chapter1-4

 続けざまに入った仕事は、駅のホームの水飲み場に亀を置くミッションだった。なぜそんなことを、と疑問に思っても口にするのが三流、口にしないのが二流なら、そんなことを考えることすらしないのが一流だろう。ゆえに自分は二流だとナマエは思いながら亀を置く。
 ネアポリス駅6番ホームに停まっているフィレンツェ行きの列車が発車しても亀が残っているようだったら回収するようにとも言われているために、これで仕事は終わらない。不在届けはちゃんとジャケットのポケットに入っている。ちゃんと届けたとサインが欲しかったが水飲み場には誰もいないし、まさか荷物の亀にサインを押してもらうわけにもいかない。こういうとき大体は自己申告になる。

「16時25分、お届けしましたよ……っと」

 伝票にサインし、亀と腕時計とともに写真を撮ったあとジャケットのポケットに伝票を突っ込みながら近くのベンチに腰掛けて適当に売店で買ってきた新聞を開く。あとはちゃんと亀が受取人に回収されるかを確認するだけだ。
 キャスケットを目深にかぶって黒縁の眼鏡で申し訳程度の変装をしたナマエは新聞を読むふりをしながらも、意識は常に亀に向けられていた。新聞の記事は相変わらずマフィアか汚職である。この国は話題が豊富だ。朝昼晩と新聞を出さなければ新聞屋は情勢に乗り遅れるのではないかとナマエはいつも思っている。

 それから十五分くらい過ぎた頃だろうか。青年が一人、水飲み場に近付きしゃがみ込む。その手になにかを持っているようだったがナマエいる場所からは確認できない。
 青年はしばらくそのなにかをあちこちに押し付けているようだった。彼が受取人なのだろうかとナマエがこっそり眺めていると、ふと駅のホームの奥の方で見慣れた姿を見つけた。やべえと思わず呟く。

「あのおにーさん、額縁の家の人じゃねーの」

 大小様々な額縁を数日に渡って配送した記憶が蘇る。何人かいる男の中で一番うんざりした表情ばかりを浮かべていた、香水の使い方がうまい彼だ。ナマエのことをシニョリーナと言ったのも彼である。
 慌ててナマエはキャスケットを目深にかぶり直し、新聞で顔を隠す。顔は間違いなく覚えられている。運送屋の一般人がこんなところで仕事をサボっていると言えば怪しまれはしないだろうが、彼も水飲み場にいる青年も堅気ではないとナマエは気が付いている。それは彼女自身も同様だ。間違いなく他人のふりをすべきだと野生の本能に近い直感が働いたのである。

 額縁の家の男が仲間を連れて足早に水飲み場に近づいてくる。これやよもや銃撃戦でも始まるのではないかと予感して一刻も早く逃げ出したいナマエであったが、任務は完了していない。誰であろうがあの亀を受け取る瞬間を見届ける義務がナマエにはある。もしくはホームに停まっているフィレンツェ行きの列車が発車するまで。
 運の悪いことに今日に限って丸腰で来てしまった己の愚行を呪いながら、ナマエの目は男たちに釘付けであった。