死者の国の女王

 実のところ、マシュ・キリエライトはこの地にレイシフトして以来、とある衝動に悩まされていた。正確には難民達を引き連れて山の民の隠れ里に到達した数日後、あの刺青を入れた男――ガルハールを目にしてからである。

 その姿を見て、その声を聞いて、その笑みを向けられて、マシュは自分でも戸惑うほどの衝動と激情にも似た感情に襲われてた。初対面だというのに自分は彼を知っている、自分は彼を慕っている。そんな思いが彼女を突き動かそうとする。
 彼女の核とも言える霊基は何も話はしないが、それでも他の円卓の騎士達とまみえた時よりもさらに強い感情が訴えかける。霊基の彼にとってガルハールという男は非常に特別な存在なのだと言っているようであった。

 一度、耐えきれなくなって抱きついてしまったことは記憶に新しい。むしろ今すぐ忘れてしまいたいほどの恥ずかしい記憶である。
 周囲が驚く中、ガルハールだけは笑ってそれを受け入れた。それどころかマシュを抱きしめ返した。彼女のことを家族や友人のようにガルハールは受け止めたのである。
 もしかしたら彼はその時すでにマシュの霊基がギャラハッドだと気付いていたのかもしれない。そうでなくとも円卓の騎士以外に対しては寛容であったから、じゃれついてきた程度にしか認識していなかったのだろう。

「ガルハールさん」

 その名を呼んでマシュはすぐに赤面した。思い出されるのは数日前の己の失態である。
 気にしなくていいとガルハールは言っていたが、幼子ではないのだからとマシュは未だに恥じていた。そしてその名を呼ぶことが少し面映ゆい。

 自身に宿る英霊の正体が分かってから、自身のガルハールに対する行動の意味を理解した。ベディヴィエールからギャラハッドがどれだけガルハールを慕っていたかも聞いていた。
 ガルハールの席次をギャラハッドがどのような気持ちで継いだのか想像に難くない。彼に対して抱くのはランスロット相手とはまったく正反対の感情である。ランスロットに対してならばいくらでも辛辣になれるというのに、いざガルハールを前にすると胸がふんわりと温かくなるような気がした。それは立香に対して感じるものとまた違っていた。

 マシュに呼びかけられ、振り向いたガルハールは彼女の姿を認めて柔らかく笑んだ。その目は兄のような、または父親のような温かさを孕んでいる。

 ランスロットに正体を現してから隠す必要がないと判断したのかムスリム商人の服を着るのをやめ、元の衣服らしい異民族の格好をするようになっていた。
 騎士達とは正反対に最低限の防具に留めた軽装で身を固め、一振りの剣も彼本来のそれに替わっている。むき出しの腕には顔の刺青と似たような文様が刻まれていた。

「どうしたんだいマシュ。ランスロットが気にくわないのなら今すぐ殺してくるよ」
「いえ、大丈夫です! そのようなつまらないことでガルハールさんの手を煩わせるわけにはいきません。自分でちゃんとやります!」

 顔を赤くして力説するも、自分でも何を言っているのか分かっていないだろうマシュを前にガルハールは思わず笑い声を漏らす。父親嫌いは霊基に深く刻み込まれていたらしく、しっかりとマシュにも引き継がれていたことがとてもおかしかったのである。これではランスロットは浮かばれないなと同情しつつ、ざまあみろと同時に思う。
 ギャラハッドの霊基を継いでいることもあるだろうが、元々心根の優しい娘なのだろう。それか優しい大人達に囲まれて育ってきたか。マシュを見ているとガルハールは末の妹を思い出す。本当ならば幸せを手にするはずだったのに、彼のせいで死ぬ運命を与えられた哀れな娘だった。

 声を掛けたのはマシュの方からだが、本題に入ろうとしない様子にガルハールは彼女を誘い、集落からすぐ近くの崖の上へと移動する。人がいるところでは話しにくい内容なのだろうと察したのである。
 崖の上からは隠れ里の外と中がよく見えた。それにここならば敵の侵攻があればすぐに気付けるし、立香に呼ばれてもすぐに反応できる。聖都への進軍を明日に控えた今、あまり遠くに行くわけにはいかない。

 マシュに座るよう勧め、ガルハールは近場の岩に腰を下ろした。時刻は夕暮れ、明日獅子王と決着をつけるとは思えないほどに空は綺麗な赤に染まり、心地好い風が吹き抜けていく。村のあちらこちらから鼻腔をくすぐるおいしそうな匂いが漂ってきた。そろそろ夕食時なのだろう。藤太が来て以来、民達が飢えに耐えることがなくなったように思える。
 躊躇いがちに、何から話せばいいか迷う様子を見せるマシュが口を開くまでガルハールは静かに待つ。彼女が相手なら何時間でも待てる。

「――なぜガルハールさんが円卓の騎士を憎んでいるのか、ベディヴィエールさんから聞きました」

 太陽が西の山に半分ほど沈もうとしていたころ、ようやくマシュは意を決したように口を開いた。少し苦しげに、そして悲しそうに言葉を続ける。

「とても後悔していると言っていました。魔術に惑わされていたとはいえ、あなたを死へ追いやったことは決して許されることではないと……ランスロット卿も同様に言っていました。あなたが生きていれば、きっとキャメロットは永く繁栄しただろうと」

 言いながらマシュはちらりとガルハールの顔を窺い見たが、その横顔に表情はない。じっと夕日に染まる荒野を見つめ続けている。何を考えているのかマシュには分からなかった。

 ベディヴィエールの語る真実と歴史に残された伝承は異なるものであった。
 逆臣ガルハール。武芸百般に通じ、円卓の騎士の中で最も強いと謳われた気高き騎士。ランスロットと共にキャメロットの双璧と呼ばれ、最も忠に厚い臣下でありながらアーサー王に叛旗を翻し、異民族と共にキャメロットに侵攻した大逆者。
 自らが守り続けてきた第十三席をギャラハッドに奪われたことへの恨み、ランスロットと並んでキャメロットの双璧と謳われながらも不遇な扱いを受けたために裏切ったのだと伝承では語られている。第十三席が呪われていると言われるのも逆臣ガルハールの席次であったからだという。

 だがそれが事実ではないのだと、ベディヴィエールとランスロットは口を揃えて異議を唱える。

 ガルハールが円卓より追われた原因は彼になく、追い出した騎士達にあった。
 アーサー王を除く円卓の騎士達は沼地の魔女に幻惑の呪いをかけられ、ガルハールが叛逆を企んでいると思い込まされたのだという。ゆえに彼を糾弾し、奴隷に落とした。ガルハールの最後は伝承と同じく異民族を率いてアーサー王に迫ることとなったが、彼の死をもって呪いは解かれ、彼らは真実を思い出した。

 しかし後世の者達は円卓の騎士達を清廉潔白な姿で記すことを望んだ。ガルハールのみを悪とし、彼らを勇敢なる騎士の姿で歴史に残したのである。
 共に話を聞いていたレオナルド・ダ・ヴィンチに言わせれば「歴史はいつも勝者が作るものであって、彼らにとって不都合なことがあれば簡単に捏造や改竄をするものさ」とのことらしい。ガルハールはその被害者であり、ゆえにアヴェンジャークラスで召喚されたのだろうというのがレオナルド・ダ・ヴィンチの見解だ。

「だからと言って彼らの罪が許されるとは思いません。ですが、ガルハールさんばかりが苦しんでいるようで悲しいんです」
「彼らがどれだけ悔やんでいようとも私には関係ないよ。――彼らは私を奴隷に落とすどころか、神々に捧げる生け贄として私の妹までもを殺した」

 ほんの少しばかり寂しそうにガルハールは呟いた。彼がどれだけ妹を愛していたか痛いほど伝わってくる。
 ガルハールにかける言葉をマシュは知らないが、マシュに与えられた霊基であるギャラハッドの存在が少なからず慰めになっているのだと何となく気が付いていた。

「妹さんがいらっしゃったのですね」
「彼らの進言により大地の神々に捧げられたと聞いている」
「そんな……」
「レディ・マシュ、君は優しい娘だ。……ギャラハッドの霊基を持つ君だけにはちゃんと話しておかなければならないね」

 曰く、ガルハール一人だけの円卓の騎士へに対する恨みだけであれば、おそらく彼はセイバーもしくはバーサーカーとして召喚されたことだろう。ガルハールをアヴェンジャーたらしめるものは彼一人だけの恨みだけではない。彼に希望を乗せた数多の民の怨恨がガルハールをそのクラスへと押し上げた。
 彼の双肩には異民族として迫害された、または戦に巻き込まれ奴隷に落とされた無辜の民の怨恨が重くのしかかっている。彼らはガルハールに英雄の姿を見た。無力である自分達の代弁者。国や権力者に会稽を遂げることのできる唯一の騎士。彼らはガルハールに期待する。自分達の恨みを晴らしてくれる唯一の男であると。

 迫害された無辜の民の希望であり、奴隷達の英雄と呼ばれた男が背負うもの。それがガルハールをアヴェンジャーとして喚び出した。嘆きと苦しみ、恨みとつらみ。それらすべてを背負い、彼らの代弁者として、彼らを救う者として、ガルハールは決して嘆きと恨みが蔓延する地に喚ばれ、そして燃え尽きることのない怨讐の炎を燃やす。なのに彼が正義の味方となれなかったのは、彼もまた恨む者であったからだ。
 一人だけのものではない恩讐の炎がガルハールをまとわりつく。ゆえにガルハールは止まらない。立ち止まることなどできるはずがなかった。

 そのような内容のことをガルハールは簡潔に告げ、口をつぐむ。彼自身は一人だが、アヴェンジャーとして見れば怨恨の集合体とも言えるべきサーヴァントであると語るのは、マシュを含めて二人目であった。一人目はすでにこの隠れ里を守って消滅してしまっているから、このことを知るのは彼女だけとなる。

 そうだとしたら。マシュは口を開く。

「ガルハールさんはギャラハッド卿の霊基を持つ私を憎んでいるのではないですか?」
「いや、霊基が誰であれ君はマシュ・キリエライトだ。それに彼は最後まで妹を気に掛けてくれていたと聞いている。――感謝はすれど憎むことなど決してありえないよ」

 不意にガルハールがマシュの頭を撫でた。その手のひらのあたたかさと優しさに思わずマシュは赤面する。彼女には家族という存在がいないため確信があるわけではなかったが、きっと兄がいればこのような感じなのだろうと何となく思った。

「気を遣わせてしまってすまないな。でも同じ陣営にいる以上、まだ彼らを殺しはしない」

 ガルハールは小さく笑んだ。どれだけ柔らかい口調であろうとも、彼の瞳は暗く澱んでいる。