ちょっと頼まれた仕事のハードルが高い
鳥が鳴く。最近丹色が2対の雀を放ったらしい。1組はどこぞへと巣を作っている様子ではあるが場所は分からない。もう1組は雨戸の桟の隙間に巣を作ったらしかった。大量の藁がはみ出している区画がある。以前堀川が不衛生だとはみ出した藁を払ったことがあるが、翌日には倍以上の藁が桟からはみ出した。それ以来誰も手を付けていない。
その窓は審神者の離家が見える小部屋にある。最初は雨戸を閉められないのではと危惧されたが、構造上、何の問題も無いようだった。
離家の近くからその部屋をぼうっと眺めていた厚は不意に呼ばれた声に視線を巡らせた。
「厚藤四郎様」
「んん、こんのすけ?」
「審神者さまに何か御用で?」
「うん、大したことじゃないけれど。いるか?」
基本的に、刀剣は勝手に離家を訪れることをよしとされない。正確には、その邸に勝手に足を踏み入れることをよしとされない。大体の本丸では出入りを自由とされているようだが、この本丸ではいまだにその解禁は行われていないので厚もそれに則って離家を訪ねる。
離家の入口正面が審判者の執務を行う書院になっているので、大体は許可を取る前に審神者が気付いておいでと言う。しかし、今は審神者たる丹色がその執務室にいないようだった。離家の奥に引っ込んでいるのか、それとも別の場所にいるのか。
「申し訳ございません、審神者さまはただ今不在でして」
「えっ?」
申し訳なさからか、こんのすけがくるりとその場で尻尾を追うように回って、居心地が悪そうに座り込んだ。
「政府関係のご用向きで、本丸にはおられません」
「政府って」
脳裏をよぎったのは昨日の門前という丹色に攻撃行動を行った男のことだった。思い出して、厚はサアと血の気が引く。
「ちょ、共は!」
「──ああ、そう言えば、厚様は…」
血相を変えた厚に、こんのすけはわずかに首を傾げたがすぐに合点がいったように息を吐いた。厚藤四郎は昨日の審神者議会に随伴した。そこで門前とひと悶着あったことは丹色から聞いているのだろう。察したような顔をした。
「門前様とのことは伺いました。確かに門前様とお会いするのは懸念も多いでしょうが、問題はありませんよ」
ほっとした様子の厚にこんのすけは微笑ましい気持ちになる。ボンクラで物臭な主ではあるが、刀剣は大事に扱っている。刀剣もちゃんと主を大切に思っているのだと感じられて。
しかし笑うこんのすけに反して、厚は眉をひそめる。
「…つまり、門前と会うんだな」
「ええ、まあ」
やはり気になるのはそこらしい。まあ主に危害が加わる可能性があって、それを放置する刀剣もいないか。こんのすけは1人納得しつつも淡々と返す。
丹色は1人で出掛けた。それはこの案件に刀剣を巻き込むべきではないと判断されたからだ。…少なくとも、この本丸の刀剣はまだ関わるべきではない。
「で、共は誰なんだ?」
「おりません」
「──は?」
厚の目が点になった。
ギィ、と木の軋む音がして厚は顔を上げる。やや乱暴に玄関の引き戸を開ければガラリと大きな音が鳴った。
その音に驚いたのか、扉の向こうで丹色が驚いたように厚を見ていた。今しがた移天門から出てきたところらしかった。
政府関係の用向き、とは言ったが、本当に一人で出て行っていたとは。昨日攻撃してきたような男のもとへのこのこ護衛も付けずに会いに行く神経が分からない。ふつふつと湧き上がる苛立ちに思わず丹色を睨みつけたが、当の主はきょとんとしている。この主は刀剣の心情に疎いらしい。
「あれ?厚?」
「1人でおでかけか大将?」
「………あー」
丹色が遠い目をした。厚の言葉に何か察するところがあったらしい。察するところがないのは問題だが、察することもできたはずなのに1人で出て行ったというならなお問題だ。
「昨日あんな目に合っといてよくひとりで出れたな?」
「そ、そう怒らないでよ…」
「しかも昨日のアイツとも会ったと聞くんだが?」
「ま、まあ…」
昨日はきっちり丹色を守り切れたわけではない。鯰尾との実力差は圧倒的だった。それなのに、こうも言えたことではないのだが、それでも厚としては理解ができない。もしまた斬りかかられたら、何かしらの危害を加えられたら。普通はそう危惧するはずなのだ。どうしてこの主はその危機感を持たないのか。
少し説教染みてきたなと思わないわけではないが、やめるつもりは毛頭ない。そもそも警告のためにわざわざこんのすけから帰宅予定時間を聞いて、玄関で待っていたのだから。
「…うん、今日は門前にも会ったし、政府の用向きにも出てた。けれど、刀剣を連れて行かないのには理由もあるし、安全上のことも考えたうえだよ」
最初こそたじろいでいた丹色だが、だんだんと態度が毅然としてきた。全く譲る気がない様子である。正直信憑性にかけるのだが、3日待つと言ってしまった手前、誰かに報告することもできない。丹色は丹色でなんのために一人で動いているのかは言う様子もない。
「…だったら、せめて何してるのか言ってくれないか」
『このタイミングです。どう考えてもあの男のことじゃないですか』
『あ、やっぱり黒なんだ?』
『確信した上で私を呼んだでしょう』
昨日の会話の意味を、何をしているのかを。
「あの男…門前に何か頼まれたんだろ?けれどそれは、大将には危害が加わるようなものじゃないんだろ?」
「そうだね」
「だったら教えてくれ。教えてくれたら、心配も多少はマシだし、俺も口うるさくなくなるだろ?」
どうだ、と詰め寄れば丹色は少し考えた様子だった。さあ口を割れ、と内心で強く念ずる。
しばし考えて、丹色が厚と視線を合わせた。かと思えば周りをキョロキョロと見渡す。また厚に視線を戻した時には苦笑いになっていた。
「言えることは少ない。しかも大声では言えないからさ。ちょっと離まできてくれる?」
離家がある方向を指さしていうので、厚はぎこちなく頷く。言えることは少ない。果たして厚が求めるような回答はあるのだろうか。
丹色のあとを無言で付いていく。本丸の屋敷の中は通らずに、建物の横を通り過ぎ、庭を突っ切って離家まで到達した。
玄関ではなく縁側から家屋に上がり込む丹色はふと思い出したように厚を振り返る。
「どうしたの?」
「大将の体調のことを思えば当然の配慮だと思うけど」
「離に入ることが?もう気にしなくていいのに」
ちょいちょいと手招きする丹色に、数歩後ろで立ち止まっていた厚はやっと離家の建物すぐ近くまできた。
気配がして、見てみれば家屋の奥からこんのすけが出迎えに出てきた。
「おかえりなさいませ審神者様」
「ただいまー。もうホント疲れたんだけど」
「たまには動かねば体も鈍りまするぞ」
「うっさいなぁ…」
丹色が面倒そうに言って書院に足を踏み入れた。靴を揃えて置いていた厚も、慌てて立ち上がるとそれに続いてついて行く。いつも障子は中途半端にしか開いていない。中の様子はあまり確認できなかったので、厚はマジマジと書院を見渡した。
大きめのローテーブルが複数あって、机の上にデスクトップパソコンやノートパソコンも置いてあった。ひと通りの文房具も揃っているようで、ハサミや何に使うか分からない文具が入った筆立てが4つも並んでいる。別の机の端には電子辞書と電子ノートが複数と、何やら紙の束も積み上がっている。その足元には鈍器にもなりそうな分厚い書籍が数冊。壁際には戸棚があり、その上に茶器が置いてあった。
いろいろあるが、いやに殺風景に見えるのは書院が広いからだろう。人の気配のある部屋ではあるが、生活感はあまり見えない。
「とりあえず座ってよ」
丹色はカバンを机の近くに置くと、流れるような動作でパソコンに電源を入れて茶器に近付いた。
座ってよ、と言われても、どこに座ればいいのか。思ってあたりを見渡していると、丹色が思いたったように押入れの中をあさりだした。
「ごめんなさい。はい、座布団」
「う、ん?お、おう…」
座布団を渡されたのはいいが、一体どこに座すればいいのか。思って戸惑っていると、見かねたようにこんのすけが厚の足元に寄り添った。
「パソコンの近くでよろしいでしょう。審神者様もお話しやすいでしょうし」
「あ、うん」
言われるがまま、パソコンのすぐ近くに座布団を敷いた。その際にデスクトップの中身が見えた。どこかの家の犬がこちらを見つめていた。
それを見つめていれば、すっと湯のみが差し出された。丹色が差し出したものだった。
「はい、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
「で、私が何してるか、だよね」
丹色はパソコンの正面に座る。相変わらず硬い笑みを浮かべたままだった。
「あまり詳しくは言えないんだけどね。とある本丸の刀剣を引き取ることになってる」
「──え」
予想外の言葉に、厚は目を見張る。予想の斜め上というか、そもそも想像だにしなかった分野の話だったというか。
あと2日は言わないでね、と念を押すと、丹色はパソコンを弄り出す。
「予定としては、大倶利伽羅」
「…そういえば、いないな」
たまに燭台切が零すことのある名前だ。この本丸は、主の性質からか比較的刀剣の数が少ない。一般に審神者の優劣の基準として、刀剣の数が取り上げられる。40口いてまあまあ、50口以上で優秀といったところか。40にも満たない丹色は審神者としてはきっとまだ地位は低い。特に太刀以上が明らかに少なく、槍も薙刀もこの本丸にはいない。
「あまり鍛刀をしないからね、仲間が増えにくいんだ」
「で、大倶利伽羅を引き取るって?…それは門前から頼まれて?」
「間違ってはいない。正確に言えば、門前のせいで引き取ることになった。その打ち合わせに政府のところに通ってる。他社の神域に入るも当然のことだからうちの刀剣は連れていけない」
神は他の神の神域に入ることは原則できない。できないというより、厳に慎むべき事柄だ。神気の混同は刀剣の弱体化を招きかねないし、何より反発する可能性もある。故に、他人の本丸に連れていくにはまず神気の調整が必要だ。刀剣を連れて行こうものならその調整がままならなくなる可能性がある。だから連れていけないのだ。
正直、刀剣を連れていけない理由としてはまだ納得しがたいが、反論のしようはなかった。
「…。昨日言ってた『あの男は黒』の意味は?」
「それは言えない」
「…そうか」
戦場に身を置くようなことではない。一応はそのことにほっとすべきか。
「…3日。あと2日、経ったらちゃんと歌仙に報告するし、大将も報告しろよな」
「うん、ありがとう、心配してくれて」
「ホントに心配してんだからな…」
「うん、肝に銘じとく」
丹色は問題はないと明言しているが、不安はぬぐえない。険しい顔をする厚の頭に丹色が手を乗せる。
「ごめんね、あんまり言えないんだけど、あと2日で新しい刀剣が来るし、その状況も説明できるから」
そう言って苦笑した丹色に、結局厚は何も言えずにため息をつくしかなかった。
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モドル