月と太陽を追いかける狼

 あと数歩だった。大剣を振り下ろせば切っ先が届く距離であった。しかし刃は王に届かなかった。剣が纏う雷の指先ですら、かの王に触れることはできなかった。失意のうちに死んでいった者達の怨嗟と、未だ苦しみの只中で救いを求め続ける者達の嘆き、そしてガルハールの命を削り取る雷神の剣がアーサー王を傷付けることはついぞなかった。

 角笛がけたたましく戦場に鳴り響く。激しく打ち鳴らされる太鼓にを合図に異民族達の中から飛び出した一団は各々が得物を振り回し、咆哮にも似た雄叫びを上げてブリテン軍に突撃する。その狂気をまとう一軍を率いる男の顔立ちはブリトン人のそれだが、顔やむき出しの腕に刻まれた刺青や装備から剣までが異民族のものだ。先頭を駆ける男が咆えた。

「我らには大神タラニスの守護がある。臆することなく突き進め!」

 ケルトの神々の一柱の名を叫ぶ男が剣を振るえば、面白いほどに敵兵が倒れていく。その様子を見た蛮族達は一層士気を上げ、またブリテン軍は恐れおののく。

 最後にその姿を見たのは玉座の前であったとランスロットは記憶している。ガウェインに引き立てられ、衣服も髪も乱して地に押さえつけられていた無様な姿だった。私は知らない無実だと喉が潰れるまで叫び続けた姿を今でもよく覚えている。処刑すべしと円卓の騎士達が満場一致で訴える中、アルトリアただ一人が滅刑を選択した。殺されることなく僻地へと送られた男は奴隷になリ、異民族の襲撃に遭い死んだのだと噂で聞いた。
 一時は円卓最強とまで言わしめた男にしては惨めな最期であるが、王に逆らった愚か者の末路と考えれば当然だと彼は思っている。当然の報いであると信じて疑わなかった。

 しかし、それがどういうことか。死んだと言われていた男が生きていたどころか、蛮族の手先となって聖地を侵攻しようとしているではないか。蛮族の衣服をまとい、鎧をつけて兵を率いている。あの罪人の情報は本当だった。
 彼の率いる兵達にはブリトン人がいればピクト人やアイルランド人もいる。彼らの全員ではないだろうが男と同じ奴隷出身の者もいるのだろう。

 黒い雲が空を覆う。強い風が吹きだし、遠くで雷鳴が響いた。
 アグラヴェインが第二陣の指揮を取り、進軍を合図するラッパが吹き鳴らされる。しかしその音を三筋の矢が打ち消した。正確には吹き手の頭と首と胸を同時に三本の矢が貫いたのである。矢が飛んできた方向をアグラヴェインが睨みつければ、遠くに見覚えのある男が弓を構えていた。間違えようもない。ガルハールである。
 兵達の動揺が空気に混ざり、アグラヴェインの肌を撫でた。戦争でもっとも避けるべきものの一つが兵達の動揺である。統率が取れない軍など敵からしたらいい鴨だ。

「たかが蛮族、何も恐れることはない! 我らには騎士王が付いておられる!」

 そう味方を鼓舞するも、次々と入って来る報告は思わしくないものばかりだ。右翼を率いるガウェインが押されており、左翼を指揮するボールスも攻めあぐねているようだ。中央の兵を率いるケイとパーシヴァルを動かすにはまだ早い。兵力の差は圧倒的にこちらが上だが、敵に翻弄され思うように攻めることができずにいる。
 ガルハールがいようとも、たかが蛮族、たかが寄せ集めの雑兵と侮っていた。敵をこちらの懐深くに入れてから両翼で包み込んで、一網打尽にするつもりだったのだが、敵はこちらの手などお見通しと言わんばかりに次々と裏をかいてくる。

 丘上の本陣にいるアルトリアからもこの戦況が見えていることだろう。そして今よりもさらに不利になれば腰を上げるに違いない。
それはいけないとアグラヴェインは指示を飛ばしながらどうすべきかと考えを巡らせる。王はガルハールを気にしている節がある。あの最低の極悪人に対して心を砕く価値などないというに、アルトリアはかの男を意識している。
 故にアルトリアとガルハールの接触は何としてでも避けなければならない。王と大罪人が言葉を交わすなどあってはならない。そうなる前にガルハールを討ち取る必要がある。

 ならば誰をあの男にぶつけるべきか。アグラヴェインは考える。答えは簡単だ。円卓最強と名高いランスロットをぶつければいい。幸い彼には遊軍を任せているため、主力と違って動かすのは容易い。少ない兵力でガルハールを叩くにはランスロットが適任だ。
 しかしガルハールもかつてはランスロットと並んでキャメロットの双璧と謳われた男だ。ランスロットが負けることも十分にありえる。そしてそれが現実となった場合、勝敗の天秤は蛮族側に傾くだろう。どれだけ兵を削ろうとも、ガルハールただ一人だけはただまっすぐアルトリアだけを目掛けて駆けていくに違いない。

 そしてアグラヴェインは指示を出した。

「随分と遅いお出ましじゃあないか。弱い奴らを蹂躙するのも飽き飽きとしていたところだよ」

 蛮族の剣を手足のように操り、ガルハールはせせら笑いながらランスロットを睨め付ける。その表情は悪鬼にも似ていた。
 その顔には青色の刺青が施されている。ピクト人達の風習でそのようなものがあるらしい。むき出しの腕にも模様が刻まれており、身も心も蛮族に成り果てたのだと誰もがすぐに理解した。

 ガルハールは完全に身も心もアーサー王に敵対する蛮族に売ってしまったのだとランスロットは心のどこかで落胆している自分を見つけてしまった。思えば親友を称するほどの仲であった。アーサー王の第一の側近であったにも関わらず躊躇なくランスロットにその座を譲り、常に末席の十三席に座していた男。彼の妹とギャラハッドは婚約していたこともあった。もっともギャラハッドは結婚することなく聖杯探索を成功させてて天に召されてしまったが。
 ガルハールの妹がどうなったかランスロットは知らない。そもそも知ろうとも思わなかった。大罪人の妹など罰せられるべきだと思っていたほどである。

「ガルハール……やはりあのとき王を説得してでも貴様を処刑しておくべきだった!」
「私を陥れたお前にとやかく言われる筋合いはないなあ。お前達こそがこの国の癌ではないか」

 剣が鈍い光を孕む。ガルハールが剣を払えば、まるで泣き出すように刀身が鳴いた。
 神にその身を捧げた妹が遺したもの。大地の神々の慈悲を得て、純潔を捧げた妹の、乙女の守りによりいかなる魔術をも跳ね返す。人々の嘆きと怨嗟を纏ってガルハールの魂を糧とし、戦いの大神が加護を与え、その命が尽きるまで決して折れることのない冥界のつるぎだ。

 琥珀色の瞳が怨讐の炎に燃え上がる。ランスロットを睨みつけ、そしてアーサー王を遠くに見据えてガルハールは地を蹴った。
 まったく重さを感じさせない動きで剣を薙ぐ。金属同士のぶつかる音を響かせてランスロットに剣を受け止められた瞬間にガルハールは体を反転させ、再度逆方向から同じ攻撃を仕掛ける。それをも受け止めたランスロットに対してガルハールは柄から片手を離して一歩大きく踏み込み、その横面に拳を叩きつけた。よろめき思わず後退したランスロットに対し、彼は鼻で笑う。

「おいおい、なんとも無様じゃないか。それで円卓の騎士を名乗るなど、卿は恥というものを知らぬようだ」

 それが挑発なのだとランスロットでなくても理解できる。ランスロットは攻撃に転じるも、ガルハールは剣筋をすべて読んでいるかのようにやすやすと敵の剣を受け止め、薙ぎ、軽々と避ける。あの頃より格段強くなった彼にランスロットはじりじりと圧される。そしてその合間に叩き込まれる強烈な一撃は、ガルハールが神々の加護を得たのだと知らしめるには十分すぎた。
 灰色の雲が空を覆う。遠くで雷鳴が鳴り響き、人々の怨嗟にも似た音を響かせて雨が降り出す。

 苛烈なガルハールの進撃に彼の仲間は勇気付けられ、咆哮を上げて突撃する。戦場にこだまする角笛や激しく叩き鳴らされる太鼓の音に、剣同士がぶつかる音に弦を弾く音が混ざり合う。そこに民族や身分の違いはなかった。彼らは皆、ガルハールの勇姿を目の前にして奮い立ち、彼を加護する神々と正義を信じて恨みとつらみ、希望と誉を複雑にからみ合わせて敵を屠る。多くを殺して神に捧げればさらに強い加護が得られると信じて、隣で仲間が斃れようと臆することなく、逆に奮い立って多くの敵を殺した。

 不意にガルハールは咳き込み、血を吐き出した。大きくバランスを崩した彼の隙を見逃すはずもなくランスロットは攻撃を仕掛けるが、ガルハールはやすやすと片手で敵の攻撃を受け止める。吐血を見てか、攻撃を受け止められてか、動揺を見せたランスロットをガルハールは蹴り飛ばした。血まみれの口元を拭う。
 開戦の前の儀式で飲んだ酒に仕込まれていた遅効性の毒がここにきてようやく効果を発揮したのだ。大多数に認められているとはいえ、未だガルハールを所詮はブリトン人と敵視する者達もいる。直接殺すにも勝ち目はないと彼らは一計を案じた。ガルハールに毒入りの酒を飲ませ、戦のどさくさに紛れて殺してしまえばいいと。
 ガルハールは彼を信頼する同胞の一人からその企みを聞かされていたが、あえてそれを受け入れた。毒を飲み、戦いに望んだ。生きて帰るつもりは初めからなかった。ガルハールはこの地を死に場所に決めていた。脳裏に妻の横顔が過ぎる。

「ほら、どうした。そんなに怯えていては私を殺せないぞ。それとも――ここを通してくれるのかな?」

 一瞬の隙をついてガルハールは地を蹴った。ランスロットが彼の行動に気付くよりもさらに早く、ガルハールは敵の脇をすり抜けた。ガルハールに駆け寄ってきた友軍の一人が乗っていた馬を彼に渡す。手綱を握って馬に飛び乗り、敵大将目掛けてガルハールは馬の脇腹を強く蹴った。剣を納め、馬にくくりつけられている弓を手に取る。
 ランスロットはすぐさま味方から馬を受け取りガルハールを追いかけるが、たかが数秒の差が大きな距離を生んでいた。それも神の加護なのか、どれだけランスロットが馬を走らせようとガルハールに引き離される。

「ガルハール――!!」

 ランスロットの絶叫が戦場に響いた。そしてそれを王を守護する騎士達はしっかりと見ていた。そしてガルハールの目的が王であると分かるや否や、各々軍を副官に任せて手綱を握る。
 本陣にいるアルトリアにもガルハールの行動はすべて見えていた。そして彼の目的が自分自身であることも理解していた。周囲が後退するよう促すも、彼女は決して動こうとはしなかった。真正面から彼を迎え討つ覚悟はできていた。

 弓兵の放つ矢がガルハールを貫いた。しかし彼は止まらない。矢を射返して弓兵を討ち取る。ガルハールを守れと異民族達も無数の矢の雨を敵軍へと浴びさせた。
 体から矢を生やし、血を流そうともガルハールはなおも馬を走らせる。しかし馬はそうはいかず、無数の矢を受けて大きくよろめいた。馬が倒れる前にガルハールは剣を掴んで飛び降り、己の足で走りだす。

 真っ先にガルハールの前に飛び出したのはガレスだった。槍を向けまっすぐに突っ込んでくる彼女をガルハールは最小限の動きで避け、その襟首を掴んで遠心力を使って遠くへ投げ飛ばした。息継ぐ間も無くガヘリスとボールスが同時に斬りかかってくるも、ガルハールは彼らも軽くいなす。鎧を着込んでいる彼らと軽装のガルハールでは機動力に圧倒的な差があり、彼らはガルハールの動きを捉えられない。今のガルハールにとって雑兵も円卓の騎士もそう大きな違いはなかった。

 ガルハールの視界にアルトリアが入ったその瞬間、飛び交う矢の中でガルハールの急所を正確に射貫いたのはトリスタンだった。がくんとガルハールが体勢を大きく崩し足並みを乱した隙を見逃さず、その前にガウェインが躍り出てガラティーンを振り抜いた。ガルハールはそれを受け止めるも、さらにトリスタンからの放つ矢を足に受け、そしてガウェインに力に押し負けて剣を弾き飛ばされた。雷を纏った剣が地に突き刺さる。だがガルハールは近くの敵兵から剣を奪い、ガウェインを避けてさらに走る。
 間髪なくモードレッドが正面から突っ込んでくる。ガルハールはかろうじてそれを躱すも、すれ違いざまに剣を持たない方の腕を切り落とされた。さらに後ろから攻撃しようとするモードレッドをガルハールは蹴り飛ばす。片腕から血を垂れ流したままなおもガルハールは走ることをやめない。
 だが一歩一歩確実にガルハールの足は遅くなる。毒が全身を蝕み、足を射られ、片腕を失ったガルハールはそれでも気丈に立ち続ける。しかし血を流しすぎた。気を抜けばすぐに崩れ落ちるだろう両足に力を込め、その炯々とした薄暗い琥珀色の双眸をかつての仲間達に向ける。そして休む間も無く向けられる攻撃をすべて受け、一心不乱にアルトリアの元へ向かう。

 ガルハールの快進撃を止めたのはガウェインの一撃であった。同胞達の攻撃を弾き飛ばすガルハールのその一瞬の隙を見逃さず、ガウェインは後ろから彼の背にガラティーンを深々と突き刺した。
 ついにガルハールの足が止まる。ガラティーンから逃れようと身をよじるも当然ガウェインがそれを許すはずもない。剣を地面に突き刺し、片手でガラティーンを押し戻そうとするも、満身創痍のガルハールにそれだけの力は残っていなかった。

 他の騎士達がようやく彼らに追いついた。口々に怨嗟を吐き散らしながらガルハールに剣を突き立て、槍で貫く。
 敵に囲まれてなおガルハールの瞳は悪意と敵意に満ちていた。沼の底よりも深い闇に包まれた瞳が己の胸を貫いた騎士達を睨み付ける。かつて共通の理想を抱き背中を預けた同胞達だ。ガルハールの唇が歪な笑みを作った。血を吐きながら呪いを紡ぐ。

「聞け、円卓の騎士達よ。夢に抱かれ、理想に溺れる愚者達よ。――警告しよう。国を滅ぼし、王を殺すのはお前達円卓の騎士だ。お前達は王を守る騎士ではない。王を弑する逆賊だ」

 呪いを乗せた声は地を這うように低く、またたっぷりと毒を含んで騎士達に吐きつける。胸を貫かれ堪らず吐血しようとも彼から光が失われることはない。
 円卓の中で最古参の一人であった男。父親と共にウーサー王に仕え、側仕えののち若きアーサー王に剣を捧げた忠節の騎士。ランスロットと共に円卓最強の双璧をなし――そして王を裏切り国を捨て、蛮族を率いてキャメロットに迫った大罪人。

 丘の上に立つアーサー王にガルハールは目を向けた。円卓の騎士達には見えていないだろう王の表情、誰にも見せてはならないその双眸に浮かぶ色に小さく微笑み、口を開く。一言二言、ガルハールの唇が言葉を紡ぐか紡がないかのうちに、正面からランスロットが彼の首を跳ね飛ばした。ガウェインが首のない胴体から剣を抜く。真っ赤な血を撒き散らしながら両膝を地につけ、そしてゆっくりとうつ伏せにガルハールの体は倒れた。
 敵将を討ち取ったと歓声が上がる。キャメロットの兵達にとって最も恐るべき敵が斃れたのである。円卓に名を連ねる騎士が束になってようやく倒したほどの脅威が去り、勝利は確実だと酔い痴れる。ベディヴィエールが突撃の太鼓を鳴らすよう命じ、士気の上がった精鋭兵が将を失った蛮族の兵と衝突した。

 剣に宿るいかづちが静かに消えた。そして円卓の騎士にかけられた呪いが解ける。