その名はオルウェン。円卓の最強の騎士であり呪われた十三席目を守るガルハールの末の妹にして、彼とともにキャメロットの双璧と謳われるランスロットの子、無欲の騎士ギャラハッドの妻となるはずの娘であった。
心優しく清廉なる乙女。年の離れた妹であるためか、ガルハールはいたく彼女をかわいがった。そんな彼を兄弟達は何ともひどい兄馬鹿だと苦笑を漏らしていた。キャメロットの双璧と謳われ、その若さで武芸百般を修めた円卓最強の騎士もやはり人の子であったのだと、彼を知る者は笑う。
オルウェンもまた兄を慕い、よくこれに従った。アーサー王に忠義を貫くただの騎士でありたいと早々に家督をすぐ下の弟へ譲り、ただひたすらに騎士道を守り続ける高潔な兄を彼女が慕わない理由はなく、彼を大切に思っていた。
オルウェンとギャラハッドを引き合わせたのはガルハールであったが、二人の出会いはそれよりももう少しだけ早かった。オルウェンが兄へ届け物をするために城を訪れた際、彼女をガルハールの元へと案内したのがギャラハッドだったのである。歳がそれほど離れていなかったことも理由の一つなのだろう。また、ギャラハッドがガルハールに対して好意的だったことも原因かもしれない。
周囲のことを第一に己のことは二の次三の次にするガルハールだが、家族のこととなればさらにそれは酷くなる。円卓の騎士の妹を妻にしたいと申し出る男は多く、しかしその中に妹の夫にふさわしい男がいなかったものだからどうしたものかと父や弟と悩んでいた彼である。
オルウェンとギャラハッドの相性は悪くないのではないかと思い、最初はそうなればいいとの軽い気持ち若いで二人を引き合わせたのだが、次第に心を通わせるようになった彼らを見て決意する。
ガルハールもまたギャラハッドを好ましく思っていた。キャメロットの騎士達の中でも数少ないまともな男。そしてガルハールの課した試練を次々と突破して円卓にふさわしいことを自ら証明し、十三席目の呪いを跳ね除けた高潔の騎士。円卓の最後の一席に選ばれた男。その認識がガルハールの背中を押していたことは間違いない。
ランスロットは父親ではないから許可を得る必要などないと主張するギャラハッドを宥めて、ガルハールはアーサー王に二人が夫婦となる許可を得る。事後報告としてギャラハッドは己の父親にこのことを伝えたらしいが、「祝福は不要。あなたはただ黙って遠くにいてくださればそれでいい」そう辛辣な言葉を添えたという。
ランスロットの自業自得だとガルハールは笑い、実の父親に失礼ではないだろうかと心配するオルウェンをよそに、これでいいのだと彼は不快そうに呟いた。
その日、オルウェンは屋敷で兄と婚約者の三人で談笑していた。それぞれに会うことはままあったが三人が揃うことは久々のことであったため、彼女は張り切って菓子を作り彼らにふるまう。
それに対してグリフレットは「私の妹は使用人を使わず、このように自ら菓子を作ってしまうのだからお転婆で困る。卿の手を焼くことにならなければいいが」と笑い、ギャラハッドは「何もかもを使用人に任せず、こうして私達のために時間と労力を割いてくれるのだからありがたいことです。私にはとても勿体無い女性です」と微笑む。
彼ら三人が揃ったところで特別なことをするわけではない。ギャラハッドとオルウェンの婚儀をいつにするか、それより先にガルハールからギャラハッドへ十三席を譲ることが先か。
嫁入り道具はすでに腕利きの職人達に頼んである。円卓の席を譲る、しかもそれが十三席なのだから儀式は盛大に行うべきだと王は仰っているからきっと大変なことになるぞ。そんな他愛のない話ばかりである。
オルウェンはとても幸せであった。大好きな長兄と婚約者とこうしてゆったりとした時間を過ごせることがとても嬉しくあった。また優しい父と母や兄や姉達に囲まれて彼女は何不自由なく育った。幸せとはおそらくこのようなことを言うのだろう。
遠くに馬蹄の音が聞こえたかと思えば、にわかに屋敷の外が騒がしくなる。上階まで聞こえるその尋常ならざる様子に何事かと立ち上がるガルハールとギャラハッドを見上げてオルウェンは胸がざわついた。何か悪いことが起きる気がする。耳元で精霊が囁く。
幼いころから彼女の直感はよく当たった。さる高名な魔術師にその素質があると言われたことがあると父母から聞いていた。大地の精霊の祝福を受け生まれたその身には有り余るほどの魔力を満たしており、神に仕えるだけの力を持っているらしいと。
ノックも声をかけることもなく使用人が部屋に駆け込んできた。本来ならば使用人にあるまじきふるまいであると叱るところだが、この家の使用人がそのようなことをするなど決してあり得ない。つまり息を切らし、自身の所作を気にしていられないほどの問題が起こったということだ。
ガルハールは何があったと優しく彼に問いかける。
「ガルハール様! 城より使者が参りましてガルハール様をお呼びなのですが……っ!」
「呼吸を整えてゆっくりと話しなさい。誰が使者で私に何の用だと言っている?」
「それ、が……」
「ガルハール卿、使者はトリスタン卿です。それと兵が九、いや十人。護衛にしてはいささか多いような気がしますが……」
窓より外を見下ろしていたギャラハッドが振り返り、告げる。使用人は言い辛そうに視線をそらした。
その様子を見守るしかないオルウェンはとても悪いことが起こるのだと膝の上で両手を組む。良くも悪くもこういう予感が外れたことがないのだ。不安にならないはずがない。
「おまえが言い辛いということは相当な用事なのだろうね。分かった、私を呼んでいるというのならば行こう」
「なりません! トリスタン様はあなた様を王に刃向かう叛逆者だと捕らえるおつもりなのです!」
使用人の叫びにガルハールは目が細め、対してギャラハッドは双眸を大きく見開いた。
階下の騒ぎが先ほどよりも大きくなっている。応対しているのは声からして兄妹の父と家督を継いだ次男のようだ。
ああ、これはいけない。オルウェンの耳元で精霊が囁く。しかし精霊の囁きだけで兄を止めることはできず、ましてや使者を説得することなどできないだろう。騎士とはそういうものなのだと幼き頃より教えられてきた。そこに女が入り込む余地など最初からないのだと。
「――なるほど。それならばなおさら行かなくてはなるまいよ。なに、話の通じない相手ではないんだ。話せばトリスタン卿も分かってくれるだろう」
父と弟にすぐ行く旨を伝えるようにと使用人を下がらせ、ガルハールは振り返った。
彼自身まったく身に覚えのないことであったから、どこかで誤解が生じているようだとその程度の認識であった。アーサー王に忠誠を誓ってからこのかた一度たりとも叛意を抱いたことはない。抱く必要すらなかったのだから当然だ。
「ならば私も共に参りましょう。あなたの捕縛をトリスタン卿に命じたのが王があるならば、王の誤解を解かなくてはなりませんから」
「いや。ギャラハッド卿、君はオルウェンのそばにいてやってくれ。その子は少々泣き虫の気があるからな。慰める者がいなくては困る」
「お待ちください!」
思わずオルウェンは立ち上がる。自分でも驚くほどの大きな声が出てしまったことに戸惑いながらも二つの視線を受け止め、短絡的な己の発言を恥じた。
「いけません、行かないでください。行っては、駄目です……行っては……」
これではまるで駄々をこねる子供ではないか。この歳になって兄を困らせることなどあってはならない。分かっているはずなのに精霊の囁きを無視することもできない。敬愛する兄の身に悪いことが起こると何となくでも感じてしまえば見て見ぬ振りなどできなかった。
最初の威勢はどこに行ったのか、次第に尻窄みになり最後は懇願するかのように「行かないでください」と呟き俯く妹にガルハールは小さく笑みをこぼした。
兄弟の中でいっとう彼女を構ってしまうのはこういうところがあるからなのだろう。末の妹を甘やかしすぎだとすぐ下の弟からよく笑われていたことを思い出す。
ガルハールは未だ立ち竦むオルウェンの元へと歩み寄り、屈んで視線を合わせる。その長く豊かなダークブロンドの髪を撫で、初雪のように白い頬に片手を添えた。
「大地の精霊の祝福を受けたおまえがそう言うのだから、きっとよくないことが起こるのだろう。だが忘れてはいけないよ。おまえの兄はどのような困難を前にしても負けることは決してない」
「でも……お兄様……」
「大丈夫だ。それにおまえにはもうギャラハッド卿がいる。私ばかりにかまけてないで彼によく仕えなさい。やきもちを妬かれるのは遠慮したいからな」
今にも泣き出さんばかりに涙を溜めた目元を優しくぬぐい、ガルハールはオルウェンを抱きしめる。
「さあオルウェン。兄様のために笑っておくれ。おまえが笑ってくれたらそれが一番の守りとなる」
「っ、はい……」
オルウェンが無理矢理に見せた笑顔は悲しみに縁取られてはいたが、それでも兄に向けた兄のための笑顔であった。
ガルハールは満足そうに頷いて彼女の頭を撫でて立ち上がる。オルウェンからの名残惜しそうな視線を受けながら、ギャラハッドと向き合った。オルウェンに向けていた表情から一変して真剣なそれに変わる。琥珀色の瞳の奥に込められた光を向けられて自然とギャラハッドの背筋が伸びる。
「ギャラハッド卿……いや、もう私の義弟と言っても差し支えはなかったな。――親愛なる弟よ、妹のことをよろしく頼んだぞ」
「はい。義兄上もどうかお気をつけて」
ガルハールは二人に背を向け部屋を出る。部屋の外では彼が家督を譲った弟が待ち構えていた。弟の厳しい表情にガルハールは頷く。
「あとのことは任せた」
やや気難しく不器用な気のある弟の瞳が揺らぐ。彼の肩を軽く叩いてガルハールは階段へと足を向けた。