chapter4-2

「頼みがあるんだが」

 そう切り出したのはプロシュートだった。
 ラジオから流れるニュースを聞き流しながらビスコッティを食べようと口を開けたナマエは、そのまま形のいい眉をこれでもかと言わんばかりに潜めてみせる。視線や態度のすべてがプロシュートを批判している。

「面倒なことと金がかかることはお断りよ」
「必要経費は出す。少しばかり面倒だが、上等な酒と飯が出るならいいだろ」
「少しでも面倒って時点でお断りだわ」
「話は最後まで聞け馬鹿」

 プロシュートはナマエを睨みつけ、カプチーノを一口飲む。

「次の日曜日、うちのボスのパートナーとしてパーティーに出てくれ」
「……女も調達できないくらいにあんたの職場は困窮してるの?」
「こっちにだって事情ってもんがあるんだよ」

 呆れた表情を浮かべながらナマエはビスコッティを口に入れた。馬鹿じゃないのと言わんばかりの彼女の反応は当然のものだ。仕方ないだろとプロシュートは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 プロシュートとしては正直言ってあまり気が乗らないのだが、候補の女達の中で消去法的にナマエしか残らなかった。というより第一候補がナマエで第二以下は不在も同然の状態である。
 パッショーネと無縁でありながら堅気の人間ではなく、かつ一通りのマナーを身につけていて外面の繕い方のうまさと文句なしの見た目で頭が悪くなく、信用できる女となればかなり限られる。というより、プロシュートが用意できる女としてはナマエしかいない。

 そもそも政治家が主催する大規模なパーティーに怪しまれることなく潜り込み、自由に動き回るには参加者か給仕になりすますしかない。そこでリゾットが客として、プロシュートは給仕として潜入して暗殺を遂行することに決まった。ターゲットはパーティーの主催者、事故死に見せかけての殺しである。
 プロシュートはすでに主催者サイドに雇用という形で潜り込み、他の給仕と親しくなる程度には融け込んでいた。当日のスケジュールや会場の見取り図はすでに抑えており、参加者のリストも警備の穴も確認済み、暗殺のタイミングや逃走経路などもだいたい決まっている。

 参加者として潜り込むリゾットの動きもおおよそ確定していたが、パーティー内を動き回る中で可能なかぎり不自然さをなくすためにパートナーが必要だと、そう言い出したのはメローネである。そういう些細なことに対して彼はよく気が付く。
 男一人より女連れの方が周囲の関心を引きにくいと主張するメローネの意見は採用されるも、問題は女の用意である。一般人は論外だし、商売女は逆に目立つ可能性がある。ファミリー内から調達するのは不可能に等しく、フリーランスを雇うにしても慎重に選ばなくてはならない。紹介屋を使えば無駄に金がかかる。それにそんなことにのんびり時間を使うほどの余裕はあまりなかった。

 もう面倒だから男一人でいいんじゃねえの、とギアッチョが苛々しながら吐き捨てて、それもそうかと皆が諦めかけたころ、プロシュートの頭の中に浮かんだのが唯一の身内、ナマエである。
 礼儀作法は一通りできるし、頭も顔も悪くない。大変遺憾ながらプロシュートの身内であるから信用はできる。深く事情を聞いてこないだろうし、勝手に詮索もしないだろう。値切り交渉しづらい相手ではないから金銭面はなんとでもなる。

 そんな深い事情があるなどと顔には出さず、プロシュートは判断を相手に委ねる。彼の中ではすでにリゾットのパートナーがナマエだと確定していた。断らせる気など毛頭ない。

 ナマエは食べかけだったビスコッティをようやく口に入れ、のんびり咀嚼して飲み込んだのち、カプチーノで喉を潤す。プロシュートから投げられたボールを手の中で弄ぶように、実にマイペースに彼女は食事を続ける。それは主導権が自分の方にあるとわかっているゆえであるし、またプロシュートに嫌がらせのつもりで焦らしているからでもある。
 だが別に彼女だってなにも考えていないわけではない。パーティーに参加することの面倒さに悩むより、プロシュートに対して貸しを作るために協力すると思えば安いものだとすでに結論を出している。
 それに経費を出してくれると言っているのだから懐は痛まないし、料理も酒も上等だとプロシュートが言うのだからきっと嘘ではない。どうせ仕事はオフである。

 相手がなにを考えているかなどお見通しのプロシュートは返答を待ちながら朝食を食べる。ラジオはいつの間にかニュースからトーク番組に移っていた。
 カプチーノを飲み干し、ようやくナマエが口を開く。

「パーティーの主催は?」
「最近急激に台頭してきた政治家がいるだろ。作家上がりで術策家の」
「ああ、あの。現代のドン・ジョヴァンニだとか、ジャコモ・カサノヴァの再来だとかって噂の。なら料理やワインは期待できそうね」
「招待客も上流階級ばかりだから男作りでもスポンサー作りでも好きにしろ」
「――で?」

 プロシュートを見ることなく、何気ない日常会話の一部のようにナマエはその一言を混ぜ込んだ。単語として何の意味もなしてないナマエの言葉だが、そこに含まれるものは非常に多い。依頼する側とされる側である以上、どれだけ軽口を叩こうとも、最終的に辿り着くのはそこしかない。
 プロシュートもラジオのチャンネルを変えながらそれに応える。ジャズのスタンダードナンバーがスピーカーから流れ出す。

「大通りのエノテカ」
「ディオールの新作で欲しいリップがあるのよね」
「教会裏のリストランテ」
「あと新しいサングラスも欲しいわ」
「エノテカとサングラス」
「そういえばいつも使ってるオードトワレがなくなりそうなの」
「ならディオールのリップと駅前のトラットリアだ」
「それとオードトワレ。交渉成立よ」

 にんまりとナマエは笑みを浮かべ、プロシュートは露骨に嫌みたらしく息を吐き出した。予定よりはやや高い。だが予算内には収まった。荷物持ちのオプションがつくとはいえ、外部の女を雇うことを考えれば格安だ。

 手短な交渉はナマエ寄りの結果に落ち着いた。依頼を受ける側だから有利ではあるとはいえ、プロシュートに貸しを作ろうと画策しているのだから依頼を撤回されない程度に、そしていかに自分に有利な条件で収めるかを見極めながらの交渉である。プロシュートが依頼相手を自分でほぼほぼ決めていることを見抜いていたからこそ、強気に出られたというのもあるが。

 カップの底に残ったカプチーノを一気に飲み干し、プロシュートは寝起きのままの髪を掻き上げる。リゾットのパートナーが決まったのだからこれを彼らに知らせなければならないし、計画をナマエに伝え、手はずを整えなければならない。
 だがあくまでナマエは部外者だ。暗殺チームの一員でも、パッショーネの構成員でもない。だがおそらく裏の人間である。彼女が何の仕事をしているかプロシュートは聞いたことがない。逆もまたしかりであるが。

「ったく、おまえはいつも面倒くせえ」
「あらそう? ビジネスではとっても重要なことだと思うわ」
「なら報酬に見合う仕事をしろ。絶対にヘマはするなよ」
「ええ、もちろん」

 プロシュートはナマエが何の仕事をしているか知らない。逆にナマエもプロシュートの仕事を知らなかった。なんとなく後ろめたい仕事をしていることくらいは互いに察していたが、詮索は大きなお世話だと聞くことは決してなかった。
 そのため彼ら二人とも実はイタリアンギャング・パッショーネファミリーの構成員だと知らず、また互いに互いがスタンド使いであることも知らない。プロシュートは暗殺者チームに、ナマエは運び屋チームにそれぞれ所属しているなんて夢にも思っていない。幸か不幸か互いの噂が互いの耳に入ってくることはなく、構成員として顔を合わせたことがなかったから、その機会が訪れない限りきっと二人は互いの本当の仕事を知らないままだ。

「オレはプロシュートで通している。間違えるなよ」
「名前は……そうね。ナマエと呼んで」

 だからファミリー内で使っている名前を互いに名乗ったところで気付くはずもないのである。