03

両膝に手を付いてゼーハーと荒い呼吸を整える丹色を、前田はじっと恨みのこもったような目で見つめていた。駆けだす際に丹色が掴んだ前田の手は、いまだ彼女の手にとらえられていた。
丹色が前田の視線に気づくのは存外早く、荒い呼吸を整えつつも驚いた様に軽いパニックに陥った様子だった。

「えっ…あ、の…何…はぁ…ええと」
「なんでしょう」

己の声に、やや刺があることには気付いていた。しかし、前田はそれを弁明する気にはなれなかった。故に、じっと丹色の言葉を待つことしかしなかった。

「どうか、いたしまし、たか…」

息も切れ切れにそう問われ、前田はしばし己の考えを述べようか迷った。けれど、またこんな危ない目に遭われても困る。そういうわけで、わずかに言い淀んだ口元をはっきりと動かした。

「主君」

どこか厳しい前田の声に、丹色は肩で息をしつつも言葉を飲み込んだ様子だった。じっと前田を見て様子を伺っている。

「何故おひとりで飛び込んだのですか」

ぴしゃりと言い放ったの前田の声色は剣呑としている。守り刀を置いて行くなど、守り刀を冒涜しているも等しい。
驚いたように肩を揺らした丹色は、どうしたものかと前田を見つめて言葉を探す。

「え、と…」
「僕は刀です。懐刀です。持ち主がどんな時でも己の身を守れるようにと持つ刀です。それなのに、あなたは僕を置いていった」

は、と丹色が息を飲んだ。じっと前田の方を見つめてきたが、面布で彼女の表情はうまく汲み取れなかった。

「ここは本来は刀剣男士は入れない。本来は入れないはずのところにいる刀剣男士、つまり政府のお抱えの刀剣男士だと認識される。だからあの男達は僕を政府の刀剣男士だと勘違いしたのでしょう。主君もそれを狙っておられた…違いますか?」

丹色が無言で頷いた。

「しかし彼女は気付きました。素養や注意力次第ではその刀剣男士の主が誰かなんてすぐに気付かれるんです。あの男達に気付かれていたら、非常にまずかったんじゃないんですか?」
「ああー…」

なぜそこに気付いてしまったのか。そうありありと顔に書いてある丹色に前田はわずかにいらだつ。
もし、気付かれていたら。それを思うだけでぞっとする。女2人が男2人に勝つのは難しい。前田が近くに控えていたが、前田が手出しをすればそれだけで問題だ。懲罰は丹色が被ることにもなりかねない。…否、責任は問われよう。それは前田には耐えられない。
丹色は怪我を負ったかもしれないし、最悪審神者として生きる道も無くなっていたかもしれない。それも前田には非常に恐ろしいことで、主との別れは耐えがたい。

「彼女を見捨てていたら良かったとは言いません。思いはしましたが」
「君ね…」
「何か他にも方法はあったはずです。そもそも、あんなの最初から僕一人で出ればよかったのです」

確かに。最初から政府の前田藤四郎の振りを出ていけば簡単な話ではあったはずなのだ。それだと信憑性には欠けていたのかもしれないが、その場を収めることはできたはずだ。
しかし丹色はそれをしなかった。敢えて自分が斥候のように飛び出していった。

「本日僕は二つの屈辱を味わいました。ひとつは主君が誹謗を受けるのを黙って見ているしかなかったこと、もう一つはその主君のおそばに付けなかったことです」
「…」

わずかに言葉を失った様子の丹色に、前田はわずかに俯いた。

「前田藤四郎」

やや間があって、丹色が前田に呼びかけた。

「ご心配をおかけしました。申し訳ありません」

きゅ、と未だに掴まれていた手に力がわずかにこもった。前田が丹色を見てみれば、彼女は前田の言葉を真摯に受け止めたらしい。真剣な様子で前田を見ていた。

「以後、気を付けましょう。肝に銘じておきます。…ただ」
「ただ?」
「貴方が私を守ろうとしてくださるように、私もまた、意味は違えと貴方方を守る立場にあります。こうしたことはまた起きるでしょう」

前田がムッとした表情をすれば、丹色は慌てて首を横に振る。

「す、すみません、わたしも仕事なもので…!ですが、私が無鉄砲を働こうとしたならば、止めていただいて構いません!私に仕えて下さってはいますが、本来ならば私は貴方方の意思を優先しなければならない者なのですから」
「…止めてもいいのですか?」
「あんまり無茶なら喧嘩になるやもしれませんが、…まあその時はその時です」

あはは、とどこかから元気な笑い方をした丹色を見て、前田は口を噤んだ。そのあと深く息を吐いて身に入っていた余分な力を抜いた。
その様子に丹色がぱっと笑ったが、前田は力を込めて丹色の手をやや乱暴に引く。バランスを崩して倒れかけた丹色をしっかりと支えるついでに首に手をまわしてぎゅっとしがみついた。

「分かりました。ですが約束してください。僕を、僕らをちゃんと使ってください。僕は確かに戦の道具ですが、それ以上に貴方の身を守る道具です」
「まえ…え?ちょ…」

ぐっと前田が腕に力を込めた。ちょっとした悪戯心を込めて。

「僕が嫌なら昔からいる薬研でも構いません」
「待って、待って前田、ちょ…う、」

また力がこもる。ぎゅうぎゅうと抱きつくのはいいが明らかに丹色の首も締まり始めていた。

「約束です。それでこそ、短刀冥利に尽きるのですから」
「ま、前…」
「わ か り ま し た ね ?」

コクコクと必死に頷いた丹色に前田はふくふくと笑むと腕から力を抜いた。そのまま首に頭を擦り寄せれば、あわあわと慌てた様子の丹色だが嫌がるそぶりはない。その事実に、前田はうん、と自分のなかで結論付ける。

「お守り申し上げます」

ぱたりと丹色の動きが止まる。
ふっと前田の頭を丹色の手が撫でて気持ちが良かった。

「わたしもですよ…」



────────


ちょっと納得いかない、なんて主に言えるわけもなく、前田はただただ目の前に差し出された缶ジュースをじいと睨み付ける。差し出すのは鯰尾藤四郎という脇差男士だった。

「いらないの?これ美味しいのに」
「…いりません」
「なんで怒ってるのさー」

ツンツンと。…否、グサグサと柔い前田の頬に鯰尾の人差し指が押し付けられた。
うっとおしいと思って思いっきり体を横に逸らすが、鯰尾の指先はまだ追ってきて前田の頬に突き刺さる。後ろへ前へ上へ下へ…あちこち逃げるが鯰尾の指先もしつこかった。ものすごく鬱陶しい。

「ちょっと!!!」

ついに怒った前田がキッと鯰尾を睨んだ。睨まれた鯰尾はというと、何故か嬉しそうにはにかむだけだった。
やっと鯰尾の指は遠ざかったが、これ、鯰尾に構ってやらないとずっと続くのだろうか。

「やっと俺の方を見たー」
「なんなんですか…」
「ほらほら、愚痴ならお兄さんに言ってごらん?」
「本丸に鯰尾兄さんがいるので結構です」

ぷいっと盛大に顔を背けたが、鯰尾はなおくすくすと笑うだけだった。

「いやぁ、意外と他の本丸の刀剣の方が話しやすかったりするんだよ?」

言われてちらりと鯰尾に目を向けた。

「俺丹色さんとこの歌仙さん大好きだし。俺ん所のはちょっとのんびりしすぎてるっていうかー…。まあ丹色さんとこの歌仙には超嫌われてるんだけど」

だろうな、と思う。
今目の前で缶ジュースを飲む鯰尾藤四郎は前田が毎日会う鯰尾ではない。全く別の本丸で生きる鯰尾藤四郎だ。
前田は今、現代のとある神社に足を運んでいた。丹色が本丸を現代に移天させたのは、この神社へ来る為だったようだ。流石に現代で白鬘と面布では目立つからと、それを簡単に取り払ってしまった丹色には驚いたが、前田には思わぬ収穫だった。主の素顔をしれたのだから。
が、そんな丹色との行動も長時間とはいかず、行き掛けに塩を10kg購入して、それを持って丹色は境内へと消えた。
そこは前田らとは全く別の神の領域なので、入ることは控えるべきだ。故に、前田は鳥居の手前で待っていたのだが、そこへもう1組の審神者と刀剣男士が現れた。それがこの鯰尾藤四郎だった。

「ほらっ、どうせ俺達は神域には入れないんだからさー。楽しく待とうよ」
「……」

ついさっきお側を離れませんと言ったばかりなのに。鳥居を潜る直前の丹色の必死に謝る様子が思い出されたが、この憤りは収まりはしない。たとえおやつを袋いっぱいに渡されようとも。
ちなみにこの鯰尾藤四郎とその主・安芸鶫(つぐみ)は丹色の知り合いらしい。知り合いらしいが、神気に弱い丹色が心配で前田は気が気ではない。
もし、丹色と鯰尾が鉢合わせたら丹色はどうなるのか?前田で大丈夫だったのだから、鯰尾も大丈夫かもしれないし、他人の刀剣なので大丈夫じゃないかもしれない。まったく想像つかないから、余計に怖かった。さっさと安芸鶫が帰ってきて鯰尾を連れ出してくれればいいのだが、順序的には丹色が先に戻って来る可能性の方が高い。
もやもやとここにはいない主人のことばかりが頭を支配する前田を見て、鯰尾はふっと笑う。

「俺、丹色さんとは、何回かあったことがあるよ」
「えっ?」

前田にとっては突拍子もない告白だった。驚いて鯰尾を見れば、鯰尾にはそんな前田の反応が面白かったのかあははと笑いぽんぽんと前田の頭を撫でるように叩いた。

「あーもーかわいー!俺んとこの前田はずっげ怖いんだー!いいなぁ」
「そんなことより、何回か会ってるって…!」
「そんなことって…。…あー、あのひと神気に弱いからあんまり近寄れないんだけどね。主と何回かの…食事に行ってるから、その付き添いで」
「…」

なんだ、それ。どういうことか。前田達の知らないところで主はほかの刀剣と会っていたと、そういうことか?
いっそ裏切られたような気もして、顔色を悪くさせた前田に、鯰尾が慌ててフォローをいれた。

「会って、審神者としてなんか話すことがあるみたいだよ。俺たちには会話が聞こえないようにされることあるし」
「…」
「うん、やましいことないって。あのひと、君らのこと大好きだし」

そうなのだろうか。鯰尾にそうは言われても、実際丹色とまともに話すことなどなかったので、前田にはなんとも言えない。むしろ、そう言い切れるほどには丹色と話している様子の鯰尾が羨ましくて、恨めしい。しかし、素直に鯰尾の言葉を信じきれぬ己も恨めしい。
ぎゅっと口を噤んで俯いていれば、ふと視界の端に影を見つけて顔をあげた。丹色が安芸鶫とこちらへ戻って来ていた。かなり足早な様子で、後ろにいる鶫が呆れたような顔をして丹色を見ていた。
あっという間に戻ってきた丹色は前田の頭をぽんぽんと撫でると、鶫に押し付けた。示し合わせたように鶫が前田の耳を塞ぎ、それを見た丹色は無言で鯰尾の方へと足を向ける。鯰尾が焦った。

「…あの、離してはくれませんか?」

きっちりと耳は密閉されて、己の声しか聞こえない。何がなんだか分からない前田は困って鶫を見上げた。
鶫もしばし困ったような顔をしたが、不意に手から力を抜いた。依然前田の耳は鶫に包まれてはいるが、外界の音はきっちり拾えた。

「言い訳をするなら、丹色はお前に本性知られたくないだけだよ。人見知りだし」

それは、どういうことだろうか。

「ちょ、ちょちょちょ、神気!神気!!」

首を傾げたところで、聞き逃せない鯰尾の叫びが聞こえ、はっと前田は丹色のいる方を見る。
丹色が思いっきり鯰尾に詰め寄っていた。

「あっは。どうでもいいわー。なんで戻ってきたらうちの前田があんなに暗い顔してたのかしらねー。見えてたよー何か吹き込んでたの見えてたよ鯰尾藤四郎ゴルァー」
「ちょ、いっ!?いだだだだだ!!!」

丹色の握りこぶしが鯰尾のこめかみに食い込んでいる。ぐりぐりと鯰尾の頭にダメージを与える丹色は普段からは想像しえないような重苦しい空気感が漂っている。どんな顔をしているのかは、丹色が背を向けているので分からないが、なんとなく怖い顔なのだろうとは想像できた。
丹色の態度にも驚いたが、それよりも鯰尾の言葉の方が気にかかる。「神気」と叫んだ鯰尾の真意は。思って前田はふと丹色の鞄に目が行く。束になった御守りのうちのひとつに、霞んだように色が暗いものがある。やけに気になって見つめていれば、じり、とその端がやけるようにわずかに暗さを増した。

──代わりにその身を焼いてくれます…!

あ、と思って駆け出した。

「あっおい!」

鶫の制止も振り切り、前田は丹色のもとへ駆け付けると割と本気を出して丹色と鯰尾を引き離した。

「のわ!?」
「うん!?」

鯰尾と丹色が軽い悲鳴を上げた。ぽかんとする丹色の鞄の御守りから、色が暗いたったひとつを手にする。まるで炙られたように煤汚れていて、端っこに関しては完全に黒く劣化している。文字通り、この御守りは丹色の代わりに神気に焼かれた。それは丹色が神気に焼かれるような状況にあったからだ。
しばらく見つめている間に御守りがまた黒くなることはなかったので、ホッと肩をなで下ろす。

「あ…ご、ごめんなさい!」
「あー、前田」
「は、はい…」

2人をやや乱暴に引き離した。怒ってはいないか不安になりながら丹色を見あげてみれば、思いのほか表情は楽しげだった。

「ごめんなさい。守ってくださりありがとうございます」
「!は、はい!」

あ、桜舞ってる。と思うのはそれを一歩離れたところにいる鯰尾藤四郎。ぽん、とその方に鶫の手が乗る。

「そのうち苦労するんだろうな」
「丹色さん自由ですもんね…」

ほのぼのとした雰囲気舞う女性と子供(丹色と前田)を見る男2人の心境は、どこか寒々しいものだった。鯰尾に詰め寄るときに「ウナギ野郎」だの「しっぽ」だのと罵倒した丹色の口の悪さは正真である。それを知らない前田ってマジで幸せ。
丹色が聞いたらお前に言われたくないという言葉が返ってきそうな会話を繰り広げ、鶫はいつ2人に帰ろうと声をかけるかを思案するのだった。

 
モドル
手を