記録映像;××/08/20××


 本映像は、とあるアイドルグループが動画投稿サイトの自チャンネルに投稿する映像を撮影する為にある場所にて外部ロケを行ったモノである。企画そのものが没となり全ての記録を削除するまでに至ったその理由は不可解な映像の乱れや途切れなど複数挙げられるが、最大の理由はロケ中に起こった一つの事件だ。警察をも巻き込むこととなったこの一件は、ある日の何でもない企画会議から始まった。
 以降は、その経過全てである。アイドルという職業柄、企画会議から常に一台はカメラを回していたことで、この一件はその全てを映像に収めることとなったのだ。
 それは夏の始まり、巨大事務所の一角にある一つの会議室で始まった──。




20xx年 七月某日

「⋯⋯肝試し?」
「そう。まぁ、夏といえばやろ」
「えー、夏ってもっと色々あるやん。もっと俺ららしいことやろうや」
「そうやそうや。ていうか去年キャンプがどうとか言っとったやん、あれどこいってん」
「や、それもやるけどさぁ。夏って長いで〜? しかも夏休みとかお盆とかあってさ、普段観ん人も観てくれるかもしれんやん。ちょっと目を引くような企画とか、定番どころはやっといた方がええと思うねんな」
「⋯⋯照史の言ってることは正しいと思うねんけどさ、その、肝試しってよくYouTuberとかが心霊スポットとか行ってるようなやつ? 俺ああいうの信じてるから、安易にその〜⋯⋯触れたりせん方がええんちゃうかなって⋯⋯思う⋯⋯」
「あぁ、俺もああいうの好きちゃうなぁ。実際いるかどうかはさておき、何かしら理由はあるからいわくのついてる場所をおちょくるのは良くないやろ」
「や、ちゃうちゃう! 俺もああいうのは絶対あかんと思う! なんか冒涜的やん。まぁ行ってる人たち全員を否定するわけちゃうけど」
「せやなぁ」
「じゃあどうするん?」
「まぁ俺が思いついたのやけどな? 特に何のいわくもアレもない山とか神社で、ルート決めてカメラ持って一人で歩いて帰ってくるー⋯⋯みたいなやつとかどうやろ」
「⋯⋯⋯⋯林間学校やん」
「ははは! 懐かし!」
「やったなぁそんなん。途中先生が隠れて脅かしてきたりしたよな」
「ええやん。それなら楽しそうやし、一応ちゃんと肝試しやし」
「確かに。夜の山道とか一人で歩くの普通に怖いわ」
「でもそれオモロなるかぁ? 画保つか自信ないねんけど」
「まぁそれはほら、腕の見せ所やろ」
「七人もいますからね。おもんなかったら容赦なくカットです」
「えっぐ! 割としっかり肝試されてカット辛いなぁ」
「じゃあなんか登山とかが有名な神社を探して、撮影許可もらえたらそこでやるって感じ?」
「えーと、そうなるかな。そこはスタッフさんにお任せしていいですか?」
「はい! あくまでいわくのない所ですね。慎重に選んでおきます」
「もうこっちで下手に調べるより、住職さんとか神主さんに企画概要説明してストレートに伺っちゃうのもありかもしれないですね」
「あぁ、ほんまやなぁ。ちょっと面倒かもやけどよろしくお願いします」
「肝試しかぁ⋯⋯」
「なにはまちゃん、ビビってんの?」
「や、その、なん⋯⋯いわくみたいなそういうのが無くてもさ、その⋯⋯何が起こるか分からんやん」
「⋯⋯つまりビビってるんやん」
「ちゃうから!! 舐めん方がええよなってだけ!!」
「まぁそれは確かにそうやけど」
「舐めんのはまぁあかんわ」
「俺は楽しみやなー。なんか学生みたいで楽しそうやん」
「えっと、じゃあロケ地と日程決まり次第報告しますね。次はこっちの企画についてですが──⋯⋯、」



*





同 七月某日

「⋯⋯はい、オッケーです! お疲れ様でしたー!」
「っしゃ〜。今日これで全部っすよね?」
「そう⋯⋯ですね。長時間お疲れ様でした」
「はー、お疲れお疲れ! スタッフさんも遅までありがとうね、すんません」
「お疲れ様でしたぁ」
「あ、俺明日早いんやった。帰らな」
「あっ、ちょっとだけお時間いいですか!? 例の肝試し企画なんですが、ロケ地が決まったので確認お願いします」
「おー! はや!」
「うわー、ありがとうございます」
「⋯⋯聞いたことないところやなぁ。神社か」
「そうです。でもそこそこ高い山の上にあるみたいで、地元では愛されてるみたいですよ。だから夕方あたりに登り始めて、夕日とかも撮れたら更にいいかなぁと。何のいわくもないのに肝試しだけじゃ心象悪いですし」
「はー、なるほど! すんません、ただでさえややこしい条件やのにそこまで考えてもらっちゃって」
「じゃあ深夜にやるわけじゃないんっすね」
「や、そこはメンバーの皆さんと相談しつつですかね。事前に調べて何の問題もないことをこちらでも確認した上であちら側に企画概要を説明したらご快諾頂けたんですけど、むしろ好意的というか、夜中にやるなら待機用に神社の会館みたいな所をお貸しするとまでおっしゃってくださってるんです」
「めちゃくちゃ協力的やん! やさし!」
「えー、深夜? ガチやん」
「⋯⋯一応やけど、熊とか出ませんよね?」
「そこは大丈夫です! そういう前例は一切ないみたいですし、その神社がある所が山なだけで辺りは開けた市街地らしいですから」
「へー、ほんま地元の神社って感じやな。懐かし」
「そういうのあったん?」
「え? あったあった。逆になかったん?」
「近くにはなかったなぁ。初詣とかわざわざちょっと時間かかるとこ行っとったわ」
「俺も」
「ケッ、都市民共が」
「俺近所にあった。ちっさいけどな」
「じゃあそこにひとまず決定ですか?」
「そうですね。特に問題がなければそうなると思います。むしろ簡単に決まると思っていた海ロケが意外と難航しちゃってて──」


「⋯⋯なぁ、どう思う?」
「え? 何がよ」
「肝試し。なーんか、あんまり気乗りせんねんよなぁ。オモロくなる気もせんし、それになんか⋯⋯」
「⋯⋯何?」
「や、ええわ。はー、明日何時やっけ」
「⋯⋯⋯⋯しげってああいうの気にする奴やった?」
「さぁ、どうやろ。まぁ俺ら全員そういうの好んでやるタイプではないからなぁ。乗り気じゃないもんを面白くできるか分からん、っていうのはある」
「はは、言い出したの照史やん」
「そらまぁ仕事として考えたらよ。もひとつやったら編集で何とかするなり没にするなりすればええし」
「チャレンジチャレンジ!」
「そうね〜、やってみやんことには何ともね」
「誰が一番ビビるかな」
「俺案外流星な気ぃするな〜」
「え、俺?」



*





同 ロケ日当日:十七時頃


「重岡さん到着されましたー!」
「すんません、お待たせしました」
「お疲れぃ」
「遅かったな。なんかあったん?」
「ちょっと撮影押してもうてん。夕日間に合うかな」
「すぐ始めればいけるんちゃう? もう俺らは準備できてるけどいけるか?」
「いけるいけ⋯⋯あ、ダメだそうです」
「す、すみません。流石にもう少しセットの時間ください⋯⋯」
「ええよええよ、ゆっくりやってください」
「しげなんかセットしててもしてなくても一緒やろ」
「うわ!! ちょ、一個くらいカメラ回ってません? 今の絶対使ってや!!」
「⋯⋯はい、オッケーです!」
「よっしゃあ、じゃあ始めよか」
「なぁ誰か返事くらいしてくれへん?」
「えーと、ひとまずの流れとしてはこの階段の下でオープニング撮って、そのまま階段上がって神主さんとかにご挨拶してー、って感じでしたよね」
「はい。肝試し自体はちゃんと日が暮れてからに決まったので、そこで一旦止めてご用意いただいてる場所で休憩に入ります」
「うぃ!」
「了解でーす」
「みんなオッケー?」
「ん」
「オッケーです」
「じゃあやろか。カウントお願いしまーす」
「はい! 本番入りまーす⋯⋯五秒前! 四、三⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯さんはい!」
「ジャニーズWESTでーす!」
「はい! 今日はね、見ての通り外でのロケなんですけども⋯⋯やー、あっついな!」
「七人でのこんなちゃんとした外ロケ久しぶりじゃない?」
「ここやと大洗行った時以来やなぁ」
「大洗! もう懐かしいなぁ! 前回はね、海でしたけど。今回はこちら! 山です」
「山ですね」
「はいもう見るからに山です」
「登るんですか?」
「登ります!」
「あ〜〜〜」
「でもね、これ観てる皆さん山登り企画にしてはなんか夕方じゃね? って思ってるんじゃないかと思うんですけど」
「ですけど!!?」
「うるさっ」
「今回はなんと! ただ山登るわけじゃありません!」
「えーーーッッッ!!?」
「そらそうやろ」
「ほんまうるさいなこの子」
「山登って何するんですか?」
「えー今回ね、夏といえばということで⋯⋯肝試し企画です!」
「うわぁ」
「そう来たかー⋯⋯」
「なんか意外やなぁ、俺らそういうのやるんや」
「や、それね! 視聴者の皆さんも思ってると思うんですけど。⋯⋯まぁ細かい概要は歩きながら説明しますんで、とりあえず山登ろか!」
「山登んのが「とりあえず」なんや⋯⋯」
「はいはい、行くで。ちんたらしてたら日ぃ暮れてまうから」
「そもそもなぁんでこんなギリギリなんですか〜」
「重岡くんが遅れてきたからですね」
「仕事じゃ仕事!!」
「ていうか皆、どう? 肝試しとか怖がる方な人〜」
「⋯⋯はい」
「俺もわざわざやろうとは思わんかなぁ」
「それは俺も同じかな」
「まぁ今回はね、肝試し言うても別に心霊スポットとか、なんか良くない噂があるとか、そういう所じゃありません」
「あ、そうなん?」
「そうやねん。ウチら全員そういうの好きちゃうやん」
「まぁそうね」
「でも今階段登ってるやんか!!」
「怖い怖い! 聞いて! 最後まで聞いてください!」
「なんかそういうイキモンみたいやなこいつ」
「お前だけは言うな」
「今階段登ってるとこね? ○○県にある○○って山でして、上には○○○○っていう神社さんがあるんですよ。なーんのいわくもアレもない、普通に由緒ある神社さんです」
「まぁこの階段もここまでの道のりとかも普通に綺麗やったし、なんなら下すぐ住宅街やもんな」
「そうですそうです、今回あっさり企画にご協力頂けた優しい神社さんです」
「じゃあどうやって肝試すねん!!」
「うるっっさ!! 今度はお前かい!! ほんまこいつら厄介やな」
「どうやって試すねん!!」
「はいはい、それを今から説明しますから。えーまず、この山、上の神社に辿り着くまでの登山道が三本くらい分かれてありまして──⋯⋯、」



「⋯⋯というわけです!」
「中学生やんけ!!」
「ちょ、スタッフさんこいつのマイク一旦切ってください」
「ほんまうるさいな」
「なるほどなぁ、そういうタイプの肝試しか。まぁ確かにしげの言う通り中学生みたいではあるな」
「お化け屋敷とかも考えてんけどな、それはなんかちゃうなぁと思って⋯⋯」
「あー確かにそれは違うな。なんか俺らっぽくない」
「そうかぁ? 俺はそっちのがおもろそうやと思うけど。特に淳太」
「んなことないわ」
「しげ絶対脅かす側に入るやろ」
「そんなんせんわ!!」
「なんやねんその顔」
「あの、藤井さんもうちょっと喋ってもらえます?」
「や、普通にしんどくて⋯⋯」
「シンプル弱音やめろや」
「でも確かに、結構ちゃんとした山やなぁ。もう山登り企画やん」
「これ夕日間に合うかぁ?」
「どうやろ、まぁ最悪階段で見たってええやろ」
「えー、俺そういう中途半端なん気持ち悪いねんけど」
「ほなカメラ持って走ってください」
「やってさ、淳太」
「いやどう見てもお前に言うてるやろ」
「っあ! あかん間に合わんわこれ! カメラさん後ろ後ろ! 後ろ撮ってください!」
「あら、暮れてきてもうてるやん」
「きれー⋯⋯」
「間に合わんかったけど全然これでええな」
「てかめっちゃ綺麗じゃない? こんな凄い夕日見たんいつぶりやろ」
「確かに。真っ赤やん」
「⋯⋯なんか幻想的やな。絶景⋯⋯、⋯⋯ん?」
「もうこれで終わりでええやん。この後肝試しすんの?」
「まぁ気持ちは分かるけどそういう企画やから。はい登るでー」
「今何段くらい? てかそもそも何段あんの?」
「知らん。半分は過ぎたんちゃう?」
「まだそんなレベルなん!? 間に合うもなんもなかったやん」
「はー、しりとりでもします?」
「小学生の遠足やん。移動中のバスやん」
「とうとう小学生まで下がってもうた」
「ほんまやで。もう小瀧以外三十超えてんのに」
「オッサンだらけですよ」
「あっ言いよったこいつ。はい今日の肝試し小瀧だけ一人で回ってもらいまーす」
「皆が勝手に歳取ってくのが悪いんやろ!!」
「どういうこと?」
「あ、上見えてきたで」
「ほんま!? おー、あとちょっとやん!」
「これ明日絶対筋肉痛やわ」
「⋯⋯はー、着いた着いた!」
「あ、お待たせしてすんません! ジャニーズWESTです! 今日はどうもよろしくお願いします! えーこちら、今日ロケさして頂く◯◯◯◯神社の神主さんです。お忙しいところすみません、ほんまにありがとうございます」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。⋯⋯?」
「⋯⋯ん? えっと、どうかされました?」
「え、あぁ、いや。七人組のグループさんだと伺っていましたが、今日は皆さんでおいでではないんですね」
「⋯⋯⋯⋯え?」
「は?」
「えっ? あれ、重岡は?」
「待って、かみちゃんもおらん」
「え、あれ。おーい! しげ? かみちゃーん!!」
「⋯⋯え、マジでおらんやん。一旦カメラ止めます?」
「そ、そうですね。メンバーの皆さんの手持ちは一旦切っておいてください。こっちは念の為一つだけつけたままにしておきます」
「あれ、途中までちゃんとおったよな? 戻る?」
「戻って確認してきます!」
「あっ、ご、ごめん! ありがとう!」
「⋯⋯迷うような道ちゃうよな?」
「迷うわけないやん。階段一本道やで」
「最後方ってスタッフさんでしたよね」
「あ、僕です! 何事もなく全員上がったと思うんですけど⋯⋯」
「⋯⋯あ! す、すんません神主さん、なんかメンバー二人はぐれてるみたいなんで、少しだけお待ちいただけます? ほんますみません!」
「は、はい。こちらは構いませんので、お二人のことに集中なさってください。もうじき暗くなりますし、もし本当に迷ったなら舗装もされていない夜の山は危険です」
「⋯⋯そう、ですよね⋯⋯」
「そんなに危ない箇所⋯⋯、例えば急な崖だったり、熊が出るだとか、そういったものはない山ですが⋯⋯。それでも日が暮れても見つからない、連絡がつかないようなら警察を呼ぶべきかと思います」
「⋯⋯れ、連絡は? 自分のスマホ持ってるやんな」
「それが出ないねん、二人とも」
「⋯⋯二人とも?」
「二人とも」
「っあ、あの!! 下まで戻って確認してきましたけど、お二人ともどこにもいらっしゃらないです!!」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯あり、がとう」
「⋯⋯え、迷うような道じゃなかったよな⋯⋯? 階段上がって来ただけやし⋯⋯」
「そのはずやけど⋯⋯。っあ、最後にあの二人どっちかでも見たの、覚えてる人おる?」
「⋯⋯照史が夕日綺麗やでって言って振り返った時、重岡がおんのは確かに見た」
「かみちゃんもおった! 俺の一段下くらいやったかな」
「あ! あの、ずっと後ろから撮影してたカメラ一台あるのでそれで確認しますか!?」
「そっか、そうしよそうしよ! 電話は掛け続けてるんやんな?」
「ずっと掛けてる。けど出えへん」
「⋯⋯かなり日が暮れてきたな。一応警察に連絡する用意もしておこう。手が空いてるスタッフは登山ルート全部見て回ってきて!」
「は、はい!」
「待ってください! 舗装されてるとはいえ夜は危ないです。念の為慣れているうちの者と二人一組で!」
「あ、す、すみません。ありがとうございます」
「ちょ、俺らもなんか⋯⋯」
「あかんわ。何も出来ひんのは歯痒いけど今俺らが動いて仮に、もし仮に迷子が増えたらどうすんねん。立場考えろ」
「⋯⋯そう、やんな」
「ほんまについさっきまでおった気ぃすんねんけどなぁ⋯⋯」
「⋯⋯っあ! み、皆さん見てください! 夕暮れの時点まで来ました!やっぱり重岡さんも神山さんもこの時はちゃんといます!」
「ほんまや、普通におる。二人の位置もちょっと離れてるから一緒におったわけちゃうよな」
「うん、記憶通りや」
「じゃあ問題はこの、後⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯え?」
「⋯⋯まじかよ」
「ちょ、巻き戻して!」
「は、はい!」


『── っあ! あかん間に合わんわこれ! カメラさん後ろ後ろ! 後ろ撮ってください!』
『あら、暮れてきてもうてるやん』
『きれー⋯⋯』
『間に合わんかったけど全然これでええな』
『てかめっちゃ綺麗じゃない? こんな凄い夕日見たんいつぶりやろ』
『確かに。真っ赤やん』

『⋯⋯なんか幻想的やな。絶景⋯⋯、⋯⋯ん?』

『もうこれで終わりでええやん。この後肝試しすんの?』
『まぁ気持ちはわ、わ、あ、ぁ、ああ、』
『い、いいいいいいいいまな、ななななななななん、なん、な、』


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯どういう、こと?」
「わ、分からないです。こんなバグ、見たことありません⋯⋯。こ、この先も普通に撮ってたはずなのに」
「⋯⋯砂嵐、やな」
「⋯⋯⋯⋯他のカメラも全部確認しろ! 早く!」
「か、神主さん。ほんまにこの山、何もいわくとか無いんですよね」
「⋯⋯あり、ません⋯⋯。そんな話一度も⋯⋯。も、もう警察を呼んだ方が⋯⋯夜の山は本当に何があるか⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯日、完全に暮れたな」
「⋯⋯⋯⋯あっ」
「い、一本めの登山ルート確認してきました! 道中ずっと名前を呼んでましたが、お二人はいらっしゃらなかったです⋯⋯」
「どう、します?」
「⋯⋯これ以上は神社の方にも迷惑をお掛けするだけですし、撮影は中止にしましょう。他のルートの捜索チームが帰ってきてそれでも見つからなかったら、⋯⋯警察を、呼びます」
「⋯⋯⋯⋯しげ、かみちゃん⋯⋯」





*








「っあ! あかん間に合わんわこれ! カメラさん後ろ後ろ! 後ろ撮ってください!」
「あら、暮れてきてもうてるやん」
「きれー⋯⋯」
「間に合わんかったけど全然これでええな」
「てかめっちゃ綺麗じゃない? こんな凄い夕日見たんいつぶりやろ」
「確かに。真っ赤やん」
「⋯⋯なんか幻想的やな。絶景⋯⋯、⋯⋯ん?」

 沈みゆく真っ赤な太陽をじっと見つめていた視界が、揺らぐ。いや、視界じゃない。空間そのものがまるでぐらりと揺れたかのような感覚。思わず足がふらつきかけ、ここが急な階段であることを思い出して慌てて踏み止まる。そうして顔を上げ、絶句した。
「⋯⋯⋯⋯え?」
 誰も、いない。
 隣にいたはずの流星も、後ろに数人控えていたはずのスタッフさんも、皆、いない。恐ろしいほどの静けさと風の音が辺りを包み込んでいる。恐る恐る振り返ると、夕日に照らされてオレンジ色になった石階段に、ぽつりと一人だけ立っている男がいた。
「⋯⋯し、げ⋯⋯」
「か、かみちゃん⋯⋯? ほんまに、かみちゃん?」
「え? ど、どういう、」
「⋯⋯⋯⋯俺の実家の、最寄駅は?」
「え?」
「オトンとオカンと姉ちゃんの名前、全部言って」
「⋯⋯⋯⋯」
 ゆっくりと、自分がなぜ、何を疑われているのかも分からないままに言葉を紡ぐ。家族の名前全てを言い終えた時、数段上で怯えたような瞳で俺を見つめていたしげはゆっくりと深い息を吐いてしゃがみ込んだ。
「し、しげ!? 大丈夫? こ、これ明らかにおかしいよな。みんなどこ行ったんやろ、何か見たん?」
「⋯⋯」
 慌てて駆け上がって肩に手を添える。その身体は、微かに震えていた。
「⋯⋯皆で、夕日見てたやん」
「うん」
「そん時一瞬、霧みたいな⋯⋯真っ白な靄が、駆け抜けてん。かみちゃんを含めた、皆を」
「⋯⋯え⋯⋯?」
「ほんでそれが開けたと思ったら、全員いなくなっとった。⋯⋯かみちゃん、以外」
「⋯⋯⋯⋯」
「すぐに何かおかしいって気づいて、だから目の前にいるんがほんまにかみちゃんなんかも信じちゃあかんと思ってん。⋯⋯疑って悪かった」
「や、それは全然⋯⋯。上から見たらそんなことなっとったんや」
「⋯⋯かみちゃんは? 何も感じんかった?」
「お、俺はなんか⋯⋯視界? というか、空間自体が揺らいだみたいな変な感じがした。それがしげの見た靄ってやつに飲まれてたんかな。しげはその感覚無かった?」
「⋯⋯⋯⋯いや、あったかも。目の前の光景に目釘付けになっとったけど、確かになんか空気がおかしかった。もしかしたら俺もあの靄に飲まれとったんかな」
「うーん、俺は目開けるどころか足もふらつきかけたくらい強く揺れた感じあったけど⋯⋯」
 呟き、首を捻る。状況はあまりに奇怪で、だけど一人ではなく目の前に昔からの相棒かつ恋人でもある存在がいるからか、段々と心が落ち着きを取り戻していく。それはしげも同じなようで、いつの間にか身体の震えは止まっていた。
「ど、どうする?」
「どうも何も⋯⋯。とりあえず皆とスタッフさん探してみるしか、な⋯⋯」
「そうやんなぁ。ていうかなんで俺らだけ残ってるんやろ。皆どこに⋯⋯、その靄とかいうやつに攫われたとか⋯⋯? でもこの山何の噂もアレもないって言っとったし⋯⋯しげ?」
「⋯⋯」
「ど、どうしたん?」
「⋯⋯見てみ」
「え?」
 突然黙りこくってしまったしげが、指先でスッと遠くを指し示した。その先を目で追い、見開く。
「⋯⋯あ、れ⋯⋯?」
 さっき見たばかりの異様なまでに赤い太陽が、まるでこちらを見つめているかのように微動だにせず、ジリジリと遠くの山を焦がし続けていた。
「⋯⋯日が、沈んでへん⋯⋯?」
「うん。おかしいやろ。日が沈む時って、じっと見てたら動いてんの分かるやん。それが山とか海なら特に。でもあの太陽はずっとあそこにおる。一切動いてへん。⋯⋯多分、」
 しげが言葉を途切らせた。自然と合った目が、歪む。
「⋯⋯攫われたんは俺らの方や」




「⋯⋯なぁ、これずっと回しとっていいんかな。切った方が良くない?」
「一応ただの迷子の可能性もあるし、⋯⋯や、流石にあの太陽見てもうたらないけど⋯⋯でも一応記録は残しとこ。出られた時何に巻き込まれたんかの参考になるかもしれんし」
「そ、っか。まぁ確かに」
「⋯⋯でもかみちゃんが持ってんのなんか心配やから俺が持つわ。貸して」
「なっ。⋯⋯まぁええけど」
 持たされていた手持ちの撮影用携帯を手渡す。とりあえず上がってみよう、という話で一段ずつ階段を上がっていたしげはそれを受け取った後画面を覗き込み、「別に普通に回ってんなぁ」と特にこれといった異常がないことを確認した後なぜか俺にカメラを向けてきた。
「⋯⋯え、なに?」
「異界デート記念。ほら、笑って」
「⋯⋯。いやふざけてる場合ちゃうやろ」
「しっかりわろてるやん」
「だってなんか気抜けること言うから」
 場にそぐわない談笑をしながら上がり続けても、一向に頂上には辿り着かない。そもそもこの階段がどれだけあるのかも聞いていない俺たちにはこれが異常なのかどうかを判断する術すらなく、仕方なく足を動かし続ける。
 とはいえ一番信頼できる相手がいたことであっさり落ち着いてしまった俺たちがこれ幸いとばかりに二人きりを謳歌しつつも一応カメラを気にした会話を続けていると、どこか遠くから鈴の音のようなものがすることに気がついた。
「⋯⋯なんか音せえへん?」
「する。楽器や」
「⋯⋯⋯⋯下やな」
 その音は、ついさっき上がってきたばかりの方から聞こえてきているようだった。近づいてくるにつれ、鈴だけじゃなく笛や琴、様々な音色が合わさっているのが分かる。それに人の足音が混じっていることに気がついた瞬間、俺はしげに抱き込まれ綺麗に舗装された階段から脇の雑木林へ転がり込んでいた。
「っ!? な、何!?」
「静かに! ⋯⋯はいこれ、顔隠してしばらく一言も喋んな!」
「⋯⋯!?」
 俺を座らせた後地面を漁っていたしげが大きな落ち葉を突きつけてくる。訳が分からないが大人しく言うことを聞いてそれで顔を覆い、口を噤む。横目で様子を伺うと、同じようにして落ち葉で顔を隠したしげがそっと指先で階段の方を示した。ゆっくりと目で追い、出そうになった声を抑える。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
 視界に飛び込んできたのは、神輿を担いでゆっくりと階段を上がってくる異様な集団だった。人の形をとってはいるが、明らかに人間ではないことが気配でわかる。音楽の出元もここだったようで、神輿の後ろを楽器隊のような人たちが並んで歩いていて、その全員が面で顔を覆っていた。
 必死に息すら飲み込んで身体を固めていると、彼らはこちらに気がつくことなくそのまま目の前を通り過ぎていった。華やかな音楽が遠ざかっていったのを確認し、ようやく息を吐く。
「⋯⋯いまの⋯⋯なに⋯⋯!?」
「おれがわかるわけないやろ、それよりまだしばらくはここでだまって⋯⋯またきた!」
 小声で囁き合っていた口を葉っぱごと手で押さえられ、慌てて肘で小突いて抗議する。視線で謝りながら解放してくれたしげをじっとり睨んだ後目を戻すと、今度はバラバラと、大勢の人が上がってきていた。さっきの神輿が偉い人なら、これは参加者か何かだろうか。人のような姿の者と、はっきり異形だとわかる者。様々な人影が目の前を大勢通り過ぎていく。
「⋯⋯⋯⋯」
 だけど、姿形は様々でも皆一様に面で顔を隠しているという共通点があった。手に握った落ち葉に力を込めなおし、息を潜める。さっきと違ってしばらくは人の波が止まず、俺たちは木の幹に寄り添って隠れ、じっとそれが過ぎ去るのを待っていた。
「⋯⋯⋯⋯おわった?」
「ぽい、な。はー、長かった⋯⋯」
「な、何やったんやろ今の人ら⋯⋯。なぁ、なんで顔隠した方がいいって分かったん?」
「え? なんかただの⋯⋯イメージやけど。無い? そういうの」
「や、言われたらわかるけど⋯⋯咄嗟にそんなん思いつくの凄いな」
「そうかぁ?」
 ようやく人波が過ぎ去り、ほっと息を吐く。咄嗟の判断で俺たちを守ってくれた落ち葉をぴらぴらと裏返しながら眺め、どうやら本当に異界に紛れ込んでしまったらしいことに唇を尖らせながら頬へ手を伸ばした。
「⋯⋯何ほっぺたつねってんの」
「や、夢ちゃうかなって。でも痛いわ」
「夢やったらよかったけどなぁ。あ、なぁ、皆面しとったけどさ、目のとこだけ開いてる人もおったやん? てことは目は見えてても大丈夫なんやろ、穴開けよ。このままやと移動すんのも危ないし」
「あぁ、確かに。てことはまるっきり顔覆ってた人はアレでも前見えてんのかな⋯⋯ていうか移動すんの?」
「じっとしとってもしゃあないやろ。とりあえず階段下まで降りたりどっかおかしいとこないか探してみよ。外と時間の流れ同じなんか分からんけど、もしそうならあんまりチンタラもしてられへんし」
「⋯⋯そうやな。っし、行くか!」




「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
 体感、おそらく三十分ほど。俺たちはひとまず上がってきた階段を降りてみたり、どこかに現実との境目のようなものがないか、あれこれ散策してみた。結果、明らかに登ってきた分は降りているのにいつまで経っても下へ辿り着くことはなく、雑木林をうろちょろしてみても同じ景色が続いているだけ。肝試しに使う予定だった山中いくつかあるという話の登山道も、一つも見つけることができなかった。
「⋯⋯なんか流石にちょっと怖なってきたな」
「言わんとってや⋯⋯」
 相変わらず真っ赤な夕日に照らされながら階段に並んで腰掛け、溜め息を吐く。じわじわと胸中に湧いてきた恐怖を紛らわすように隣へ視線をやると、沈みかけたままただじっとこちらを見つめている太陽を眺めながら、しげはどこかぼんやりとしている様子だった。
「しげ」
「⋯⋯ん?」
「なんか、大丈夫?」
「⋯⋯どうやろ。ちょっとなんか、しんどいかも。上手く説明できんけど」
「やっぱりか。しげ、こっちに飲みこまれた瞬間も意識はっきりしてたみたいやし、色んなこと俺より先に気づいとったし、なんかそういうの感じやすいんちゃう? 一旦どっか隠れて休む?」
「⋯⋯⋯⋯そうしたいのは山々やけど、こんな所あんま長居せん方がいいんちゃうかな。かみちゃんも聞こえてるやろ? 上で何か始まってんの」
「⋯⋯うん」
 ちら、と山頂へ視線を向けながら呟く。確かに、少し前から上の方で祭りでもやっているかのような囃子の音が聞こえ始めていた。きっとさっき上がっていくのを見た人たちが社で何かを執り行っているんだろう。何もかもが分からない以上、それが何かのタイムリミットである可能性は俺の頭にも浮かんでいて、休む時間が無い、というしげの言葉は確かに事実だった。
「でももう見るところ思いつかんしなぁ」
「⋯⋯あるやん」
「え?」
「上。あそこだけ行ってへんやろ。あの人らが何してんのか見な、何に巻き込まれたんかすら分からへんし⋯⋯もうそれしか手掛かりない」
「で、でもそんな所忍び込んだら流石にバレるんちゃう⋯⋯? 面だけで大丈夫なんかな」
「それこそ行ってみな分からへんわ。⋯⋯それになんか俺さぁ、あれに混ざった方がいい気すんねん」
「⋯⋯どういうこと?」
「だから、その⋯⋯なんでか分からんけど、うっかり一線越えて入ってもうたわけやろ? で、あの人らが来て何か始まった。始まったんなら終わりがあって、そん時あの人らに混じって階段降りたらそのままスッと出られるんちゃうかなぁって」
「なる、ほど⋯⋯」
 顎に手を当て、言われたことをじっくり考えてみる。その間だけでも休むことにしたのか、しげは俺の肩に頭を乗せて目を閉じていた。
 上で行われている何かにこっそり参加し、それが終われば同じようにして帰る。その途中のどこかでこの世界を出られるかもしれない。確かにしげの言っていることは、ここまで探し回って何も見つからなかった以上多少危険を冒してでも試してみるべきなのかもしれなかった。だけどそう考えている時、ふと何かが引っ掛かる。
 ここに入ってしまった時も、別に何か特別なことをしていた訳じゃなかった。ただみんなで夕日を眺めていただけだ。だからきっと、本当にただうっかり一線を越えてしまったんだろう。それなら同じようにしてここでその何かが終わるのを待っていれば、危険を冒すまでもなく入ったのと同じようにして出られるんじゃないのか?
 提案してみようかと肩に視線をやれば、少し疲れた様子でしげは瞳を閉じている。そっと手を伸ばして目元を撫でると、ゆっくり持ち上がった瞼から覗いた瞳が俺を見上げた。
「⋯⋯分かった。やってみよか」
 見つめ合いながら告げると、しげは黙って一度瞬きした後頷いた。立ち上がって階段を登り始めた背を見つめ、手元の葉っぱを握りしめて自分も後に続く。不安はあったが、それでもこいつの直感を信じてみるべきだと、そう長年の絆と俺の直感が、告げていた。






 適当に拾った落ち葉からちゃんとした葉に面を変え、二人並んで黙って階段を上がる。次第に近づく囃子の音。未だ暮れることのない日差しが背を照らし、長い影を伸ばしている。
「⋯⋯そろそろ、やな」
「うん」
「端からしれっと入って、様子見て一番混じりやすそうな所に入り込む。後はずっと様子を伺う。⋯⋯やんな?」
「そうやな。それは俺が判断するから、かみちゃんは着いてきてくれたらええよ。何かあったら喋らんとこれ、な」
「了解」
 しげが取り出して画面を見せてきたのは、ここに入ってすぐ確認したものの圏外で使い物にならなかった私用の携帯電話だ。電波が通じない以上どうしようもなく今までポケットに入れているだけだったが、口をきけない状況ではメモ機能が筆談代わりになることに気がついたのだ。
 すぐそれが開ける状態になっていることを確認し、唾を飲む。
「⋯⋯行くで」
「うん」
 いよいよ階段の終わりが見えてきた。すぐ近くまで迫った賑やかな囃子の音に紛れるように足音を小さくし、面でしっかりと顔を覆う。
 ゆっくりと階段を上がりきった瞬間目に飛び込んできたのは、立派な社の前で舞い踊る数人の女性たちと、それを取り囲むように集まった大勢の観客だった。その奥には御簾で姿を隠された何かが立派な座敷に腰掛けていて、その脇には明らかにこの場において異質な、面もしていない現代服の少年が不思議そうに目の前の光景を眺めながら座り込んでいる。呆然と目が引きつけられたままの俺の手を、しげがくいと引いた。
 慌てて目を向けると、しげは腰のあたりで指先だけを動かし、集団の最も端を示していた。よく見ると、そのあたりは特にいる人間の種類が疎らに見える。頷き、ゆっくり足を進めて最後方にさりげなく紛れ込む。皆目の前で繰り広げられている祭りに夢中で、気が付かれた様子はない。
「⋯⋯⋯⋯」
 ゆっくりと手元を動かし、画面に文字を打つ。
『あの子供なんやろ。普通の子っぽくない?』
 スッと傾けて画面を見せると、ちらと視線だけで見たしげが同じようにして何かを打っている。
『わからん。なんか関係はありそうやけど』
「⋯⋯⋯⋯」
『神隠しとか⋯⋯?』
 画面を見せると、しげはそれには返事は打たずただ首を傾げるだけだった。とはいえロケ前にあんな子供を見た覚えは無いが、こんな状況ではもう、今自分の目に映っているものが全てだ。もし仮にそれが事実なら、あの子供も偶然この世界に紛れ込み、その目を逃れることができなかったのだろうか。そわそわと落ち着きなく子供の様子を見ていると、ぎゅっと片手が強く握り込まれた。ゆっくり顔を上げても、しげはただ前を見つめているだけだ。
 祭りは続いている。終わりに差し掛かっているのだろうか、その囃子や踊り子たちの舞いも少しずつ速度を上げている。
「⋯⋯っ!」
 御簾の向こうで、誰かが立った。それは少年の手を引き、社の奥へと入っていく。不思議そうに手を引かれている少年が抵抗する素振りは無い。拙い。きっとアレは神隠しだ。このままじゃあの子は、攫われてしまう。咄嗟に動きかけた身体がぐっと引き止められる。俺の手を強く握り続けていたしげは、目元を悔しそうに歪めたまま、重く首を振った。


『終わった?』
『ぽいな。そのまま適当なところ紛れるで』
 少年を連れた何かが社の奥へ消えた後、囃子の音は次第に速度を落とし、ただ穏やかな音が流れているのみとなった。人波から話し声がし始め、段々と階段の方へ向かう者も出始めた。しばらくはそのまま様子を伺い、それが多数になり始めたところで目を合わせて頷き、歩き始める。
 隣、前後、辺りはヒトじゃない存在ばかり。バクバクと心臓が大きく音を立てている。震える手で葉の茎を握りしめながら人波に紛れ、ゆっくり、一段ずつ階段を下る。
 あの子はどうなったんだろう。このまま一緒に降り続けていて、本当に外に出られるのだろうか。今手を握り合っているのは、本当にしげなんだろうか。パニックに陥りそうな呼吸を必死に抑え、ただ足元だけを見つめ続ける。
 目立ってはいけない。見つかっちゃいけない。あの子のことはもう、どうしようもない。まず自分たちがここを抜け出すんだ。きっと皆心配している。いや、そもそもロケはどうなったんだ? ここと外との時間の流れはどうなって、

「かみちゃん!」
「⋯⋯⋯⋯っえ? あ、⋯⋯え?」

 パッと顔を上げると、暗闇で電灯の微かな光に照らされたしげが俺を見つめていた。
 何度か呼ばれていたのだろうか、しげはホッとしたような目で深い息をついた後、ぎゅっと勢いよく抱きしめてきた。その背に呆然と腕を回しながら、状況をゆっくりと頭で反芻する。⋯⋯暗闇? 電灯? 上向いた視線の先には、なんだか久しぶりに見たような気がする、月。という、ことは⋯⋯。
「⋯⋯俺ら、出られたん?」
「ひとまずはな⋯⋯。はぁ、よかった⋯⋯せっかく出られたのにかみちゃんずっと目ぇ虚やからどうしようかと思った⋯⋯」
「そ、そうなん? ごめん、なんか心配かけてもうたんやな。ていうかひとまずってどういう⋯⋯」
 会話を遮るように着信音が鳴った。お互い肩を大きく跳ねさせ、どっち? と視線で尋ねた後、すぐさまそれが双方の携帯からなっていることに気がついて慌ててポケットを弄る。
「待ってかみちゃん、俺が出るわ。どうせ用件一緒やろ」
「あ、そっか。じゃあ頼むわ」
 ずっとしげが棒の部分を脇に挟んで持っていた記録用のスマホを受け取り、電話に出るのを見届ける。そこで初めて、自分たちが今いる場所が明らかにさっきまでいた山とは明らかに違う場所にいることに気がついた。
「⋯⋯? ど、どこここ⋯⋯」
 山ではあるが、まるで山道の途中のように車道が一本通っているだけで、辺りには人気はおろか人が歩くような道すらない。本当に山道の途中で放り出されたかのようだ。大きな山なのか下は見えないし、車が通ることもない。
『──もしもし? っうわ、うるっっさ!! 気持ちは分かるけど声量考えろや!! ⋯⋯いや、えっと⋯⋯何から説明すればいいか分からんねんけど、なんか俺とかみちゃんエラいことに巻き込まれてもうたみたいやってさ、今おんの、その山ちゃうねん』
「⋯⋯え?」
 電話をしながら俺と目を合わせ、しげは背後の電柱を指差した。一瞬首を傾げたものの、そうか電柱には住所が書かれているはず、と慌てて駆け寄る。古びたそれに小さく刻まれた文字へ目を凝らし、小さく息を吸った。
『あー、その⋯⋯マジで嘘ちゃうから信じてほしいねんけど⋯⋯』
 ところどころ掠れたそれを声に出した俺としげの声が、重なる。

『「⋯⋯京都」』





「⋯⋯はぁ。なるほどなぁ⋯⋯。まぁ言ってはる通りうっかり踏み入ってもうたんでしょうね。無事出られて何よりや。思い切って紛れ込んだのが正解でしたよ。そのまま隠れとったら多分、今もその山ん中彷徨っとったんちゃうかな」
「せやけど、うっかりとはいえ顔隠しただけで紛れ込めるもんですかねぇ」
「まぁラッキー⋯⋯とは言えんか。残念やけど神隠しに遭ってもうた子がおったみたいやし、そっちに意識が逸れてはったんとちゃうかな」
 初めて乗るパトカーの後部座席で、恋人と黙って目を合わせる。
 既に向こうでは警察による俺たちの捜索が始まっていたらしく、すぐに京都府警へ連絡が飛んだ結果、電話を切って十五分後には目の前に京都ナンバーのパトカーが停まった。あっさりと無事保護された俺たちは、自分たちが遭遇した奇妙な出来事について車内で懸命に話をした訳だが、急遽ここまで駆けつけてくれた二人の警官はそれに動揺した様子も不審がる様子もなく、ただ淡々と話をしている。だけど嘘だと流されている空気でもない。
 なんだか大騒ぎしていた自分たちが間抜けなように感じてきて、そっと口を開く。
「あ、あの⋯⋯なんでそんな冷静なんですか? こういう事ってよくあるもんなんです?」
「はぁ。まぁこんな仕事してますとね、表には出せんけどどうしたって理屈じゃ説明出来ん事件や現場に遭遇することはそう珍しないんですよ。ましてやここは京都や。どこに行ったってなんかしらのいわくがある土地柄ですし」
「⋯⋯へぇ⋯⋯」
 だからこんなにも平然といているのか、となんとなく詰めていた息を吐く。自分たちが知らずに過ごしているだけで異なる世界というのは当然のようにあって、その隔たりをうっかり踏み越えてしまうことはそう珍しいことでもないのか。だけどそれならどうしてその存在が知られることはないんだ? と首を傾げた時、ふとバックミラー越しに警官が視線を向けてきた。
「⋯⋯重岡さん、もしかしてそれずっと回してます? 動画ですよね」
「えっ。あ、はい。すんません、一応何か役立つかもと思って⋯⋯」
「あっち側にいる間も?」
「⋯⋯は、い」
 隠すように、しげが持ち手付きのそれを足元にやる。その画面は、撮影が始まった時からずっと赤い録画ランプがついたままだ。
「そうですか。まぁ気持ちは分かりますけど、多分ほんまにうっかり紛れ込んでもうただけなんでもう切って大丈夫ですよ。ほんで絶対観んとそのまま削除してください。流石に企画としてもお蔵入りでしょうし、映像全部、⋯⋯それだけじゃなく、この件に関わったもん全部ね、消したほうがいいですよ。そうしたらあっち側に行ったことも、そこで見聞きしたことも、ゆっくりゆっくり忘れていきます。東京で待ってはる皆さん含めてね」
「⋯⋯そう、なんですか⋯⋯⋯⋯?」
「そういうもんです。こちらとあちらの狭間っていうんは案外あちこちにあるもんでね、それを越えてしまうこと自体はなんも珍しない。今回のお二人みたいに幸い何事もなく出てこられた人は皆それを忘れてるだけなんです」
「へ、へぇ」
「でもね、それを記録してしまうと話は別になってしまう。例えばその映像。それがある限り、あなた達がそれを観なくてもそこへ踏み入ったという事実は残り続ける。あなた達の魂の残り香みたいなもんが、居座り続ける。そうしたらいずれあっち側も気付きます」
「⋯⋯⋯⋯」
「気付かれたら、きっとあなた達はまた足を向け、そして踏み入ってしまう。今度は招かれざる客じゃなく、向こう側から呼ばれてね」
「⋯⋯⋯⋯っ」
「し、しげ⋯⋯」
 すぐさま録画停止を押し、しげはそのまま今撮り終えたばかりの長い映像を削除した。その手が震えているのに手を伸ばし、そっと重ねる。
「⋯⋯すんません、怖がらせたかったわけとちゃいます。まぁ要は全部消せばいいってだけの話です。こちらも今日の件は登山客の遭難として記録しますし、そちらは関わった映像全て削除する。そうすればいずれそのこと自体忘れていくでしょう。あなた達も、周りの方も」
「⋯⋯分かり、ました」


 長話をしている内に車は市街へ入っていて、二人はそのまま警察が手配してくれた宿へ宿泊し、翌朝、新幹線で東京へ戻った。
 夜間にはホテルで映像会議が行われ、関わったスタッフやメンバーが出席。その時七人は映像越しにようやくの再会を果たし、重岡・神山両名の失踪はその時やっと幕を下ろした。彼らが伝えた今後すべき対応についての話にメンバーやスタッフは青ざめた顔で目を丸くしていたが、事実有り得ないことが起こってしまっている以上慣れた人たちの話に従うべきという結論に至り、東京でも、スタッフにより全ての映像記録が削除された。色々と迷惑をかけていた神社への事情説明とその判断についても伝えられ、先方は動揺しつつも二人の無事を喜んでくれたという。
 かくして、東京駅で二人を無事で迎えたことでこの一件は終わりを告げた。『何も起こらない』場所をわざわざ探してまで行った肝試し企画で起こってしまった大騒動はメンバー、スタッフ双方に衝撃と動揺を与えたが、京都で明確な対策を聞いていたことも幸いし、その動揺は次第に消えていった。

 ⋯⋯尚、この記録は同日撮影スタッフとして同行した一怪談愛好家でもある私が、一度削除されたデータを盗み出して復元したものである。これは個人的趣味、かつ興味関心であり、怪談・怪異を愛する者として、この件をあのまま無かったことになど到底できなかったのだ。
 あれから、半月以上が経った。あの件は一度も話題にされず、初めはわざと避けていたかのようなそれも、次第に自然になってきた。そう、『いずれそのこと自体忘れていく』。言われた通りに事は進んでいるように見える。⋯⋯しかし、奇妙な様子が残っている。そう、例えば今日、この瞬間のように。

「⋯⋯さん、はい!!」
「ジャニーズWESTでーす!」
「はい、今日はですね──⋯⋯」

 普段通りの撮影。いつも通りの、和気藹々とした雰囲気。だけどふとした瞬間、二人のメンバーが同時に顔を上げ、ぼんやりと一点を見つめているのだ。その向きは撮影日や撮影場所により様々だが、それがどこを向いているのか、彼らが何を見ているのかは、確認せずとも明らかな事だった。
 かくいう私も、最近ふとした瞬間どこかへ引き寄せられるような感覚がある。いつの間にか、知らない駅に降り立っていることがある。その時私はすぐに折り返しの電車へ乗り込んだが、車窓から見えたのは、山だった。
 この先に何が待っているのか、もしも本当に『呼ばれて』しまったらどうなるのか。それを私は、心待ちにしている──⋯⋯。




「──かみちゃん?」
「おーい、次かみちゃんやで」
「⋯⋯え? あっ、ご、ごめん! ⋯⋯すみません、一旦カメラ止めてもらえますか? なんか体調悪くて、あの、ごめんなさい」
「え、大丈夫?」
「休憩休憩! すんません、スタッフさんも休んでください」
「かみちゃんどっか別の部屋で休むか? 横になれるとことかあったっけ、確かに顔色悪いな」
「あ、そうしよ⋯⋯かな⋯⋯」
「俺が連れてくわ」
「⋯⋯しげ」
「ほんま? じゃあ頼むわ。とりあえず十五分くらい様子見るみたいやから」
「ん。行こ、かみちゃん」
「うん⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「おぶるわ。ほら、乗って」
「⋯⋯ごめん、ありがとう。⋯⋯なぁしげ」
「ん?」
「もう半月は経ってる、やんな」
「⋯⋯そうやな」
「映像全部消したって、言ってはったやんな」
「うん。⋯⋯照史が消すとこちゃんと確認したって」
「忘れられそう?」
「⋯⋯かみちゃんは?」
「⋯⋯⋯⋯忘れ、られへん。いや、そこで何を見たかとか何を話したかとか細かいことは覚えてないんやけど、なんか⋯⋯」
「⋯⋯うん。俺も、同じ」
 とさ、と誰もいない部屋のソファにゆっくり神山の身体を横たわらせ、重岡はその手をそっと握った。あぁ、あの場所でもこうしていたような気がする。あの場所って、どこだ? 二つの虚な視線が柔く絡まり、そのまま同時に小さな窓へと移る。
 夕日の差したオレンジ色の小部屋に、どちらのものかもわからない⋯⋯いや、二人分の呟きが、落ちた。



「⋯⋯⋯⋯どっかに行かなあかん、気がする⋯⋯」


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