「なんでテメーがなまえと一緒に来てんだ」
顔を合わせるなり、晋助は不機嫌になった。坂田くんはすぐには反応しなかったが、晋助の態度に段々腹が立ってきたらしく晋助を睨みつける。
本当は晋助を抑える方が気楽でいいのだが、向かい合っている立ち位置的にそれは出来ないので、私は坂田くんのシャツを引っ張って彼を制止する。頼むからこんなところで喧嘩しないでくれ。
「いや……なんていうか……」
晋助の質問には、流石に正直に答える度胸はなくてお茶を濁す。
「俺たち同棲してんだよ。な、なまえ?」
「坂田くんのその無頓着さはどう育ったらそうなるの?」
しれっと真実をバラした坂田くんに、すかさず恨みのツッコミを入れた。女の子としては、たとえ相手が晋助であってもバレたくない事実である。昨日あったばかりの同級生男子と同じ家で暮らすなんて、どちらかといえばそれ自体あまり嬉しくない。それに関して、坂田くんに罪はないから何も言わないが。
「畳の上でのんびりダラダラ〜、みたいな?」
「そりゃあお気楽そうだ。一生ダラダラしてな。行くぞなまえ」
「あ、うん」
晋助に言われて歩き出す。同棲の件は流されたから、嘘だとでも思われたのだろう。今だけは坂田くんと晋助の不仲に感謝だ。
「ほら、今日のヤクルト」
「いらな……ありがとう」
もうヤクルトのやり取りも飽きてきたので、私はいらないというのを諦めて素直に受け取る。歩きながら飲むわけにも行かず、とりあえずお弁当の入った巾着に一緒にしまう。
坂田くんはその様子を、私たちの少し後ろからじっと見ていた。
「やらねェぞ」
「いらねェよ」
気付いた晋助が振り返ると、坂田くんは腹立たしげに顔を歪める。それを見た晋助がまた眉間にシワを作った。
「ちょっと、仲良くしようよ。晋助もほら、松陽先輩と同じとこ行くなら問題起こしちゃダメ」
「……ちっ」
これから毎朝この面子で登校することになると思うと、少し――いや、かなり不安である。
晋助の予想通り、その日の午前の授業はほとんどがクラスメイトの自己紹介などで終わった。ニ年目ではあったが、一時間目は担当教員のお情けで、二時間目は新任の先生だったため、三時間目は坂田くんが転校生だからという理由でクラス全員自己紹介をさせられて、残りは読書や先生の雑談を聞いて時間を潰した。四時間目は普通に授業だった。
適当にノートを取りながら国語の時間を終えて、私は席に座ったまま小さく伸びをした。
「なまえ、学食行こうぜ学食!」
斜め後ろの席から、坂田くんが話しかけてくる。
「坂田くんお弁当あるでしょ?」
坂田くんのお弁当は、今朝私の分と一緒に母さんが用意してくれた。
「いやいや、思春期男子舐めんなよ? お前の五倍は食うから」
「それは食べ過ぎじゃない?」
大きい数字を出した割には、ぎりぎり食べられてもおかしくないラインの気がするのが、どこかおかしい。
「坂田くん。弁当が足りないのなら、俺のんまい棒をやろう」
坂田くんの前の席に座っていた桂くんが、自分の学生鞄を取り出してひっくり返した。中から大量のんまい棒が出てくる。
「十円の駄菓子だからと甘く見るなよ。意外と腹持ちがいいからな」
「いらねェよこんなに……喉パサパサになる」
んまい棒に机の上を荒らされて、坂田くんはげんなりしていた。
なんとなく晋助のヤクルトを思い出す。
厚意(推定)を拒否された桂くんが少ししょんぼりしている。立ち上がって「よし、行くぞ」と坂田くんの方を見る。
「……」
坂田くんはなんだかぼんやりしていて、あまり話を聞いていなかった。
「どうした? 学食だ学食。行かないのか?」
「あ、あぁ……行く行く」
坂田くんの返事はどこか端切れが悪かったが、桂くんは満足気に頷いた。坂田くんはまだ他のクラスメイトとの距離間が掴めていないのかもしれない。
「みょうじはどうする?」
桂くんが私に聞いた。
妙ちゃんは今日も茶道部の準備があるし、他の友だちは違うクラスだ。誰と食べる予定もなかった私は、かばんの中から弁当を取り出して立ち上がる。
「じゃあ、私もお邪魔しようかな」
桂くんとも坂田くんとも、一緒に食事をするのはこれが二回目だ。私はお弁当があるので、桂くんと坂田くんが行列に並んでいる間に、二人の分も含めて席を取って待つ。
なんだかんだ、学食に来るのははじめてだった。周囲には若者が好みそうな濃い味の料理の匂いが充満している。今度、私もここの料理を食べに来てみよう。
「すまないみょうじ。待たせたな」
「いやさ、コイツが遅くて」
坂田くんがヘラと笑った。
昼時の食堂の大行列に一緒に並んで、ある程度打ち解けたらしい。食堂の大行列と、校門前の長い坂は、「クラスの席が近い」に続いて、新入生が友だちになるきっかけ二位と三位であった。共通の敵というやつだ。
「俺はすぐ決めた。いつも蕎麦だからな」
そういえば、桂くんが教室でお昼を取っている姿はあまり見たことがなかった。昨日のように学食が休業している式典の日やイベントの日を除いて、彼はいつも学食で食事を取っていたような気がする。
席をとっていた荷物をどけて二人に座ってもらう。
巾着からお弁当とお箸を取り出して机の上に置いた。
「悪いなまえ、そこの箸取って」
テーブルの隅にあったプラスティック製の箸を、二本抜き去って坂田くんに渡すと「さんきゅ」と返ってくる。ついでなので桂くんにも渡すと「あぁ、すまない」と返ってきた。
「ときに坂田くん」
「う、うん?」
桂くんに呼ばれて、坂田くんは微妙な顔で彼を見た。
「坂田くんは部活はどうするのだ?」
「あー、どっか入らないといけねェんだっけ? 結構面倒くせェよな」
うちの高校は全生徒なんらかの部活に所属することが校則で定められている。破ったらどうなるかは知らないが、多分教師にしつこく呼び出される。
「確かに。私も一年の頃はいろんなとこまわったりして結構面倒だったなぁ」
「まぁそう言うな。期限は再来週の水曜までだから、いろいろまわって自分に合うところを見つけるといい。生徒会執行部なんてどうだ?」
部活報告は14日まで。入部届を各部の先輩か顧問に提出して必要な書類を担任に提出するから、期日より少し早めに入部する必要があるが、それまでは見学と仮入部の期間が設けられている。仮入部といって部室に通い出すと、先輩に手厚くもてなされて気付けば本入部を断れなくなっている、というのはわりとうちの高校の伝統らしい。
「お前それ本気で言ってる? 俺が生徒代表として奔走するような性格に見える?」
坂田くんはあからさまに執行部行きを嫌がって見せた。
自由な校風からいろいろ許されているとはいえ、代表が銀髪は確かに不味いかもしれない。坂田くん本人の性格に関しては、私はまだ何か言えるほど深くは知らないが、生徒会執行部として活動している姿はあまり似合わない。
「良いではないか。不良がひょんなことから生徒会執行部に入り、様々な人と触れ合い、いやいやながらも更生していく。まさに王道だな」
「誰が不良だ!」
「俺が仰げば尊しを歌ってやろう!」
桂くんは楽しそうにしていたが、完全に自分の世界に入ってしまっていた。昔から頭の良い人は変人が多いという。
坂田くんは桂くんについていくのを諦めて、買ってきたハンバーグに箸を入れていく。お弁当もあるのに、本当にがっつり買ってきているのには驚いた。
「でもその髪色は、不良と間違われても文句言えないよね」
坂田くんはハンバーグを咀嚼したあと、レジ前で売っているいちご牛乳を飲んで流した。私は思わず目を見張ったが、小中の給食は牛乳と普通のご飯だったことを考えれば案外いけるのかもしれない。
名前や肌の色は日本人のそれだから、実はハーフで、なんてこともないと思う。
「言っとくけどな、これァ地毛だかんな」
「マジすか」
言われて、思わず彼の髪を見る。不躾にも生え際なんかを探してしまう。
「いや、そんな見られると流石に恥ずいんだけど」
「あ、ごめんね!」
坂田くんが表情を硬くしてたじろいだので、申し訳なくなって目線を反らした。
桂くんは相変わらずひとりで何か言っていて、彼の口から出る不良坂田銀時が更生していく物語は、なんだか壮大なことになっていてもうついて行けない。
私は適当な話題を見つけて、再び坂田くんの方を向いた。
「午後の授業なんだっけ?」
「知らね。算数とかじゃねェの?」
「気持ちは分かるけど、高校に算数はないよ」
話題に迷ったから聞いただけで、次が数学なのは覚えていた。
私がお弁当を食べ終わったところで、坂田くんもハンバーグを食べ終えて、お弁当を開く。桂くんは普通に一人前だったので、とっくに食べ終わっていた。
空になったお弁当箱をしまおうと巾着を開くと、朝もらったヤクルトを見つけたのでそれを飲んだ。
「でもまだ数学は一回目だから、アイスブレイクの可能性が……」
午前の授業でやり飽きたけど。
「いや、あの班でアイスブレイクはもういいわ」
坂田くんに同じことを言われた。
「去年はどんな感じだったんだよ、数学の先生」
「うーん、去年は生物と同じ先生だったけど、今年は違う人なんだよね」
「違う先生ならまた自己紹介からはじまるんじゃね?」
坂田くんはぱっと嬉しそうな表情をする。アイスブレイクも自己紹介もやり飽きたことに変わりはないが、数学の授業に比べれば、マシどころの話ではない。
「やっぱりそうかな? そう思うよね?」
「なまえってしっかりしてそうで、意外と普通だよな」
嬉しそうにまくし立てる私を見て、坂田くんが言った。しっかりキャラのつもりもないが、勝手に誤解されて勝手に評価を下げられるのは少し不本意でもある。
「しっかりしてることと、授業が楽しいかどうかは別問題だよ」
「よっし。ごちそうさま」
坂田くんは私の台詞を聞き流すと、お弁当の方もきちんと食べ終わってケースをしまった。そういえばお兄ちゃんもお弁当と学食両方食べていたかもしれない。食べざかりの男子、恐るべし。
坂田くんが席を立ったので、私もそれに続いた。
「――おい、聞いているのか?」
「まだやってたの……?」
桂くんはずっとひとりで喋っていたようだった。
「じゃんけんしようぜー。学食といえばじゃんけんだからな。負けたやつがトレー片付けろよ」
桂くんが腕をまくりながら立ち上がる。
「お、学食っぽいな。ほら、みょうじも」
「えー、私お弁当だからいいよ」
「おいおい場の空気を乱すなって。先ヤクルト飲んでたろ。ゴミ持ってってやるから」
「じゃあ、まぁ……」
ヤクルトのゴミくらい教室のゴミ箱に捨てるほうが早いのだが、これはこういう遊びと思うことにした。
それに、桂くんの言うようにちょっと学食っぽい。せっかく友だちと学食に来たことだし、一度くらいは片付けを巡ってじゃんけんをするのも悪くない。
「行くぞ、後出しとかすんなよ。最初はパー」
「ちょっと坂田くん!?」
急ぎ足で掛け声をかけた坂田くんが、通例を無視して右の手のひらを広げた。掛け声につられて咄嗟に坂田くんの方を見たが、よく見たら桂くんもしれっとチョキを出している。
「桂くんに至っては何でか全然分かんないんだけど」
「す、すまない。咄嗟だったからつい」
「ごめん今ので余計分からなくなった」
普通咄嗟に出すのはパーかグーじゃないのか。
「じゃあもういきなり『じゃんけんぽん』からにしよ。いくよ、せーの」
「え!? おい――」
「え、なに? ちょっと二人とも、ちゃんと出してよ〜」
「いや、『じゃんけんぽん』にしよって言ったそばから『せーの』ってお前……」
「あ」
言われてから自分のミスに気が付いて、笑って謝る。
「ごめんごめん」
「仕方がない。やはりここは俺が仕切ろう。じゃんけんぽん」
桂くんの掛け声に合わせて、私と坂田くんは思い思いの手を出した。
「で出せよ――っておい、二人とも何をしているんだ?」
まだだぞ、と桂くんは戸惑いの声を上げる。
「……なんとなく予想はしてたけどな」
「まぁでも、なんかこれはこれで学食っぽいね」
学食っぽいというか、学生っぽいというか、友だちっぽかった。
結局私が負けて、トレーを返却口に持っていくことになった。
昼休みはそこそこ長いし、食事にかかる時間はみんなまちまちなので、食堂全体の混雑のわりに返却口はすいていた。
「へぇ、食器返すとこってこうなってるんだ」
返却口ではベルトコンベアが稼働しており、食器を置くと自動で流しの方まで運ばれるという仕組みだった。そんなところにかけるお金があるなら、校舎を綺麗にしてほしいと思わなくもない。
「珍しいななまえ、弁当はどうした」
ベルコンの奥を覗き込んでいたら、後ろから声がかかった。若干挙動不審なところを見られて慌てて振り返ると、晋助と彼の友だちの万斉くんが立っていた。
「晋助の友だちでござるか?」
晋助の後ろから、万斉くんが顔を覗かせる。
「ござ……?」
万斉くんと直接対面するのははじめてだったが、実はやばい人なのかもしれない、と私の頭の中で若干警告音が鳴った。
いやいや、偏見とか差別とか良くない。
それに彼は、女子にモテる。やばい人とは思えない。
聞き間違いかもしれない。
「……それ、全部食べたでござるか。なかなかいい食べっぷりでござるな」
「いや……これは……」
万斉くんは私の手元に目を向けて言った。台詞の割には若干引き気味にも聞こえたが、そんなことより彼の口調が気になって仕方がない。
「これは、友だちの分」
「なるほど。そうであったか」
万斉くんは納得したようで、私から視線を外してベルコンの方に歩み寄る。彼がトレーを返すのを見て、私も坂田くんと桂くんのトレーを返却口に返した。続いて晋助も自分の食べたトレーをベルコンの上に置いた。四人分の食器が、流しの方に、吸い込まれていく。
返却口の前にいると邪魔になるので歩き出す。食堂の出口は一つではないが、教室棟に向かうときに使う出口を考えるとほとんど一つしかない。私たちは、自然な流れで並んで歩くことになった。
「で、どうだ晋助。剣道を辞めるのであれば、鬼兵隊に……」
「きへ……なんて?」
私に向けられた言葉ではなかったが、思わず聞き返した。そんな怪しい名前の団体に、晋助を連れて行かれるのは、友だちとしてちょっと思うところがある。
「鬼兵隊でござる。軽音部の固定バンド。ちょうどメンバーがひとり抜けてしまって、晋助が入ってくれればちょうど良いのだが」
「あぁ、バンド名か。聞き慣れないから、怪しい宗教団体か何かかと思っちゃった」
「……怪しくはねェだろ」
少し不服そうに、晋助が異を唱える。
「鬼兵隊の名前は晋助が付けてくれたでござる」
「あ〜! なんか分かる」
確かに晋助の趣味っぽい。
大いに納得して、少し声が大きくなってしまった。
宗教団体と言われたのが恥ずかしかったのか、晋助はそっぽを向いて黙っている。
「おいななまえ、早くしねェと先帰っちまうぞ!」
出入口の方から、坂田くんが叫んだ。
見ると坂田くんと桂くんが並んで私のことを待っていて、それを目に入れた晋助が目を細める。
「ご、ごめん! 今行くから! じゃあね!」
坂田くんと晋助を一緒にしたくなかった私は、無理やり晋助たちと別れて坂田くんの元へ走った。私たちが晋助たちの少し前を歩いて教室に向えば、坂田くんと晋助が喧嘩になることもないだろう。
晋助は一瞬不可解そうな顔をしていたが、万斉くんと別れる理由もわざわざ坂田くんと喋りに来る理由もないので何も言わなかった。
数学の時間は、『数の神秘〜美しい数字の世界〜』という、数というものがいかに素晴らしいかについてのビデオを見せられて終わった。感想文を求められたが、字数指定がなかったのでありきたりなことを書いて、裏向けて提出した。数学の先生は満足気だった。
数学とLHRの間の休み時間に、私は桂くんに声をかけた。
「ねぇ桂くん、奨学金の書類なんだけど」
「ん。どうした?」
出し損になった数学のノートと教科書をしまいながら、桂くんはこちらを向いた。
「3枚目の最後、学業に対する意気込み的なやつ。あれ、去年と同じでもいいよね?」
「まぁ、バレないとは思うが」
「そうだよね」
「実際俺も去年とほとんど同じで出すつもりだしな。俺の志は入学したときから変わらん」
「桂くんの"同じ"は、私のよりよほど崇高そうだね」
そろそろ進路も考えなければいけないというのに、数学の感想も奨学金の書類も、中身のない定型文しか書けない。未来の自分は、進路調査票には、一体何を書いているのだろう。
私が深刻そうな顔をしているのに気がついて、桂くんが口を開く。
「みょうじはまだ、自分のしたいことが見えていないだけだろう。ゆっくり考えればいいさ」
桂くんは優しく笑う。
本当はゆっくり悩める期間などとうに過ぎていると思うのだが、桂くんがそう言うなら焦っても仕方がないということだろう。
「そうだね。なんか桂くんに言われると安心する」
「そうか? ならいいんだが」
私は静かに笑ってみせる。桂くんもまた笑顔になってくれた。
チャイムが鳴ったので、私は席に戻った。
若干遅刻して小走りになりながら、クラス担任の久保先生が教室に駆け付けた。百均の小さなプラスティック製の網籠に、配布プリントと自分用のメモが入っている。去年からよく見る光景だ。
配布プリントは、今年初の学年通信だった。新しい学年がはじまるということで、各クラス担任と副担任、第二学年の授業を受け持つ教科担任の挨拶や抱負が述べられている。生徒については一切触れていないが、まだ何もはじまっていないから仕方がない。
担任が学級通信について話している間に、私は急いで奨学金の書類の空欄を埋めた。
ただでさえ提出物が多いので、提出できるものは早く片付けてしまいたかった。
久保先生が回収をはじめたので、他の生徒に倣って奨学金の書類や家庭環境の調査票などを提出した。
久保先生が時折隣のクラスの担任に確認に行きながら――受け持たれる側としては非常に心配である――LHRは委員決めの時間へと突入する。
「とりあえずクラス委員を決めます。やりたい人ー。大学とか企業に送る成績表に付けられるぞ」
まずクラス委員が決まらないことにはその他委員も決められないのだが、久保先生の便りなさも相まってか、クラスメイトは先生から目を逸していた。
若干一名を除いて冷たい反応を貰った先生がこちら――というか除かれた一名である桂くんの方をじっと見ている。視線に耐えかねたのか、桂くんはすっと手を上げた。
なんだか、かわいそうなものを見た気がする。
「先生、俺はみょうじが良いと思います」
かわいそうなのは私だった。
クラスメイトが、なんだかほっと胸をなでおろした。
「いや……私は……」
私が拒否すれば事なきを得るだろうとは思うが、担任の視線と、クラスメイトからの横目での圧力が痛い。
「や、やります」
委員決めなんて興味なさそうにしていた晋助が、若干にやにやしながらこっちを見ている。
「じゃあみょうじ、男子の方も決めちゃって」
去年の例から予想はしていたが、それ以降の委員決めは私が仕切ることになった。とはいえクラス委員をやりたい人間がいないのは先ので明白だ。
教卓に立たされた私はクラスメイトを見渡す。
桂くんが自分の席から口パクで「がんばれ」と言っている。私をこんな状況に追いやった本人ではあるが、生徒会に入りたいと言っていたし、悪気もなさそうだ。彼に頼むのは気が引ける。坂田くんは寝ているし、晋助は――晋助がクラス委員はちょっとないな。あとの男子はよく知らない。
視線に気が付いた晋助が「がんばれ」と口パクした。
桂くんとすることが同じで、私は少し笑いそうになったが、よくよく見ると晋助の表情にはからかいの色が混じっていて、若干イラっときた。
「えっと……誰もいませんか?」
返ってくるわけもなく、私の声が教室の静寂に吸い込まれて行った。
「じゃあ、私は高杉くんが良いと思います」
全然良いと思っていたわけではないが、この状況を面白がっていて腹が立ったし、道連れにしても心が傷まない唯一の男子である。
自分がそんな面倒ごとに巻き込まれるとは全く予想していなかったらしく、晋助は形容し難い複雑な表情で固まっている。
他のクラスメイトは本人以上に動揺していた。
「さぁ高杉くん、私と一緒にクラス委員をやりましょう。そして更生しましょう」
全然そんなこと思っていないが、私はちらりと桂くんの方を見た。
彼ははっとした表情になって立ち上がる。
「流石みょうじだ! 先生、俺も高杉が良いと思います!」
桂くんがそういう系に弱いのは、昼休みに調査済みであった。
「まぁ、桂がそう言うならいいんじゃないか?」
基本的に適当なのと、桂くんの去年の活躍ぶりもあって、先生はあっさり桂くんの意見に流されてくれた。
今後晋助に大事な書類を預けたりすることになるであろう男子たちは物凄く不安そうにしていた。気持ちは分かるが、そういうときにいい加減なことは晋助もしないと思うので許してほしい。というか出てこなかった本人たちが悪い。
その後は人気不人気はあったが、順調に各委員が決まった。無理やり前に立たされた晋助の顔や声がほとんど脅しレベルだったので、彼にはチョークを持たせて黒板に決まった人の名前を書いていってもらった。ろくに学校に来ていないせいでほとんどの人間の名前を覚えていなかったらしく、時折「あいつ誰だっけ」と聞いてくる。たまに私も知らない人がいるので、教卓においてあった先生用の座席表が活躍した。
クラス委員を決めるときよりスムーズだったせいもあってか、晋助が隣に立っているだけで緊張が大分マシになった。なんだか不思議な気分だった。幼馴染ってすごい。
LHRが終わって、号令の掛け声とチャイムで目を覚ました坂田くんは、先生が帰るなり黒板に書かれた『クラス委員 高杉』の文字に耐えかねて吹き出して桂くんに話しかけていた。当の晋助が用事があるとかでどこかへ行っていたのが救いだ。
「坂田くん今日掃除あるよ」
荷物を片付けてそのまま帰ろうとした坂田くんに声をかけると、彼は「げ」と顔を顰めた。
「この学校って掃除あんの?」
「え、逆に前の学校はなかったの?」
「いや……そうか。そうだよなあるよな普通、掃除」
坂田くんはどこか挙動不審だった。
「そう思うけど」
私がそう言うと、坂田くんは「おっけーおっけー」と言って荷物を机に置いた。そのまま桂くんと、私の後ろの席のしほちゃんと一緒に掃除に向かう。午前の授業ではこのメンバーで何度もアイスブレイクをしたため、もうかなり打ち解けていた。
私達の掃除場所は、二年の教室の一つ上の階にある図書館の前だった。図書館と言ってもそんな大それたものではなく、普通の学校の図書室と変わらないのだが、図書室と呼ぶと管理の先生が若干不機嫌になるのでみんな図書館と呼んでいる。
掃除用具入れから箒を借りてきて、男女に別れて廊下の両端から掃いていく。
「なまえちゃんって、高杉くんと仲良いよね」
掃き掃除を続けながら、しほちゃんが話しかけてきた。
「え、うん。まぁ、良いか悪いかで言えば良いかな」
「もしかして、付き合ってるとか?」
しほちゃんはからかうように聞いてくるが、彼女が期待している反応は何ひとつ返せない。私と晋助はそういう関係でも、そういう関係になったこともない。
「ないない」
私は平坦な声で答えた。
「でもほら、クラス委員とか。更生させてあげるって」
「あー……あれはただ、巻き添えにしたかっただけっていうか、他の子を指名する勇気がなかったっていうか、あの空気に耐えかねたっていうか」
「本来なら一番勇気いると思うんだけど」
だからまぁ、男子の中だと晋助と特別仲がいいのは否定しない。ただそれが恋愛感情でないことは、私が松陽先輩に恋をしていたことからも明らかだ。晋助だってそれを知っているし、散々協力してくれた。主に剣道部に遊びに行くダシとして。もちろんちゃんと晋助の応援もしていた。
とはいえ松陽先生のことは、しほちゃんが知る由もない。
「じゃあ、朝坂田くんとの諍いを収めたって話は?」
「なにそれ……またなんか話――噂になってんの?」
心当たりがなくはないが、また物凄い尾ひれがついていそうな予感がした。
「校門坂のところで、坂田くんと高杉くんがなまえちゃんを取り合って喧嘩してたって。まぁ噂だけど」
確かにあの二人はあの後も喧嘩していたけど、私を取り合ってはいない。ただ本人たちの相性が悪いだけなのだ。じゃあなぜ一緒に登校することになっているのかというと、二人とも私と登校する流れになっているからなのだが、多分私がどうこうよりも相手に遠慮するのが嫌なだけだ。
「しかもそれをなまえちゃんが収めてて、高杉一味の裏の権力者はなまえちゃんってことになってるよ」
「ん゛ん゛っ」
物凄い大誤解が生まれていた。
思わず笑ってしまいそうになるのをなんとか堪えて、代わりにおかしな声を出して集めていたゴミを霧散させてしまう。
とりあえずその高杉一味とかいうありもしないもの――知らないけどないでいいんだよね――が存在しているのが面白い。そこに私が名を連ねており、実権を握っていることになっているのは非常に問題だが。
「そもそも、高杉一味なんて存在してないからね。多分」
「でも実際、坂田くんと高杉くんを侍らせながら教室に入ってきてたよね」
「侍らせてはないんだけど。それ私凄い悪女じゃない?」
掃いてきた道を少し戻って、散らばったゴミを集める。
もし噂が本当なら、私は取り合われたあとに両方侍らせて登校したことになるし、その上で晋助をクラス委員に誘うという、相当酷い女だ。
「だよね」
「しほちゃん結構容赦ないよね。あと、違うからね」
彼女は愛らしい見た目によらず毒舌だった。若干妙ちゃんと同じにおいがする。だから私とも仲良くなれたのかもしれないが、笑顔で毒を吐く女の子はひとりで十分だ。
廊下の向かいからゴミを集めて来ていた坂田くんと桂くんと合流したので、そこでその話題は終わった。
小中と一年のクラスが別だったから気が付かなかったが、一緒に登校したりするとやはりそういうふうに見えるのかもしれない。事実、幼馴染という単語だけで少しいじりたくなる気持ちは、私にも多少分かる。
だからどうするということも、私には出来ないのだが。
校門坂の下でしほちゃんと、昨日と同じ交差点で桂くんと別れて、私は坂田くんと二人で歩いていた。
だいぶ仲良くなったとはいえ、二人で話す話題にはまだ少し迷う。
「今日の晩ごはん何かな」
「なまえの母ちゃん飯旨いよな」
「本当? だよねー。あの人おっとりしててちょっと頼りないけど、料理だけは本当に上手いの」
母親の料理は、私のちょっとした自慢だ。友達の中では数人しか食べたことがないが、みんな美味しいと言ってくれる。私自身のことではないが、褒められるとつい嬉しくなってしまう。
「弁当もアレ、冷めても旨かったし」
「あ、お弁当。お母さんに増やしてもらうように言っとくね」
坂田くんは昼間、量が足りないからと学食のハンバーグを食べていた。
「あ、いいって別に。隠すために食ってただけだし。ほら、俺と同じ弁当食ってるとこなんか見られたら嫌だろ。朝は腹立って勢いでバラしちまったし、昼前も……特に何も考えねェで声かけちまったけどよ」
坂田くんは少し寂しそうに俯く。
今朝私が無頓着と言ったからか、坂田くんは私と同じ家に住んでいることを隠そうとしてくれていたらしい。
「学食行こうぜっつったのは、いちご牛乳買いたかっただけだから、弁当はあれで足りる。あと、明日からは別で食おうぜ」
「え、いいよそこまでして隠してくれなくても! 確かに、外聞的にはあまり広めないではほしいけど、坂田くんは悪くないんだし。普通に食べてよ」
あと、ハンバーグも余裕で入っていたので、お弁当が足りていたかは審議の余地がある。
「あと、もし良かったら、明日からも一緒に食べよう?」
別にお昼の席が全てではないが、せっかく仲良くなれて席も近いのに、ご飯の時だけお互い避けるなんてもったいない。
それに、お昼ごはんを一緒に食べるくらいの友人なら、口止めすれば黙っていてくれるだろう。
「いや、でも……いいの?」
坂田くんは戸惑い気味ではあったが、私が頷くと嬉しそうに笑った。
家に帰るとご飯ができていて、私たちはそれぞれ部屋で荷物を置いて着替えを済ませる。坂田くんの部屋は、母と別れた父親が使っていたものだ。
明日の準備をして携帯をチェックすると、新聞部部長から一斉送信のメールが入っている。
『週明けからは通例通り部活があります。今年はじめの会議を行うので、月曜日は早めに集合してください。
それから、一年生の部活見学や仮入部があるので、14日まではできるだけみんな来てください。』
今日一日考えないようにしていたが、私は新聞部を辞めさせられる可能性があることを嫌でも思い出す。仮入部で外堀を埋められてなし崩し的に入っただけだから、正直辞めてもいいのだが、友達もいるし、他に入り直す宛もないし、先輩とだってそれなりに仲良くやっていたのだが。
とりあえずは『了解しました』と返しておく。
再びメールが届く。
今度は桂くんからだった。彼とはクラス委員の手伝いの関係で、去年メールアドレスを交換していた。実際に使われるのは、去年のはじめ頃以来久しぶりだ。
『こんばんは。みょうじさんは明日お暇ですか? 良かったらゲームセンターに連れて行ってください。
2年4組 5番 桂小太郎』
「業務連絡かな……?」
部活の連絡と比べても、随分格式ばったメールだ。そういえば、桂くんは去年もこんな感じだった。将来上司への連絡で困ったら参考にしよう。
とはいえこれは友達とのメールなので、気軽にいっても良いはずだ。桂くんの性格はともかく、私が格式ばったものを書こうとするとどこか他人行儀になってしまう気がするし、と思って『行こう行こう!どこかで待ち合わせしたいんだけど、桂くんっていつもどこの駅で降りるの?』と書いたが、桂くんとの差が恥ずかしくなって結局消した。
『こんばんは。こちらは大丈夫です。もしよろしければご一緒させていただきたく存じます。いずこかにおいて落ち合いたいと考えさせていただいておりますが、桂様はどちらにお住まいでいらっしゃいますでしょうか?最寄り駅を教えていただきたく存じます。よろしくお願いいたします。
2年4組 23番 みょうじなまえ』
「なんか違う気もするけど……まぁいいか」
桂くんだったら多分笑ってくれる。
そう思って送信ボタンを押した。
しばらくするとメールが返ってくる。
『改まりすぎだ。去年みたいに普通でいい。みょうじがこうなることは去年確認済みだったのにすまない。久しぶりだったから俺も少し緊張していて、つい格式ばってしまった。お詫びと言ってはなんだが、添削しておいたぞ。PS.最寄りは遠山駅です。
2年4組 5番 桂小太郎』
添付ファイルがついている。開けると、桂くんの手書きの文字で先程の私のメール本文が綴られており、その上から赤ペンで文章の誤りが指摘されている。相応しい言葉で書く、二重敬語、記号のあとは一文字開ける、改行を入れて分かりやすく。やること自体はズレているが、大人になってからもビジネスメールの指導をお願いしたい限りだ。会社でも隣の席にいてほしい。
ただ、彼の文章でPSと本文が逆であることだけは私にも分かった。
『ありがとう。遠山駅なら、飾磨にいいところがあるからそこで待ち合わせよう。11時に飾磨駅前でいい?』
迷ったけど、面倒だったので最後の名前の部分も消した。あれを書くと、本文の気軽さが気になってしまう。
『分かった。南口の噴水のところにしよう』
『了解。お昼は近くのラーメンでいい?』
男の子はみんなラーメンが好き、という兄の言葉を信じて、お昼ごはんの提案もしておく。
『蕎麦がいい』
返答としては予想外だったが、食べたいものがあるのは予定を立てる身としても助かる。そもそもなぜ私が予定を立てているのかというと、桂くんがあまりゲーセンや周りの施設の事情に詳しくなさそうで、昨日も今日も「連れて行ってくれ」というスタンスだったので、勝手に私が仕切っているだけではあるのだが。
『分かった!』
確か、駅の近くに物凄く美味しい蕎麦を出すうどん屋さんがあった。ゲーセンと方向も同じなので、そこに行けばいい。
桂くんの喜ぶ顔を想像すると、自然と胸が踊った。