デートは最低三回
『桂くんどこにいますか?』
『噴水の、駅から見て手前側に立っている。左手にコンビニが見える』
 土曜日だから、思ったより人が多くて桂くんを探すのに手こずる。朝起きる時間も考えて十一時を指定したのだが、こんなことならもっとはやい時間にしておけばよかった。
 桂くんを探して視線を彷徨わせていると、携帯の着信音が鳴った。慌てて携帯を開くと、その桂くんから電話がかかってきている。通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。
『もしもし桂くん? ごめんね、思ったより人多くてさ。私も昼の駅前とか久しぶりで……』
『大丈夫だ。それより今どのあたりにいる?』
『あのね噴水のところにはいるんだけど』
『あ、待て。見つけた。ちょっとそのまま待っててくれ』
『うん……』
 電話口から聞こえてきた声に、私は再び桂くんを探して四方八方を見渡す。相変わらず人が多いが、振り返ったときに近付いてくる桂くんが見えた。噴水のちょうど反対側にいたらしい。
『おはようみょうじ』
 電話の音と、直接空気を震わせた桂くんの声がほとんど重なって聞こえた。
「おはよう」
 左手を振って、携帯を持っていた右手は顔から離す。桂くんも同じようにしたのを見て、私は通話を切った。二人とも携帯をしまう。
 学外だから当たり前なのだが、桂くんが私服だったから少し戸惑ってしまう。学ランでピシッとしているイメージしかなかったから、ふつうのラフな格好で驚いた。
 失礼な感想は胸にしまって、ぎこちなく笑う。
「なんか、休日に会うのって久しぶりだね」
「そうか? この前の入学式の準備とか」
「うーん、学校の外で会うのが新鮮……もしかしてはじめて?」
「そうか……そういえばそうだな。不思議な気持ちだ」
 桂くんとはそこそこ仲が良い方だから、改めてはじめてだと認識すると確かに不思議な感じがした。そもそも、高校生にもなると男女で遊びに行くこと自体が珍しい。
 あれ、そう考えるとこれってもしかしてデートなのか。
 いやいや桂くんだし。少なくとも恋愛沙汰なんて興味なさそうだ。
 それで言えば、ゲームセンターにだって大して興味がなさそうなイメージだけど。
「気になってたんだけど、桂くんがゲームセンターに行きたいなんて、なんか意外だね」
 歩き出しながら問いかける。
 桂くんは私について横に並び、首をかしげる。
「そうか?」
 彼は私の方を向いて不思議そうな声を出したあと、逆光に目を細めた。そのまま一旦瞼をおろしきって前に向き直る。
「ちょっと気になることがあってな」
「ゲームセンターに?」
「あぁ! 俺は絶対にゲーセンに行かないといけないのだ!」
 桂くんは拳を握りしめて目を輝かせた。

 行きつけのうどん屋さんには、ちょうどお昼時ぴったりについた。駅前の人の多さには気圧されたが、時間は計算通りだ。
 予約制ではないが、店は空いていた。私はよく来るところだが、あまり人には知られていない、ちょっとした穴場なのだ。
 ラーメン屋だったら混んでいたかもしれないから、桂くんが蕎麦を提案してくれて良かった。
「うどん屋だな」
「ここの蕎麦が絶品なの」
「マジでか」
 嬉しそうに食いつく桂くんに、私も頬が緩んだ。
 店員さんに勧められて二階の座敷に上がった。低価格で純和風っぽい雰囲気が楽しめるのも、ここの良さだ。
 席の端に立て掛けてあるメニューを各々手に取る。
 入り口で接客をしてくれた店員さんがおしぼりとお冷を運んできてくれた。
 お礼を言って軽く頭を下げると、店員さんは耳障りの良い声で「ごゆっくり」と言って笑顔で去って行った。
「桂くんはかけ蕎麦派? ざる蕎麦派?」
 メニューに視線を落としながらたずねる。
 桂くんも同じくメニューを読みながら、考える素振りを取った。
「ざる蕎麦も好きだが、俺はどちらかというとかけ蕎麦派だな。みょうじは?」
「私はざる蕎麦が好きかなぁ」
 子供の頃、ざる蕎麦と同じ要領でかけ蕎麦を食べようとしたら舌を火傷した。それ以来ざる蕎麦ばかり食べて育ったので、今でもなんとなくざる蕎麦派だった。流石にもう火傷はしないと思うが。
「では俺も、今日はざる蕎麦を食べてみよう。おすすめはあるか?」
 桂くんはメニューから顔を上げて、こちらを伺うように見た。
 私は「うーん」と悩む素振りを取って、メニューをめくる。手を止めたのはざる蕎麦のページだ。一番目につく位置に載っている天ぷらは定番だし、すだちとか大根おろしも捨てがたい。悩んだ末、私がいつも食べるものを桂くんに勧めることにした。
「私のおすすめは、梅とシソのやつ」
「爽やかだな。俺はそれにしよう」
 気を遣っている様子でもなく、純粋に私のおすすめを楽しみにしてくれているようだった。
 桂くんはメニューを閉じて所定の位置に戻す。
 私も同じもので良いだろう。
 畳と背の低い机に、簾の備えられた大きな窓。その中で異色を放っている機械に手を置いて、店員さんを呼んだ。
「いつもので」
 やったことはないが、いつも同じものを頼むから通じるだろう。少し格好付けてみたくなった私はそう口にする。
 桂くんは向かいの席から羨望の眼差しを送っていた。
「おぉ、格好い――」
「えっと……申し訳ありません……その」
 顔を上げると、研修中の名札をつけた見慣れない店員さんが困り顔で立っていた。
「あ、いえ! すみません、あの、コレで!」
 顔を赤くしながらメニューを開いて指差す。桂くんは私の向かいでクスクスと笑いながら店員さんに向かって「俺も」と手をあげる。
 店員さんは綺麗な営業スマイルで注文を繰り返し、他に注文がないことを確認すると、小さく礼をして去って行った。
「いつもは下で会ったおばあちゃんが接客してくれるの!」
 若い研修中の店員さんが階下に去って行ったのを確認して、にやにやとこちらを見ている桂くんに小声で言った。
「春だから新しいバイトを雇ったんだろうな」
 目立たない風貌のこのうどん屋は季節に寄らずバイト募集中ではあったが、新学期はやはり人の入れ替えが激しいようだ。
 恥ずかしさを誤魔化すように、お冷に口をつけた。
「桂くんはバイトとかしてる?」
「うちはバイト禁止だぞ」
 確かに、うちの学校はバイト禁止だ。見つかったら辞めさせられて、生徒指導室に連れて行かれるだろう。
 とはいえ妙ちゃんは実家の手伝いでちゃっかり給料を貰っているし、隠れて家庭教師をやっている人も多い。数年前の先輩は、それで担任教師の子供とバッティングしたらしいが、そんなことは稀だろう。
「そのルール、あってないようなものじゃない?」
「みんながやっていようと関係ない。学校側が俺たちを思って作ったルールだからな」
「それはそうなんだけど……作ったときにいた先生が今何人いるのか……」
 創立百年は経ってるからいないと思う。
「まぁそう言うな。みょうじは何かやりたいバイトでもあったのか?」
「うーん」
 お洒落なカフェの店員に憧れがないわけではないが、似合わないし、案外ハードワークだと聞く。静かな本屋さんで働くのも良いが、品出しの際に持ち歩くのが大量の本だと考えるとなかなかやりたいとは言えない。なんなら学校鞄に一日分の教科書を入れて持ち歩くのですらキツイのだ。
「社会勉強……でもないけど、バイト自体はやってみたいかな。高校生っぽいし。でも具体的に何かって言われるとなぁ……」
「確かに高校生っぽくはあるな」
 桂くんは腕を組んでうんうんと頷いた。
「だがバイトといえど中途半端な覚悟では務まらんぞ」
「桂くんは相変わらず優等生って感じだよね。やったことないのに、意気込みが違うっていうか」
「そ、そうか? そんなことないだろ」
 そう言うと桂くんは組んでいた腕をといて水を飲む。
「校則もバイトも、そんなに深く考えてる高校生、今時いないよ」
「そうだろうか……」
 桂くんはなんだか浮かない顔をして俯いた。その顔に影が差す。私はひとりで小さく首を傾げた。
 先程下で会った、いつものおばあちゃんがにこにこしながら蕎麦を運んでくる。
 おばあちゃんが落ち着いた動作で蕎麦を机に置くと、桂くんの表情がぱっと明るくなった。おばあちゃんは接客の挨拶と、私に向けて軽く手を振って仕事に戻って行く。
 机の隅に大量に保管されている割り箸を桂くんに渡すと、きちんと食前の挨拶をしてから嬉しそうに橋を割った。
 その姿を見ながら私もいただきますを言う。
「やはりざる蕎麦も美味いな」
 桂くんは頬を緩ませて綺麗に笑った。

 土曜の昼下りということもあって、ゲームセンターはなかなかの賑わいようだった。ゲームセンターは年がら年中うるさい場所なので、中学生や小学生、更には大学生の集団がそこかしこで大騒ぎしていようと気にはならない。もちろん、私たちと同じ高校生らしき集団もちらほらいる。
 太鼓の達人の達人らしき人が、私の目では追い付けない速度と密度の譜面でフルコンボを叩き出す。自然と集まっていた観客から歓声と拍手があがる。
 桂くんも小さく拍手をしていた。
「何かしたいのある?」
 私が友達とよく回るルートを案内するのは簡単だが、今日ゲームセンターに来たいと言ったのは桂くんだ。何か目的のものがあるのなら、とりあえずそこに行ってから適当に楽しむほうがいい。
 狭い店内を時折一列になって歩き、どこに行こうかと桂くんを振り返ると、彼はクレーンゲームの台を指差した。
「あれ」
 白くて大きなぬいぐるみが、透明な檻の中に積み上げられている。両手で抱えるサイズの大きなぬいぐるみは、自重に耐えかねて数体が折り重なっていた。まつげの生えた目は可愛いといえば可愛いが、無表情で若干怖い気もする。黄色い口は鳥っぽいが、羽は生えておらず、代わりに小さな手が縫い付けられている。
「あれがしたい!」
 今までに聞いたことのない、弾んだ声がして、振り返る。
「エリザベス! 待っていろ今助けてやるからな!」
 何がどうなったのか、桂くんは台の壁に手をついて食い気味にぬいぐるみを見つめた。
 楽しそうに、しかし真剣にぬいぐるみに語りかけ、財布を取り出す桂くんの横に並ぶ。
「これ、エリザベスっていうの?」
「これじゃないエリザベスだ」
 目を細めてクレーンを動かしながら、桂くんは不服そうに訴える。
 とりあえずエリザベスらしい。
 見ると、台の左上に貼られたポップに、『ちびっ子に大人気!! 宇宙怪獣ステファンが全国のゲームセンターに登場!!』と書かれている。
 この見た目で、おばけでもペンギンでもなく怪獣なのか。
 確かに怪獣として見れば可愛いような気もする。ちびっ子に人気が出るデザインには見えないが、よほど話が面白いのかもしれない。
「ステファンじゃないの?」
「ステファンは総称だ。彼はエリザベス」
「へぇ、男の子なんだね。……エリザベスって男の名前だっけ?」
「今名付けた。目が合ったらビビッときてな。名前が男のものか女のものかは関係ない。こいつはエリザベスだ!」
 力説だった。
 桂くんの目は依然としてゲームの方に向いていたが、なんだか圧倒されてしまう。
「そ、そう……」
 改めてゲームの方に目を向けた。
 桂くんはあまり来ないわりには器用にぬいぐるみを掴んでいたが、最近のクレーンゲームは掴むだけでは取れないように出来ている、というのをどこかで聞いたことがある。
「ねぇ桂くん、普通に掴むんじゃなくて、タグにかけてみたら?」
「タグ? どこだ」
「えぇと」
 言ってはみたものの、私も実際にやった事があるわけじゃない。詳しいことは分からないが、ぬいぐるみのタグの位置といえば大体背中側だろうか。
「ちょっといい?」
 大して自信があったわけではなかったが、思った位置になかったら申し訳ないので、桂くんに代わってクレーンの前に立った。
 真剣にクレーンゲームをするのなんていつぶりだろう、と思いつつ、私はゲーム機にお金を入れる。
 見ていた感じだと、掴んで持ち上げることは出来ていたので、落ちたときに裏返るように考えて持ち上げれば良い。
 落としたときに「エリザベス、平気か!?」と悲痛な声が聞こえてきたが、ひっくり返すことには成功した。
「ほら、あの……なんていうのアレ……えーっと……掴むところあるじゃない?」
 私が指差すと、桂くんはそれに従ってアームの先を眺める。
「アレの先にゴムみたいなの付いてるでしょ? そのゴムの段差みたいなところに引っ掛ける感じで」
 桂くんは首を捻った。
 身振り手振りで説明するが、私の説明が下手なのか、桂くんのゲーセン知識のなさが祟ったのかなかなか伝わらない。
「えーっとだから……」
 確かにゴムとアームの段差なんて小さなものだから、知らないと見つけにくいかもしれない。かく言う私も、友達から聞いただけの知識だから合っているかどうか微妙だ。
 桂くんの視線に合せるべく、近付いて彼の腕を引いた。
「ほら、あれ、私の指の先にあるでしょ。あれを――」
「……」
 視線を感じて桂くんの方を向くと、どこか緊張した面持ちの桂くんとはっきり目が合った。
 よく考えると近いし、友達だし無意識とはいえ、付き合ってもいない同級生の男の子の腕を引っ張るなんてどうかしている。
 今更気付いてもやってしまったものは取り消せないし、ここでぱっと手を離したらそれこそ意識してるみたいで恥ずかしい。焦りと意地で冷静さを欠いた脳が、説明続行という命令を全身に言い渡した。
「そう、あれをそっちの、お尻から出てるタグに引っ掛けて出口まで持ってくるの!」
 緊張で若干大きくなった自分の声に混じって、「続けるのか……」という動揺まじりの桂くんの呟きが聞こえた気もするが、言及しても恥ずかしいだけなので、お互いのために気の所為にしておいた。
 説明が終わったので、桂くんの腕を離してゲーム機の前を明け渡す。
 桂くんから離れてほっと息をつく。
 桂くんは既にステファンに夢中になっていて、早速小銭を財布から取り出す。そのままボタンの横の何もないところにカチカチとぶつけ、違和感に気が付いて下を向く。
「あれっ……入れるところどこだ」
「桂くん投入口下っ」
 私に言われて、慌ててお金を正しい位置に入れる。
 深呼吸をして、ぬいぐるみに向かい合うと、真剣にボタンを押していく。私も固唾を飲んで見守った。
 ステファンのぬいぐるみ――エリザベスが、お尻につけられているタグで吊るし上げられてだらしなくぶらさがったまま出口へと運ばれていく。
 焦らすようにゆっくりと動くクレーンをじっと見守りながら、桂くんが時折「すまないエリザベス……そんな姿に……」と悲しげに漏らした。
 やがてアームが開くと、タグはその衝撃とエリザベスの重みでゴムから離れていく。べちゃ、という音とともにエリザベスが落下してきた。
「すまないエリザベス! 怖かったか!?」
 桂くんの中でどういう設定になっているのかはともかく、彼の感動具合に私もついついつられてしまう。
「良かったねエリザベス! ごめんね痛くなかった!?」
 もう高校2年生にもなる二人組が、自分を腕に抱いて涙ぐむのを、ステファンのぬいぐるみは無表情に見守っていた。

 エリザベス救出(桂くん談)にテンションの上がりきった私たちは、「エリザベスどこ行きたい?」「何か欲しいものはないか!?」「お腹減ってるんじゃない!?」「そうか! ずっとこんなところに入れられていたから……遅くなってすまない」「今すぐ何か食べさせてあげよう!」と面白くもない芝居を打ちながらカラオケに足を運んだ。なぜ行き先がカラオケなのかというと、流石にお洒落なカフェやファストフードなどのひと目のある場所で「エリザベス何食べたい?」とは出来ないから、どちらからともなく、自然とカラオケに足が向いた。ゲーセン内は賑やかで、他人のことを気にする人間はほとんどいないから、多少は恥ずかしかったがはしゃぐ楽しさが買った。
 適当にポテトやチキンナゲットを頼んで、エリザベスも当然のようにソファに座らせる。桂くんはエリザベスに蕎麦を食べさせようとしていたが、昼ごはんからそんなに時間が経っていないからがっつり行くのは辞めたほうが懸命なので止めた。エリザベスに食べさせるとは言っても、エリザベスはぬいぐるみだ。一口だって口にしない。結局食べるのは私たちなのだ。
 桂くんの横でもたれ掛かるように座っているエリザベスは、やはり無表情だ。
 じっとその顔を眺めると、今更だがこんな大きなぬいぐるみを取る人ははじめて見たと感慨深くなってくる。
「桂くんすごいね、才能あるんじゃない?」
 エリザベスを眺めながらしみじみと言う。「いや、みょうじが教えてくれなかったら取れなかったぞ。みょうじこそ才能があるんじゃないか?」
「いやいや、普通理屈が分かってても取れないんだよ。私、友達に教えて貰ったけど無理だったもん」
「そういうものか?」
 桂くんはエリザベスを撫でながら首を傾げた。
 何も送信されていないカラオケの画面には、今流行りの歌い手寺門通の広告が流れている。
「前に高杉と行ったときは全然ダメだったんだが……」
「あれ、晋助と行ったことあるの?」
「あぁ、一度だけな。それ以来なぜか連れて行って貰えない……やはり無理やりプリントシールを撮らせたのがいけなかったか」
 絶対それだよ、と言う前に、晋助のプリクラ姿を想像してむせた。飲んでいたジュースを桂くんにかけそうになったが、それをなんとか飲み込むと、余計に席が酷くなる。
「大丈夫か?」
「げほっげほっ……というか、プリントシールって今どき言わなくない?」
「そうか? そういえばあの頃とはコインの投入口も違っていたな」
 桂くんが間違えて別の位置にコインを入れようとしていたのを思い出す。
「あぁ、間違えてたね。その前までは普通に出来てたのに」
 まだ若干むせながら、私はクスクスと笑った。
「む、あれはみょうじが……というか歌わないか?」
「え、あ。そうだね」
 私は立ち上がって、テレビの横に置いてある送信機を手に取った。
 普段友達と来るときのノリで「三時間でいい?」と聞いたら「あぁ」と返ってきたので、部屋は三時間で取ってある。歌わないのは流石にもったいない。
「桂くんなんか歌いたいのある?」
「『届かない恋』だな。順当に行ったら坂田くん落ちになりそうな設定だからな。ここらで一旦、昼ドラもびっくりのドロドロ社会人編がはじまることを示唆しておこう」
「ここ一応女性向けサイトだから。誰にも通じないネタやめてね」
 この話、落ちとか設定とかそういう感じじゃなかったのに。というかまだはじまったばかりなのに社会人編の示唆なんてしないでほしい。
 結局桂くんは宇宙怪獣ステファンのオープニングを歌って聞かせたくれた。子供向けらしく合いの手を入れる場面が多くて、歌詞の括弧でくくられた部分を見ながら、分からないなりに盛り上げた。
 桂くんがどんなものが好きか分からないから、探り探りに選曲しつつも、それなりに互いに楽しみながら、あっという間に三時間が経過した。

 カラオケから出ると、空が薄く赤らんでいて、土曜日の終わりを示唆していた。二人とも高校生だから普通に夜まで遊ぼうが問題ないのだが、とりあえずは駅の方に向かって歩くことになった。駅周辺の方が色々あるからだ。
 行きも通った店や、昼食を取った店を見つけて、二人であれが楽しかった、これが良かったと話した。
 ひとしきり話し終えた頃、桂くんがふと立ち止まった。
「みょうじは、文理選択はどうするんだ?」
 はじめの一年が終わったばかりなのに、私たちはもう半年で、文系か理系か決めなくてはいけなかった。
「私は何も」
 私は、多くの生徒がそうするように、「何も考えてな〜い」と軽く笑った。何も考えていないのは本当だった。
 将来のことを考えると、晋助のことが浮かんだ。ずっと仲良くしてきた彼と、離れたくないという気持ちもある。しかし、それよりも――、
「実はね、晋助に先を越されて少しだけ戸惑ってる」
 桂くんは少しだけ意外そうな顔をした。
「私は真面目に授業を受けてるのに、サボり倒してる晋助の方がしっかりしてるような気がしちゃって」
「あいつは松陽先輩について行くだけだろ」
 その表情から、何を考えているのかはよく分からない。
 桂くんは大人だから、きっと私よりたくさんのことを知っていて、考えている。
 晋助だって適当なようで、案外しっかりしているから、単純に松陽先輩を追いかけているのとは違う気がした。桂くんはそれを分かっていて私を気遣ってくれているのか、それとも晋助の言動についてそう深くは考えていないのかはわからない。
「そうなんだけどね。私は、松陽先輩について行くかどうかも決められないの。松陽先輩を追いかけたい気持ちはあるのに、人で決めちゃダメって気持ちもあって、どっちか決められない。晋助は決めてるのに」
「……」
 桂くんは黙って私の長い話を聞いていた。どこか思い悩むように視線をそらしたあと、表情をかたくして私の方を見る。
「みょうじはみょうじだから、高杉と比べる必要はないだろ」
「口で言うのは簡単だよ……偉い人はみんなそういうこと言うけどさ」
 人と比べるな。自分自身の良さを磨け。
 大業を成し遂げた人や先生はみんなそう言うが、受験戦争は数字が全てだ。スポーツ推薦、なんてものもあるが、それだって体育や部活の評価で決まる。
 テストの点数や平常点といった数字と、私たちの進路は密接に関係していた。その数字が高い人から順番に、私たちは好きな学校や企業に行くことが出来る。
「まぁ……そうだな」
 桂くんは抱えたままのエリザベスを少しだけ強く抱きしめて、小さく歩き出す。
「実は俺も、迷っているんだ」
「えっ……だって」
 桂くんは奨学金の話をしたときも、したいことは一年の頃から変わっていないと言っていた。
「立派な人間になるために勉強を頑張ってきたが、理系か文系かと聞かれると分からない。俺は何をしたいんだろうな」
「なんかそれは……」
 その時、私の携帯が震えた。二人して真剣な空気だったから、隣にいた桂くんも一緒に、その音に肩を跳ねさせた。
 慌てて携帯を取り出すと、見慣れた名前が画面に表情されている。
「晋助から」
 桂くんに携帯を向ける。
「出ていいぞ」
 頷いて、通話ボタンを押した。
『もしもし晋助? どうかし――』
『もしもし、高杉くんのお友達? 彼女さんかな?』
 知らない男の人の声だった。
『えっと』
『落ち着いて聞いてほしいんだけど』
『え……』
 男――おそらく私達より二回りは上だと思われるその声は、落ち着き払っていたが、どこか暗い雰囲気を纏っていた。
「どうかしたか?」
 不穏な空気に暗くなる私の表情を察して、桂くんが声をかけてくれる。わけもわからない不安が表情に出るのを抑えることもせず、彼を見上げて緩く首を横に振った。
『中央病院の者です。高杉晋助くんが、通り魔に刺されて、搬送されました』

『届かない恋』は「恋人がいる中での恋愛」をテーマにした伝説の鬱ギャルゲー『White Album2』の楽曲。負けヒロインの曲として名高い。ゲーム本編は恋人と仲直りしてハッピーエンドかと思いきや、黒髪ロングの本命ヒロインと再開してドロドロ社会人編がはじまる。
 ちなみに、桂くんが隣の席なのはこのゲームから設定を取っている。

もくじ
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