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本丸の北西の隅は『審神者の領域』だ。離れ家があり、正面としている南側には御影石の上がり框が設けられている。それより南は刀剣たちも見慣れた清庭で、その庭から流れ出した水は審神者の離れ家の西側を通ってどこかへと消える。
領域の北側は枯山水だと聞いたが良く知らない。ちなみに東側には大小用途に合わせた道場が並ぶ。

そんな『審神者の領域』をのぞき込んでみたのは、本当にただの出来心であった。数刻前に歌仙と主の話をしていたことも、興味をそそった要因としてはあったと思う。
会ったのはただの一度きりで、つい先週。つまり鍛刀されたその日だけだ。顕現してから話した言葉は実に味気なかった。

「よろしくお願いいたします、鶴丸国永。当本丸一同、心より歓迎致します」

鍛刀部屋で顕現してみれば、目の前にはしゃんと背筋を伸ばした審神者が正座して待っていた。丁寧に立ち上がると、近くにいた歌仙兼定に案内を頼み込んでいた。そのあとは失礼します、で終わりだ。それからはその姿を見てもいない。
人物像なぞ暗闇の中だ。せめてにこりとしてくれればその表情くらいは読み取れただろうが、あいにく彼女(声からしておそらく女だ)は終ぞ笑顔──表情すらを見せることはなかった。
1日の終わりには、ほんの少しの傷すら丁寧に手入れしてくれるものだから、悪い人間ではないのは重々承知だ。これくらい、と報告せずに放置した傷も、その日の夜には何故か看破されて手入れ部屋に呼びつけられる。毎日の始めはそりゃあもう万全の態勢である。
しかし、彼女の出陣スケジュールが厳しいことも確かだった。基本的に効率が重要視されているのはこの1週間で身にしみている。特に鶴丸は錬度上げのためか、出陣回数が明らかに周りより多かった。
そんな鬼なのか女神なのか検討もつかない彼女だが、自分に限らず、刀剣とは全く接点がないということも事実であるので、会うのは控えていた方がいいだろう。

「(式神の行方を見るだけ、見るだけ…)」

所詮驚きを求める者、鶴丸国永。興味には勝てなかった。
手伝い式神の後を追ってこんなところに来てしまったが、本命は手伝い式神の行方だ。審神者に会いに来たわけではない。そう言い聞かせて、離れ家の横をすり抜けて裏側に出た。もちろん人の気配をきっちりと探っておく。脇差や短刀たちほど気配に敏いわけではないが、それなりに探るくらいはできる。そうでなくても、審神者とは戦場に出る者ではない。相手としては易い。

岩場の影に隠れて、式神の行方を目線で追いかける。見失っても、少し身を乗り出せばすぐに再発見できた。式神はパタパタと枯山水の方へと走り、ピタリとその動きを止めた。まさかバレたかと咄嗟に岩場に体を引っ込めた。それと同時に、ザクリと鶴丸ではない人の足音が聞こえてきた。

「(え……。げ!?)」

ここは『審神者の領域』だ。ここで人の足音など、ひと方しかいまい。
鶴丸は慌てて岩場から頭を出して見てみれば、あろうことかあの式神、審神者に馬糞付きの衣服を差し出していた。

「ちょっとなにー…くっさ!!」

鶴丸を軽い絶望が襲った。服が審神者に渡った。

「なにこれくっさ!!なにこれ誰だまたずおか!ずおなの…鶴丸国永!!ツルナガかよこんな驚きいらねえよ!!」

ブチギレた審神者に地面に叩きつけられる内番服。切ない。その足元にいたこんのすけに馬糞が飛んだ。すまないが罪悪感はなかった。審神者に服が渡ったことがショック過ぎた。

「ちょおおおおおお!!馬糞跳ねたんですけどぉお!」
「るっさい舐めとけ!!」
「動物虐待で訴えますよ!」
「アンタのどこが動物だタヌキ!」
「キィイイイ!!こんのすけは狐でございますぅうううう!!」

うるさい!と審神者がこんのすけを踏みつぶした。容赦がない。本丸でも日常にありがちな喧嘩の風景がそこに広がっていた。審神者も喧嘩するんだなあ、なんて考えてから、何かおかしいことに気付く。

「(…いやそうじゃなくて!!!!)」

誰だ!?誰だあの審神者!?他所の者か!?
目をむいて審神者をじっと見たが、どう見ても一週間前の審神者だったし、その霊力を見間違えたりなどしない。

「洗うのは誰だと思ってんの…!」
「彼らは存じ上げないかと思いますがね!」
「ぐ…!」

ん?と鶴丸は首を傾げる。つまり、あれか。今までの洗濯物は全て審神者が自ら洗っていたと、そう言う事だろうか。実際、彼女の近くには今日洗いに出した衣装が網の上に寝かせてあった。血糊や怨嗟は既に洗い清められていた。

「ちょっ丹色さま、近寄らないでくださいね…!」
「ざっけんなよこのあほタヌキ!」
「ぎゃぁああああその手で触らないでくださいましこんのアホ審神者ぁあああああ!!!」

逃げるこんのすけ。追う審神者。なんだかとんでもないものを見ている自覚はあったが、何をどう判断すればいいのかさっぱり分からない。というか、どんな反応をしたらいい。審神者は刀剣と関わりを持つことを避けている。というか、まるで興味がない様子だ。それは、逆を言えば、

「(──興味があれば、ああも表情を見せるのか)」

鶴丸をさらなる衝撃が襲う。同時に、思考が暗く滲む。脳裏に浮かぶのは歌仙や燭台切といった、審神者に篤い信用を抱く同士たちだった。一年。ここで暮らし、主のために戦った彼らでも、いまだあの表情は向けられている様子はない。その事実に、まるで裏切られたような気さえする。

──ああ、やっぱり、解せないなあ。

こうして衣服を毎日洗い清め、刀装は惜しみなく使わせる。わずかな傷でも手入れして、必要以上に与えられる資材で刀身は実に美しく磨き上げられる。一人につきひとつ持たされる御守りは、万が一の時に刀剣男士を確実に守ってくれる。演練のときの他の刀剣の話によれば、これは審神者が相当刀剣のために身を砕いている証だという。これだけ聞けば、守られている、大切にされていると思えるのに、しかし実際はというと、持ち主としては全く接してくれていない。
呆然と立ちすくしていれば、騒ぎが一転、やたらと静かになっていることに気付いた。
ふっと顔を上げれば、審神者と目が合った。面布に隠れて見えないが、その目は明らかに鶴丸をとらえていた。

「あ」

ばれた。思ったが鶴丸の思考は鈍かった。どうせ向けられない表情であったし、憤りに近い感情すら抱き始めていた。
審神者の面布に書かれた『私は怒っている』の文字も、普段なら笑って指させるだろうに、今はできそうにない。

「えーと。…よっ」

何がそうさせたのか、思わず出したくもない笑顔を取り繕って、そう声を出していた。
しかし、気が付けば目の前にこんのすけの顔面が迫っていて、視界はこんのすけだけになった。

顔面に衝撃。


どす、といい音が鳴った。
丹色が思わず投げつけたこんのすけが鶴丸国永の美しい顔面にめり込んだ音だった。状況を把握した途端、丹色の顔から文字通り血の気が失せた。

「ぎゃああああああああああああ!!!ごめんなさいぃいいいいい」

叫びながらダッシュで駆け寄る丹色を、鶴丸はうっすら開いた目で確認する。ついでに視線を横にずらせば、顔面に飛んできたこんのすけが目を回して地に伏していた。また審神者に意識を戻す。慌てた様子でこちらへやってくる審神者の顔は、必死だった。衣装の浄化で濡れた着流しが走りづらそうだ。
実際丹色は走りづらかった。それでも全力で走ろうとするものだから、鶴丸まで後もう少しというところで足が突っかかって、そのまま鶴丸の腹部に向かって全体重+加速度の威力で頭突きを食らわせた。

 
モドル
手を