chapter2-1

 誰も知らないことだがプロシュートには姉がいる。
 正確には妹かもしれない。ナマエはプロシュートと双子かもしれないし年子かもしれない。だが彼らにとってそんなことは気にするほどのことではなかった。どちらが年上だろうがさしたる問題にはなりえないからだ。
 母親は町一番の娼婦であったと聞いているから双子でなければ父親が違う可能性もあったが、少なくとも半分は同じ血をわけている。それだけは揺るぎのない事実である。

 物心つく前に母親はプロシュートと妹ないしは姉のナマエを捨てた。物心つく前のことであるから事実は違うかもしれない。痴話喧嘩の果てに殺されたかもしれないし、梅毒に侵されて死んだかもしれない。
 だが母親に同情しようと思ったことは一度だってなかった。プロシュートは娼婦という職業を蔑むつもりはなかったが、それが自身の母親だと思うと卑しいものにしか見えなかったのである。
 唯一感謝するとしたら、綺麗な見目形で生んでくれたことだ。彫刻のような整った顔立ちに白い肌、すらりとした体躯、海の色で染まった瞳や太陽の光を写し取ったような髪。彼ら二人を褒め称える言葉はいくらでもある。美しくあることに損はない。彼らの生まれ持った最大の財産だ。

 父親も美形だったのか、それともまったく似なかったのか、幸いにもプロシュートと彼女は幼いころから天使のようだと持て囃された。その称賛と同じだけの危険と隣り合わせに生きてきた。
 いつの時代もペドフィリアはいるものだ。あのウラジミール・ナボコフの有名な著作である『ロリータ』のおかげで少女愛は大衆に認知されたし、パイドピリアに至っては古代ギリシアまでその起源を遡ることができる。
 ゆえに今さらそれについて特に感想を抱くことはなかった。このイタリアでは警察ですら正義の味方ではないのだから。

 孤児院に収容されても当然幸せなどなく、後ろ楯のない哀れな娼婦の子供たちの周りはいつも敵しかいなかった。ゆえに幼い二人は狡猾に生き残る術を覚えざるを得ず、そのための努力は惜しまなかった。
 少しでも惜しめば無様に転がり落ちる。そうして惨めに落ちぶれていく者たちをプロシュートとナマエは散々見てきた。そして落伍者になどなりたくないと考えるのは当然のことである。僅かに出る金で学校にも行った。

 幸い彼ら二人は頭もよかった。成績が優秀であれば篤志家から援助が出る。その援助の利用方法も彼らはよく心得ていた。空から落ちた哀れな天使のために神は二物を与えたのである。聡明な天使は狡猾に悪魔の囁きをもってして周囲の大人たちを騙していった。
 綺麗な顔をしながらも、自分たちのために必要となればどんな悪事もやってのけた。唯一やっていないとすれば、その美しさを損なう元となる麻薬くらいのものだ。

 二人がそれぞれ生きるようになったのはプロシュートが就職を果たしたときである。少しの間、ナマエは彼の元に身を寄せていたが、すぐに彼女も職を定めたのだから、二人で生きる理由がなくなった。互いに互いの職業を知ることはなかったが、もはや彼らは子供ではない。一人で生きることができるのならばそれが最善だと知っている。依存など身を滅ぼす元だと二人はよくよく理解していた。

 その後プロシュートとナマエは特に連絡を取ることもなくそれぞれの道を歩んで行く。時折バールで会うことがあれば他愛のない話を肴にワインを飲む。プロシュートは赤を好んだが、ナマエは白ばかりを飲んだ。互いに互いの舌がおかしいのではないかと罵り合うのもいつものことだ。
 一目見て明らかにオートクチュールのスーツを着た男と女、頭のてっぺんから爪先までわずかな隙すらない完璧な男女は嫌でも人目を引いたが、それを二人が気にしたことなど一度もなかった。嫉妬や羨望の視線など慣れたものだ。彼らは自身の容姿について自覚がある。また、それの利用法もよくよく心得ていた。

 互いがまともな仕事についていないだろうことは薄々感づいていても、決してそれを話題にはしない。詮索だって不要だとわかっているからなにも聞かない。相手を心配することもあまりなく、「ああまだ生きていたのか」その程度の感想しか抱かない。
 また自身がスタンド使いだと相手に打ち明けたことはなく、同時に相手がスタンド使いなどと露にも思っていない。ゆえに自分が足を突っ込んでいる世界に関わらせたくないとも心の奥底で、小指の爪の甘皮程度には思っている。