衣だし、ただの袴であっても浄衣と見紛う白さだ。祖父は高齢も相まり、髪も白いものだから、まさに『真っ白な人』というのが当てはまる。

「立ち止まったら壁は越えられないよー?」
「はっはっは。そうだなぁ」

この階段は不思議だ。壁を乗り越えるための階段なのに、その名前には『愁』の字が入る。『愁』は心が沈み、痛むという意味がある。
この名前通り、沈んだ様子でこの階段を登る人が稀にいる。確かに長い階段なので見るだけで心は沈むし、登りきっても体の節々の痛む階段なのだが、そうした人はなんだか様子が少し違う。そして彼らは、やはりどこかで立ち止まってしまう。人によっては泣き崩れることもあった。

「おじいちゃん、ここを立ち止まらずに登ったことないんじゃない?」
「これは心外だな」

祖父の隣に立って祖父の顔をのぞき込めば、祖父はわずかに目を見開いてカラカラ笑う。祖父は心外だと驚いたような声で言うが、少なくとも私は立ち止まらず登りきった祖父を見たことはない。

「じゃああるの?立ち止まらずに登ったこと」
「あるとも」

全く。とわずかに怒ったような様子で腰に手を当てて私を見た祖父に、意外だなぁと内心で呟く。少なくとも、私は祖父が階段を止まらずに登り切ったのを見た記憶がない。

「いつ?」

疑いの目を隠しもせずに祖父に向けてそう言うが、祖父は相変わらず朗らかな笑顔だった。

「お前が産まれた日さ」
「え」

予想外な言葉に言葉を失った。そんな私の様子に祖父はしたり顔で胸を張った。

「その日ばかりは、立ち止まらなかったぞ」

その無邪気な笑みに、かつてはさぞモテたであろうと思う。そう言えば、友人の間では私の祖父は『可愛い』と人気である。私からすればそれは天地がひっくり返るくらいにありえないのだけれど。だってこれで実は超厳しいんだぜ。
そうしているうちに祖父はまた階段に目を戻し、その頂点を指さした。

「あそこで、お前の名を決めた」
「──…知り合いの名前なんだって?」
「おや、知ってたのかい」
「お父さんが言ってた」
「はじめの奴め、全く口の軽い」

やれやれと息を吐く祖父だが、それは父から何度も聞かされた話である。いい加減に覚えた。父の恩人でもあるそうだ。とはいえ、もうだいぶ前の人らしく、もういない人でもあるらしいのだが。

「お前を見せたかったよ」
「そんなにー?」
「ああ。はじめの結婚式も、お前が生まれた時のことも、聞かせてやりたいし見せたかったよ」

私は奇しくも病院ではなく母の実家で父方の祖母に取り上げられて生まれた。故に、色々とバタバタしたようなのだけれど、他の人とはちょっと違う、私の自慢だ。

「まっすぐに生きていける。心がくじける日もあれば、不条理に嘆く日もあろう。けれど、きっとそれを乗り越えられる。お前が生まれた日、私はこの階段を登り切ったし、お前の名はそんな人からもらった名だ」

祖父が目を細めて、何かを思い出したように笑う祖父はなんだか普段とは別人のようだった。
私は改めて鳥の声が騒がしい階段を見上げた。見るだけで心は沈み、登れば身体の痛む長い階段。下りるときすら気を配らねばならない、急こう配の試練の階段。名を愁段という。

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


しかし、そこを登り切れば壁は乗り越えられる。乗り越えた先で落ちるかどうかはその人次第。それでも、と願いを掛けて人はこの階段を登る。
そう、だからこの階段の名は『愁段』という。

 
モドル
手を