04
「神社ぁ?」
厚が不思議そうに方眉を上げた。
「大将、定期的に神社に通ってるのかよ」
「目的は清め塩とか、御守りに使う資材をもらいに行ってるみたいですね」
「ふぅん…」
刀剣は一人に付き一つの御守りを手渡される。聞く話では、御守りの制作はかなりの費用と手間を必要とするらしい。こうもすべての刀剣に渡されるのは珍しいという。多い使用例は、出陣メンバーに御守りを携帯させることなのだと。
当たり前のようにひとりにつき1つ御守りが手渡されるので、厚はなんとも思っていなかったのだが。
「ふたつきまえっていったら、石切丸さんがかなり出陣回数増えたあたりだよなあ」
「そうですね、その後に石切丸さんが御守りを渡されたと聞いたので、きっと石切丸さんの御守りを作るためだったんだと思います」
「手間暇と金がかかるっていうけど、どんくらいなのかな」
「さあ…そのあたりは詳しくは聞きませんでした」
「ま、わざわざ現代に帰らないといけないんなら、確かに手間か」
手間と費用がかかる。そのうちの一つに、この本丸の移動も含められるはずだ。あまり行われないことなので、手間がかかることだとは察せられた。
合点がいった厚は気が逸れて、縁側から降りて前田の足を冷やす水に手をじゃぶじゃぶと浸してみた。冷たくて気持ちが良い。なるほど前田もここから動かないわけだ。
「あああっ!!」
「いーじゃねーか別に」
「ぬるく!!ぬるくなりますぅ!!!」
「だーいじょうぶだいじょうぶ」
「ちょ…っ!わあああ足まで!ていうか汚れてるじゃないですかああっ!!!」
前田の悲愴な声がその場にこだました。原因を作った自覚はあるが、厚も気持ちが良いのでその声には従えない。ササッと片足の靴と靴下を脱ぐとその水に浸した。桶の底にさっきまではなかった黒い砂粒がちらちらと見えていたが、性格上、厚は気にしない。
ちょっとした悪戯心から足を突っ込んだが、身体を冷やすには想像以上の効果を発揮していたので桶から出る気がなくなった。そんな厚の様子を見てか、前田ががっくりと項垂れた。
「ひどい…ひどい仕打ちだ…」
「そんな落ち込むなって」
項垂れる前田の頭をわしわしと撫でながら、おやつをあげたら機嫌は直るだろうか、と内心で打開策を練る。もしくは今度のご飯に前田の好きなメニューを出すよう仕向けるとか。
そう思っていれば、足音がしてそちらへ意識を向けた。あきれ顔の歌仙が立っていた。
「あ、かせーん!おーい!」
「…タオルも持たずに何をしているんだ…」
「「あ」」
何故呆れ顔だったのか不思議だったが、そういうことか。そう言えば足を拭くタオルがない。言われて初めて気付いた事態に、二人はアッと声をあげる。厚が思わず浸していた方足を上げてバランスを崩した。のわっと短い悲鳴とともに庭に尻もちをついた。歌仙の顔がさらに曇る。信じられない、何してくれてるんだ、そう言いたげな顔だ。原因はきっと、今の拍子に泥だらけになった厚の足裏を見てだろう。
「…それで邸に上がってくれるなよ」
「やー、これ、歌仙も一因あるって」
「つまり何が言いたい?」
「上がっ「だめだ」
まだ言い切ってねえよ!」
言わなくても分かる。そうため息を着いた歌仙。濡れたままの足で立ち上がったものだから、厚の足裏はさらに泥がついていた。厚は足を振って泥を落として見せたが、やはりというか…歌仙は嫌がった。粗方の泥は落ちても結局厚の足裏は泥塗れに違いはなかった。掃除する側は堪ったものではないし、そもそもそれで邸に上がりこまれたくない。床が痛む。
「タオルを取ってくるから大人しくそこで待っているんだ、いいね?」
「はーい」
「歌仙ごめんなさい」
嫌そうな顔をして踵を返した歌仙の背に返事を投げかけるも、厚の声には反省の色がない。 少しは前田を見習ってもらいたいものだと少しいらっとする歌仙。だがここは大人の余裕というやつで我慢する。
スタスタと歩いてゆく歌仙とすれ違いで、今度は薬研がやってきた。暑いからか白衣はきていなかった。
歌仙の機嫌が良くなかったからだろう、不思議そうに歌仙を見ながら、すれ違っていた。その視線がふと厚らに向き、そこで初めて歌仙の機嫌の原因を悟った様子だった。
「水?ああ、タオル忘れたのか」
「今歌仙が取りに行ってくれてるんです」
「ほー」
納得いったように顎に手を当てて薬研がマジマジと前田の冷水を見る。少しぬるくなりはじめているが、暑さを和らげるにはまだ充分冷たい。その水をじっと見た薬研が、ぴっと人差し指で厚の足を指さした。
「…え、厚、その水に足突っ込めば綺麗になるんじゃね?」
「はっ、そうじゃん!」
「絶っ対いやですからね!」
これ以上水を汚すつもりなのか!薬研も結局は厚と同じだ!綺麗なものを汚したいんだ!
薬研天才!とばかりに薬研を指さす厚だが、そんなの許さない。前田は絶対に入れるものかと桶をがっしりと掴んでカバーした。
「えー」
「もう入れてあげませんからね…」
ずりずりと桶をずらして厚を警戒する前田。いやだ、この水が泥水になるのは避けたい。前田はじっと厚と膠着状態で見つめていたが、目の端にへんな動きを見つけて顔を引き攣らせた。ぐぐっとそちらへ顔を向ければ、いそいそと靴下を脱ぐ薬研がいた。嘘だろ。
「…あの、薬研?」
「うん?」
前田の硬い声に、薬研はニコリと笑う。笑うや否や、持っていた靴下をぽいっとその場に投げ捨ててスタタッと走ってきた。前田はその瞬間、自分の顔が青ざめるのを感じた。
「ちょっ、うそっ!やめ!」
ばっしゃーん!と勢いよい音をたてて薬研が桶に飛び込んできた。タオルないって知ってるでしょう!ていうか桶の水がなくなった!服が!顔までびしょ濡れになった!
もう言おうと思えば愚痴が無限に出てくる。顔も服も、それから前田の周辺の床まで水浸しである。どんな文句を言おうか迷う間もなく、前田はとにかく薬研に対して怒りを示さねばと口を開く…が、何も出てこない。己の語彙力の悪さを祟った。
というか前田の場合、普段の言葉が丁寧である故に罵詈雑言のレパートリーがないだけなのだが。そうして出てきた第一声。
「薬研足臭いです!」
「いや前田突っ込むところ間違ってねーか!?」
「笑わないでください薬研っ!」
「おっと」
もうっと握り拳を上げたらぴょんと薬研が飛び出ていった。言わずもがな、足は泥だらけになるのだが。
「たまにはこういうのも楽しいな」
己の足裏を見ながらけらけら笑う薬研だが、前田はもはや我慢がならない状態に近かった。これで次に何かしかけられたら間違いなく真剣必殺を出す所存であったくらいには苛立っていた。
桶の水は半分未満にまでへり、一気に冷気を失った。機嫌ももちろん一気に下落し、前田はむっすりと黙り込んだ。
「あー、前田?」
「怒るなって、お菓子やるぜ?」
「…お菓子で僕が釣れるとでも薬研?」
厚と薬研が前田の顔をのぞき込んできた。許せと言わんばかりの顔だが許す気になるどなれるはずない。暑い。この恨みは忘れまい。
キッとにらめば薬研がついと視線をそらしてたじろいだ。前田藤四郎、勝利なり。
「…薬研!何をしているんだ!」
「!」
「お、ミヤビの旦那」
突然歌仙の声がその場に響いた。前田は驚いて肩をはねさせたが、薬研はケラケラ笑ってあまり歌仙の怒りは届いてい無さそうだ。厚は「あーあ」と言わんばかりの顔で傍観しているが、厚、あなたも悪い。
「くっ…タオルが足りない…!」
「えっ!?タオル…!」
苛立たしげにそう言うやいなや歌仙が来た道を駆け足で戻り出した。せめてタオルの一枚くらい置いていってほしかった。前田の顔は乾き始めているとはいえ、いまだびしょ濡れである。服や髪だって。
「歌仙って面倒見いいよなぁ、本人そういうの嫌いなくせに」
「放置するのが許せないんだろ」
止める間もなく走り去った歌仙に、投げかけられた厚と薬研の会話が上記である。全く反省していない。37人目になればいいのに。割と本気で思った。
間もなく帰ってきた歌仙はやはり怒った様子で、雰囲気が悪い。差し出されたタオルを受け取り、足を拭く前田。薬研と厚は言わずもがな文句とともにタオルを手渡されていた。
「このあと雑巾を持ってきて床を拭くように」
「ええー!」
「これで拭いたらいいんじゃないか?」
「それはあくまで身体を拭くタオルだ。床を拭くものじゃない」
2人して面倒くさそうに非難の声を上げるが、歌仙は聞く耳持たずである。前田に何も言わないあたり、前田が被害者であることは悟っているのだろう。
薬研もだが、厚はもっと納得してい無さそうである。
「汚れたら一緒だろうに」
「何だって?」
「何でもネーデス」
さすがの厚も睨まれたらもう何も言えないらしい。気乗り薄であるが大人しく従った。
「僕はどうしましょう?」
「とりあえず着替えるといい。あと薬研、そこに転がっている靴下はゴミか?捨ててもいいものか?」
「あーー」
「歌仙マジおかん…」
「厚」
「スミマセンデシタ」
自分の靴下をゴミ扱いされた薬研をさすがにかわいそうかとも思ったが、匿わないのはやはり薬研に冷水の恨みがあるからだ。厚に関しては自業自得な発言のせいなので匿う意味もあるまい。
前田は足をしっかりと拭くと近くに置いていた靴下を持って自室へと足を向けた。
後ろから刺さる2人の抗議的な視線など、知らない。
「主君、出来れば僕には敬語はやめていただきたいのです」
「えっ?」
詫びにと買い渡されたアイスクリームを食べていて、ふと思ったことを口にしてみた。最初から思っていたことではあったが、いつ言おうか迷っている間にこんな帰り際になってしまった。
現代の神社から一度政府の専用施設に戻り、手続きを済ますとやっとのことで本丸へと足を向けることができた。もうすぐ本丸へ向かう門だというときに、前田が丹色に切り出した。
「とても丁寧な話し方をされますが、癖ではないですよね」
「え、ええ…そうですね」
「では、それで。たまに敬語が抜けておられましたし」
あ、と丹色がぽかんとした。実際、ふとした拍子にそうしたことがあったから問題はないだろう。しかし丹色はというと、バツが悪そうな顔をして視線をさまよわせていた。
「ご、ごめんね…」
「いいえ、全く問題ありません」
前田は笑ってみせると、その手を取って丹色の視線を己に向けさせる。
へにゃりと笑った丹色に、前田もさらに破顔した。
「前田、アイス溶けてる」
「あっ!?」
溶けたアイスの代わりに団子を買い与えられる10分前のことだった。
▲ ▼
モドル