03



彼は何と言ったか。……そう、「優しい」と、そう明言した。


「……鬼かっ!」
「まあまあ、それも今のうちだと思って」

大和丹色と言う。
『号』と『字』というものが審神者にはあって、それが実質的な審神者個人の呼び名を示す。慢性的な人手不足と言われる審神者だが、その数は決して少ないわけではない。その職務上、本名を明かすことが禁忌とされる彼らを把握するための号と字だった。要は氏名の代わりだ。
号を大和、字を丹色という。よって、大和丹色。これが今しがた鶴丸国永が呪詛を投げた相手であり、彼の主を示す号字である。

「一週間出ずっぱりだぞ!普通ならストライキものだ!」
「何それ」
「ひ・ぎょ・う!罷業!」
「へー」
「興味ないな君」

そんなことは、と乾いた笑みを浮かべながら櫃に手を伸ばすのは燭台切光忠と呼ばれる太刀だった。台所を任される刀剣の一人である。彼が開けた櫃には冷めた白米が入っていた。

「けれど、今の練度はいくつなんだい?」
「43」
「じゃあそろそろ終わりじゃない?」
「…今日一緒に出陣する連中が全員練度80を超えているんだが」
「数日でそこまで上げたがるほど、主も鬼じゃないさ」

燭台切はこの本丸では古参の刀剣だと聞いた。最近この大和の本丸に顕現された鶴丸はしっかりとこの本丸内を把握しているわけではないが、ある程度の内部事情は把握しているつもりである。古参であればあるほど、やけに審判者に対する執着・信頼が強いと鶴丸は思う。それはどの本丸でも同じことが言えるのだが、なんといえばいいか。鶴丸には少々理解しがたい──否、納得しがたいものがあった。
それは自身に限らず、刀剣と審神者のかかわりが極端に薄いことが起因する。存分に力を振るえる環境に何の不満もない。ないが、刀である自分たちと、主になんの関わりがないことはどうにも解せなかった。それなりに求められることの多かった自身であるから、余計にそう思えたのかもしれないが、それでも主に大切にされているとそう実感したい。
むっすりと燭台切を見る鶴丸に、燭台切がはい、と大きめの握り飯を差し出した。

「この後も出陣だろう?まあ食べなよ」
「…いただく」

朝から近場の激戦区──それも周囲を練度の高い刀剣で固められなければ簡単に折れるような──に放り出されてひたすら刀を振るってきたところだ。怪我はないが、刀装が二つ吹っ飛んだ。
さすがに疲れている。もさもさとうまい握り飯にありついていれば、すっと出汁のきいた味噌汁が差し出されたものだから迷わず受け取った。時間はとうに午を過ぎていて、少し遅い昼食だった。

「じゃあこの後も張り切って頑張ろうね」

ぐっと味噌汁を飲み干したところで言われた言葉に、鶴丸は冒頭の言葉を力なく復唱した。鬼か。


夕刻。
日が暮れ始めた頃、審神者の領域たる枯山水の庭にはたくさんの甲冑や衣服が台座のうえに並べられていた。それらすべてがこの日の出陣による敵の血糊に汚れていて、怨嗟がある。丹色がひとつひとつそれらの様子を確認して傷がないかを丹念に調べる。出陣中の刀剣たちの傷はかすり傷すらモニタリングできるが、まれにそれを潜り抜けることがある。大体は任務終了後の、帰投時の戦闘によるものだ。サクッと倒してきてくれているのか、大した怪我はない様子だが、ちょっとした怪我は報告してこないことがある。そんな報告されない怪我を教えてくれるのが、この戦闘衣服だった。多少の切り傷、打撲痕すら見逃す気はない。

「あなたそういうところは徹底してますよねえ」
「神様傷物にしちゃわるいでしょうよ」
「言えてます」

その様子を横で見詰めていたこんのすけが関心したように呟いた。出陣したら衣服は出す。これは刀剣たちに徹底させている事項だった。出陣すれば、少なからず血を浴びる。それを放置すれば穢れとなって弱体化の原因になったりするし、何より不潔だ。また、殺した相手からの怨嗟がまとわりつく。これも理由は先に同じ、弱体化の原因だ。
そして何より、傷の確認ができる。これはきっちりやっておかねばならない。

「どうです?」
「ん、問題なさそう」

最後の一つを見終わって、丹色は改めて衣服を台座の上で整えた。手についた血糊を気にすることなく、彼女は足を枯山水の方へ向けた。靴を脱ぎ、白砂が敷き詰められたその瀬戸際に立てば、ポチャンと澄んだ水音がした。
水面を表現するだけの白砂の上に、波紋が起きる。ポタポタと鳴りやむところを知らない水音とともに、白砂の上に透明な水が這いだした。気付けば白砂は消え、丹色の腰ほどの深さの泉が出来上がった。
それを確認して、振り返れば髪が揺れる。それをうっとおし気に払い、丹色は台座の上から衣服を持ってきてぽいぽいとそれらを泉に投げ入れた。アアアアアアアアアイカワラズナントイウアツカイヲ…。そんなこんのすけの呪文は聞き流しながら、じゃぶじゃぶと自分もの中に足を踏み入れた。

性格上、丁寧にぬぐうようなことはしない。ただ水の中でざぶざぶ振るだけである。きっちり血糊と怨嗟は落ちるので問題ない。

「はいできあがり!」

洗い終わったそれらを網の上に敷き並べれば、今日の洗濯は終わりだ。
ぐっと伸びをして早速今日の晩御飯について何かを呟いている丹色を眺めていたこんのすけは、ふと視線をずらして首を傾けた。理由は、何か気配を感じたからに他ならない。そこにはその気配の正体──手伝い式神──がパタパタと何か大きな袋を抱えてかけてくるところだった。他の洗濯ものだろうか、とこんのすけが首をかしげていれば、足を止めて丹色にその袋を差し出した。

「ちょっとなにー…くっさ!!」

袋を開けた丹色が悲鳴をあげて後ずさった。腕をめいいっぱいのばして自分から遠ざけている。何事かと思って近寄ったのがいけなかった。臭い物に蓋という諺があるにもかかわらず近寄ったのがいけなかった。

「なにこれくっさ!!なにこれ誰だまたずおか!」

その言葉に「え」と思わず声をこぼした時には、こんのすけはすでに丹色の足元にいた。すお、とは鯰尾藤四郎のことだ。長いのでずお、と勝手に略されている。今朝もこの鯰尾絡みの問題で乱闘を起こしてひどい目にあっている。

「ずおなの…鶴丸国永!!ツルナガかよこんな驚きいらねえよ!!」

広げた衣服は白く、最近見慣れ始めた内番服だった。
怒りに任せてばしん、と勢いよく丹色が着物を地面に叩きつけた。足元にいたこんのすけに馬糞が跳ねた。

「ちょおおおおおお!!馬糞跳ねたんですけどぉお!」
「るっさい舐めとけ!!」
「動物虐待で訴えますよ!」
「アンタのどこが動物だタヌキ!」
「キィイイイ!!こんのすけは狐でございますぅうううう!!」

第二次キャットファイト。
背後で式神たちがまた集まりだしたのに気づくことなく、今日もまた丹色とこんのすけが仁義なき争いを繰り広げだした。
丹色が審神者を始めた当初からあったこの戦いには、式神もいい加減ため息すらつかなくなっていた。

 
モドル
手を