名無子が荒木荘に住み始めてまもない頃に、吉良の提案で歓迎会を開いたことがあった。
「乾杯!」
太陽も沈み、外はすっかり暗くなった夕飯時。とあるボロアパートの一室に賑やかな声が響いた。
部屋の真ん中に置かれた小さなテーブル。その上には、吉良も初めて作ったであろう多数の料理が並べられていた。出来立ての料理からは美味しそうな香りと湯気が漂う。
名無子は、自分の為に開かれた歓迎会を目の前にして、少し落ち着かない様子だった。
「急に居候することになったっていうのに、色々と気を遣っていただいて……なんだかすみません」
「いいんだよ。今日から一緒に住むんだし、それに君にはきっと沢山苦労をかけてしまうだろうからね」
「おい吉良!なんで俺の方を見て言うんだ!」
「別に。ディアボロなんか見てないよ」
ここの住人が全員普通の人ではないことは、名無子が初めてこの家に来た日に聞いた。
スタンドという不思議な能力を持っているということ。住人の内一人は、人とは違う生命体だということ。生まれてから今日までずっと普通の人生を歩んできた名無子にとって、全てが冗談にしか聞こえない。まるで漫画の世界だ、と思った。
本当ならこんな変人など放っておく方がいいのだろう。しかし、出会ってしまったが最後。偶然通った道のど真ん中で、死のループに苦しむディアボロを目撃してしまった名無子には、見て見ぬふりという選択肢はなかった。
「たしかに苦労するかもしれないですけど、全部受け止めるつもりです。伊達に二十年以上生きてませんよ。それに、家賃は払わなくていいって言ってたじゃないですか。手取り十六万ちょっと程しかないしがない会社員からしたら、迷惑を被ることになってもありがたい話です」
名無子は目の前にあるグラスを手に取った。コップいっぱいに注がれた冷たいビールは、綺麗な対比で泡を作っている。
「吉良さん、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」ガラスとガラスがぶつかる小気味よい音が賑やかな声に消えていった。
お酒は強いの?とか。仕事は何をしているの?とか。好きな食べ物や趣味の話など、他愛のない会話を楽しんでいた名無子達。
酒がまわり、テーブルを囲む皆が顔を赤く染めハイテンションで騒ぐ中、少し前から名無子が大人しいことに吉良は気が付いた。
「名無子?」
(そういえばDIOとディアボロに煽られてビールを一気に飲まされていた。気分でも悪くなったんじゃあないだろうか)
心配した吉良は名無子を見た。驚いたことに何故か名無子も吉良を見ていた。自然と目が合う二人。
「吉良さんって、よくみると美人ですよね」
「…………は」
突拍子もないことを口走る名無子に吉良の口から思わず変な声が出る。
「鼻もスッと伸びてて、睫毛も、少し伏し目がちにするとすっごい色っぽいです」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。酔ってるのか?名無子、一回落ち着いて……」
じり、と少しずつ距離を詰めていく名無子。四つ這いで迫る姿に、セクシーだとかそういう感情は一切なく恐怖しかない。吉良の身体に覆い被るように顔を近づけていく名無子。鼻先が触れるか触れないかの位置で止まった。
「キスしたいです」
「!?待て待て待て」
近づけられた顔に慌てて後ろへ下がり距離をとる。
すると、吉良の不自然な行動に気が付いた他の男達がそれを見て吠えた。
「おい吉良!名無子に変なことをするな!」
「名無子に何かするなら俺が先だ!」
「なんだ吉良。名無子の手に興奮でもしたか?」
ディエゴ、ディアボロ、DIOが次々と吉良に非難の声を浴びせた。
「ふざけるな!どこからどう見ても私が襲われているだろう!」
名無子から十分に離れた吉良が防御態勢をとりながら反論した。
獲物を失った名無子は不服そうに口をとがらせる。そして、床にぺたりと座ったまま近くにいたDIOを見上げた。
「DIOさんもすっごい美人ですよね」
「よくいわれる」
「否定しないのかよ」とディエゴがすかさず一言。
「名無子は美しいものが好きなのか?」
「そうですね。綺麗なものは好きです。でも、そうじゃなくても見ているとなんだかキスしたくなるんです」
「なるほど」
DIOは何か考えがあるのか、畳の上に座っている名無子と向かい合う形でしゃがみ込んだ。まるで恋人のようにじっと見つめ合った後、名無子の顎に手を添えた。
「私からしてやろう」
「わーい、じゃあお願いします」
名無子は疑うこともなく、目を閉じてじっと待つ。
「その代わり血をいただくぞ」DIOは口から鋭い歯をちらりと見せ、名無子に噛みつこうとした。
「馬鹿やってんじゃねえ」
DIOの顔が後ろに大きく仰け反った。
「邪魔をするなディエゴ。もう少しで血が飲めそうだったのに」
「残念です」
「お前らな……」
襟足を鷲掴みにされたままDIOはつまらなさそうに言った。名無子も同じく不満だと言わんばかりの顔でディエゴを見る。
「名無子はキス魔になるのか?」ディエゴが呆れた様子で言うと、名無子はよくわからないといった顔で首をかしげた。
「遊びは終わりだ。さっさと片づけて寝るぞ。見ろ、もう日付が変わりそうだ」
ディエゴが指さした方を見れば、時計はまもなく十二時になろうとしていた。
「もうそんな時間だったか……あまり夜遅くまで騒いでいると、近所に噂されて目を付けられてしまう。今日はこのくらいで止めて寝ようか」言うなりテーブルの上の食器や缶を片付け始めた吉良。
ディエゴは危険生物と化した名無子を寝かせる為、部屋の隅に布団を敷いた。
「ホラ、寝るぞ名無子。これ以上お前が起きてると本当に被害者が生まれる」
ディエゴが名無子に近づいた。その時だった。
「隙あり!」
突進するように名無子がディエゴにキスをした。
静寂なんて一度も訪れたことがないと言っても過言ではないこの部屋に、無音の気まずい空気が流れた。
「はあ、ごちそうさま!」ようやく満足できたのか、名無子が口を離す。
名無子が溢れんばかりの笑顔で放った言葉も、半ば放心状態のディエゴの耳には恐らく届いていない。
「今日はよく眠れそう。おやすみなさい!」
「おやすみのキスね」と、もう一発名無子にキスを食らったディエゴは暫く眠れず、翌朝名無子には飲酒禁止令が出されたのだった。
「懐かしいねえ」
「俺はしばらくトラウマになった」
「ご、ごめん……」