ピクト人の陣営に恐ろしく強い将がいると聞くようになったのはいつのことか。剣はもちろんのこと、弓も槍も十全に扱い、あまつさえ体術も馬術も得意としているという。
将の名はグリフレットと言った。背が高く琥珀色の瞳と顔や手足に施された鱗のような刺青が目印だというその男はピクト人ではないようだが敵だと分かっている以上、出身など問題ではない。
さらに悪いことに用兵術にも長けているらしく、彼が指揮する隊は恐ろしく統率が取れている。そのため攻め入る時は山津波のように唐突で炎のように苛烈、引く時は波よりも速く嵐の後のように何も残さない。
これまでのピクト人達の侵攻とは明らかに一線を画していた。落とされた砦は両の手の指では足りなくなった。殺された将で言えばさらに多い。
どれだけ斥候を放っても生きて帰ってきた者はいない。遺体どころか髪の毛一本すら帰ってこなかった。薬か魔術か唆されたか、寝返ったものも幾人かいた。
物陰に隠れて辛うじて生き残った兵が言うには、あれは冥府の住人である。冥界の王プルートーに仕える騎士である。騎士の剣は一振りで数多の魂を刈り取っていく。王に死者の魂を捧げるために侵略を繰り返している違いない、と。
グリフレットの侵攻は苛烈であるにも関わらずその攻め方は相手の行動を完全に読んでいるようであった。進軍も退軍も鮮やかなもので、兵士達はいつも惑わされ手玉に取られていた。どれだけ策を立てようともことごとく崩される。もしかしたら有能な軍師がグリフレットの配下にいる可能性もあったが、今のところそのような報告は受けていない。
こんなときにあのガルハールがいてくれたら、とこぼす者も少なからずいた。聡明な彼がいてくれたら、謀叛など愚かなことを企まなければ。しかし彼はすでに死んでいる。長城の工事に奴隷として携わっていた彼はピクト人の襲撃に遭い殺されていた。体の特徴が一致した、首のない遺体が確認されている。
「王よ、かの者らの討伐を私めにお命じください。その首、必ずや持ち帰ってみせましょう」
片膝をつき、深々とこうべを垂れるランスロットを前にアルトリアは少しばかり眉間に皺を寄せた。そこには手放しで喜べない理由があったからだ。
異民族の侵攻には度々悩まされているため、国土の防衛はいつまでも後回しにできる問題ではない。ゆえにランスロットの申し出は渡りに船であり、断る理由はなかった。しかしそれでも彼女が渋るのは、ランスロットが討ち取ると息巻く、件の男の正体である。
アルトリアは密やかに男の正体がガルハールであると予感していた。しかしそれを言ったところで誰もがそれを信じないだろうし彼は死んだのだと言うだろうが、あの男がそう簡単に死ぬはずがないと彼女は信じている。
なにせ家臣の中では最古参の一人、マーリンの次にケイ卿と並んで古い臣下である。アルトリアがまだ少女だった頃からの付き合いだ。武芸百般に秀でたその強さはランスロットを上回り、思慮深さや勇猛さは他のどの円卓の騎士と比べても一歩抜きん出ていた。
そして誰よりも一歩引いたところに彼はいた。一番槍は仲間に譲り、戦の誉れを求めることもなくガルハールはいつだってしんがりを守っていた。
ガルハールはアルトリアの臣下でありながら時には兄のように、また友のような男であった。彼女が女であることも知っていたし、だからといって特別女性扱いすることもなかった。
彼女がその性を捨て王を選んだことを尊重し、あくまで王に仕える臣下としてアルトリアに接していた。それでも時々兄のように友のように気を許すこともあった。
だがアルトリアは周囲にかの男がガルハールであろうとは告げなかった。彼は死んだというのが通説になっていたということもあるし、心のどこかで彼の死を望んでいなかったからだ。
同時に謀反を起こしたとも思っていないが、確信というよりほぼ願望に近いそれに根拠も証拠もなかった。信頼する円卓の騎士達に証拠を見せつけられてはその罪を否定することはできなかったが、彼が叛逆を犯すなど決してあり得ない。死などもってのほかである。
「討伐と言いますがどうするつもりなのですか? 彼らは神出鬼没、次にいつ攻めてくるか分からない」
「グリフレットなる男の正体を掴みました。これで活路が見いだせます」
新たな情報を得たのだとランスロットは言う。ハドリアヌスの長城で奴隷として働いていたという男からもたらされたのだという。
盗みを働いていたところを捕らえたのだというその男は己が鞭打ちの刑に処されると知るや否や、取引を申し出た。曰く「円卓の騎士だったサー・ガルハール……知ってるだろ? 俺はあんた達が知らない情報を知っている。決して損はさせないぜ」と。
男の話はでたらめかもしれないが、ガルハールの名を出されてしまえば彼を慕っていた兵達はこのまま刑を執行していいのか戸惑う。
故に彼らはランスロットに男の話をそのまま伝えた。そこでランスロットが直接男を問いただすも彼は薄笑いを浮かべながら、「あんた達が死んだと思っているガルハールは生きている。あいつがこの国を攻めていると言ったら?」そう挑発的に告げる。
そして続けられる男の話にランスロットはそれが嘘ではないと確信し、アルトリアに進言することを決めた。証拠を見せれば王もランスロットの意見を聞き入れるだろうと自信があった。
引き出されたその罪人を顔を見てアルトリアは顔をしかめた。男は醜悪な相貌をしていた。顔が整っていようとも、その瞳の奥は濁り爛れている。罪を罪と思わなければここまで歪むものなのかと驚くほどに。
男を連れてきた兵の一人が罪状を読み上げる。男の名はマニウス。婚約者とその一族を皆殺しにし財産を根こそぎ奪い取った罪により公有奴隷としてハドリアヌスの長城で労働に従事していた。外面だけは良かったらしく、奴隷の中では真面目に働いていた方だという。今となってはそれが保身のためであったと分かる。
嫌悪感を抑え込むアルトリアの隣でランスロットは静かな声で男に問いかけた。
「さあ、話せ。ガルハールについて知っていることを余さずすべて王に申し上げよ」
「ええ。ええ、話しますとも。確かにあいつはガルハールだと名乗りましたよ。見張りの兵を次々と殺して、ピクト人共を前にしてアーサー王の家来で円卓の騎士だったと間違いなく言っていた。あの態度、あの身のこなし只者ではないとは思っていましたけどね――かの有名な円卓の騎士様が奴隷になるなんて、あいつは大層なことをしでかしたんだろうなァ」
男は酷く汚らわしい笑みを浮かべながら王の御前であることもお構いなしに身振り手振りを使って喋り出す。
「ガルハールはすでに死んでいる。死体も確認した。それは王もご存知のことだ」
「あれは身代わりですよう。見張りの兵を殺して首を刎ねて自分の死体に見せかけた。ああも簡単に自分の身代わりを用意したのだから、きっとあらかじめ身代わりになりそうな奴に目星をつけていたんでしょうねえ。今思えば何とも末恐ろしい男ですよう」
薄ら笑いを隠すことなく男は玉座に座るアルトリアを正面に見上げながら、くるくるとよく回る舌をふんだんに使ってを披露する。
グリフレットと名乗ったその奴隷は求心力が強く、老若男女誰からも好かれていた。同胞異民族関係なく対等に彼らと接し、決して傲慢に振る舞うことはなく、兄弟か友人のようであったったという。人一倍力が強かったために誰よりもよく働き、仲間の罪を進んで引き受け、決して見返りを求めない清廉潔白な男だった。
しかしその実、誰よりも非情で冷徹であった。口八丁で言いくるめた奴隷達に叛旗させ、看守とはいえ同胞であるブリトン人を平気で虐殺し、そのうちの一人を自身の死体に見立てて逃げたのである。
表では綺麗な顔をしていたが、きっとあれは虎視眈々と機会を狙っていたに違いない。持ち物もすべて周囲に与える振りをして実はたっぷり貯めていたはずだ。騎士の風上にも置けない汚い男だった。そう彼は語る。
「王様は俺の話を信じていないようですねえ。もっと証拠を出しましょう。――身長はランスロット様と同じくらいで、髪は暗い金色で目は琥珀色。体格は……肉体労働でしたからね、王様の記憶より大きいかもしれません。恐ろしく頭が良くて男女問わず歳など関係なく誰にでも親切で、罪人とは思えないほどに誠実な男でしたよ。涼しげな顔つきには女どもが夢中になってましてねえ……馬鹿みたいに正直者のお人好しだったが、あれも全部演技だったなんて、末恐ろしい男ですねえ」
一通り語り終えたのか満足そうに男は口を閉じた。そして期待を込めた視線をアルトリアに向ける。
親切心でこのようなことを言うはずがなく、間違いなく保身のためである。そしてそのためのカードを躊躇なく切ったということは男の望みは一つしかない。
全身の鳥肌が止まらないような錯覚に我慢しながら彼女は言葉短く男に問う。
「望みはなんだ」
「へへ、頭のいい王様で助かりますよ。だったら分かってるんでしょう?」
「……赦免か」
男の笑みが深くなる。その浅ましさに嫌悪感すら抱かなくなったアルトリアは小さく溜息を吐いた。
このような男とガルハールが親しくしていたなど考えられない。男はガルハールを馬鹿みたいに正直者のお人好しと称したが、おそらく彼は男の本当の性格に気付いて付き合っていたはずだ。もしかしたら親しくすると見せかけて監視していたのかもしれない。ガルハールはそういう男だ。
「――分かった。その申し出、受け入れよう」
「感謝しますよ王様」
「ランスロット卿。この男を鞭打ち刑に処したのち、沿岸要塞の労役に従事させなさい」
「かしこまりました」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! アンタ、たった今自分がなんて言ったかもう忘れたんですか!? 王様がこうも簡単に発言を翻るなんて……」
「窃盗については赦免する。だが、貴様はハドリアヌスの長城の労役刑から脱走している。それについて許すとは言っていないが?」
絶句する男を冷ややかに一瞥し、アルトリアは臣下に男を連れて行くよう視線を向ける。ランスロットは頷き、後ろに控える兵達に指示を出した。
どういうことだふざけるなとの罵詈雑言が次第に遠ざかり、聞こえなくなったところでようやく王は息を吐き出した。脱力し、玉座に深くもたれかかる。
しばらく深く考え込んだのち、アルトリアは立ち上がった。僅かに迷いを残した青い瞳でランスロットを見上げる。今すぐにでも出兵したいがはやる気持ちを抑えているように見えた。
「――兵の再編を。彼が相手となると一筋縄ではいきません。こちらの手の内はすべて読まれていると思っていいでしょう」
「グリフレットがガルハールだと分かった以上、攻めようはあります。斥候を潜り込ませるのも以前より難しくないかと」
「ランスロット卿、あなたならどう攻めますか」
「あえて我々の懐に入れ、孤立させてガルハールのみを叩きます。指揮者を討てばいくらよく統率された軍であろうとも簡単に瓦解します」
生け捕りにするよう言いかけて言葉を飲み込む。アルトリアとしてはガルハールを殺したくない気持ちでいっぱいだったが、それが決して許されることではないと理解している。
死罪にはならなかったがガルハールには死刑に次ぐ重い刑を科した。その刑から逃れて罪を重ねたとなれば、次に与える刑罰はたった一つしか残っていない。そして彼女は王としてそれを選ばなくてはならない立場にある。減刑などできるはずがなかった。理由がないし、周囲が決して許さない。
ゆえに王は臣下の進言に頷くしかなかった。別の手段を思いつくこともできなかった。