時間は午前七時ちょうど。雲一つない青天に恵まれたとはいえ、皆の表情は決して明るいものではない。連合軍と聖都軍、すでに一触即発の状態にあり、あと一歩でも踏み出そうものならそれが開戦の合図となるだろうほどに緊迫している。
連合軍は正門に向かう歩兵部隊とそれに先行して陽動を与える騎兵部隊に分かれ進軍することとなっていた。立香とマシュとダ・ヴィンチ、それにベディヴィエールとハサン達が歩兵を率い、藤太と三蔵、ランスロットにガルハールが騎兵を率いる。
「我々は城壁に張り付き次第、城壁の弓兵どもを間引きましょう。しかし……」
呪腕のハサンは城壁を一瞥し言い淀む。ランスロットも同じことを考えていたらしい、ハサンの言いかけた言葉を続ける。
「……そうだ。アグラヴェインめ、そういうことか。城壁の弓兵が増員されている」
「以前の三倍ではきかんぞ、あれは。こちらが近付くまえに一掃する算段か」
こちらより高い場所に弓兵に陣取られては正門に辿り着く前にかなりの損失が出ることだろう。四割は脱落すると見立てるランスロットの隣でガルハールは何事か思案しながら顎を撫でる。正門までの距離と風の強さを測っているようだ。
それまで晴天だったにも関わらず、にわかに砂嵐が吹き荒れる。鐘の音が鳴り響く。初代様のご加護だと呪腕のハサンが歓喜の声を上げた。弓兵の脅威が削がれたことに安堵する一同の中でガルハールの表情は変わらない。
「一時的に弓兵を無力化したとはいえ、いつまでもこの砂嵐が続くとは思えないが……そうだな、射るか」
吹き荒れる風の合間に聞こえたガルハールの呟きに耳がおかしくなったのかとランスロットは一瞬自身を疑った。
「射る……? 何を言っている。この砂嵐の中、弓を使う気か」
「そう言ってるだろう。それ以外にどう聞こえた」
「そう聞こえたくなかったと言っている」
なあに、魔術師殿は気にせず進軍してくれればいい。そう言いながらガルハールは騎馬にくくりつけていた大弓を手に取る。粛正騎士が持っている弓より一回りほど大きいそれを彼は二、三度弦を弾いて調子を確かめ、矢筒から通常よりさらに長い矢を三本抜いてまとめて弓につがえた。
様子を見ていた立香はそこでようやくガルハールが三連射するのではなく、三本同時に射るのだと理解した。随分と強く弦をを張っているのだろう、ガルハールが弓を引けば刺青の入るむき出しの腕の筋肉が盛り上がる。
あまりにも無謀な行いですぞ。そう声を上げたのは呪腕のハサンである。
「この砂嵐は初代様の加護! そう易々と破れるものではありませぬ」
「呪腕殿、勘違いしてもらっては困る。私はその初代様とやらの加護を無碍にするつもりはないよ。ただ、少しばかり利用させてもらうだけさ」
自身の身を捧げることを条件に神々の加護を得ているからそう難しいことではない、とまでは言わない。どうであれガルハールの目には砂嵐の隙間がよく見えていた。どれだけ荒れ狂う嵐であろうとも、その隙間を狙い、流れに矢を乗せてしまえば、さらに速く強く矢は敵に届き串刺しにする。
ガルハールの思惑通り、三本の矢は風に乗りまっすぐ正門へと飛んでいった。粛正騎士に命中したかは目視では分からないが、三体倒したという手応えだけはあった。ガルハールはまた矢を三本つがえ、射る。二射目も一射目と同様の結果であった。
「これで六体……成果としては微々たるものだが、まあ数をこなせばそれなりに減らせるだろう」
涼しげに言ってのけるガルハールにほとんどの者が言葉を失った。「なんとも見事な武芸であるよ」と藤太が感心し、「すっごーい! 九つの太陽を射落としたって言う羿もこんな感じだったのかしら?」と三蔵が手放しに賞賛した以外は言葉に表すのも忘れたようだった。
しかしランスロットとベディヴィエールだけは違う感想を抱く。円卓の騎士だった頃のガルハールがその技を使ったところを彼らは見たことがなかったが、その弓の軌道はよく覚えている。あの丘陵で、神々が怒り狂うような雷鳴が轟くの中を切り裂くように飛ぶ三本の矢は、彼らの目の前で進軍を告げるラッパ吹きを正確に貫いた。
淡々と城兵の弓兵を射落すガルハールだが大局から見れば微々たる成果だ。それでも確実に敵に損害を与えている。時折思い出したかのように突撃してくる粛清騎士を射ることも忘れない。
かつての同胞の活躍を間近で見ていたランスロットはしばし考えたのち、矢を持ってくるよう部下に命じた。新たな矢をつがえるガルハールに声をかける。
「……作戦変更だ。ガルハール、お前はこのまま歩兵を援護し、城壁の弓兵を削れるだけ削れ」
「いいのか? 左翼を一人で攻めるなどお前には荷が重すぎると思うが?」
「おれの精鋭部隊を甘く見るな。それよりも正門突破が優先だ」
「そうか。分かった」
矢を飛ばしたガルハールは言葉とは裏腹に弓を下ろす。何をと問いかけようとするランスロットを手で制し、彼は立香に呼びかけた。
「そういうことだ魔術師殿。私はここから君達を援護する。呪腕殿、中央に布陣しているガウェイン卿に動きがあるか見えるか」
「一歩も動いていないようですな。真正面から我々を防ぐつもりでしょう」
「……ふむ。ならば私の宝具で先に中央の歩兵を減らすとしようか」
ガウェイン卿は討ち漏らすだろうが、まあ後で殺すのだから問題はないか。そう呟き、ガルハールは皆に下がるよう告げる。その意図を汲んだランスロットが全兵に向けて叫ぶ。
「全員ガルハールの宝具に続いて突撃だ!」
どんな宝具を展開するのかと見守る立香を背に、ガルハールは腰に帯びた剣を抜いた。それは騎士としての彼の剣ではなく、異民族の剣である。暴風の中に朗々とした声が響く。
「――大地に住まう神々よ。大空を駆け巡る天上の神よ。死にゆく無辜の民の嘆きに耳を傾けよ。我が命を糧に幾許かの慈悲を与えたまえ」
唱えながらガルハールは勢いよく己の掌を剣で切り裂いた。溢れ出る血を刀身に絡め、剣を天に掲げる。
砂嵐が吹き乱れる中に雷鳴が轟く。突如地面から生えた木々が籠のように絡み合い、歩兵達を多い尽くす。ガルハールが空高く剣を掲げれば、一筋の稲妻がそこに落ちた。雷を纏った剣をゆっくりと剣先を下ろし、後ろに引く。チリチリと電気を帯びた剣が鳴く。
「杯に満たせ 生け贄の血(デウス・タラニス)!」
勢いよく逆袈裟に切り上げた。衝撃波は雷をまとって二重三重の波を作り、砂嵐を巻き込んで粛正騎士達を襲う。雷に打たれた木々が轟々と燃え上がり、あとに残ったのは黒焦げの人型であった。剣も鎧もすべて燃え尽き風に煽られて崩れ落ち、灰になる。砂嵐の中に混ざって肉を焼いた焦げ臭さが立香のところまで届いた。
唖然とする立香とマシュを一瞥してガルハールは剣を収める。粛正騎士はまだ多く残っていたが、それでも半分程度は灰にした。直撃はしたが案の定ガウェインは討ち漏らしたらしいと呪腕のハサンの声を遠くに聞く。全身を蝕む激痛を顔に出さないよう堪え、弓を取る。口の端から流れる鉄臭いそれを腕で乱暴に拭った。
戦いを司る死の神に生贄を捧げることにより得られる力だ。自身の命を捧げれば捧げるだけ強大な加護を得ることができ、それによりさらに多くの生贄を捧げることができる。宝具発動のトリガーが自身の命になるため、そう何回も展開できる宝具ではない。
激しい雷鳴だった。未だ鼓膜が揺さぶられている錯覚に襲われ、肉が焼ける匂いが鼻につく。その宝具は意味を理解した者はどれだけいたか。この白亜の城の門前にどれだけの命が散ったのか、どれだけの血を吸い込み、どれだけ怨嗟を溜め込んでいるのか。この地自体が生贄の血を溜め込んだ杯であると知っているのはガルハールだけだ。
「ガルハールさん!!」
いち早く正気に戻ったマシュがちいさく悲鳴を上げてガルハールに駆け寄る。彼の掌から止めどなく溢れ出る血を何とかしようと手持ちの布を乱暴に巻きつけた。ガルハールが拭い損ねた口端の血にも気付いて眉を吊り上げる。
「なんて無茶を! 手以外にもどこか怪我を……」
「ああ、いや。そういう宝具なんだ。――いや、今はそんなことを言っている暇はなかったな。歩兵部隊は正門へ向かって走れ! 遊撃部隊何をしている! 敵騎兵はすでに動いている。両翼から挟み撃ちされたいのか!」
ガルハールの怒鳴り声に人々は慌てて動き出す。各々武器を片手に 喚声をあげ正門へと走る。獅子王を前に本当に勝てるのかと半信半疑だった人々も戦々恐々としていた民達も目の前で展開されたガルハールの宝具に勇気付けられ、勝てるかもしれないと夢を見た。自分達には英雄がついているのだと理解した。
藤太が三蔵をつまみあげて馬上に放り投げた。悲鳴などお構いなしに自身も馬にまたがり駆け出す。ハサン達はすでに砂嵐の中に紛れてしまった。少しばかり躊躇いを見せたランスロットは意を決したように馬の腹を蹴る。残るは四人だ。立香とマシュとダ・ヴィンチとベディヴィエール。マシュを除く三人はガルハールの手当てをする彼女を待っている。
「ほら、マシュも行きなさい。お互い無事であれば、またあとで会えるよ」
「ですが……」
「大丈夫だ。私にはまだ円卓の騎士を殺すという目的が残っているからね、消えるのはそれからだ」
ガルハールが優しく背中を押してやれば、後ろ髪引かれるように振り返りながらもマシュは立香の元へと戻った。ダ・ヴィンチに促され、走り出す。
最後に残ったのはベディヴィエールだった。彼には立香を守るという大役があるため立ち止まっている暇などなかったが、すでに弓を構えて敵弓兵を射落し始めているガルハールを呼ぶ。
「ガルハール卿……ご武運を」
「協力はここまでだ。これより私はお前達の敵となる」
矢を番えたまま、ガルハールはベディヴィエールに照準を合わせて弓を引き絞る。容赦無く放たれた三本の矢は彼の頬を擦り、髪を数本切り取り、鎧の端を砕いていった。ガルハールが再度矢を番えたとき、ようやくベディヴィエールは立香達を追いかけるべく走り出した。その姿が砂嵐の中に消えるまでガルハールは照準を逸らさなかった。