chapter4-3

「ボナセーラ、シニョール。いい夜ね」

 リゾットの運転する車が赤信号で止まったのを見計らうように、するりと助手席に乗ってきたのは、鮮烈な色香を持つ女だった。

 太陽の色を写し取った髪を後頭部でまとめ上げ、濃い紫色のドレスはその艶かしい体のラインを際立たせ、海色の瞳は勝気でツンとした鼻先は彼女の気の強さをうかがわせる。美しく着飾った女がまとうオードトワレの香りが車内に漂い、リゾットの鼻腔を甘くくすぐった。信号が青に変わり、車が動き出す。

「――お前か。プロシュートが用意した女ってのは」
「ナマエよ。そう呼んでちょうだい」

 リゾットが横目で女を見る。さすがプロシュートが見繕っただけあって見た目はいい。車に乗り込む所作もスマートでそつがなく、他の上流階級の女達比べても見劣りしない。それにこれだけの女であれば周囲に強く印象を残し、パートナーの存在をかすませることだろう。暗殺を行う以上、自分の存在を隠すにはなかなか悪くない隠れ蓑だ。
 エスコートなんざ適当にしておけばいい。放っておいても勝手に飲み食いして勝手に帰るから気にしなくていいとプロシュートに言われている。ナマエには暗殺云々については一切伝えていないと聞いているから、会場内をいるときだけそばに置いておけばいいだけの人形である。

「リゾット・ネエロだ」
「よろしく、シニョール・ネエロ」

 赤く彩られた唇が艶めかしく弧を描く。

 肘を曲げて差し出されたリゾットの腕にさりげなくナマエが手を添える。べったりとはくっつかず、お互いの動きを阻害しない程度の距離を保ちつつ、何食わぬ顔をしてパーティー会場へ足を進める。
 途中、セキュリティによる招待状のチェックがあったが、プロシュートがあらかじめ用意していた偽の招待状のおかげで難なく警備を突破する。華やかに着飾った男女がひしめく中にリゾットとナマエは浮くことなくすぐに溶け込んだ。

 ゆったりとした足取りで人々の間をすり抜けながら、リゾットはターゲットを探し出す。予定通りパーティーに参加していることを確認してから、また人混みの中に紛れ込んだ。そして自然を装いつつ会場内を歩いてセキュリティの数や出入り口が予定と同じかチェックを続ける。
 また暗殺実行の予定時間までまだ一時間弱あった。シャンパンを載せた盆を片手に給仕に扮したプロシュートとアイコンタクトを交わし、予定通りに進んでいることを確認する。

 リゾットが歩き回る間もナマエは彼の腕に手を添えて静かに付き添っていると思えば、リゾットに向かって楽しそうにおしゃべりをしだしたり、愛想よく他の参加者に挨拶したりととごくごく自然にただの客を演じている。そうしてリゾットをさらに会場の中へと溶け込ませる。

「シニョール、もっと表情筋を柔らかくしたらどう? そんなしかめっ面じゃあいけないわ。――ウェイター、シャンパンをいただけるかしら?」

 リゾットの腕から離れ、慣れた様子でナマエはウェイターからシャンパングラスを二つ受け取って片方をリゾットに差し出す。

「どうせまだ何もしないんでしょ。せっかくなんだから楽しまなきゃ」

 リゾットの眉間にしわが寄るのも気にせず、ナマエは熟れた赤い唇で弧を描いてみせる。

 パートナーの男が何を目的としてこのパーティーに参加しているのかナマエは知らない。だが、何やらまともではない仕事をしているらしいプロシュートの職場のボスである、しかもわざわざパートナーの女を雇っての参加なのだからまともに招待されているとは考えづらい。
 主催の政治家も黒い噂を聞くし、参加者の中にも似たり寄ったりの者がちらほらいる。何かの取引か、談合か、もしかしたらパーティーの裏側でそんなことが行われるかもしれない。そこにリゾットがどう関わってくるかまではさすがにナマエも分からないが。
 一応今回のパーティーについてナマエも調べてはいる。チームメンバーのつてで参加者のリストも入手した。彼らの本来の職業を眺めながらチームの仕事に関係ありそうな参加者をピックアップして、チームメンバーに流した。プロシュートの仕事について詮索するつもりはないが、自分の仕事をしないとは一言も言っていないので気にすることではない。

 押しつけられるシャンパングラスをリゾットが受け取ると、ナマエは自身のグラスを軽くぶつけた。そして隣の男の表情などお構いなしに口を付ける。

「あらおいしい。さすが現代のドン・ジョヴァンニ主催のパーティーだわ」
「プロシュートとの関係はなんだ」
「……それって言わなくちゃいけないこと? あいつが言ってないことをわたしが言うはずないでしょ」

 軽くグラスを揺らしてナマエはくつくつと喉を鳴らして笑う。反対にリゾットは眉間に皺を寄せる。

「……おまえはどこまで聞いている?」
「なあんにも聞いてないわ。強いて言うなら、帰りは一人で帰るってことくらいかしら」

 でもやっかいごとに巻き込まれる前に退散させていただくわ。声にせずとも心の中でナマエは呟いた。