花京院青葉は孤児だった。だった、というのも数年前に養子となって父親を得たからだ。それに父親の仕事が忙しいときは父親の友人宅に預けられてその妻が母親代りになることがあったし、彼らの娘は三歳違いの青葉を兄のように慕っていたからなんとなく家族のようなものはわかっているつもりである。
青葉は実の父親も母親も知らぬままどういうわけかスピードワゴン財団の教育プログラムを受けて育った。物心ついたときにはすでにそこにいた。もしかしたら教育プログラムの被検体として両親に売られたか譲られたか、もしくは育てられない環境であったため彼の将来を思って泣く泣く手放したか。結局のところどうだったのか、事実は誰も教えてくれないために青葉は知らない。
だが少なくとも後者でないだろうことは彼も予感していた。なぜなら青葉に養父という存在が現れたのは彼が五歳になるかどうかのころ、養父は夏季休暇を利用して財団のインターンプログラムに参加していた大学生であった。
当時の養父は現れてまず青葉を抱きしめた。そして「待たせてすまなかった。長い間一人ぼっちにしてごめん」とのたまったのである。どうやら彼は大学在学中にはすでに青葉を引き取る意思があったらしい。だが正式に養子として迎えるのはきちんと大学を卒業して就職をしてからだとジョセフ・ジョースターと約束していたと知るのはだいぶ後になってからのことである。インターンプログラムに参加して申し分ない働きを見せたという実績とジョセフ・ジョースターの推薦というコネにより、養父は大学卒業後そのまま財団へと就職した。
養父はなにも言わないがとことん青葉に愛情を注ぐ。養親になれる年齢に達しても、青葉を養えるようになって家に迎え入れてからもそれはまったく変わらなかった。青葉が父親と共に暮らすようになったのは彼が十歳の誕生日を迎えた日だった。
花京院の名字を手に入れてから青葉の人生は至極順調である。よくグレなかったものだと自分自身感心してしまうほどにまとも育った。財団の施設で生活していたころもそれなりにいい環境であったが、やはり親がいると違うのだろう。
青葉が学業の面で優秀なのは財団の教育プログラムですでに証明されている。身体能力も同様だ。平均より少しばかり高いのは青葉が特殊な環境下にいたためである。教育とデータ収集を兼ねていたプログラムは彼を優秀な子供へと育て上げていた。
そんな中、外の世界について教えてくれたのは養父である。真っ白な部屋ばかりでなく緑豊かな公園へ行ったり、色彩豊かな街中へ青葉を連れ出しては世界の美しさを彼に教えた。「きみは一人じゃあない」ことあるごとに養父は青葉に対してそう言った。今の彼には養父がいて、財団内に仲のいい職員は何人もいる。最近財団の外で友達もできた。故に青葉にとってその言葉の意味を理解することは少々難しかった。
時々養父は青葉を見ながら青葉を見ていないときがあった。少しばかり悲しげで、それでいて安堵を含んだ表情に青葉が気が付いたのはいつだったか。もしかしたら彼を通して誰かを見ているのかもしれない。しかしそんなことなどおくびにも出さず、養父はいつも笑っていた。泣きそうな顔で笑っていた。
「青葉、今夜は早く帰れそうだから久しぶりに一緒に外で食事を取ろうか」
出勤前、養父はコーヒーを飲みながら向かいに座る青葉にそう言った。トーストを齧りながらテーブルに広げた新聞を読んでいた青葉は視線だけを養父に向ける。行儀が悪いのは彼もわかっていたが、養父がなにも言わないのだから改める気はなかった。養父も青葉がそれを行儀の悪いことだとわかっていると知っているからなにも言わない。
青葉を縛っていた財団に勤めている養父はそれについて彼に対しかなりの負い目を感じているらしいのだが、青葉は気にしたことはなかった。生きるために働くことは当然のことだし、養父が選んだ職業だって後ろ暗いところのない立派な仕事だ。だからそれについて青葉がなにかを言うことはまったくもってお門違いである。
それに養父は青葉をモルモットではなく実の子供のように思ってくれている。否定する要素などどこにもなかった。それに青葉もすでに十八歳をすぎた立派な大人だ。子供のように聞き分け悪くわがままをいうつもりはない。
「じゃあ休憩室で待ってるよ。あそこチェス盤あるから待つのにもってこいなんだ」
「おや、いつからチェスが好きになったんだ?」
「最近だよ。ちょっと前に休憩室にいたら誘われてさ、それから暇があればやってるって感じ。父さん、今度対戦しようぜ」
「構わないけどぼくは強くないぞ」
「いいんだよ、親子のスキンシップってやつだから」
どこから誰が見ても変哲のない父と子のそれだ。それに人種の違う養子縁組などアメリカでは珍しくもない。ゆえにまったく似ていずとも誰も彼らを気にとめることはなかった。
「そういえば彼女さんとはどうなわけ? ぜんぜんデートしてる気配もないけどさ。もたもたしてたらおれが先に結婚しちまうぞ」
「はは、そうかもしれないね。彼女、とても忙しい人だから、結婚を考える余裕もないと思うなあ」
「だったらさっさとプロポーズして考えさせればいいだろ。それとも養子だろうと子連れは勘弁だって?」
「いや、そんなことはないよ。ただ彼女はとても気難しい人だからね、お前との距離は計りかねそうだ」
自嘲するような笑みを浮かべる父親を見るたびに、青葉はもどかしい思いに駆られていた。いつもそうだ。彼らの関係はあまりにも希薄すぎて青葉には理解できない。
恋人が本国にいることが滅多にないせいか、花京院はいつも青葉を優先する。恋人が帰国したときは本当にすまなそうな顔をして彼女に会いに行く。だがそれもだいたいいつも半日程度のことで、本当に恋人同士なのかといつも青葉は疑問に思っていた。
父親には数年来の恋人がいる。同じ財団の職員だと聞いている。アジア人特有の甘いマスクに夢中な女性は多くいるにもかかわらず、彼女たちに見向きもせずに父親はただひたすらに一人の女性を愛している。片思いの時期がとても長く、付き合うまでが大変だったらしいと父親の同僚から聞いたことがあった。しかし一筋縄では行かないらしく、大恋愛の末には程遠いようだが。
養父によれば、彼女は財団の仕事で世界中を飛び回っているせいで帰ってくることは滅多にないらしい。財団内でも数少ない特殊エージェントのため彼女に回される仕事は山のように多いのだとか。本国に戻ってくることがあっても暇があるのは半日程度。それをデートで費やすとすぐに次の国へと行ってしまうというのだから、それでは養父も不満が溜まって大変だろうと青葉は密かに思っている。
青葉と花京院が住む家には一室だけ空いた部屋があるが、その部屋の住人が戻ってくることは滅多にない。元々違うマンションに住んでいたらしいのだが、そのときから部屋の一つは主を待ちわびていたらしい。青葉が養父とともに暮らすことを許可されてから広い家に移ったが、引っ越しの際も彼女は現れなかった。たまに部屋の主人がいるようだが、本当にたまのことであるために青葉は未だその現場に遭遇したことがない。どうやら数泊程度ならばホテルを根城にしているらしい。
「じゃあ、次帰ってきたときに俺を紹介してくれよ。とっても素直で愛想のいいよくできた息子を演じるからさ」
「うーん……」
歯切れの悪い返事をする花京院が明らかに青葉と恋人を会わせたくないと思っているようだと彼が察するまでそう時間は必要なかった。
父親の恋人は遠目で二、三度見たことがある。もしかしたらそれ以上見かけているかもしれないが、彼女が父親の恋人なのだと知ってから見かけたのはそのくらいであった。
元は軍人だったらしい、とおしゃべりな女性職員から聞いたことがある。だからだろうか、背中に鉄パイプでも入れてるのかと思うほどに姿勢正しく、常に仏頂面でお世辞でも愛想がいいとは言いがたく、そもそも愛想というものを知らないのではないかと思わせるほどに表情筋が動いているところを見たことがなかった。声は一度だけ聞いたことがある。女性にしては低めの声で、顔に似合って抑揚に乏しい。性格もきっと声通りなのだろう。
そんな女性が父の恋人であると知ったとき、青葉は驚かずにはいられず、またなぜ父親が彼女に惚れたのかまったく理解できなかった。確かに容姿は整っている。だが愛想がない。愛想がいい女性は財団内にもたくさんいる。だが父親は彼女を選んだ。穏やかな父親にはあまり似合わないと青葉は思っていた。